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NHKの集金。

2ヶ月に一度、NHKの集金の人が来る。

前に住んでいたマンションは、今のマンションから車で5分程度の所。

ここに越してきた時に、貧乏なのにNHK払うの嫌だなぁと思っていたが断りきれなかった。

集金の人が、前のマンションに来ている人と同じだったから。;;^^)

その上、だんなさんの名前が珍しい名前なので、向こうも印象に残ってしまっていたらしい。

きっとその集金人さんは(Cさんとする)私が嫌がって、

なんとか逃れようとしていたことに気付いていたんだろう。

でも、Cさんは嫌な顔一つせず丁寧な対応を続ける。

そして結局今回も払うこととなった。

Cさんは、背の高いナイスミドルでとても優しそうな人である。

腰も低く、しゃべっていても嫌な感じを与えない人柄。

きっと色んな所で集金拒否にあったり、文句を言われたりしているんだろうなあ。

Cさんはウチのだんなさんの名前が珍しい事と関連して、自分の名前の事も話してくれた。

そしてあだ名も教えてくれた。(笑)

それから、私は2ヶ月に1回Cさんに会うのが楽しみになった。

ウチはマンションの4階。

『NHKでございます〜♪』

ドアを開けると、若いとはいえないCさんはハアハアと息を切らしている。

でも、笑顔。(^^)

支払いを口座振替にして欲しいんだろうな〜と思うが、振替にはしない。

だって、Cさんと会えなくなっちゃうもんね。


ほんじゃまか。
2002年12月08日(日)

入院��

仕事が終わる少し前に、電話がかかってきた。

ちょっとフェイント。

少し急がされて仕事を終え、伯母の家に向かう。

どこに何があるのか分からないので手間取ったが、これでなんとか当面はしのげるだろう。

仕度をしている間も、母はカリカリしている。

こういう時は私が相手じゃないとダメだ。

私は母の性格を知っている。どういう事を言うとめんどくさい事になるかというのも知っている。

母にいくら文句を言っても、こじれるばかりでどうにもならない事も。

しかし父は母とは夫婦だから、母に意見したりしてしまう。

『こうした方がいいんじゃないの?』とか『それはいらないよ。』とか。

その度に母はキーッとなって、『いちいち口出さないでよ!!』と怒鳴る。

私は父と母の間に入って『まあまあ。』とおさめる。

そして、これ以上母がキャイキャイ言わないようにテキパキと仕度を続ける。

入院の仕度をし、病院へ向かい、先生の説明を聞き。

全てが終わって食事をしようと家の近くまで戻ってきた時は22時を過ぎていた。

私の事を心配しただんなさんが、名古屋への日帰り出張の帰りに寄ってくれたので、

帰りは運転を頼んで、安心して帰ってくることが出来た。

とっても疲れているのだろうに、ありがたい。(^^)

今日は嬉しい事に大きな不安感も発作も無く過ごす事が出来た。

いつも大丈夫かな、大丈夫かなと自分で様子をみていたけど。

12月1日から、まったく薬を飲んでいない。

調子が悪くなったらまた飲むつもりではいるが、どこまで飲まずにいられるかやってみる。

この後、この伯母の入院騒動が親戚間に大変な問題を起こすことになるとはこの時点では分からなかった。

ほんじゃまか。
2002年12月07日(土)

入院��

伯母の病状が悪化して、病院を替えることにした。

命に別状は無いのだが、手足の先の血流が極端に悪くなり壊死してしまっている。

今まで行っていた病院が頼りにならず、どんどん進んでしまっていた。

伯母は一人暮らしで今までは自分で通えていたが、とうとう痛さで歩けなくなり母に助けを求めてきたのだった。

そこまで来て初めて、母や私たちは伯母の病状がのっぴきならない物になっていることに気付いた。

辛抱強い伯母は、こんなにひどくなるまで我慢していたのだった。

足に出来た傷が治らないことから始まるこの病気を、最初は皮膚科で看てもらっていた。

ただ消毒をし、包帯を替えるだけの診察。

しかしこの病気は皮膚科の領域ではなかったのだ。

皮膚科の医師も、早くそれに気付いて自分の手に負えないと言ってくれればいいものを。

患者のことは覚えない、他科受診しているのにそちらとの連携は無い。

大学病院に行っている意味が無い。

ネットで調べてみると、これはどうやら循環器科の専門らしい。

最悪の場合は、切断も有り得るとの事。

今まで病院を変わることに抵抗を示していた伯母も、相当痛みが強くなっていたらしく母の言葉に素直にうなづいた。

私は仕事があったので、病院には着いていけなかったが勤務先は伯母の家のすぐ近く。

何かあった場合は動けるようにと心構えはしていた。

しかし、こういったイレギュラーの場合不安感で発作が起きることもあるので、意気込み過ぎないように気を付けた。

幸い、今回は父が動いてくれたのでその分助かった。

途中で母から電話があり、伯母が新しい病院へ入院することになったとの事。

入院の仕度をしたいので私に手伝って欲しいと言う。

まだまだ検査がたくさんあるから、会社が終わる頃になりそう。

そして、父に電話をして迎えに来て欲しいと伝えてくれと。

母は今の状況にいっぱいいっぱいになってしまっていて、まともに話が出来ない。

ちょっとでも自分の言いたい事と違うことをこちらが言うと、キレる。

こういう時は、言うことに『はいはい』と従っているのが一番いい。

父に電話してくれと言われて、私は緊張した。

父に頼みごとをして、キツイ言葉で拒否されたことがいっぱいあったから。

今回も、伯父の車を頼むと言っていた母なのになんで俺に頼んで来るんだと言うに違いないと思ったから。

私は意を決して父に電話した。最大限に気を使いながら母の話を伝える。

『いいよ。俺が迎えに行ってやろうか?』

こちらが言ってくれと言う前に、父の方から気持ち良く言ってくれた。

ほっとした。こんな些細なことなのに、涙が出そうになった。

すごく緊張していた自分に気付いた。

私は安心して仕事に戻る事が出来た。

つづく・・・。


ほんじゃまか。
2002年12月06日(金)

ホームセンター。

昨日は風呂釜のチェックの後、だんなさんとホームセンターに行ってきた。

地元では結構有名なディスカウントストアー。

薬から家電までなんでもある。

ゆっくり見ていたら、2,3時間すぐに経ってしまいそうだ。

だんなさんは買い物が嫌いなので、いつもあまりゆっくり見ていられない。

でも今日は、私に付き合う日だと完全に観念しているので大丈夫だろう。

でも私は時々ふと考える事がある。

だんなさんは昨日1日、好きなスロットを打つ日だった。

だから今日は私のための休みのはず。

買い物って、私だけのためのものじゃないよなぁ。

家で使うものを買っているんだから。

なのに何でいつも私の休みが使われるんだろう。

だんなさんの休みは完全に確保されてる。(o'-' o)?

たまには逆になってもいいんじゃないのかなぁ?

そうは思うんだが、だんなさんが毎日遅くまで仕事をしていて

1週間に1回、それそれは嬉しそうにスロットへ出かけるのを見ると、言えないんだなぁ。

それを取り上げたら、ストレスで調子が悪くなっちゃいそうだから。

早く自転車を買って、少々の買い物なら私一人で行けるようにしなくちゃいけないかな。

でも、自転車買うぞ〜って言ってから、もうどれくらい経つんだろう。;;^^)


ほんじゃまか。
2002年12月05日(木)

風呂釜交換。

昨日私が会社に行っている間に、1日スロットを楽しんだだんなさん。

今日は私の休みに付き合うことになっている。

最近調子が悪かった風呂釜の調子を業者さんに見てもらってから、ホームセンターへ出かけることになっている。


私は人と関わるのが基本的に苦手。

風呂釜の修理を頼む事になった時、いつもなら自分でなんとか不動産屋さんとか業者さんに連絡を取るのだが、

今回はなんかどうしても嫌で、だんなさんに1任してやってもらうことにした。

今日の業者さんの訪問も、だんなさんに出てもらって私は出て行かなかった。

風呂釜は古くなっているので修理は無理で、新しい物と交換になるらしい。

風呂釜掃除も大変だったので、とても嬉しかった。(^^)


この事をだんなさんに頼んだ事で、実はちょっと自分を責めていた。

私って、こんな事も出来ないでだんなさんに頼んじゃうなんてダメなんじゃないか。

嫌でも、頑張ってやらなくてはいけなかったんじゃないか。

でも、そんな時に友だちからこんなメールをもらった。

『珍獣委任発想よかったね。(珍獣とはだんなさんのこと)

困難だと感じる事はしなくていいのだ!

安心してやれるぞと自分が自覚して選択したことの中で生じてくる困難さに取り組む事で、成長のためには十分だからです。』

私はてっきり友だちから、『そのくらいの事は自分でやらなくちゃだめだよ〜。』と言われると思っていた。

それは、友だちがそう言って来るのではという予想だけのものであって、

実際は私自身がそれをダメだと思っているから、自分を許せないから人からもダメ出しを受けると思い込んでいたんだ。

すごく気持ちが楽になったよと返信すると、

『ほんとそうらしいですよ。

そして今回はそれが大変じゃない珍獣も、別の分野では今は人に頼みたいということがきっとある。

「今度は出来るようにならなきゃいけない」為じゃなく、「何が怖かったのかなー」といたわる感じで、

自分を知るためにゆーっくり観察してその内なんかが出てくるっていうのが楽しい人生だと思う。

昔は2人でキリキリして自分を責めてたもんね。

人生って厳しいって潜在意識に刷り込むことは避けてるの。

珍獣にいっぱい感謝して。』

私は誰かにこういう風にいって欲しかったんだなぁと思った。

確かに学生の頃は、この友だちと共に随分自分達を苦しめる生き方をして来たと思う。

出来ないことを頑張ってやって、辛い思いをして、自分を責めて。

こんな事も出来ない、あんな事も出来ない、私って何一つまともに出来ないんだ。

生きていくのって辛いんだ、大変なんだ。私は力不足なんだ。そう思っていた。

そして、母からもそう言われてきた。

私から見ればちゃんと出来ている人たちを見て、羨んでいた。

でも、きっと大丈夫そうに見える人にも大変な事はあるのだし、

自分の出来る範囲でやれる事をやって、気持ちが充実していればそれで十分満たされるのだ。

意識していなかったけど、私の生き方には無理があったということ。

それが身体や心に現れていたのかもしれない。


ほんじゃまか。
2002年12月04日(水)

大丈夫みたい。

今日は薬を飲まずに会社に行ってこれた。

調子は落ち着いているみたいだ。

というか、前回の高速道路での不調の時から、自分の中で少し変わってきたことがある。

些細な事なのだが、私にとっては大きな意味を持つことになったらしい。

うまく説明が出来ないのだけれど、不安を大きくさせないように出来そうだと思ったのだ。

今現在私がPDである事は確かなのだが、発症してから5〜6年の頃とは症状も気持ちも変わって来ている。

当時は何もかもが怖くて、でも若かったから何度発作を起こしてもまたそれに向かっていった。

そしてまた発作を起こして、また向かっていっての繰り返し。

あの時はPDなんていうものがある事も全く分からず、気力で何とかしようとしていた。

でも今思えば、あの毎日の戦いが私にPDとしての思考や意識を叩き込むことになっていたのだ。

それからは、PD自体は少し落ち着いてきて小康状態だったものの、あらゆる事に対する不安はいつもあったし、

最盛期の頃ほどではないにしても、発作を起こす事もあった。

それでも出来る範囲で旅行をしてみたり、電車にも乗っていた。

そしてPDとの付き合い方にも慣れて来て、だましだましなら日常生活もそんなに大変ではなくなってきた。

そしてここ最近。

良くなってきているはずなのに、時たま大きな発作を起こす事がある。

それが不思議で不思議でたまらなかった。

でも、全体的には調子が良くなってきていることから、だんだんと私の中で調子の悪い時の原因がはっきりとしてきた。

それが先日の日記に書いた『胃腸』である。

小さい頃から胃にはずいぶん苦労させられてきた。

自家中毒をやっていつも入院してしたし、気が小さくて何かあるとすぐ食欲をなくしていたし、

小学校の頃から胃酸過多で気持ち悪かったし。

ここが私のウィークポイントなんだなと改めて自覚したのだった。



ほんじゃまか。
2002年12月03日(火)

来年から・・・。

今行っている大学病院の心療内科から、街のクリニックに移る事になった。

場所的にはかえって近くなるので問題はないのだが、今までは呼吸器科と心療内科が同じ病院だったので予約の日を一緒にして、1日で済ますことが出来ていた。

しかし、来年からはそれが出来なくなってしまう。

心療内科は月に1回だし、呼吸器科は1ヵ月半から2ヶ月に1回だからそう不便はないと思うのだが、

カイロプラクティックとカウンセリングと、今は全然行けていないが出来れば続けたいペインクリニックと。

病院の数が5つになってしまう。これには自分でもビックリした。

もちろん病院に行くのが趣味な訳ではない。

むしろ病院はほとんど行かない方だった。

しかし、自分の身体の事を考えてしっかり治しておこうと思ったらいつの間にかこんなに増えてしまっていた。

無駄なものはないはずなのだが、これは少し考えなくてはいけないかもしれない。

呼吸器科の先生は、時折胸苦しさはあるものの大きな発作は10年近く起きていないので、

クリニックに今使っているのと同じ薬があればそっちでもらって、ひどくなって来たりした時だけ、自分の所に来れば?とおっしゃってくれている。

先生も患者さんがとても多くて、困っているようだった。

大学病院というのは、なるべく症状が重い人とか難病の人のために役立てなくてはいけない。

それを考えると、私はいつも大学病院ではなくてもいいのかもしれない。

ひどくなりそうな時や検査を受ける時だけかかればいいのかなと思う。

一つ一つの病院の通院回数は少なくても、行かなくてはいけない病院自体の数が多ければ使う時間も増える。

今、カウンセリングの意味についても考えている最中。

果たして私にとって必要な物なのか。

カウンセリングはやはり人によって向き不向きがあるし、効果が出てくるまでに時間がかかる。

だから、早急な結論は出さない方がいいのかもしれない。

2〜3週に1度なのを、1ヶ月に1度に変えてもらおうかとも思っている。

また、友だちが勉強しているヒーリングにも興味がある。

どちらかというと、そっちの方の癒しを自分が必要としている感じもある。

忙しいからこそ自分のやりたい事を見極めて、それ以外のことに時間を使いたくない。

もったいないという気持ちがあるので、来年はその辺をちゃんとしていきたい。

もう来年の事ばかり話しているので、家の中は鬼の笑い声だらけである。


ほんじゃまか。
2002年12月02日(月)

やっと12月の日記に入りました。(笑)

まったく今何日だと思っているんだろう。(12/19です。爆)

頑固なので、いくら遅くなってもカレンダーに穴をあけたくない。アホ。

いつも来てくださる方には、ずいぶん時差が出てしまって申し訳ないです。


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時間が欲しい。

私の仕事は、10日、15日、20日、25日、27日、月末といくつもの締めを持っているので、

その締めを追って仕事をしていると、1週間どころか1ヶ月があっという間に過ぎて行く。

今年はそれに加えて、HPの開設をしたり様々な出来事があったりして1年間があっという間だった。

人間は年を取れば取るほど、時間の進み方が加速していくというからなんだか怖くなってしまう。

今をじっくり味わって生きていないと、あっという間にお年よりになってしまいそうな怖さ。

そんなものにいつもせかされながら生きているような気がする。

しかしそんな事を憂いていても目の前の出来事をやらなくてはいけない。

ただ、たんたんと日々の事をこなしていくしかないのだろう。

だんなさんはいつも私に、

『目の前の事を楽しもう。先の事を心配して今を楽しめないのはもったいない。』

と言う。

確かにそのとおりだ。

この先には、楽しい事があるなんて思えないで生きてきたから、私の考え方は悲観的。

性格的には楽天的なところも、どーにかなるさ的なところもいっぱいあるのに、

根本的な部分はやっぱりマイナス志向なんだと思う。

『生きてたって面白い事はない。年を取ったら辛い事ばかりが待っている。』

母のそんな呟きを聞きながら過ごしてきた時間が長かったから。

でも、今はだんなさんの超前向き思想を見習って、今を楽しんでいきたい。

12月の抱負&今年のまとめ&来年の目標。(=^ェ^=)


ほんじゃまか。

2002年12月01日(日)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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