紫
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ピアノが私の手元からなくなった高校1年生の三学期。
音楽の授業で1年間の発表会をすることになりました。
歌でも楽器でもなんでもいいのです。
みんなそれぞれに自分のやりたい楽器でやりたい曲を練習しています。
最初は、ピアノで何か弾きたいと思っていたけれど、もう私の手元にはピアノがありません。
仲の良かった友たちといっしょに「80日間世界一周」を演奏することになりました。
アルトリコーダーとソプラノリコーダー、トライアングルとピアノとドラム。
私は、にわかに覚えたドラムを担当しました。
友といっしょの練習は、笑いのたえないひとときでした。
それでも、やっぱりピアノを弾きたい。
最後に何か弾きたい。
今、私に弾けるピアノは、この音楽室のピアノしかないんだ、と思うと、まだ新しいグランドピアノが「弾いてよ。弾いてよ」と語りかけているように思えました。
発表会当日。
友といっしょに練習を続けた「80日間世界一周」は、大盛況でした。
そして、私はもう1曲。
「トロイメライ」をピアノで弾きました。
けっして難しい曲ではなかったけれど、しばらくピアノから遠ざかっていた指が動きません。
当日まで、友の家のピアノを貸してもらったり、紙でつくった鍵盤の上で練習したり。
紙の鍵盤で練習している私を見て、母が台所でこっそり泣いていた姿が忘れられません。
今日は、久々にピアノをほんのちょっと弾きました。
そして、もっと弾きたい、と思いました。
魔法にかけられたように、春になりました。
今日のこの春の陽がとても暖かくとても穏やかで。
短い春がいつまでも続くことを、心から願いました。
それでも季節は巡っていって。
巡るけれど、まったく同じ季節ではなくて。
ひとつの季節を精一杯、感じていこうと思った春の日の1日でした。
まず、お山のてっぺんに、高校が建ち始めました。
私の住んでいた地域は、学区制だったため、自然とその新しい高校を受験することになりました。
本来、行くはずだった隣りの高校を借りて、入学試験と合格発表。
そして、未完成な高校まで、いわゆる「合格袋」を取りに行きました。
「五雲峰」という住所にあるその高校。
名前から伺い知られるとおり、かなり高い山の上です。
坂道を登り詰めたところに待っていた新しい高校に赴任する事務長の先生。
「おめでとう」という言葉よりも先に、「ごくろうさま」と迎えてくれました。
「受験生」という代名詞から解放されて、ようやく春を感じることができた瞬間です。
いつしか高校の周りには、バス停が開通し、住宅が建ち並び、私営のテニスコートができ、ジュースの自動販売機が設置され、大きな大きな公園ができ…。
私たちだけの場所と思っていた山が、3年間を通して、一つの町ができていきました。
だからでしょうか。
「いちばん行きたい場所はどこ?」と聞かれて、ふと、あの急な坂道を思い出したのは。
まるで一期生である私たちの入学だけを祝うかのように、坂道の両側に植えられて「ソメイヨシノ」がそろそろまた新しい入学生のために、咲き誇る準備をしているのでしょう。
それでもきっと、あの桜は私たちのことを覚えているはず。
これが私の、「2つ目の桜」です。
「1つ目の桜」の話は、またの機会に。
おやすみ。
3月24日
大雨でした。
いつもは折り畳みの傘を必ず1本、カバンのなかに入れている私ですが、今日は入っていません。
出かけるときに雨の予感がしたのですが、帰るまでにはやむだろう、と思い、持っていきませんでした。
夕方からしとしとと降り出した雨。
まだまだやみそうにありません。
仕事先から最寄りの駅まで約10分。
近くのコンビニまで、スムーズにいって約5分。
どのみち、びしょ濡れになるのはわかっています。
会社員のころは、つねに傘を3本、会社に置いていました。
傘を忘れてきた人に、傘を貸してあげるためです。
貸してあげると、とてもとてもうれしい顔をしてくれます。
そんな顔を見るのが、とてもとてもうれしかったです。
社内を見回しました。
去年の4月まで勤めていた会社なのに、「傘、貸して」といえるほど親しい人は残っていません。
ほかの階にいるかもしれない後輩に電話をしたけれど、留守番電話につながりました。
傘を借りにほかの階をうろちょろするのも、なんとなく憚られたため、コンビニまで濡れて帰ることに決めました。
服やカバンが濡れることよりも、風邪だけが心配。帰ってすぐに熱いお風呂に入ろう。
辞めて1年しか経たないのに、傘1本借りられる人がいないことに、一抹の寂しさを感じながら、雨のなかに一歩、踏み出すと、
「あ、何やっているんですか」
振り返ると、よく飲みに行った後輩でした。
「濡れますよ」
さりげなく傘に入れてくれた後輩。回り道をしてコンビニに寄ってくれました。
ビニール傘のわりには、大判の傘を1本調達。
さっきよりも大雨のなか、二人で大笑いしながら帰りました。
こんなに元気な気持ちにさせてくれて、どうも、ありがとう。
何度も何度も迷ったすえ、ようやく「送信ボタン」を押しました。
手紙をポストに投函してから動き出す「時間」と比べて、電子メールの「送信ボタン」を押したあとは、なんとなくあっけなく感じます。
郵便だと、だいたい何日後の何時ころに先方のポストに届くんだろうな、と想像できるけれど、電子メールは、すぐに届くわりにはいつ相手がメールを開くかどうかわかりません。
風のたよりにのせようと思っていた手紙は、「くもの巣」の力を借りてとうとう私の手を離れました。
どうか、穏やかに。
と思うのは、私の勝手な願いなのでしょう。
それでもやはり。
どうか、穏やかに。
おやすみ。
今年はいつ「春一番」が吹いたのかな。
窓の外を吹く風を見ながら、ふと思いました。
北風とはまったく違う風の色。
いつから南よりの風に変わったのでしょう。
春一番は、立春のあとに初めて吹く強い南よりの風。
強風にあおられながらも、春の足跡にわくわくするのが楽しみでした。
もともとは九州の五島列島の漁師さんの間で使われていた言葉が、戦後に広く使われるようになったとのこと。
こんなにステキな言葉ではあるけれど、漁師さんたちは海難事故を恐れて「春一番」と呼んでいたそうです。
季節の言葉を聞くと、季節にくすぐられているような気がして、思わず笑みがこぼれます。
今ではもう使われなくなった言葉もありますが、無理やり使おうとは思いません。
言葉は、変わっていくもの、だと思っています。
ちなみに、春二番は桜の花が咲くころに吹く風。
春三番は、桜を散らす風、とのこと。
もちろん、古人は二番、三番などとは言わず、「花起こし」「花散らし」と言っていたそうです。
春を連れてきて、春を連れ去っていく風。
今年初の南風に託したかった「風のたより」は、まだ私の手元にあります。
今度、大きな南風が吹くのは、いつ、でしょうか。
おやすみ。
ほんの少し長い手紙を書きました。
今度こそ、投函できますように。
ぱんぱんっ。
おやすみ。
臨時休業です。
「届いていた手紙」について動揺を隠せず、だからあんな夢を見たのかもしれません。
おやすみ。
この間買った淡い空色の自転車に乗って、近所の銭湯まで行きました。
いつもは車に乗せてもらって行くのですが、今日からは一人で行けます。なんとなくウキウキしながら、普段は曲がったことのない曲がり角で曲がってみたり、わざとゆっくりと走らせて車の中からしか見たことがなかった街並みを愉しんだりして、銭湯まで行きました。
自転車に乗って、街をうろちょろしていると、その街の「住人」になった気分になります。
学生時代も、自転車で銭湯まで通っていました。
車ではあまり入らない細い路地でちょっと迷子になったり、花がたくさん咲いている抜け道を発見したり。
ちょっと特徴のある家の前は必ず通るようにしたり、エアコンがないのかいつも夏場は窓を開けっ放しで夕食を食べていた一つの家族を横目で眺めたり。
自転車に乗りながらその街をじっくり見ていくことで、よそ者の私も「街」に受け入れてもらっているような気がしていました。
それでも、ときどき、「本当は、この街に知っている人は誰もいないんだ」という事実に気がつきます。
そんなときは、わざと遠回りをして帰ります。泣き顔のまま、誰もいない部屋に帰るのは「禁忌」だと思ったからです。
そんなことを思い出しながら、淡い空色の自転車を銭湯の脇に止めて、浴場のドアを開けました。
「あっ!」
「あ…」
そこには、私の知る人たちがいました。
こみあげてくるうれしさをひたすら隠して、湯船につかり天井を見上げました。
それでも少し、ほんの少しだけお湯をしょっぱくしてしまったことを、銭湯のおばさんに心のなかで謝りながら、いつものように早風呂を貫きましたとさ。
おやすみ。
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