紫
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フェリーのなかで仕事をしました。
なんとなくいつもよりはかどるのが不思議。
できたものを送信しようとしたら、携帯が圏外。
海の上です。当然ですね。
しばらく仮眠を取って、17時に仙台港着。
そして、地震。
その影響で携帯がまったくつながらなくなりました。
かろうじてメールだけはときどきつながるようで、みなさんの心配メールがときどきイッキに届きました。
どうもありがとう。
今日は、とてもうれしい1日でした。
おやすみ。
いろんな人のアドバイスを受けて、無事にフェリーに乗りました。
名古屋港を出たときは、もう辺りはまっくらだったけれど、海から見える港の明かりがとてもキレイでした。
夕飯代わりのビールが眠気を誘い、ベッドにもぐりこんだとたんにぐっすり眠りました。
ホントは別の地へ行くはずだったけれど、諸事情あり予定変更。
そう、予定はあくまでも予定。いつでも変更していいものなのでしょう。
かたくなにその「予定」を守ろうとしていたけれど、なんとなくばかばかしくなり、やめました。
ココロのなかの「もやもや」はまだ消えないけれど、きっと帰るころには別のものに変わっているでしょう。
さて、今回は何を見つけるのでしょう。
おやすみ。
昔はよく、アルバム整理をしていました。
フエルアルバムに貼り、透明のフィルムの上からコメントを書きます。
写真も躊躇(ちゅうちょ)なく切っていき、バランスのいいよう楽しく見えるようにレイアウトしていきます。
最近は、写真をもらっても「写真箱」に入れるだけで、あまり編集はしませんでした。
時間がないのと、自分で写真を撮らなくなったのと。
今年になってから一眼レフを友から譲ってもらいました。
いいカメラなので、私が撮ってもある程度キレイに映ります。
キレイに撮れるから、どんどん撮るようになりました。
取材の癖がついていて、同じ写真を何枚も撮ったり、イメージとしてしか使えないなんでもないモノを撮ったりと、無駄なものはたくさんありますが、でも、今はこれでいいかな、と思っています。
できあがった写真もどんどん増えていき、アルバムも買ってあるのですが、まだ整理はできていません。
今度、今までの写真も含めてゆっくり整理していこうと思います。
今日は、知人宅で旅人夫婦と古いアルバムを見ていました。
アルバムを開くと、当時の時間がゆっくりと流れてきます。
アルバムのなかの彼らの表情と、現実に薫(くゆ)るお線香に胸がつまり、一足先に帰ってきました。
帰りの車のなかで、これからはもっともっと写真を撮っていこう、と思いました。
おやすみ。
生まれて初めてのアルバイトは、「お茶摘」でした。
4月下旬から5月の連休前まで、友の家の茶畑を手伝いました。
1キロ摘んで270円。不慣れな私は、1時間でやっと1キロ。
つまり時給270円のアルバイトです。
慣れた人は、朝から晩まで摘んで1万円ほど稼ぐそうです。
それでも、初めてのアルバイトが楽しくて、高校1年生だった私は、学校が終わってから日が暮れるまで、ずっと茶畑に座っていました。
いわゆる「茜たすきにすげのかさ」ではなく、汚いジーンズに長袖シャツ、指にはテーピングをして、新芽を根元のほうから1枚1枚摘んでいきます。
けっこうな重労働でしたが、それでも黄緑色の小さな葉っぱをいかに早く摘んでいくかを考えたり、顔見知りになったおばあさんとの話が楽しかったりで、毎日毎日通っていました。
八十八夜も過ぎ、茶摘のアルバイトが終わりました。
1万7000円の茶摘代を受け取った私。
バイト代はうれしかったけれど、しばらくは学校帰りにすることがなくなって困っていたことを覚えています。
茶摘のバイトに誘ってくれた友は、今はアメリカに住んでいます。
とある理由から「お茶」を飲めませんが、今も毎年、茶摘の時期には里帰りをしているとか。
もう5月も下旬ですが、新茶がおいしい時期ですね。
学生のころ、東海道五十三次を東京の日本橋から京都の三条大橋まで歩こうと計画したことがあります。
いっしょに行こうと約束していた友が次々とやめていき、結局、私一人では歩き通す自信もなかったため、行き先を富良野へ変更しました。
富良野は富良野で、いい思い出になったけれど、あのとき、行っていればよかったな、と今も思います。
その翌年に「自転車で東海道を下ろう」と誘われたけれど、自転車を買うお金がなくて、そのときもあきらめました。
やはり、あのときに行っていれば、私は「チャリダー」として目覚めていたことでしょう。残念。
学生のころ、もう一つ、計画倒れに終わった旅があります。
「『おくのほそ道』を歩こう」です。
中学生のときに覚えさせられた冒頭部分が、最近、何度も思い出されます。
「道祖神」が私を招いているのでしょうか。
それとも現実逃避?
芭蕉がおくのほそ道へと旅だったのは、新暦5月中旬。
旅をするには、いい季節かもしれません。
おやすみ。
帰り道の長い長い下り坂を、てくてくてく、と歩いていると、なんとなく気持ちが落ち着きました。
久々に歩いて、少し痛んだ右足も、帰りの下り坂ではもうすっかり元気。
さて、短い日記もそろそろオワリにしないと…。
ということで、今日はおやすみ。
なんだか最近、外に出て、いろんな人と「会話」をしていないような気がします。
これまでの仕事が、人と会いすぎだったのでしょう。
なんとなく物足りないような感覚にも、慣れるのでしょうか。
おやすみ。
予告どおり、元気、元気になりました。
元気になった夜は、いつまでも元気。
自称あまのじゃくの友とその友といっしょに、夜遅くまで話した時間は、今日の私にはたいせつな時間。
少しほろ酔って、眠りにつきましたとさ。
短い日記が続くこのごろ。
おやすみ。
一触即発で、泣きたい気分。
理由?
理由なんて、もうどうでもいいのです。
ただ、今は、ココロから笑える力が奪われてしまったようです。
明日には元気になっているでしょう。
大阪に住み始めてから、よくダジャレを耳にします。
ダジャレというものは、その言葉だけではおもしろくないものだと思っています。
その場の雰囲気や周囲の人、そしてダジャレが重なるからこそ、おもしろいのでしょう。
私は、よくダジャレに笑ってしまいます。
明らかにおもしろくないダジャレに、つい笑ってしまう私。
周囲の人は、ダジャレを発した人を「甘やかしてはいけない」といいます。
私もまったくおかしくないし、かえって腹立たしいとき(!)もあるのですが、その場の周りの雰囲気や、そのダジャレを発した人の気持ちを考えると、なんだかおかしくてたまらないときがあります。
今日も、がんばって無視しようとしたダジャレがありました。
あったけれど、周りの雰囲気に10秒ほど遅れてつい笑ってしまった私。
コーンスープのダジャレは、なんとなく閑古鳥が鳴きそうなので、5点、というところでしょうか。
おやすみ。
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