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2003年06月05日(木) スイカの花

「ほら、咲いてるよ。早くしないと」

母が父に何かを急(せ)かしました。

「そうか」

父がいそいそとベランダに出て行きました。
いったいベランダに何があるのでしょう。

「スイカの花が咲いているの」

花だけでなく家庭菜園も得意な母は、ベランダでなんでも育てています。
きぬさややキュウリ、トマト、わらび、ネギ、サニーレタス、ほうれん草、白菜……。
今はスイカの花がベランダで天下を取っている様子。
それにしてもいったい父は何をしに行ったのでしょう。

「スイカの実がきちんとなるように、お祈りしにいったんよ」
「えっ?!」

いつからこんな習慣ができたのか、母はどうしてこうも平然というのか。
そして、父が私と同じことをしていることに、驚きを隠せませんでした。

そっとベランダを覗き込むと、父がこちらに背中を向けて、なにやら花を覗き込んでいる様子。

私と「お祈り」の仕方は違うけれど、きっとこんなことを話しかけているのでしょう。

「ちゃんと大きくなるんだよ。ちゃんと実を結ぶんだよ」

忘れかけていた「親子」を感じて、なんとなくうれしくなった今日の朝のできごとでした。


2003年06月04日(水) 今日の夢

すべてを、ぽいっと投げ出して、車でびゅーんっと、どこかに行きたい。
ですね。はい。

おやすみ。


2003年06月03日(火) おやすみー

気になることはたくさんあるけれど。
今日はもうおやすみ。

おやすみーおやすみー。


2003年06月02日(月) 井草の香り?

少し寝不足だからか、井草の香りの魔法なのか
今日は、またしてもふわふわ、ふわり、と、眠りにつきました。

ベッドにもぐりこんで、あっという間にぐっすり。

おやすみなさい。


2003年06月01日(日) 衣替え

今日は「衣替え」です。
衣服を夏服に替える日、とのこと。
でも、もうとっくに世間は夏服を着ているように思います。
平安時代から始まったこの習慣。
当時は、4月1日と10月1日だったのが、江戸時代に6月1日と10月1日になったそうです。
たしかに4月から、夏服を着るのは季節感がなさすぎるかも。

カレンダーの暦好きな私は、よく「衣替え」をしていました。
収納ボックスの夏服を出して、冬服を片付けます。
そのときにイッキに押し入れの大掃除もします。
6月の第一日曜日は、私の暦では「衣替え」の日。
自分のなかでの「けじめ」にもなり、気持ちもパリっとします。

でも、去年から「衣替え」をしていません。
たぶん、今年もしないのでしょう。

会社を辞めて、スーツを着ることがめっきり減ったことが大きな理由です。
でも、また「スーツ生活」に戻ろうかな、とときどき思っていることは、まだ内緒です。


2003年05月31日(土) もやもや

「あ、これがいいんだな…」

ふと、パーティーの途中に思いました。
歌う人たちのあふれんばかりの気持ちと、彼らを見守る温かい目。
そして今月の「主役」の二人。

「これから生きていく力にしていきます」

主役の一人が最後に言いました。
その言葉の重みに思わず胸が詰まったけれど、ここでまた泣いていると会が進みません。
今日は司会進行役なのでした。
「ある条件」である司会を引き受けたけれど、その条件はことごとく無視されました。
予想はしていましたが。

ただ、うれしかったのは、覚えていてくれた人がいる、ということ。

ずっと抱えていた「心のもやもや」は、今日、どうにでもいいことになりました。

ありがとう。


2003年05月30日(金) 明日の言葉

3回分の食糧を買い込み、フェリーに乗りました。
台風4号が来ているとのこと。
揺れが心配です。
心配だけど、今は気持ちがいいくらい快晴。
甲板に出て、船の足跡を眺めながら、明日のことについて考えました。

明日は、私のよくいる場所でバースデーパーティーがあります。
パーティーといっても、飲んだり食べたりしてワイワイするのではありません。
「歌う会」、そして「歌を聴く会」です。
わけあって最初は私が欠席の予定だったけれど、「なんでもないこだわり」を捨てたこと、「祝いたい気持ち」が大きかったこと、そして「ある条件付き」で、参加することにしました。

参加するからには、私も歌います。
ただ、この1週間、ギターも歌の練習もできていません。
爆発しそうなくらい心にあふれてくる「祝いたい気持ち」もまだ言葉にできていません。

明日の言葉を書き出そうと、ベッドにもぐりこみノートを広げたけれど、あまりにも疲れていて、そのまますやすやと枕に突っ伏して寝てしまいました。

やれやれ。
どうなることやら。


2003年05月29日(木) 父の故郷

父は、東北の山と山のあいだの、トンネルとトンネルのあいだの、小さな小さな農村で生まれました。
11人兄弟の末っ子の父は、歳の離れた兄や姉に育てられたため、あまり母親の記憶はないそうです。

冬、厚い厚い雪におおわれたいた父の故郷を初めて訪れたのは、私が4歳のころ。
初めて見る大雪がうれしくてうれしくて。
まさに犬といっしょに雪の積もった田畑をかけずりまわっていました。

とあることがきっかけで、父とその故郷との交流が途絶えたのは、私が16歳のとき。
そして私は故郷をなくした父の気持ちを考えたことはありませんでした。

二十歳になって、その小さな農村まで旅をすることにしました。
それが、私の生まれて初めての一人旅です。

電話番号も住所も知らず、子どものころの記憶をたどって、父の生家にたどり着きました。
そして、もう顔も忘れてしまった従兄弟たちが、私の突然の訪問を手放しで喜び、いろんな親戚に電話をして、その日のうちに父の今生きている兄弟たちがほぼ全員、集まりました。
そのとき、

「ここは父の愛する故郷なんだな」

と知りました。
父がずっと食べていただろう故郷の豆腐の味が、今も忘れられません。

その数年後、父はたくさんのお土産と、たくさんの見栄っ張りの話をもって故郷に帰りました。

東京の私の部屋に立ち寄ってから、出発した父の、ちょっと気恥ずかしそうな嬉しい笑顔を、今、私の目の前にせまりくる山を見ながら、ふと思い出しました。

おやすみ。


2003年05月28日(水) 次に会う日まで

「最近、写真を撮るようにしているんだ」

盛岡に住む友が、ふとつぶやきました。
なぜかはもう忘れました。
忘れたけれど、彼は私と同じ「心のアルバム」を大事にしている人なんだな、と思いました。

数年前、小樽の宿で知り合ったころ、彼はまだ二十歳になりたてでした。
まだ磨ききれていない原石のままの感性と、それをすぐに言葉や歌にしてしまえることが、とてもうらやましかったです。

約2年ぶりに再会。
久々に彼の感性に触れ、今の考えを聞き、そのなかに私の忘れていたもの、忘れようとしていた何かを見つけたような気がします。

話が尽きないままにタイムリミット。
続きは次に会うときにまた。

「また会いましょうと、さよならを言う」

ですね。


2003年05月27日(火) ホントの物語

どこの地を訪れても、必ずその土地の「昔話」があります。
どの話も似通ったものが多いけれど、読み出すとなぜか最後まで読んでしまいます。
教訓のような話だったり、神秘的な話だったり、ただただ怖いだけの話だったり。
とくに東北地方には「昔話」が多いような気がします。
だからこそ「遠野物語」ができあがったのでしょう。

盛岡で生まれ育った友は、「東北は、子どもを怖がらせる話が多い」と言いました。
怖がらせて「こういうことはしちゃいけない」と教えられたそうです。

冬は大雪に閉ざされ、夏も目の前にせまる森や山に隣村との行き来も必死だった時代。
身近すぎる大自然が見せる不思議な現象から子らを守るため、そして退屈させないための物語として語り継がれたのでしょうか。
それとも、ホントの話?

神になった「白い馬」と「めんこい娘さん」が、人形として大事に大事にまつられている姿を見て、ホントにあった話だったと信じている私。

「まだまだ不思議な話はたくさんあるよ」

新緑で青々とした山々が、そう語りかけているように見えたのも、私のなかではホントの話、です。


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