東京の片隅から
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2020年11月06日(金) |
「海が青くなるまで泳ぐ」 |
フィルメックス5本目。 賈樟柯のドキュメンタリー。
フィクションを描くときのエッジの尖り方と違って、アタリが柔らかい。自分の故郷を映すからだろうか。 山村ではあるが、模範村的なものに選ばれたらしく、作家を招いてシンポジウムが行われたりと、割と文化的には恵まれていたようにも感じる。 老人たちの食事シーンで気になったのが、男性たちは喜色を顔に浮かべて碗を受け取るのに対し、女性たちはどこか不安げな疑わしげな顔をしていること。性別差なのか、こちらの思い込みか。まなざしが妙に印象に残った。
フィルメックス4本目。 アルメニア映画。 ナゴルノカラバフを舞台にした映画。まさにタイムリーである。 細い回廊(ラカン回廊)でかろうじてアルメニア本国とつながっているナゴルノカラバフの、国境というか軍事境界線ギリギリにある飛行場の監査に来たフランス人。 建物は出来てからまだほとんど稼働していない。 所長は多分認可されないことをわかってるけど、それに期待を寄せずにはいられない人々。人々の言動に、ここは戦時下なんだなぁと思わされる。 「国境に線でも引いてあると思った?」という台詞が重い。
戦争状態を外からの視点で捉えるという意味で、「ユリシーズの瞳」を思い出した。
この映画を見た半月後、ナゴルノカラバフで係争。 決着はしたものの、アゼルバイジャンに編入される(元の形に戻ったと言うことなのだろうけど)こととなった。あの空港はどうなったのだろうか。
来年度のPTA役員募集について、人数と仕事を洗い出し。各係には、仕事量と日程のまとめをお願いした。 これまではざっくり募集して、なってみないとわからないことも多かった。経験者に知り合いがいないと何をやっているかわからない。それでも手を挙げてくれる人はありがたいのだが、このままではいけないのではないか、と思う。 毎年同じである必要はないが、前年度何をどのくらいやったのかわからないと変えようもないだろう。 今年校内消毒ボランティアを募集してみて、複数回参加してくれた人も含めて、平日の午後でも家庭数の2割くらいからは手が上がる雰囲気。 学校まつりの当日調理当番などの時間割表などを思い出しても、目的がはっきりしていて(特に、子どものために直結するもの)単発の活動ならやれる、という人も少なからずいることが見えてきた。 この地域では町が古い近隣他校はもっと密度の濃い活動をしていて、かつそれが成り立つのだが、うちは新規住民も多い。よそはよそ、うちはうちでいいと思う。
2020年11月03日(火) |
アドヴェントカレンダー |
今年もカルディコーヒーファームでアドヴェントカレンダーを購入。いつものチョコレートのやつである。こんなに早く買うのもなんだか変な感じだが、実際11月末のアドヴェントが近くなるともう店頭にないので、見つけ次第買うようにしている。 でも今年はみんなで集まることは奨励されていないので、ハロウィーンにせよクリスマスにせよ街には「そういうご時世じゃないんだけど一応用意しておこうかな」というような後ろめたい空気が流れている気がする。気にしすぎかな。
ハロウィンが終わってスーパーマーケットはクリスマスにシフトし、早くもシャンメリーのコーナーができている。 いつものアニメのラベルたちの中に、今年は「鬼滅の刃」が。 そりゃーコラボしますよねーむしろ今年参戦せずしていつ参戦する。 シール作ればいいんだし、売れるだろうなぁ。 うちはいつもどおりポケモンの予定。 賞味期限が長いから、毎年この時期に何本か買っておいて、クリスマス・お正月・誕生日で出している。
フィルメックス3本目。これが一番チケットが激戦だった模様。会場内も、観客の期待感が違う雰囲気。
香港の映画監督7名で撮影したオムニバス映画。最初はジョン・ウーを入れて8人の予定だったが(当初タイトルは「8 1/2」!)、ウー監督は体調不良で離脱したとのこと。
最初いきなりサモ・ハン・キンポーの「小七福」ネタから始まり、会場から笑いが起こる。みんなわかってるなぁ。しかも老師役はサモハンJr.らしい。「やっぱり似てるねー」という歴戦の勇者のささやき声が聞こえる。 作品毎に古い香港から今の香港へ時間が流れ、さながら香港の年代記になっている。 いろいろ体制が変わってもしたたかに生きていく香港人だが、題材のそこかしこに「死」をほのめかす叙情的な作品が多くて、これは死にゆく香港への追悼作品でもあるような気がしてくる。
しかし転んでもただで起きない香港人、最後のツイ・ハークで全部ぶち壊しだよ!(褒め言葉) シュールでクレイジーな密室劇で最後締め。客席も大爆笑だった。
これが作れるならまだ大丈夫かな・・・。
フィルメックス2本目。 蔡明亮新作。
監督の意向で全編字幕なしなのだが、台詞が少ないのであまり関係ない。観客もあってもなくても気にしない感じ。 鍼治療の場面では笑いも起きていた。 このところおとなしかった(?)蔡作品だが、今作は久しぶりにはっきりR-18。 最後のオルゴールの場面がちょっと切ない。 こんな叙情的な場面も撮れるんだぁと妙な感慨。
ところで冒頭でシャオカンが着ていたTシャツはユニクロのエアリズムなんじゃないかと思ってる。
今年のフィルメックス1本目。
アゼルバイジャン映画である。 舞台となっているアゼルバイジャンに対する知識もこちらには乏しく、首都がバクーで油田があると習ったのはまだソ連だった頃だ。映像の中で遠くにそびえ立つ煙突の群れはその関連施設だろうか。 ひょんなことから殺人を犯してしまった主人公が逃亡する先々で死者が発生する。残された人々に妙に感謝されるから、死神なのか救世主なのか、こちらにはわからない。 湿地と草原の起伏の中、主人公とその追っ手があちこちへ移動するのだが、背後の風景が面白い。 巨大な煙突が並ぶ地平線の手前に風力発電用の風車が並んでいたり、追っ手が乗っている車がどれも相当古かったり、20世紀と21世紀が混じり合った不思議な世界。 モノローグも詩的。ちょうどその場にいたので持ち主に借りて撮影したという白い馬も絵のようだ。 あれこれ解釈するよりも画面のまま受け止めるタイプの映画。シュールで詩的な映像はタルコフスキーかソクーロフかはたまたアンゲロプロスか。
上映後にQ&Aコーナーがあったのだが、このご時世なので、リモートで行われた。 監督は映画祭で滞在中のエジプトから参加。 観客からの質問はQRコードを読み取ってメールで送るシステム。 質問が簡潔になり、かつ、事務局側で内容を確認して取捨選択できるため、普段の質問なのか自分語りなのかわからない謎質問はカットでき、内容に関する質問を的確にピックアップできる。なかなかいいシステムだと思う。 質問する側もアゼルバイジャンについての知識が少ないため、まずは当地での映画・テレビ事情から質問が始まり、監督がユーゴスラビアで映画を学んだこと、滞在費は賭けチェス(!)で稼いでいたこと、大学では美術や映画ではなく数学を学んでディプロマを持っていること、風景は連続したものではなく、国内のあちこちで撮影したこと、死にゆく母は実際の監督のお母さんで内容についていろいろ言われたこと、等々、知りたい&伝えたいが噛み合う面白いQ&Aだった。
そういえばアベノマスクをつけている人を見たことがないのですが、一体どこへ行ったんですかねぇ。 国会中継でもつけている議員をほとんど見ないあたり、忠誠心が垣間見られる気が。
いま実家がある街は、そもそもが賑やかなのだが、手土産に使うような菓子を売る店が多かったりして、そういう生活に直結していないお店が多いのは、ある意味「豊か」なんだなぁと思う。
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