するめ日記
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18年前の今日。 私は神奈川から来て仕事を始めた日でした。 もう18年。人生の半分を神奈川で過ごしたことになります。 0歳〜18歳と18歳〜36歳まではぜんぜん違う速さで、でも記憶が鮮明なだけに充実してたなぁって思います。
兄が18歳で就職した時はうちは北海道で両親と暮らすか道内で仕事をと思っていたんだけど、兄が仕事先でいろいろあって戻ってきた後は家族でも大変な時期で私も仕事が道内で見つからない事もあって神奈川に行くことを決めたのです。
今思えば、18歳まで両親に甘えて育ったうちへの「試練」の為だと思っています。
17歳の頃にお母さんが入院して、仕事から帰ってくるお父さんの為にごはんを作ったり、洗濯してお母さんのお見舞いに行ったり、掃除したり。。。それまで自分は何もやったことがなかったことに気づきました。洗濯なんてやり方もわかんなくて2層式だった洗濯機の使い方を紙に書いてもらってやってたほど。晩御飯も失敗したりしてお母さんの見よう見まねで作ったけどきっとおいしくはなかったんだろうと思うけどお父さんは味噌汁を褒めてくれました。 それも神奈川で1人で生きていく為の準備だったのかもしれません。
そして今。 家族も恋しいけど1人でも寂しくないように友達もいっぱいできました。 「試練」とか言って、たぶんどこにいてもワタシは誰かに甘えて育つ人なのかもしれません。 これからもぜひ仲良くしてください。 よろしくお願いします。
2月20日に見た「ORANGE」という舞台。 阪神淡路大震災があった当時、救助に当たった消防士達100人以上に取材をし、作り上げた真実の物語を舞台化したものです。 この日まで震災のことは正直他人事で、忘れかけていた出来事でした。 でも舞台を見終わった後にボロボロ泣いている自分がいました。 その日はアフタートークがあり、消防士さんがトークに加わりこんなことを私たちに言いました。
「まずは自分。そして次は家族、それから友達や近所の人を助けてあげてください。」
3月11日に大きな地震が起きました。 幸い私が住んでいる所は震度5だったけれどすべて無事でした。 でも今までにない恐怖を感じたのは確かです。 会社も2週間もの自宅待機になりました。 それも明日には元通りの生活に戻るのです。 この2週間で自分がやったことと言えば節電と義捐金振込みだけです。 他になにができるのだろう? 自分に今できることはなんだろう? 微力ながらもなにができることはないだろうか? 阪神淡路大震災の時のように他人事で忘れかけてはいけない。
がんばろうね。被災者もうちらも。
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