紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
宿泊していた旅人夫婦が、「隠れた沼地」の場所を教えてくれました。
黄色の小さな花が咲いているとのこと。
そんなに興味はありませんが、ほかの旅人といっしょになんとなく行ってみることになりました。
書いてもらった地図がないとぜったい足を踏み入れないような道を行くと、ホントに小さな沼にたどり着きました。
整備をあきらめたような道や、黄色の小さな花が申し訳なさげに咲いている様子が、なんとも笑えました。
自然いっぱいのその沼地。
また違う季節に来てみたい。
そのあと、これまた狭くて危険な鍾乳洞を見て、それから中頓別のおいしい塩野菜ラーメンを食べて。
ときどき、「ここは北海道なんだ」と認識しないと、どこにいるか忘れてしまいそうになりました。
いっしょにいた旅人と別れ、午後からはまたクローバーの丘に行って、ゴロゴロ。
稚内で買ったスケッチブックにいろいろ描いてみるけれど、絵は文よりも難しく、子どものときに描いたように「芸術的」な作品を目指したけれど、おとなの感性ではそれも難しく。
自分で描いた絵ではあるけれど、これまた笑いがこみ上げてきて、途中で描くのをあきらめました。
気を取り直して、宿へ帰りました。
今日の夕飯は、ミートパイ。
手作りのパイ皮がなんともおいしかったです。
今日はそんな1日。
自転車を借りました。
今日は、宿の周辺を地図を見ながら散策です。
散策といってもおもだって見るところはあまりなく、「モケウニの沼」「クローバーの丘」「クッチャロ湖」くらい。
でもその3つをまわって帰ってきたら、なんと約50キロも走っていました。
しかも、クローバーの丘まではかなりアップダウンの激しい道。
借りた自転車は、いわゆる「ママチャリ」。でも3段変速ギア付きでした。
そういえば、私が高校時代に乗っていた自転車も、3段変速だったなあ…。
自転車で坂道を登っていると、高校時代の通学路を何度も思い出します。
山のてっぺんにあった高校は、今、登っている坂道よりも長くて急でした。
汗びっしょりになりながら、3年間毎日毎日登りつづけたあの坂道。
そういえば、教育実習にいったときも、自転車で登ったっけ。
そんなことを考えていると、ふと、道が平坦になりました。
と同時に視界が開き、キレイに刈られた丘の斜面の続きにクッチャロ湖が見えました。
ここが、クローバーの丘です。
その景色に思ったほどの感動はありません。
景色よりも「軌跡」がひとつ、私のなかに飛び込んできたように思いました。
買ってきたおにぎりを食べ、しばらく丘の斜面にゴロン。
少し曇った空を眺めました。
でも、強めの風が、汗をかいた体には冷たすぎて、すぐに起き上がり、再び自転車に乗って坂道を下りました。
丘にいた時間は30分ほどしかなかったけれど、自転車で来てよかった。
そのあと、宿の近所のウイング温泉に入り、雲に隠れた夕陽を見て今日のイベントは終わり。
夜はまたまた楽しいお話しで終わりました。
2003年07月03日(木) |
「おかえり」を言ってくれる街 |
朝陽は雲のなかだったけれど、朝4時の小樽は、もうすっかり明るくなっていました。
少し緊張しながらフェリーを降りました。
さっさとこの街を抜けようと思っていたけれど、最初の信号にさしかかると自然と右にウインカーを出していました。
それからぐるり、と街を一周。
もうこの街は「おかえり」を言ってくれないとばかり思っていたのが大間違い。
街も山も海も見慣れた建物もすべてが「おかえり」と言ってくれました。
私はやっぱりこの「街」が好きなんだ。
そう思えたことが、今回の旅を先に進めてくれました。
「おかえり」を言ってくれた街にすぐさま「行ってきます」を告げ、海沿いの道をさらに北に向かいます。
日本海の海岸線に沿って走るオロロンラインは、雲がかかっていて見晴らしはあまりよくありません。
それでも羽幌(はぼろ)を過ぎたあたりから、遠くのほうにうっすらと利尻富士が見えてきました。
また来たんだなあ、とあらためて私が今どこにいるのかを実感。
そう、ここは北海道です。
稚内(わっかない)から1時間ほど手前にある幌延(ほろのべ)の原生花園を小一時間ほど散策して、また海沿いの道を走ります。
稚内の喫茶店で「リシリアンパスタ」なるものを食べ、店のマスターと旅の話。
それから、宗谷(そうや)岬をまわって、オホーツク海に出ました。
北海道は海を3つももっているんだなあ、と変に感動しながら、今度は238号線をほぼ南に向かいます。
牧場の真ん中をつっきるようなこの国道。
あちこちに牛が放牧されています。
稚内の喫茶店のマスターに、いろいろと見どころを教えてもらったけれど、今日はもう走りすぎたので、早めに宿に向かいました。
宿到着は16時。
今日は、稚内からオホーツク海沿いの道を1時間半の浜頓別(はまとんべつ)の宿。
笑顔のステキな宿主さんが、迎えてくれました。
夜は旅の情報交換をして、それからぐっすり眠りました。
2003年07月02日(水) |
日本海とおにぎりと、ビールとドラ |
携帯の目覚ましがいつもの時刻になりました。
「迷子」になることなく目を覚まし、しばらくしてからいつもいる場所で作ってもらったお弁当を食べました。
食べながら、去年も作ってもらったお弁当を思い出しました。
そういえば、去年はこのおにぎりを、泣きながら食べたっけ。
何もできない非力な自分を感じながら、誰もいない二等寝台で思う存分泣いたっけ。
そんなことを思い出しながら食べた今日のおにぎり。
今日、生まれた「誰か」を思わずにはいられません。
しばらくして、もう「朝陽」とは呼べない太陽を見に甲板に出ました。
フェリーに乗ると必ず行く場所があります。
船の最後尾です。
私はここから見る「船の足跡」が大好きです。
それから、風の当たらない場所でずっと読書をしていました。
去年、あんなにイヤだったフェリーでの時間が、とてもぜいたくで貴重な時間に感じていることが不思議。
海を見て、読書をして、空を見て、読書をして、その間にいろんなことを思い巡らしました。
少し昼寝をしたあと、展望風呂に入り、そしてまた甲板で読書。
夕方にすれ違った船とのドラのやりとりがなんとなくうれしく、西の雲に沈む夕陽がとてもあたたかく。
夕焼けが消えるの見届けると、今日1日のイベントがすべて終わったような感じ。
ビールを飲んで、さて、寝るとしますか。
明日はかなり早起きです。
おやすみ。
夕方になってから、雨が本格的に降り始めてきました。
ホントに雨女だなあ、とあらためて自覚しながら、車に乗り込みました。
いつもいる場所に行き、ハンバーグとカップスープを注文。
去年の夏の終わりにも、私はここでハンバーグを食べ、店のマスターとほんの少しの旅の話をしていました。
なんとなく去年と同じことを、故意に繰り返してしまうのは、去年と違うんだということを、認識したがっているのかもしれません。
少しあわただしくなってきた店を、18時過ぎに出ました。
途中に立ち寄った家のお線香の香りに胸を詰まらせながら、写真に向かって少し独り言。
なんとなく落ち着いたところでまた車に乗り込みました。
国道173号線から27号線に入り、21時半に前島埠頭(ふとう)に到着。
去年とほぼ同じ時間帯です。
去年と同じ手続きをすませて、車に戻りました。
去年と違うこと。
ハンバーグのお金を払い忘れたこと(ツケにしておいてください)。
道に迷わなかったこと。
そして「ただいま」を言うために、ここに帰ってきたがっているということ。
そんなことを考えていると、乗船時間がやってきました。
さて、私の旅が始まります。
思い出も軌跡もたどらない「私の旅」です。
だれにもあげられない私だけの旅。
行き先?
それは言わずもがな、でしょう。
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間(ま)に
雲隠れにし夜半(よは)の月かな
紫式部
百人一首にも出てくるおなじみの和歌です。
式部を突然に訪ねてきた幼なじみが、再会を喜ぶ間もなくすぐに帰って行ってしまったときの寂しい気持ちをこめて詠んだそうです。
この歌の意味を初めてじっくり考えたときは、きっと恋の歌なんだろうな、と理解していました。
(私的訳)
せっかく訪ねてきてくれたのに、もう帰っちゃうんですか?
あんまりにも束(つか)の間すぎて、私はまだあなたがホントに「あなた」だったかも確かめられていないのに…。
今夜の月と同じように「雲隠れ」しちゃうんですか?
今度はいつ、逢いに来てくれるんですか?
こんなふうに受け止めていた私。
訳に間違いはありませんが、詠まれた背景によって歌のイメージがずいぶんと変わってきます。
それが短歌のおもしろいところなのかも。
さて、なぜ今、この歌なのでしょう。
この歌の「雲隠れ」という言葉がふとココロに浮かび、そこはかとなくかきつくってみただけ、の話です。
おやすみ。
2003年06月29日(日) |
もっとほかにある理由 |
「ここの薬、ちょうだい」
母に左手の肘の裏(?)を見せました。
湿疹と、強烈な蚊に刺されたあとで、見るも無残です。
昔から私は肌に湿疹が出やすい体質でした。
とくに埃(ほこり)と肉類には、異常に反応していたようです。
どこに引っ越しても、かかりつけの皮膚科に通っていたけれど、去年の春、会社を辞めてからは、行かなくなりました。
それでも埃(ほこり)だけには気をつけていたけれど、ここ数カ月の多忙さに掃除を怠っていたら…、あぁ、出てきました。例の湿疹。
出てきたというか、この梅雨の湿気にさらにひどくなったこの湿疹。
痒(かゆ)くて痒くてたまりません。
「はい、これ」
母が出してきた塗り薬を、局部に塗って、しばらくすると、あらら?
キレイに湿疹がおさまっていました。
もちろん、市販の薬です。
それでも多分、私の子どものころからの湿疹のためにいつも常備している薬だったのでしょう。
「『親』ってすごいな」
つくづくそう思いました。
親といっしょにすごした時間はたったの15年間だけど、親にとっては物理的な年月以上の時間を子どもと過ごしているのでしょう。
そんなことを考えていると、なんとなくほろり、と泣きたくなった今日。
いえ、泣きたい理由は、もっとほかにあるのです。
おやすみ。
安い民宿でスタッフをしていたとき、夜のミーティングがいちばんの楽しみでした。
ひとつのフロアに旅人が集まり、それぞれにさまざまな旅を語ります。
行ったことのない場所でも、旅人の話を聞いているだけで、なんとなく道内をまわった気分になれました。
ひとつのところにいながら、旅気分。
耳年増(みみどしま)になりながらも、でも実際にその場に行ったときにはそのときの情報がおおいに役立ちました。
先日、いつもいる場所の古いアルバムのなかに白地図を指差しながら旅の報告をしている写真を見つけました。
とても楽しそうでした。
「あ、これ、したい…」
そんなこんなで、今日はいつもいる場所で久々に「6月の旅の報告会」がありました。
いい旅であればあるほど、写真であれトークであれ、いろんな形で表現したいと思います。
その話を聞いて、これから旅立つ人の情報になったり、まだ旅に出たことがない人が「旅に出たい」と思うようになったりすればいいな、と思いました。
それから、なんといっても旅に出たくて出たくてうずうずしている人に、少しでも旅気分を味わってほしい。
そんな思いから提案し再開した報告会。
とても楽しい時間を過ごせました。
以前は、誰かが旅から帰ったその日にみんなが集(つど)っていたとのこと。
これからも不定期に続いていけばいいですね。
約束なんてしなきゃよかった。
3つの会社の転々としました。
最初の会社で学んだものは「社会人たるもの」だと思います。
「教えたとおりにやってこい。失敗したら尻拭いしてやるから」
上司や先輩の口癖のような指導でした。
この言葉にどれほど勇気づけられたことでしょう。
ただし、教えたとおりに、にしてこなかったら、こっぴどく叱られました。
社会人としての言葉遣いから仕事への姿勢も、徹底的に教え込まれ、叱りっぱなしにしない。
今も彼らの指導が私のなかに生きています。
2つ目の会社で学んだものは「仕事の厳しさ」。
時間との闘いのなか、仕事をしていくことの怖さと楽しさを知りました。
1冊の本を通じて見える著者と読者のあいだに立つ「編集者」ってなんだろう、と真剣に考えたのもこのころです。
3つ目の会社で学んだものは「周囲への『思いやり』」でしょうか。
指導者の立場になってはじめて見えてきたもの、でした。
それについてはもすこし年月を経てから、書くとしますか。
今はまた、自分のことで精一杯の時期が訪れています。
おやすみ。
目次|過去の日記|未来の日記