紫
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多忙のため、今日の日記はおやすみ。
「あ…」
昼ころに台所に行くと、テーブルの上に大きな大きな太巻き寿司がありました。
「あり合わせのもので巻いたよ」
母がちょっと誇らしげに言いました。
そう、今日は節分です。
節分の日に、『恵方』という方角を向いて長いままの太巻きを無言で食べ、厄払いと幸せを願う、というのは、大阪から始まった慣わしとのこと。
今では、東京や北海道のほうにも広がっていますが、「無言で食べる」ことは、あまり知られていないのではないでしょうか。
シイタケの嫌いな私は、子どものころからシイタケ抜きの太巻きを特別に巻いてもらっていました。
兄といっしょに、
「よーい、どん!」
と、恵方を向いて競争しながら、しかも無言でむしゃむしゃ食べるのは、笑い冗語の私には、とてもとてもつらいことでした。
いつも私より早く食べ終わる兄は、私をどうにかして笑わせようと、変な顔をしたり、うしろから呼んでみたりと、いろんなことをしてきます。
それでも、がんばって食べ終わって、お茶をゆっくり飲んで一息ついて、そうして一年の恒例行事を一つ終えます。
今年の恵方は、南南東(南微東)とのこと。
思えば、母の太巻きは15年以上食べていません。
一本、取ろうとすると、
「あんたのはこっち」
と、別にしてあった太巻きを渡されました。
「それ、シイタケ抜き」
懐かしすぎる気持ちになりながら、無言で太巻きをむしゃむしゃと食べました。
お茶を飲んで、一息ついて。
(お兄ちゃんも、この太巻きを食べるのかな)
と、なんとなく胸がきゅうっとなったことに母は気づいていないでしょう。
兄と私しか知らない「歴史」。
いつの日か懐かしく語り合う日がくればいいな。
さて。最終日。
今日は、島を一周したあと、蛇の口滝に行きます。
ちょっとしたトレッキングコース。
それでもやはり軽装備の私たちには、けっこうきつい「山」でした。
なかなかたどり着かない滝に少しいらだちを感じながらも、それでも、「すばらしい滝があるはずだ」という期待のなか、てくてく・ざくざく・つるつる、と登って行きました。
2時間ほど歩いたあと、ようやく見えた遠くの滝。
けっこう感動。
一枚岩を豊富に流れる滝を見ていると、水の島なんだな、とあらためて思いました。
満足感を覚えて、下山。
尾の間温泉が、今回の旅でいちばん気持ちよかった。
飛行機に乗って、ようやく家に到着。
日記が手抜きなのは、かなり疲れているから、ということでお許しを。
おやすみ。
朝から雨。雨・雨・雨の1日。
宿の人にはトレッキングを勧められたけれど、今日は観光になりました。
思ったより小さなフルーツガーデンに行って、果物をたくさん食べ、海中温泉に行って、服を着たまま写真だけ撮り、屋久杉ランドに行こうと思ったら、深い深い霧に断念。
大川(おおこ)の滝の壮大さに驚き、千尋(せんぴろ)の滝の一枚岩に大自然を感じ、おなかを空かせながら食べたちょっとコじゃれたイタメシ屋さんに満足し。
今日は、なんだか楽しい1日でした。
今日も楠川温泉に入り、三岳を買い、同僚も三岳を思った以上に飲み、私は酔っぱらって、猫のように丸くなって寝ましたとさ。
にゃあ。
アサイチでAコープに寄って、お昼ごはん調達。
今日は、「白谷雲水峡」に行く日です。
曇り空だったけど、宿の人に「行ける」と言われて、入り口まで行きました。
そこでもう一度、聞いてみると、なんと積雪40センチ!
苔を見られるかどうかどころか、軽装備の私たちに途中で前に進めるかどうかわからない、とのこと。
それでも、雪の少なめのコースを教えてもらい、いざ出発。
雪のなかの屋久杉。
あまり見られないそうです。
例年にない寒さのなか、例年にない景色を愉しみながら、どんどん山の奥のほうへ。
ときおり、険しすぎる道に畏れをなしたり、道を間違えてもっともっと険しい登山コースに行ったりと、いろんなハプニングがありましたが、とても楽しいハイキング?でした。
なぜ、屋久島はこんなに寒いのか、という疑問を胸に秘めながら下山。
そのあと、天然すぎる「がじゅまる」を見に行き、あやしいおみやげ物屋さんをめぐり、見学お断りという「三岳酒造」を横目に、今日は、楠川温泉300円に入りました。
硫黄の匂いがかすかにする温泉。でもつるつるして気持ちよかった。
途中、酒屋で三岳ワンカップを買いました。
宿でお湯割りにして飲んだら、お酒の苦手な同僚が「おいしい」と言ってくれたのに感激!
芋焼酎をおいしいというあなた。
これからが愉しみです。
明日は3日目。
雪の鹿児島空港から南へ約40分。
プロペラ機の懐かしい騒音のなか、屋久島へ到着しました。
あわただしい新年を過ごしてきたため、なんの予備知識を仕入れる暇もなく、なんにも知らない屋久島の旅が始まりました。
旅の友は、元・同僚。
在職中は、「いろんなこと」を発散しあった仲です。
どんな旅になるのか、楽しみ。
到着後、すぐに予定外にもレンタカーを借り、レンタカー屋さんの勧めるラーメン屋「かぼちゃ屋」で腹ごしらえ。さば節を出汁にしているとのこと。おいしい・まずいはコメントを控えるとして、なんとなく「ビミョー」な味でした。
宮の浦のホテルにチェックインして、それから北のほうに向かいました。
目的はあまりありません。
灯台やがじゅまる公園やなんでもないキレイな景色を楽しんだあと、大浦温泉300円へ。
冷泉でしたが気持ちよかったです。
宿へ戻り、夕飯を食べて、もう一度、大浴場へ。
温泉でもなんでもないお風呂だけど、手足が冷えたので入りました。
例年にない寒さの屋久島。
私たちの「南国」のイメージを一掃してくれました。
それでも、今日は雨が降らなかっただけ、よし、としましょうか。
今日の屋久島第一印象。
屋久島は、寒かった。
そして。
屋久島の人は、いろんなことを教えたい人が多い。
以上。
昨日、徹夜したため、今日は20時半には熟睡していましたとさ。
ぐぅ。
「整理・整頓」をするのは、思い出だけではありません。
気づかぬうちに、部屋のなかがなんだか荷物でいっぱいになっていました。
郵便物や原稿や校正刷りやあまたの本・雑誌!
普段から自室にずっといればいいのだけど、なんだかんだとこの部屋にいることはありません。
そうこうしているうちに、部屋の中が収集着かない状態になってしまいました。
さて、そろそろ片づけよう、と思っても、片づける場所もなし。
私の「再・一人暮らし計画」は、まだ少し先だったけど、もすこし早めてもいいかな、と思う今日でした。
まずは、先立つものと将来展望ですね。
がんばります。
そんなことはさておき。
今日を誕生日とする友が2人います。
一人は、幼稚園のときからの親友。
もう一人は、入院していたときに知り合った人。
二人とも、困ったときに相談にのったり助けてくれたりして、私にとって大切な存在です。
その二人に。
お誕生日、おめでとう。
幸多すぎる1年になりますように。
そして、「楽しい」をたくさん感じられる1年が訪れますように。
また、お話、しましょ。
2003年01月28日(火) |
お願いごとを叶えてくれた友 |
北海道の余市(よいち)に住む友に、お願いごとをしました。
「私の好きな曲に、ギターのコードをふってください」
しかも、
「私が弾けるように、限りなく簡単なコードにしてください」
もちろん、近所にギター弾きはたくさんいるし、譜面におこしてくれる友もいます。
それでも、遠くに住む友に頼んだ理由は、その曲を知っているから、その曲を送ってくれた人を知っているから、そして私がギターに初めて触れた場所を知っているからでしょうか。
それはさておき。
なんとなく私の「お願い」をはぐらかされたような返事のあと、すぐに着信。
「G D A7 D………」
コードだ!
お願いしてからたったの20分。
しかも、期待どおりのコードをふってくれています。
どうもありがとう。
まさに「感謝」です。
さて、練習…、は、明日から。
今日のところは、おやすみ。
2003年01月27日(月) |
思い出になりきらないたくさんの感情 |
「ある事象が思い出に変わるまでに、どのくらいの時間が必要なのか」
以前、日記でこんなことを書きました。
たぶん、去年の7月ころ。祇園祭の季節でした。
あれから半年経ちましたが、まだわかりません。
少し前まで、短歌を詠んでいました。
私のなかの「楽しい」や「うれしい」、ときには「悲しい」や「切ない」という気持ちを、歌に詠むことで「気持ちのアルバム」という目に見える「形」になります。
「形」になることで、それは思い出に変わり、そして「宝箱」にトントンと、整理・整頓されていきます。
ときどき、アルバムを開いてみると、一首のなかにいっぱいに詰め込まれた気持ちが、フリーズドライを溶かしたように、わっと私のなかにあふれ出ます。
最近は、短歌は詠みません。もしくは、詠めません。
詠めなくなったから、気持ちの整理・整頓に私は困っているのか、気持ちを整理・整頓したくないから、短歌を詠まなくなったのか。
そんなことはもう、どちらでもいいことです。
今は、この私のなかに滞っている「思い出になりきらないたくさんの感情」を、一つ一つ確認しながら言葉にすることでせいいっぱいです。
その言葉が誰かに拾われることで、「虚」のようにさえ思えていた感情が「実」という「形」になり、そうしてゆっくりゆっくり「思い出」に変わっていくのを、ただただ、待ち遠しく思うだけです。
「思い出の宝箱」に新しい思い出たちが加わるまで、さて、どのくらいの時間がかかるでしょうか。
くやしいことに、それはちょっとした「楽しみ」になってきています。
おやすみ。
かなしきは
小樽の街よ歌うこと
なき人々の声の荒さよ
という、石川啄木の短歌があります。
啄木が小樽に住んでいたときに詠んだ歌です。
その歌碑が小樽のちょっと小高い丘の上にある「水天宮」に立っています。
私は、小樽の街が海に向かって見渡せるこの水天宮が大好きです。
二十歳のころ、一人旅では初めて小樽を訪れました。
石川啄木の好きだった私は、この歌碑を見ようと水天宮を訪れました。
この歌の「かなし」は、「悲」ではなくて「愛」なんじゃないかな。啄木は、小樽の街と人を愛していたんじゃないのかな。
この水天宮に立ったとたんにそう思いました。
マイナスのツンと澄んだ空気の向こうに広がる街と港、そして海。
あの時に小樽の街に感じた気持ちは、今も変わらず私のなかに残っています。
街の様子もお気に入りだった宿もすっかり変わってしまったけれど。
この水天宮だけは、当時のまま。
そのまんま、です。
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