東京の片隅から
目次|きのう|あした
2020年11月26日(木) |
ツイッターのトレンド |
出版情報などを知るためにツイッターに登録しているのだが、トレンドのランキングに診断メーカーなどのネタがずらっと並ぶのはなんだかなぁと思う。基本タイムラインばかり見ているのでネタばかりの時はスルーするんだけど、情報を探したいときに、探したい言葉と被ってしまうとかなり鬱陶しい。あといにしえのmixiのバトンとか50の質問とか思い出す。
子どもが友達の家で「りぼん」を読んだらしい。「でもつまらなかった」だそうだ。連載マンガが多いからその一冊だけ読んでもよくわからないよね、とフォローしたが、そもそも少女漫画的な世界について行かれなかったらしい。「コロコロのほうが面白いよ」とのこと。 子どもはまだ少女マンガはほとんど読んだことがない。「動物のお医者さん」くらいである。今手元にある少女マンガは萩尾望都と吉野朔実がメインなので、ちょっと早いだろうな、と思っている。
今の「りぼん」は何が載っているのだろうか。調べたら学園恋愛マンガのオンパレードで、うわぁ甘いなぁ・・・。自分が子どもの頃はそこまで恋愛シフトじゃなかったにせよ、友達の家で読んでやはりついていかれなかったので、「りぼん」と相性が悪いのは血かもしれない。
でも、まぁ、そんな私でも何とかなっているので、今「りぼん」がダメでもたぶん大丈夫。
2020年11月24日(火) |
恋したっていいじゃない |
渡辺美里の「恋したっていいじゃない」、歌詞をずっと「チャンネル回すだけじゃ 博士になれない」と覚えていたのだが、勘違いだった。正しくは「チャンネル変えるだけじゃ 博士になれない」であった。 30年前の曲でも流石にチャンネルを「回す」のは古すぎる(苦笑)。家にきょうだいが買ったCDもあったので、どこかですり替わったのだろう。もっとも当時の実家ではチャンネルが回るテレビが現役だったので実感としてはチャンネルは「回す」(ときどき抜ける)ものであったし、そのテレビで「JUST POP UP」とか見ていたのだった。そういえばマツボー何してるんだろう。相変わらず年齢不詳なのかな。
今年子どもの小学校では学習発表会は展覧会だった。 合同制作はやめて家庭科や図工の授業の個人の制作物を飾る、保護者は事前アンケートで来場者と時間を申告してもらい時間を区切って入れる、という方針になった。 PTA本部も受付で協力した。 入口でアルコール消毒と検温。あまり集中するようだったら入場制限をするつもりだったが、そこまでの混雑もなく、無事終了した。 受付の合間に自分でも見て回った。 子どもたちの間での流行がわかって面白い。なんだかよくわからないキャラクターがあちこちにいたのだが、一部の女子たちの間で流行っているマンガらしい。なるほど。 あと6年生あたりになるとちょっと早い厨二病患者がちらほらと見受けられたのだが、全くその段階にも至っていない子もいて、同じ学年の中でも精神的な成長の差がかなりあるなぁ、と思わせられたりもした。
来年は音楽や劇の年だ。普段の授業の中で制作できる展覧会と違って、準備に時間がかかるうえ、児童数が予想以上に増えてしまったため、開催方法や内容を含めて全面見直しする予定とのこと。 行事を全くゼロにするのも教育上望ましくないのだろうけど、イベントのために通常の学校生活にしわ寄せが出るのは本末転倒。できる範囲のものでいいと思う。
2020年11月22日(日) |
麒麟は本当に来るのか |
来年2月まで延長されたとはいえ、麒麟は本当に来るのか。このペースで間に合うのか心配になってしまう。 しかし役者が達者で見応えがある。 麒麟に来て欲しいような、欲しくないような。
普段子どもと一緒に外出するときは子どもも食べられる味付けの店ばかり行くので、自分一人の外出の時はここぞとばかりパクチーやら唐辛子やら入ったランチになりがちである。
食事中に突然自分語りを始めるが全く説明する気がない義父と、最初は聞こうと思うけど話が全くわからないので聞く気を失い雑な応答になる子ども。その間で通訳をして10年、もう疲れた。 義父は子どものわからない言葉を説明する気がないなら話をしないで欲しいし、子どもも聞く気がなくなったなら食卓を離れて欲しい。 祖父と孫ではあるが、育った環境のせいもあり、実際には曾祖父と孫くらいの生活文化の差がある。時代劇の説明をするつもりで話をして欲しいことを何度も話しているが、自己満足してしまうことに加え、アルコールが入っているため、全く伝わらない。 あとダジャレや古い歴史知識は不要。かえって害になる。
「鬼滅の刃」の映画が流行っている。 PTAでの作業中にも話題になり、子どもがはまって放課後に友達と何回も見に行ってるという家も。近くとはいえ学区外のショッピングモールなので、帰りは迎えに行くらしい。 ところでこの後のストーリーで吉原遊郭が出てくるらしく、もしアニメの続編が深夜帯じゃない場合は描写が難しいんじゃないか、と原作既読組が言っていた。 でも自分が子どもの頃夕方の再放送で見てた水戸黄門や大岡越前にも吉原は出てたしねぇ、実際に存在したものだし、現代まで形を変えつつ似たようなものは続いているわけで、漫画の中で親に売られそうになった子が鬼殺隊に入っている描写もあるらしいし、フィクション混じりとはいえ実際の大正時代もあんな感じだったし、変に脚色して隠すほうがまずいんじゃないか?そこはきちんと説明するのが親だろう?と私。そういえば銀魂でも出てたわ、あれで説明するかぁ(笑)、と彼女。 そもそも漫画やアニメの対象年齢か、という問題はあるのだけど、子どもが興味を持ったときには大人はきちんと対峙すべきと思う。 特に人が鬼になる心理を丁寧に描いていたからなおさらに、だ。吉原が苦界であったことをきちんと描写しなければ、鬼になる理由が見えない。
「どうぶつの森」のお天気、てっきり任天堂本社のある京都の天気に合わせてあるのかと思ったが、ランダムらしいと聞いた。現実が雨の日に雨が降っていたり、いい天気の日は画面の中でもいい天気だったりするのは、たまたま合っていただけの偶然だったらしい。そうなのか。
来年度の学童の申込書が配布される季節になった。来年度は申し込まない。 今年度既に最高学年で、下の学年の面倒を見たりして自分の時間が取れず、本人が落ち着ける場所ではなくなっていること、友達もほとんど辞めてしまっていること、もう家で過ごせる年齢であること、いろいろ考えて本人の意志もあり、今年度でおしまいにすることにした。 習いごとに行ってもいいよ、と訊くと、ピアノには興味はあるが毎日練習するならやりたくないという何とも消極的な答え。いや、家で何もしなくてもいいスイミングとかのほうが珍しいんですが。お母さん、そろばんですら宿題があったぞ。
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