紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
地図を見るのが好きです。
地図、というより、地名を見てその土地の歴史を想像することが楽しい。
区画整理で、どんどん地名が統合されてきていますが、交差点の名前や学校の名前に面影が残ります。
私の高校も、その地名はないけれど、その土地にある古墳から名づけられました。
自分が住んでいる街の地名もよく調べます。
たとえば大阪の梅田は、泥田を埋め立てたことから「埋田(うめだ)」になり、のちに「梅田」となったと聞きました。
ついでに手持ちの地名の本を見てみると、「道頓堀」は「大坂の陣」の直前に安井道頓さんによって掘削が始められたから。
城東区にある「新喜多(しぎた)」は、川を新田に開拓した鴻池新十郎さん、鴻池喜七さん、今木屋多兵衛さんの名前から一字ずつとったものとのこと。
「尼崎(あまがさき)」は、昔は「海崎」「海人崎」「海士崎」とも書かれていたそうです。昔は漁民全体を「あま」と呼んでおり、「崎」は岬のことで、海に突き出た場所。つまり「漁民が住む海に突き出た土地」になります。
東京と比べて関西は、読み方の難しい地名が多いように思います。
その歴史の古さから見ても当然なのでしょう。
あまりに古すぎて、当時を想像するためには多大な労力を要するけれど、調べれば調べるほど、知れば知るほど街が喜んでいるような気がします。
今では地図を開くときは、だいたい車のなか。
道に迷いそうなとき、迷ったとき、迷いすぎでいったいどこにいるのかわからないときが多いため、歴史のなかにひたっている場合ではありません。
「飲みたい気分」という1通のメールから、こじんまりとしめやかに飲み会になりました。
近所のコンビニでつまみになるようなモノを吟味しつつ買い集め、お皿に移して見栄えのよい肴にし、残り物の酒を並べて、さて、飲み会開始です。
いつもよく顔を合わせては呑んでいる面々ですが、少人数になると話題も変わります。
かなり深夜から始まったこの飲み会。話の合間にちびりちびりとお酒を飲んで、ときどき豆腐や漬け物をつまんで。
いいペースで酔いがまわり、いい感じでそれぞれの眠りにつきました。
今日の会は、◎(二重丸)。
なんとなく、ふわふわしたような感覚は、病み上がりだからでしょうか。
東京の中野に住んでいたころ。
日当たりのいいベランダは、植物でいっぱいでした。
学生時代に母がもってきてくれた「金のなる木」や、春になると必ず実を結ぶイチゴ、自分の初めての転職を機に買ったカランコエ、シクラメン、桔梗(ききょう)、アジサイ、季節によってキュウリやパセリ、シソ、ネギ、チューリップ、ミニバラ、マーガレット…etc.
雪が降ると新聞紙をかぶせ、夏場は、水やりを忘れないようにして。
今以上に忙しい毎日だったはずなのに、すくすくと植物が育っていったのは、きっとあの日当たりのよかった部屋のおかげなのでしょう。
私は、あの部屋が今も大好きです。
去年の秋、マンションの壁の塗装工事で、金のなる木を残して、カランコエやシクラメンがとうとう枯れました。
あの部屋の思い出が遠ざかっていったような気がして、なんとなくしょんぼり。
いえ、しょんぼりの原因はもっとほかにもあった秋でしたが。
それでも、もう自分で世話をしなくなって3年。
ホントは、もう愛着もなくなりかけていたころでした。
「ほら、がんばってるよ」
今日、お昼ごはんに、おいしいさぬきうどんを食べていたら、母がベランダからひょっこり顔をのぞかせました。
「種が落ちていて、葉っぱが出てきたよ」
母が持つ鉢には、シクラメンの葉が、小さく開いていました。
「こっちは、カランコエ。土のなかで寝てたのかな」
……。
小さくなったけれど、以前と同じくらいしっかりと根付いているシクラメンとカランコエ。
きっと、毎日ベランダに出て世話をしている母のために、この長かった冬を地面の下でじっとがんばっていたのでしょう。
(ありがとう)
と心のなかでつぶやくと同時に、なんとなく置いてきぼりにされたような気持ちになりました。
私って、春がきたことにも気づかずに、まだまだ地面のなかにいるみたい。
ちょっと階段を上り下りすると、めまいがしました。
久々に体を動かしたからでしょう。
早く慣れようと、何度も往復したら、ますますぜいぜいしてきました。
それでも熱はすっかり下がりました。
ご心配をおかけしました。
午後になってから、お風呂に入りました。
久々に体重計に乗ったら、2キロほど痩せていました。
このまま維持できればいいな、とのんびり考えましたが、きっと無理でしょう。
生野菜がおいしくて、バクバクと食べました。
これで、たぶん、明日には、もっともっと、元気になっていることでしょう。
でも、5分に一度のため息モードは、まだしばらく続くのでしょうか。
ため息を一つつくたびに、幸せが逃げる、と聞いたことがあります。
幸せが逃げないために、だれか私のため息を、食べてくれないかな。
今日はまだまだ本調子ではないので、変、な日記です。
おやすみ。
アサイチで体温を測ると、なんと40度!
その数字だけで、もう起き上がる気力をなくしました。
いえ、数字を見ても見なくても、体全体が痛くて喉も痛くて、まともにまっすぐ歩けませんでしたが。
病気になると、普段は見えないやさしさとたくさん見えてきます。
そして、普段だときっと甘えないだろうやさしさに、素直に甘えられます。
たとえば、突然に、でも待ちわびていた「スープの出前」とか、みんなの温かくて毒舌な「見舞い言葉」とか、仕事の納品を手伝ってくれて、しかも病院にまで付き添ってくれたコビトさんとか。
温かくてさりげない、「一人じゃないんだな」と思えるやさしさです。
逆に、「やっぱり一人なんだな」と感じてしまうこともあります。
夕方に行った病院で打った注射が効いたのか、三種類の錠剤が効いたのか、夜になってからずいぶんと元気になりました。
まだ食欲はあまり出ませんが、きっと明日には心も体も元気になっていることでしょう。
明日から再び、うがい励行、です。
一つの大きな仕事が、今日終わりました。
午後になってから、最終チェックを終えて、納品完了。
あとは、出版社の編集担当者におまかせです。
なんとなく気分が晴れ晴れしないのは、きっとこの喉の痛みと微熱のせい?
仕事場に戻り熱を計ると、なんと37.5度!
まだまだ上り調子のようです。
久々の季節熱ならいいのですが、まだなんとも言えません。
連日の仕事と遊びの疲れがイッキに出たのでしょう。
久々の低温消毒に体が驚いているので、今日のところは、
おやすみ。
風邪は予防がイチバンですよ。
「泥棒でもいいから、誰かにそばにいてほしい」
大学に入って間もないころ、真剣にこんなことを考えたことがあります。
寂しくて寂しくて仕方がなかった春。
寂しさのあまりに、体の震えが止まらず、まだ知り合って間もない大学の友といっしょにいても、まだ乗り慣れない西武新宿線のラッシュのなかにいても、涙がとめどなくあふれてきました。
家の近所の電話ボックスに、毎日、コレクトコールをかけに行っていました。
電話に出た祖母の口からは「若いときの苦労は買(こ)うてでもせよ」と一言。
その言葉を聞くために、また次の日もその次の日も電話をかけていました。
部屋に電話がついたのは、その半年後。
そして、部屋に泥棒が入ってくれたのは、その3年後。
もちろん、うれしいのは電話がついた半年後のほうです。
そしてこれまたもちろん、どんなに寂しくとも、今は泥棒には入ってほしくありません。
おやすみ。
花粉症とばかり思っていたら、少し風邪をひいたようです。
少しの寒気と喉の痛み。そして微(かす)かな熱。
少し前はでは、季節の変わり目になると、高熱を出していました。
年に4回、40度以上の熱が私を襲います。
全身の皮膚がびりびりと敏感になり、布団がすれても痛いくらいです。
それでも、1〜2日でさーっとひいてしまうその熱は、まるで私を体のなかから低温消毒しているかのようで、「新しい季節」を迎える準備をしているように感じていました。
今日は、いつもの季節熱とはちょっと違うみたい。
きっとこの大雨のせいで、体が冷えたのでしょう。
温かい温かいスープを飲んで、心も体も温まりたい。
花粉症がひどくなってきました。
毎年、この時期は悩まされます。
だから、今日の日記はおやすみ。
はーっくしょんっっっ!
目次|過去の日記|未来の日記