紫
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2003年06月15日(日) |
「浅き川も深 く渡れ」 |
大阪のなんば高島屋に、星野道夫氏の写真展を見に行ってきました。
実は私はこの人を今まで知りませんでした。
知らなかったけれど、とあるところで、
「アラスカの大自然で撮られた写真と彼からのメッセージはきっと見に行かれた人の心を優しくしてくれると思います」
の一文を読んで、なんとなく気にかかっていたのと、数人の友が行くと言うので、いっしょに連れていってもらいました。
日曜日だったため、かなりの混雑。
最初はゆっくり観ていたけれど、途中から人に酔いだして、さささっと出てきてしまいました。
人混みが苦手なのは、いつまでたっても直らないようです。
それでも、どこか心打たれる、そして、確かに優しい気持ちになれる写真展でした。
写真とともに、言葉も展示されていました。
「浅き川も深く渡れ」
展示されていた言葉の一つです。
諺(ことわざ)のようなものでは聞いたことはあるけれど、彼の写真とともに見るこの言葉は、もっともっと深い意味をもっているような気がします。
それが何かは感覚的にしか表現できないけれど、諺どおりの意味ではない、ように私は受け止めました。
でも、うまく表現できないままに、でも、自分なりの受け止め方ができて、今日は、「行ってよかったな」と思える写真展でした。
関西は次は、夏あたりに京都に来るとのこと。
ぜひどうぞ。
いちおう「大学生」を4年間ほどしましたが、サークルというものには入りませんでした。
最初のうちは、いくつかのサークルをのぞいてみましたが、すぐに行かなくなりました。
理由は単純明快に、ビンボーだったためです。
サークルでおそろいのジャンパーとかTシャツとかを作ったり、練習とかが終わったあとにお茶をしたりするお金がなかったのです。
それでもしばらく通ったサークルがいくつかあります。
そのひとつが、劇団、です。
私の行っていた大学のなかでも、ある意味有名な劇団で、そこに入っていると言うと、よく驚かれました。
ビンボー学生ばかりの集まりだったため、練習が終わっても学食で190円のカレーライスばかり食べていました。
たぶん、私はそこでビンボーでも楽しく生活できる自信をつけたのだと思います。
それでもやはり、劇団を続けていくだけの生活の余力がなく、すぐに行かなくなりました。
でも、いまだによく思い出します。
おそらくその劇団にいた時間が、私の純粋な学生生活のいちばんの思い出、と言えるでしょう。
あのまま続けていれば、私は間違いなく4年では卒業していませんでした。
みずほさん、じゅんさん、のりさん、ウガさん、そのほかの団員のみなさん、お元気ですか?
今は、どこでどうしているのでしょうか?
6月の公演の立て看板を作っていたことを、このあいだ、ふと思い出しました。
楽しい思い出のひとつ、です。
おやすみ。
梅雨入り宣言が出されて数日経ちますが、あまり雨には出くわしていませんでした。
でも、今日は朝から雨。
夕方になってからようやく青い空が見え始めました。
梅の実が熟するころに降るこの長雨。
その言葉のとおり、庭の梅の実もちらほら熟してきています。
梅雨の時期の雨を「五月雨(さみだれ)」と呼ぶことを、つい最近知りました。
なるほど、陰暦では今は5月。
五月(さつき)に水が垂れる、ということで「さみだれ」になったそうです。
季節を表す昔からの言葉に、思わずため息。
五感で受け止めた季節を、どうしてこんなにキレイな言葉に変換できるのでしょう。
梅雨になると、じめじめとうっとうしい毎日が続きます。
こんな時期だからこそ、言葉で感じる季節を愉しみたい、と思います。
十年来の友がやってきました。
ちょっと前まではよく飲み行ったり、遊びに行ったりしていたのですが、最近は休みが合わなくなり、あまり出かけていません。
でも最近は、私のよくいる場所に遊びにきます。
大阪の下町生まれ、下町育ちのその友は、いわゆる「コテコテの大阪人」です。
ボケとつっこみが大好きで、話をしていてもあまり先に進みません。
しかも、なんでもないところでボケて、話の腰を折るので、みんなからよく「もういいから」と言われています。
彼に慣れていない人は、彼のよくわからないボケを一生懸命に聞いてしまいます。
私は「つっこみ」が苦手で、彼のボケがわかってもつっこむこともできず、あきれたように笑ってしまいます。
昨日は、キウイのキャンデーをくれました。
喜んで食べる私たちに、
「もろみをつけるとうまいで」
と一言。
また、「工賃って何?」と聞く友に、
「名古屋で食ったけど、高かったで〜」
とまた一言。
こんな感じで話が進みません。
さて、上の二つの正しいつっこみはなんでしょう(笑)。
でも、気に入っているものもあります。
トイレに行くときに必ず言うのが、
「トイレに行ってくる〜」
「行っトイレ〜」
「ちょっとトオイレ」
もしくは、
「ちょっと待っトイレ」
………。
「誰か一人でも笑わせることができれば満足や」という彼は、典型的な「大阪人」なのでしょうか。
いまだにわかりません。
わからないけれど、ときどき彼のよくわからないボケに絶妙のタイミングでつっこむ人は、必ず大阪人だということに、最近気づきました。
そんなこんなで、友の研究はまだまだ続く。
おやすみ。
突然に訪れた「静寂」といっしょに、とてつもない「孤独感」が襲ってきました。
昨日の悪夢のせいか、窓の外の闇夜のせいか。
誰かと話がしたくなり、思わず元同僚を飲みに誘いました。
私が会社を辞めてからも、よく遊びに行っている同僚ですが、飲みに行くのは久しぶりです。
私のお酒の飲み方も、食べ物の好き嫌いも知っているその同僚。
そして、以前と同じように最初にカクテルを頼む彼女に、なんとなく気持ちが和みました。
生ビールを1杯と、地酒を1杯。
仕事の話を聞いて、旅の話を少し。
ただそれだけのことなのに、帰り道の闇夜はどこか親しげ。
急な誘いに付き合ってくれて、どうもありがとう。
ホントにホントに、ありがとう。
おやすみ。
ときどき、夢のなかで迷子になります。
そんなときは、ゆっくりゆっくり、今、いる場所を確認しながら起きるようにしています。
迷子になったまま目を覚ますと、その場所がそのまま現実になってしまいそうな気がするからです。
ときどき、迷子になったまま目を覚ましたかった、と思うけれど、夢はやはり夢。
私の生きている世界は、夢のなかではありません。
今夜は、少し早く寝ました。
そして、少し(かなり)怖い夢を見て、迷子になって、それから現実に戻る準備を始めました。
最初は、子どものころ、家族で住んでいた家で目が覚めそうになりました。
これではいけない、と思い、一生懸命、今いる場所を探しました。
でも、探せば探すほどに、どんどん迷子になった今日の夢。
ようやく、今いる場所に帰り着き、こうして日記を書いているけれど、ここが本当に今、いるべき場所なのかわかりません。
だって、まだ外は闇夜のまんまだし、現実に戻るのに手間取ったせいか、まださっきの夢が私のなかにいる様子。
不安にかられて携帯を見ると、寝ているあいだに届いていたメールが数通。
かろうじて、ここが私のいる場所なんだと、認識できました。
私を思い出してくれた人がいる現実に戻ってこられてよかった。
どうもありがとう。
友が、初めての一人旅をしようとしています。
もちろん行き先は北の大地。
近日中に旅立つでしょう。
彼女の周りには、旅のエキスパートがたくさんいます。
いろんな人がいろんなアドバイスを彼女に与えたがっています。
自分の初めての一人旅を思い出しつつ、それでも自分の旅のスタイルを押し付けないように、旅について語っているような気がします。
そして、その情報を取捨選択するのも彼女自身。
北の大地に思いを馳せた時点から、もう旅は始まっているのかもしれません。
そんな彼女を見ていると、私もまた旅立ちたくなりました。
最近は、車での旅が多いけれど、久々に単行本を片手に汽車の旅でもしてみようかな。
そんな気持ちにさせてくれた彼女の旅が、どんな旅になるのか今から楽しみです。
新しい旅人が、もうすぐ生まれます。
旅の友と久々にゆっくり食事をしました。
以前はよく遊んでいたのですが、最近はあまり遊びに行っていません。
遊びには行ってないけれど、よく会っているような気がします。
よく会っているけれど、3人いっしょに会うのはやはり久しぶり。
のんびり会話をして、たらふく食べて、いい音楽をたくさん聴いて帰ってきました。
ただこれだけのことですが、とっても「癒」された夜でした。
おやすみ。
懐かしい人に会いました。
仕事でよく原稿を書いてもらっていた先生です。
もう忘れられているかもしれない、と少しどきどきしながら、声をかけると、
「ずいぶん久しぶりですね」
と言ってくれました。
私が愛していた雑誌は、もう今はほかの人たちが引き継いでいます。
私の残した企画もほぼ出揃ったようです。
その雑誌のなかで、やりたいことはまだまだたくさんありました。
辞めたきっかけも理由も、もうどうでもいいことです。
辞めたこともまったく後悔していません。
ただ、今日は一抹の寂しさを感じざるをえませんでした。
居心地のいい場所から、いつも逃げ出してしまう癖は、そろそろなおさないと。
いつまでたっても、放浪者、のままですね。
はい。
先日、朝顔とひまわりの種をまきました。
百円均一ショップで目についた種です。
2袋100円でした。
芽が出るかどうかは、わかりませんが、毎日の楽しみがひとつ増えました。
ちゃんと芽が出ますように。
ぱんぱんっ。
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