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突然襲う感情。

先日、スロットを打っていた時。

直前まで何か考え事をしていたとか、悩んでたとかではなかったんだけど。

突然『生きるのしんどい。』って思った。

『これから先、大変なことばかりあるんだろうなぁ。』

『いずれ死んじゃうんだしなぁ。』

なんていう感情が、とりとめもなく溢れてきて、

なんだか疲れてしまった。

まだ来てもいないずーっと先を想像して、疲労してる。

そして、言いようのない虚しさ、絶望感を感じてる。

何かきっかけがあったというわけではないのに。

これが家に一人でいるときだったら、怖くなっていたかもしれないが、

場所が場所だっただけに、その感情は時間とともに紛れていった。

たまに、こんなことがある。


行動療法で、どこかへ行こうかな〜と想像しただけで、

疲れきっている自分が容易に想像できて、行く前から疲れてる。

それに似た感じか・・・。

まだ60年も70年も生きたわけではないのに、

そこまでの過程を想像して、もう疲れ果ててしまったのか。

私にとっての人生は、PDをおして電車に乗る感覚なのか。


人と楽しくしゃべっていても、好きなことに没頭していても、

ふとよぎる虚しい感じ。

いつもの寂しい病とはちょっと違う。

この感情には自分以外の人は関係していない。

誰に何をされたからとか、何かを言われたからとかじゃない。

幸せの真っ只中にいても、たぶん感じるんだと思う。

いや、幸せだからこそ、穏やかな日々だからこそ感じるのかな・・・。

実際、よく分からないんだ、ほんとのところ。
2003年10月04日(土)

プライド。

出来ない事を、出来ないって言えないとか、
高級品を持っていないと気が済まないとか、
誰かと自分を比べて、自分の方が上じゃないと安心できないとか。

プライドってなんだろう。

いきなり管理職で中途入社してきた人がいる。
私よりも5歳くらい年上の男性。
ウチよりはずっと大きい会社で営業をやっていたらしい。

入って来た時から、あぁ、この人プライド高いんだな〜って思った。

いくら業種は同じだといっても、細かい仕事内容って会社によって違う。
だから、ウチの仕事に慣れるまでは分からない事があって当然。
みんな質問されればちゃんと答えるし、決してバカにしたりはしない。
でも、この人は人に教えてもらうのが嫌なようだ。

分からないまま仕事をしていると、間違ったことをしてしまって、
かえって時間がかかったり、他の人に迷惑がかかったりする。

結局、この人は分かってないんだっていう事がばれてしまう。
だんだんと、信用がなくなっていく。

部下に対しても、怒鳴ったり脅したり、わがまま放題。
その時によって言うことが違うらしい。

色々話を聞いていると、だんだん分かってきた。
この人は、ウチの会社の仕事を甘く見て入ってきたんだって。
この会社だったら、楽して成績が上げられると。

ところが実際はそうはいかなかった。
それが分かって、その人は明らかに焦っている。
でも、自分が仕事が出来ないって分かられたくなくて、
必死に取り繕って、慌てている最中。

同僚の陰口もかなり言っているそうだ。
仕事上の話で言ったことも、自分をいじめていると思っているらしい。
今、彼の中では同僚みんなが敵になっているのだろう。

大きな会社で、歯車になって、自分の仕事だけしていればよかったんだろうなぁ。
小さい会社は、色んな事を自分でやらなくちゃいけないから。
コミュニケーションちゃんと取って、協調性を持ってやって行かなくちゃ。
嫌な仕事は全部アルバイトに押し付けて、それで済むと思ってるのかなぁ。

それじゃあ、管理職失格じゃないのか。

分からないことは分からないでいいじゃんって思う。
かってに仕事を進めて周りに迷惑をかけるより、
ちゃんと教えてもらって、確実な仕事をした方がいいのに。

持ってる車とか、自分の家族とか、自分の過去の仕事とか。
そんな物が良くたって、人間的にダメだったら意味ないよ。

その人が、社内で自分がどう思われてるかって気にして、
スパイみたいなことをしているから、気が抜けなくなってきた。
明るくて気さくな会社だったのに。

こっちは協力するよって手を広げているのに、
敵対視してくるくらいなら、早く辞めてくれないかな。
キャリアがあっても、ハッタリがきいても、
人間、素直なことが一番じゃないのかな。
2003年09月30日(火)

痛かった出来事。

友だちから借りたマンガを読みながら、ずっと泣いていた。

成績が良かった頃、周りから敬遠されたくなくてすごく気を使ってた。

友だちから、『頭が良くていいよね。』とか『すごいね。』とか言われる。

もちろん、ココロからそう思って言ってくれる人もいる。

でも、大抵はそうじゃなかった。

その言葉を言われることで、その人とはどんどん距離が出来ていく。

私たちとは違うからね〜ってあからさまに言われた事もある。

それが嫌で、明るく振る舞った。

『面白い人』だって思われたくて、冗談ばかり言ってた。

そうしていないと、気取っているとか偉そうにしていると思われて、

自分の全く知らないところで、ロクに付き合った事も無い人に、

影で悪口を言われてしまう。


確かに明るい自分もいる。

でも、これは人間関係を円滑にするために私が自分で作りあげた人格だった。

私の内側には、暗くて人見知りで不器用な自分がいる。

しかしそれを隠すことばかり考えていた。

どんなに辛い事があっても、悲しい時でも、

人前ではいつも明るく振る舞っていた。

焦ったり慌てたりしても、それを悟られまいと必死だった。

気が付くと、ものすごくポーカーファイスになっていた。

ココロの中ではいくら動揺していても、顔には出さない。

ハズすということが出来ない。

それが習慣になってしまっていた。

人間関係すべて苦もなく楽にやっている、周りからはそんな風に思われていた。

でも、ほんとはいっぱいいっぱいだった。

色んな事を思い悩んで、拒食症になったり不潔恐怖症になったりしていた。


借りたマンガの主人公のそんな不器用さが痛いほど伝わってきた。

外での、ヨロイをかぶった自分。

しっかりしている、何でも出来ると思われて、

そしてその周りの期待通りになろうとして頑張ってしまっている自分。

気を抜ける所は自分の家だけ、一人になったときだけ。

家族の前でも彼氏の前でさえも、期待される自分を演じてしまって疲れている。


読みながら、辛かった自分、敬遠されて寂しかった自分、

受け入れて欲しくて頑張っていた自分を思い出していた。

主人公は、私とは比べ物にならないくらい優秀で、容姿端麗。

社会人になってからもずっと仮面をかぶりつづけている。

本来の自分の気持ちや意図とは違う形で人から誤解されてしまう。

マンガの中の人とはいえ、辛さがひしひしと伝わってきた。

様々な思い出が蘇ってきて、読み終わって布団に入ってからも涙は止まらず、

最後は泣き疲れて眠ってしまった感じだった。


PDが発症した頃は高校生だった。

家でじっとしていてもいきなり発作に襲われたり、

通学の電車、バスでも毎回のように発作を起こし。

1年間で40日以上欠席、それ以上の遅刻。

成績は落ちていった。

でも、そこから私はとても楽になった。

もう肩肘張らなくていい、周りに気を使わなくてもいい。

この方がいいや〜って思った。

私の仮面は、この時期に少しだけど薄くなった。

まだまだ取り去りたい部分はたくさんあるけれど。


PDは、私に『力を抜きなさい。』と言ってくれた。

出来ないことを頑張りすぎる必要は無いと教えてくれた。

PDになると、いくらやりたいと思っていても出来ないことが出てくる。

頑張りたくても頑張れない状況がいっぱいある。

でも、それでいいって事なんだ。

出来ることを出来る範囲で楽しみながらやっていく。

ココロにも身体にも無理の無い形で。

それが一番幸せなことなんだ。

だらだらしてたり、めんどくさかったり。

それでいいんだ。

愛すべきダメ人間でいたいと思う。
2003年09月20日(土)

魂の輝き。��

やっと、旦那の肩の荷が降りた。

転職したということを、前の会社の同僚に言うことが出来たのだ。

上司の都合で口止めされて約半年。

会社を辞めてからも仲良く付き合ってくれる同僚たちに、

本当の事を言えず、プータローだと言っていた。

飲み会に誘われた時も、わざわざスーツから普段着に着替えて参加。

元々真面目な人だから、上司にも元同僚にも気を使ってた。

そしてそれは本人も気が付かないうちに、ココロの奥に影を落としていて、

彼の身体全体から発する輝きにも、曇りを生じさせていたと思う。


一部の、ほんとに信用の置ける親しい同僚にだけは話していたのだが、

今回は、もうちょっと距離のある人たち。

しかも、旦那の口から言う前に上司や他の転職組の人からすでに伝わっている。

今まで話しをした人たちは旦那の状況を分かってくれて、

分かった後も変わらず接してくれていたが、

今回の仲間たちはどういう反応をするんだろう。

ちょうど、もうすでに分かってくれている友達の主催で

まだ直接事情を話していない人たちとの飲み会があり、

旦那もそれに呼ばれていた。

でも、仕事が忙しくてかなり遅くなってしまった。

それでも、やっぱりちゃんとみんなと会っておきたいと、

旦那はお開き寸前の飲み会に出かけていった。

しかも一度家に帰ってきて、ワイシャツを取り替えて身だしなみを整えて、

『パリっと働いているように見えるかなぁ?』

なんてちょっと照れたように言いながらでかけていった。

どうなんだろう、みんな分かってくれるのかなぁ。

そう思って待っていると、25時頃になって旦那が帰ってきた。


『行って良かったよ!』

ニコニコと嬉しそうにそう言いながら。

とても楽しかったそうだ。

みんな旦那を受け入れてくれた。

これからも、友だちとして付き合っていけるだろう。

いい仲間がいて良かったね〜と思い、人徳だね〜とも思った。

私にはないものだなぁって。

誠実と言うとキレイ事過ぎてしまうかもしれないけど、

旦那はいつも自分のまま、真正面から人と付き合っている。

私はいつも逃げ出す用意をしながら、恐る恐る付き合っている。

旦那のやり方は傷つくこともあったりしてリスクが多く見えるけど、

実際にいろんなかけがえの無いものを得ることが出来ている。

飛び込む前に怖気づいて、世間を疑いながら生きている私には、

大きな災難はないかもしれないけど、得るものも少ない。


それからしばらくして、旦那の仕事も少し展開し始めた。

旦那本来の持ち味を生かして仕事ができるようになったのだ。

お客さんは、旦那の事を気に入って仕事を頼んでくれるようになる。

同じくらいのレベルのものを扱っている会社が2つあったとしたら、

やっぱり最後はお客さんから気に入ってもらえた方が勝ち。

友だちづきあいと同じように、お客さんとも正直に関わろうとする姿勢。

その嘘のない感じが、お客さんに安心感を与えるんだと思う。

親身になりすぎて、精神的に辛くなったりもするみたいだけど、

そのやり方が旦那のやり方。

クールで成績重視の会社員を目指そうとしても、

それはきっと無理が出る、苦しいと思う。


これからは、旦那の持ち味を生かして生き生きと仕事ができるんじゃないかと、

期待して見守っている。
2003年09月04日(木)

幸せのカタチ。

先日の心療内科で。

『私はこれからどうやっていけばいいんでしょうか?』

と、先生に聞いてみた。

PDになってから今までの自分の人生を否定するつもりはない。

自分なりにがんばってやってきたと思うし、

PDと折り合いをつけて生きていく方法も身につけてきた。

でも、20年というPDとの日々を悔やむ気持ちは正直ある。

PDじゃなかったら、自分はどんな人生を送っていたんだろう。

先日旦那と飲みに行った時、なんだかとても悔しくなって泣いた。

もっともっと楽しい生活が出来てたんじゃないのかなぁって。

この20年、いったい何だったんだろう〜って泣いた。


そんな話を先生にしてみた。

すると先生は穏やかに私に訊ねた。

『今、何かしたいことがありますか?』

そう聞かれて、すぐには答えられない自分がいた。

日常の生活は、調子の悪い日はあるけれど、

かなり楽に過ごせるようになってきていて、

仕事も、たまに休むことはあってもなんとか行けている。

遠くへは行けないけど、カイロには電車で行けている。

車でなら、ちょっと郊外へ行くことも出来る。

取り立ててすごいことは出来ていないけど、

毎日を穏やかに過ごすことは出来ている。

これ以上何かを望むことは、もしかしたら贅沢なんだろうか。


先生はそういう意味で言ったのではなくて、

私のやりたい事に応じてアドバイスをくれようとしていたみたい。

飲みで泣いた話をすると、

『その時ご主人はなんて言ったんですか?』と聞かれた。

酔っていたのではっきりとは覚えていないけど、

『これからだよ。これから楽しんでいけばいいんだよ。』

と言ってくれたような気がしますと答えた。


日常の生活は送れていても、何かイレギュラーなことが起きた時、

それに対処できるような精神力と体力をつけておきたいんです。

これから子どもができるかもしれないし、親が寝込むかもしれないし、

今は自分の身体の事を中心に考えていられるからいいけど、

動けなくても動かなくてはいけなくなった時に、

私はどうすればいいんでしょうか。


『何でも一人でやろとしなくてもいいと思いますよ。

子育てだって介護だって、全部背負ってたら倒れてしまいますよ。』

『お母さんとの関係では色々苦しいこともあると思うけど、

ご主人との仲もいいし、○○さんはとても幸せそうに見えますよ。(^^)』


私が幸せそうに見える・・・?

優しく微笑んだ先生にそう言われて、なんだか肩の力が抜けた。

できないこといっぱいあるけど、具合悪いこともあるけど、

周りの人に支えられて、私は幸せなんだ・・・。

発作がひどかった時は、毎日症状に対処するのが精一杯で、

先のことなんて考える余裕がなかった。

少し症状が落ち着いてくると、もっと何かしなくちゃいけないんじゃないか、

もっと何でもできるようにならなくちゃいけないんじゃないか、

それじゃないと治ったことにはならないんじゃないか。

そんな思いに振り回されそうになる。

ささやかだけど、穏やかな毎日を過ごせる幸せは、

意識していないとつい忘れてしまいがちになる。


今の自分の性格は、PDによって作られた性格なのかなぁ。

PDになってなかったらどんな自分になっていたんだろう。

それはだれにも分からないこと。

そして、過ぎた日々を思ってもどうしようもない。

分かっているけど、分かっているんだけど、

たまに、ふとそんなことを考えてしまっている自分がいる。

落ち込んでいるのとはちょっと違う。

長いようで短かった日々を振り返って、感慨深いっていう感じに近い。

そんな風に思いをめぐらせることが出来るのも、

もっと元気になりたい、健康になりたいって思うのも、

今が落ち着いて来ている証拠なのかもしれない。

今の幸せに満足できないで、高望みをするようになってしまっているのかなぁ。


幸せのカタチは、人によって違う。

PDな私、ACな私にとっての幸せも、

他の人と比べてはかることは出来ないんだな。

私なりの幸せのカタチを見つけていくしかないんだな。
2003年09月03日(水)

なんで乗れないんだろう。

なんで電車が怖いんだろう。

駅間が長いとなんで不安になるんだろう。

なんでドアが閉まると不安になるんだろう。

ドアはまた次の駅で開くのに。

なんで混んでると怖くなるんだろう。

一緒に乗っている人は、何もするわけじゃないのに。

密室だからって何が怖いんだろう。

何が起きるっていうんだろう。

不安感が出てきたからって、どうなるっていうんだろう。

絶対死んだりしないのに、倒れたりもしたことないのに。

あの、どうしようもない不安感は何なんだろう。

電車自体が、訳も分からず怖い時期は過ぎた。

慣れている区間なら、何も考えずに乗れる時が増えてる。

考えたって、答えは出ない。

どうにもならないのは分かってる。

だったらどうすればいいの?

とにかく電車にいっぱい乗って、練習すればいいの?

でも、そこでまた発作を起こしたら、そのイメージはつきまとう。

また近場でさえ乗れなくなったらどうしたらいいんだろう。

若い時は、がむしゃらに乗ってた。

何回発作を起こそうとも、何回失敗しようとも。

毎日のように電車に乗ってた。

でも、もうその体力も気力も、私にはない。

電車に乗らないで済む生活を、どんどん得てきているから。

それでもいいのかもしれない、それで生活できるなら。

でも、なにかいけないことをしているような気になるのは、

なんでなんだろう。
2003年08月20日(水)

逃げたくなる思い。

色んな人と知り合いになって。

話をして、会って、遊んで。

この人と会えてよかったなぁって思う。

とっても大切にしたいと思う。

でも、そこから急に逃げたくなる自分がいる。

手離したくないから怖くなる。

近づきすぎても怖くなる。

恋愛に限らない、男女も関係ない、友だちとしての話。

人間関係の中に、安心して浸かっていられない。

一つの関係に、のめりこんでいくのが怖い。

気軽に付き合えないから、最初から距離を置く。

だからほどほどの付き合いの友達しか出来ない。

たまには、自分のペースに相手を巻き込んじゃってもいいじゃない。

少しくらい、迷惑な顔をされてもいいじゃない。

離れていってしまうのを恐れるあまり、自由に振る舞えない。

そんな私と一緒にいても、つまらないよね。

嘘をついているつもりはない、私は私としてそこにいる。

ただ、硬いかもしれない。ぎこちないかもしれない。

当り障りのない事しか言わないかもしれない。


時間を下さい。私が私になれるには時間が必要だから。
2003年08月19日(火)

境界をしっかり持つ。

今までの自分を振り返っても、簡単に出来ることではないのは分かっている。

自分の境界をしっかり持って、相手の侵入を許さない。

または侵入してきても、自分が揺るがないでいられる。

私は自分以外の人間に対して、境界がうまく保てない。

だから人間関係において、いつも辛さを感じている。

これは、相手のせいではない。

私の問題なのだ。

人付き合いをして行く上で、自己主張は必要なもの。

何も悪い事ではない。

でも、私はずーっとそれが出来ていなかった。

特に20代の始めまでは、ほとんど全部人に合わせてきた。

どこに行きたいかも、何を食べたいかもすべて、

『みんなの行きたい所でいいよ。』って言っていた。

そして自分自身も、それで不満はなかった。

自分の好みさえも良く分かっていなかったから、

人に合わせることになんの苦もなかった。

かえってその方が、楽だったのだ。

でもバンドをやるようになって、曲を作り始めて、

自分で生み出すと言う作業をするようになってから、

すべて人に合わせるという訳には行かなくなった。

それでもかなり後期まで、私は自分の表現したい音楽よりも、

メンバーの求めているものに答えようとしていた。


私が自己主張をすると、周りに嫌われる。

みんなに合わせて、波風立てないでいる方が安全。

そんな風に思っていた。

とにかく、和を乱さないように。はみ出さないように。

そんな事ばかり考えていたのだった。

でも、実はココロの中には、自己顕示欲がしっかりとあって、

人が気付いてくれるのを、待っていたりもした。

でも、自分からは怖くて表現できなかった。


なぜ、自己主張をすると嫌われると思っていたんだろうと考えていた。

実は、私は子供の頃、決して大人しい子ではなかった。

いつも賑やかで、明るくて、自分の思うままに振る舞っていた。

平気でケンカするし、先生の言う事もきかないし。

相当好き勝手にやっていたのをうっすらと覚えてる。

私を嫌っていた友達も、けっこういたんだと思う。

私は、『ワガママだ、ワガママだ。』と言われてきた。

私の自己主張は、みんなワガママなんだ。悪いものなんだ。

私は自分の要求をしてはいけないんだ。

そうやって思い込んできた。すり込まれてきた。


だから、思春期に入って、自分が人からどう見られているかを気にするようになった時。

親からも、『このままじゃ、友達も出来ないよ。』と言われ、

自分でもそう思い始め、私は自分を変えた。

ものすごい強い自己否定が始まった。

今までの自分はダメだ、欠陥人間だ、社会不適合だ。

変えなくちゃ、変えなくちゃ嫌われる。

私は、小学校までの自分とは、180度違う人間になろうとした。

そして変わった。

久しぶりに会った友達が、私の変わりようにびっくりしたほどだった。

あまりにも無口な私に。

人から嫌われたくない、その思いだけが私を動かした。

それからずーっと、私は嫌われないように振舞ってきた。


人と人なんて、相性が合って、いくら丁寧に付き合ってたって、

うまく行かない事もあるし、特に気を使わなくてもうまく行くこともある。

それは別にどっちがいいわけでも、悪いわけでもない、自然な事なのだ。

でも、私はすべての人に好かれようとしていた。

そして、それがうまく行かないと、自分が悪いのではないかと罪悪感を感じる。

自分を責めて、自分はダメな奴だと、欠陥があるのだと思う。

だから人と一緒にいると、消耗する。

嫌われないように嫌われないように、気を付けて疲れる。


今でも、それは残ってしまっている。

相手の言葉とか表情とかを観察して、ココロを探る。

そして、少しでも私に対して嫌な感情を持っていると感じるとすごく気になる。

仕事で会う、顔見知りの営業マンや業者さんとの間でもそんなことを思う。

仕事の付き合いじゃないか、好かれてるとか嫌われてるとか、関係ないじゃない。

そう言い聞かせてはみるものの、やっぱり気にしている自分。


それでも、昔よりはだいぶましになってきたとは思う。

社会生活が長くなると、自分が自分のままでいても受け入れられる場が、

少しずつ出来てくる。

周りのみんなにだって悪い所はあるんだし。

でも、悪い所がありつつも受け入れられてなんとかやっている。

それに、人間は悪い所ばかりの人っていない。

かならず、その人なりのいいところを持っている。

いいところもあって、悪い所もあって、

みんなひっくるめてトータルでその人として受け入れられてる。

そう思えてきた。


いいとこだけ見せよう、悪い所はとことん隠そう、

そんな風に思わなくてもいいんだと分かった。

『去るものは追わず、来るものは拒まず。』

自分と合う人と付き合っていけばいい。

その他の人とは、ほどほどでいいんだと思えるようになってきた。


私がたとえNOと言っても嫌われない。

自己主張しても、ワガママだと言われない。

私は私の望みを言って、相手はそれを聞いて判断すればいいだけ。

良かったらOK、嫌だったらNO。

そして自分も相手に対して、それをしなければいけない。

そうすれば、我慢して相手に付き合ってしまって、

その後、断りにくいからと言ってその人と疎遠になることはない。

いつの間にか相手を悪者にしていることはない。

自分が決めて、自分で行動する。

これを、自分にも他人にも許せば、とても楽な人間関係が保てる。

双方に無理のないような関係が保てる。

まだまだ出来ていないけど、これが当面の目標。
2003年08月18日(月)

魂の輝き。

旦那は転職をしたことを、前の職場の仲間に言えていない。

転職先が、その職場の元上司(転職した)の会社なので、

『引き抜き』を隠したい上司が、口止めをした。

旦那は仕方なく、みんなに今は求職中だと言っている。

今でも、前の会社の人たちは旦那を飲みに誘ってくれるが、

それをとても嬉しく思って参加しつつも、旦那の心は曇る。

先日、同じく元の会社を辞めた同僚の事を旦那はふと思い出した。

辛い事があったと言っていたけど、元気にしているかな。

他の人からメルアドを聞いて、携帯にメールしてみた。

するとその夜遅く、その人から電話がかかってきた。

旦那はたいてい、携帯をサイレントモードにしているので、

家でテレビを見ていたりすると、たまに気づかない事がある。

私も、バイブに気付いても『パチンコ店からの情報メールだろう』

くらいしか思わず、そのまま放っておいたりしている。

でも、その日バイブに気付いた私は、なぜか旦那に言った。

『携帯のバイブが鳴ってるよ。』

旦那が電話を取ってみると、今日メールを送った相手だった。

元の会社を辞めた人何人かで集まって、自宅で飲んでいるという。

(旦那の会社は社員の出入りが多い。)

久しぶりに連絡が取れて、また今度飲もうという話になったらしいが、

なんと、昼間旦那が送ったメールは、その人に届いていなかったというのだ。

それとは関係なく、向こうから連絡をくれたのだった。

そういうもんなんだなぁ〜と思った。

人と人って、いつもどこかでつながっていて、

会いたいとか連絡を取りたいとかっていう相手を思う気持ちが、

伝わって、共鳴しあっているもんなんだなと。

それは当事者だけのつながりではなく、

いつもなら気付かない電話に気付いた私も、その世界の中にいるんだ。


旦那は新しい会社で、なかなか仕事が軌道に乗らずに大変そう。

それって、新しい会社にきた事をみんなに言えていないからじゃないの?

って言ってみた。

悪い事をしているわけではないのに、隠す事は自分の本意じゃないのに、

それをしなくてはいけない旦那のココロは、ダメージを受けている。

そういうココロの葛藤が、旦那の魂の輝きを失わせているんじゃないか。

旦那は自分を表現して、生身で人と付き合っていくタイプ。

その人間性を理解してくれた人は、ほんとうに旦那を信頼してくれる。

そうやって得てきた人間関係が、仕事場にもお客さんとの間にもある。

先日、旦那が元の会社を辞めたことを知らないお客さんが電話をくれた。

仕事を頼みたいと言うのだ。

お客さんに会社を辞めたことを説明すると、元の会社じゃなくていい、

あなたに仕事を頼みたい、と言ってくれた。

転職先も同じ業種なので、その仕事を受ける事にした。

これってとても嬉しい事だと思う。

私も今まで色んな業者と接する機会があったが、

こんな風に思った経験はなかったなぁ、と。

旦那のココロの葛藤が、魂の輝きを失わせて、

旦那の本来のよさを曇らせているとしたら・・・。

いくら努力しても、気持ち良く仕事ができないのは、仕方がないのかなと思う。


旦那は、自分から友達に連絡を取るということがあまりない。

その旦那が前述の友だちにメールを送ったという事、これは珍しい。

旦那は、この話にすごく納得行くものがあったらしく、

『そうか〜、そういう事なのかもしれない。』と、

感慨深げに考え込んでしまった。

自分が今日友だちにメールしたのは、

きっと話を聞いてもらいたかったからなんだ。

その同僚も会社を辞めているので、客観的に話を聞いてもらえる。

転職した事を言えないっていう辛い気持を、話したかったんだ。

そして、それだけ旦那がその人のことを信用しているっていうこと。

『俺も、辛かったんだなぁ。引っかかってたんだなぁ。』

それまでは、旦那は自分がこの事(転職したと言えてない事)

をこんなに気にしているとは、思っていなかった。

私は、嘘をつき続けるために、また嘘をつかなければいけない旦那を見ていた。

私から見た旦那は、充分苦しそうだった。

旦那は辛すぎて、辛いと感じる回路を遮断していた。


自分が何に苦しんでいるか、何が辛いのか分かると、

それはものすごい納得感と共にココロに響く。

そして楽になる。

その苦しみから自分を解放してあげようと思う。

苦しかったねといたわってあげる事が出来る。


そんな話をしてから何週間後、

上司が、もうそろそろ元の会社にこの事を話すと言ったらしい。

なぜ今まで黙ってたのかと、非難を浴びる事があるかもしれない。

でも、旦那のことを理解してくれる人はきっと分かってくれる。

苦しんでいた事を。

これでやっと、旦那は本来の輝きを発する事が出来るんだと思う。
2003年08月09日(土)

自分の気持ちを感じる。

たとえば、誰かからひどい事を言われて傷ついた時。

キツい仕打ちを受けて腹が立った時。

『あの人は、なんでこんな事するんだろう。』とか、

『ああいう事をするなんて、なんてひどい奴なんだ。』と、

相手に対して思いをめぐらせるのを止めてみる。

そして、自分の感じている気持ちを味わってみる。

『あんな事をされて、とても悲しい。』

『ああいう事を言われるなんて、ムカムカする。』


悲しいのに平気な振りをしたり、怒っているのを隠して笑ってみたり。

いつもそんな事をして来てしまったので、私の感覚は少しマヒしている。

いったい今、自分がどんな気持ちなのか分かっていない事がある。


喜びを素直に表現する事は、恥ずかしい事だとか、

悲しみを人に見せるのはみっともないとか、

それが私が私に課したルールだった。

だから、嬉しくてもはしゃがない。

悲しくても人前で涙は見せない。

そしていつからか、ココロを感じないようにして来ていた。

感じてしまってから抑えるより、

感じるのを止めてしまった方が楽でしょ?


理由も無く流れてくる涙なんてなかった。

幼稚園の頃、大好きだった先生が私の卒園と共に、

結婚退職するという話を聞いたその日。

家に帰って、出迎えた母に向かって、

『先生、幼稚園を辞めちゃうんだって!』と言いながら泣いていた私を、

少し離れた所から見ている私がいた。

私はほんとに悲しかったんだろうか、こういう時はこうやって悲しむものだと、

パターンのように演じていただけじゃなかったのか。

そんな疑問まで湧いてきてしまう。


相手が取った行動の理由、自分が感じた気持ちの理由。

そういう事を考えないようにしてみる。

そしてただ、自分の感じている事を感じる。

悲しんでみる、怒ってみる。


でもそれは、相手にこちらがどれだけ悲しんでいるかとか、

腹を立てているかを分からせるために取る行動ではない。

極端に言えば、相手は関係ないのだ。

でも、それが結果的に相手に何かを感じさせたり、伝えたりするかもしれない。

そして、なんで自分がそう感じたのかを考えていないのに、

ふとその理由が分かってしまう事まであるのだ。


答えは考えるから出るのではないと思う。

出るべき時に、出るべくして出る。

だから、答えを出そうと努力しない。

自分の気持ちに正直でいれば、物事は動くべき方向へ動く。

自分をごまかさない事が大事。


不安発作が起きた時も、同じような事が言える。

不安を感じたら、その不安の理由を考えない。

『なんで不安なんだろう。なんで調子が悪いんだろう。』

なんとか納得出来る理由を探して、安心したくなる。

『あぁ、寝不足が続いているからだ。』

『身体が疲れているのかもしれない。』

でも、理由が分かったからといって、不安は治まらない。


そこで不安の理由を考えるのを止めてみる。

そして、『あぁ、私は今不安を感じているんだなぁ。』と思う。

不安を感じているのに、それを体調や状況のせいにしてしまうというのは、

不安をかき消そう、なかった事にしようという態度であり、

自分が不安を感じているという事を、無視してしまう事になる。

無理矢理抑えられた感情は、別の形を取って表面化しようとする。

過呼吸になったり、動悸がしたり。

それは、不安な感情の自己主張なのだ。


だから、不安が存在する事を認めて、そのままにしてあげる。

すると、不安は自分の存在を脅かされる事が無いので、

認めてもらおうとして暴れる事が無くなる。

そして、満足したら、自分から去って行ってくれるのだ。

不安は誰のココロにも存在する。

まるでいじめっ子のように、

『あっちへ行って!』と振り払おうとすればするほど、

もっと意地悪をしようと近づいてくる。


これが、私が最近思っていること。

不安との共存。
2003年07月10日(木)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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