紫
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根を詰めすぎず、すぐに飽きることもなく。
適度がいちばん。
その適度の度合いがよくわからず、結果としては根を詰めてしまうワタシ。
何事も三日坊主はいけませんが、三日坊主でいいこともあるのでしょう。
おやすみ。
2003年04月05日(土) |
夜桜をキャンセルした夜 |
夜桜の約束を、キャンセルしました。
仕事が詰まっていたこともあるけれど、主な理由は「なんとなく」です。
急にごめんなさい。
「なんとなく」の理由もわかっているけれど、それも「なんとなく」言いたくありません。
勝手でごめんなさい。
キャンセルの電話を1本入れて、少し車のなかで「三宅伸治」を聴きながらぼーっとして、部屋に帰って今度は「ハシケン」を聴こうとしていたときに、「トントントン」と音がしました。
振り向くと、そこには「干支(えと)で一つ上」の友が立っていました。
思いがけない訪問がうれしくてうれしくて。
その友としばらく話をしているうちに、「私って『一人になりたい』ふりをして、ホントは誰かに見つけてほしがっているのかも」と思いました。
だとしたら、私ってとっても依存心が強くて後ろ向きでしかもあまのじゃく?
そんな自分に気づいたことは胸にしまっておいて、それでも友と話し続けた時間が、今日の私の「なんとなく」の理由が、なんとなく消えていきました。
どうもありがとう。
夜桜組は温泉に入るとのこと。
私は、明日の仕事のためにもう寝るとしますか。
おやすみ。
「あっという間に桜が咲いたね」
母が、窓の外を眺めながら言いました。
その言葉につられて、窓の外に目をやると、そこは春まっさかりでした。
「でも、この雨で散るね」
独り言のように続けざまにつぶやく母。
それでも、その言葉には寂しげな感じはなく、むしろ桜が咲いて散っていくという一つの春のイベントを楽しんでいるかのように聞こえました。
母は、私にいつも来(きた)る季節を感じさせてくれます。
それは、ほかの人からは感じたことのない季節です。
母の言葉で私に伝えられる季節は、ときどきとてもせつなく、そしてとてもたいせつなものに思います。
「でも、この雨で散るね」の言葉のなかに、母が何を感じていたのか。
いっしょに住んだ時間は短くとも、なんとなくわかるのは「親子」だからでしょうか。
「桜が咲いて、散っていく」という当たり前のイベントが、今日から私のなかで「特別なもの」になりました。
気心知れた仲間と飲み会でした。
数カ月に1度、定期的に開かれるこの会。
その顔ぶれに、心が和みます。
「飲み会」は大好きです。
お酒を飲む、というよりも、みんなとわいわいすることが楽しい。
普段はしない話しがたくさん飛び交います。
普段とは違う表情になります。
他部署の人たちと交流でき、なおかつ楽しすぎるこの会。
そういえば去年の今ごろ、この人たちに送別会を開いてもらいました。
あのときの「うれしい気持ち」があるから、この温かい人たちと「また会いたい」と思えるのでしょう。
ホントはあの日、「きっともうこの会には呼ばれないんだろうな」と、ちょっと寂しい気持ちになったことは、今も変わらず「ねえさん(姉さん?姐さん?)」と呼んでくれる彼らには言えません。
彼らは、私のよく言う「居心地のいい場所」の一つです。
「おかえり」という言葉はもちろんないけれど、心が「ただいま」と言える場所なんだろうな、と、帰りの電車のなかで思いました。
温かい温かい気持ちをありがとう。
4月2日
菜種梅雨(なたねづゆ)というのでしょうか。
今日は、ずっと雨でした。
菜の花が咲きそろう今ごろの季節に降る雨は、せっかくの春の気分がほんの少し後ろ向きになります。
けっして雨がキライなわけではありません。
学生時代までは、傘をさすのがキライで、ある程度の雨なら傘をささずに歩いていました。
今もずぶ濡れになって歩くのは、苦ではないけれど、風邪をひきたくないのであまりしません。
子どものころ、空を見上げて雨や雪が落ちてくる瞬間を見るのが大好きでした。
自分に向かって降ってくる雨を見ていると、体が宙に浮いて、ふわふわ、ふわふわ、と空に向かって進んでいるような気持ちになりました。
今日は、大きな大きな桜の木を眺めながら、久々に空から落ちてくる雨の粒を見つめました。
薄墨色の花をつける大きな大きな桜の木は、ホントはもうとっくの昔に枯れてしまっているはずの木。
人工の手術を受けて、どんどん寿命を伸ばしています。
桜の木の寿命が、平均で何年かはわからないけれど、なんとなくこの薄墨色の花をつける桜は、菜種梅雨という季節をもう感じていないような気がしました。
そんな私も、久々に見つめた雨の粒は、私を空までは連れていってくれませんでした。
忙しくて忙しくて忙しくて仕方のなかった3月が終わりました。
今日から4月です。
それでも、まだ今週いっぱいは、仕事に追われます。
今日も徹夜で仕事です。
それでも気分が前を見ているのは、やっぱり春だからでしょうか。
悲しいことは春の陽気であたためて、うれしいことは、春の風にのせて広めて。
さて、これから私の生まれた季節がやってきます。
隣山の谷間に住む友に着いてきてもらって、ようやくカーステレオを買いました。
去年から欲しがっていたもののひとつです。
CDとMDがついているものではなくて、CDとテープがついているものを買いました。
理由は「安かったから」というのもありますが、今までもらったテープを車のなかで聴けなくなるのは、ちょっと寂しいような気がして、テープのついているものを買いました。
久々に音楽にあふれた車内。
私の車もちょっと(かなり)うれしそう。
最初にかけたテープは、三宅伸治。
懐かしくて懐かしくて、友を降ろして一人、帰路についてから、ほんのすこしだけ月を探しました。
おやすみ。
2003年03月30日(日) |
期せずして届いたメールに |
不思議と冷静な私。
一歩前進。
これでよし。
おやすみ。
松任谷由実のCDがありました。
比較的、最近出たベストのようなものです。
荒井由実の時代の歌も入っていました。
少しだけ聴いてみようと思ったのですが、これがまた懐かしすぎて、じっくり聴いてしまいました。
松任谷由実が大好きでした。
ずっとずっと大好きだったけれど、いつのころからか聴かなくなりました。
松任谷由実を好きだということも、あまり人には言わなくなり、私自身も「ユーミンはもう卒業かな〜」なんて思っていました。
実際に聴いても、以前のように、言葉が心にひっかからなくなりました。
それが今日はどうしたことか、その言葉に聴き入ってしまいました。
なぜかはすぐに気づきました。
彼女の歌に詰まっている私の「思い出」です。
彼女の歌を好きになったきっかけや、彼女の歌を聴かなくなったきっかけもいっしょに思い出されて。
なんとなくせつない気分になりながらも、すっかり「思い出」に変わってしまった事象が懐かしく感じました。
そして、きっと明日から、「ユーミンの歌が大好きです」と言える私になるのでしょう。
おやすみ。
CDとMDとテープのついたカーステ、クオークの動くマッキントッシュ、新しいウインドウズ、靴ずれしない靴、プレステ2、ファイナルファンタジー、並びのいい歯、回転の速い頭脳、おいしい柚子入り豆腐、なんでも弾けるギターの腕前、気持ちよく弾けるピアノの腕前、デイバッグ、どんなに悲しくても涙が出ない瞳、言いたいことがはっきり言える口、てきぱきと仕事をこなせる手、高くて険しい山でも元気に登れる体、ベルギーで飲むビール、出来たてのおいしいスープ、広い心。
増えたものと減ったものと。
絶対に手に入らないものと、決断するだけですぐに手に入るものと。
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