不動産担保ローン チラシデザイン コンのみ日記
コンのみ日記
紫 |MAIL

My追加
目次過去の日記未来の日記


2003年07月15日(火) こんな感じ

日記をなんだかたくさん書き始めていたけれど、なかなかまとまらず。
すべて消して、今日の日記はおやすみ。

求めず期待せず、去るもの追わず、です。


2003年07月14日(月) 帰還!

17時に舞鶴港に着きました。
一路、「いつもいる場所」に向かいました。
ホントは家にまっすぐ帰る予定だったけれど、「いつもいる場所」におろす荷物もあるため、回り道をしました。

二週間ぶりだったけれど、二週間ぶりのような感じがしません。
まるで昨日も来たような感覚。

夕飯を食べて、少し話をして帰ってきました。

さて、明日から今までのような生活ではいけません。
気をひきしめて、しっかり働かねば!

だらだらと旅日記をまとめて書いたけれど、最後のほうはもう疲れてきたので手抜きモード。
また思い出したら書くこととしますか。

おやすみ。


2003年07月13日(日) 帰りのフェリーで

かなり早めに宿を出ました。
市場でおみやげを買いたかったのと、とある場所に行きたかったのと。

今日は市場は日曜日で、駅前の観光客相手の小さな市場しか開いていません。
それでもおいしそうなものを見つけて、クール宅急便で送りました。
ひとつ、目的を達成。

それから天狗山に行きました。
見慣れたはずの港の景色を、とても懐かしく感じていることに寂しさを感じました。

もう旅が終わるんだな。

そう思うとますますしょんぼり。

フェリーターミナルに行き、しばらく待ってから乗船。
すぐに甲板に出ました。
当然ですが、誰も見送りはいません。
この見送りのない港に、いつまでたっても慣れることはないのでしょう。
やはりこみあげてくる「気持ち」を抑えるために、誰かと話しがしたかったけれど、それもままなりません。
結局は一人で乗り越えなければいけないコトなのです。
しばらくボーっとしたまま、お気に入りの場所に行き、それから寝台に戻って眠りました。

人の悲しみなんて比較するべきものではなく、どんなことであれ当人にとっては「100%」の悲しみなのだと思います。
自分のことでせいいっぱい。
それは私も例外ではなく。

それでも「悲しい」とか「寂しい」とかいう気持ちは、あまり人にぶつけないようにしよう、そう決心した旅になりました。
今までが甘えすぎていたのだ。うん。

のんびり走るフェリーの上で、そんなことを考えながら、気持ち悪いナンパ男を避けつつ飲んだくれた1日でした。

甲板に吹く風が気持ちよかった。


2003年07月12日(土) 小樽

富良野のほうに行きました。
ラベンダーを見たり、おいしいラーメンを食べたりといろいろ楽しいイベントのあとに、富良野のとある「宿」に向かいました。
この宿こそ、もう二度と足を踏み入れない場だと思っていました。
でも、たくさんの友に出会い、たくさんの思い出のつまった宿です。
「富良野の母さん」の死を知らせてくれらのもこの宿のオーナーです。

少し緊張しながら、ベルを鳴らすと、目の大きいかわいい感じの女性が出てきました。きっと「奥さん」でしょう。
今、宿のオーナーは出かけているとのこと。
電話で簡単に話をすませて、少し奥さんとお話ししました。

少し疲れていそうな雰囲気に、突っ込んだことを聞きそうになったけれど、やめておきました。

「今年はおかしな年です…」

帰り際に彼女がぽつりとつぶやいた言葉が気になりながらも、あと20分で帰ってくるというオーナーを避けるように帰ってきました。
別に避けなくてもいいのですが、長くなりそうなので(汗)。

富良野の駅で4日間いっしょだった友と分かれ、小樽に向かいました。
明日のフェリーで帰ります。

小樽では、小樽の住民たちと久々に夕食。
変わりないようで前に向かっていく友たちが、うらやましく感じました。

そんなこんなで、なんとなくこの2日間は、「思い出の宝箱」がひっくりかえったような2日間。

明日はいよいよ旅の終わりに向けて出発です。


2003年07月11日(金) ココロのなかのいろんなコト

まだ少しの動揺を残しながらも、小利別の宿を出発。
「竜月(りゅうげつ)」という北海道で有名なお菓子の工場に向かいました。
本州ではあまり知られていないけれど、道内では、六花亭(ろっかてい)と同じくらい有名なお菓子屋さんとのこと。
道民をたいせつにしたいから…と、本州には店舗は出さない主義だそうです。

甘いものにはあまり興味のない私。
でも、熱のこもった友の解説になんとなく行ってみようかな、という気分になりました。

途中、上士幌を抜けて行きました。
十勝の広大な景色になんとなくきょろきょろ・そわそわしながら、工場に到着。
おいしいソフトクリームを食べて満足。
ようやく昨日からの震えが止まったような解放感を味わいました。
連れていってくれてどうもありがとう。

そのあと、私の個人の用事で十勝清水の知人の家にあいさつ。
いつ行っても歓待してくれるその家の人たちが、私は大好きです。

それから迷いに迷っていた「富良野の母さん」の家に行きました。
ずいぶん前にお世話になり、それから毎年の年賀状と、ときどき旅先からのハガキを送ることだけは欠かしていませんでした。
一度、家に遊びに行ったことがあります。
そのときに食べたサンマとごはんがおいしかったのを覚えています。

つい先日、母さんが亡くなったと連絡がありました。
あまりにも突然すぎて、言葉が出ませんでした。
母さんの手紙には、いつも叱咤激励の言葉が述べられていました。
それからいつも「富良野に住みませんか」と言ってくれていました。
ぷっつりと、糸が切れたような気持ちのまま、母さんの家にお線香をあげに行くと、ちょうど四十九日だったようで、娘さんたちが集まっていました。
「父さん」も私のことはきっと覚えていないでしょう。

7月7日着で、友と連名で花をおくったなかの一人であるということを告げ、仏壇に手を合わせました。
もうこの家に私を知る人はいないんだな、と思っていたそのとき。

「その仏壇の横の花がこのあいだ、届いたんだ」

今まで黙っていた父さんが連名で送った花を指差しながら、急に話し出しました。
娘さんたちもびっくりしていました。

「5人か6人くらいいたけど、オレの知っているのは1人だけだった」

舌がまわらないのか、方言がきついのか、父さんの言葉を聞き取るのに必死でした。少し痴呆がかっているようで、娘さんたちも「わからないっしょ」っと言っています。
父さんの口から出た「1人」の名前を聞いて、今までこらえていた涙がイッキにあふれました。

「いつも手紙をくれていたんだ」

そう言いながら、奥の間に入っていく父さんの姿を見送り、少し微笑んだ母さんの遺影に、もう一度、手を合わせて帰りました。
もう二度と、この家に来ることはないのでしょう。



さて、今日の宿は旭川の北にある比布の宿です。
あたたかいあたたかいその宿に、楽しい夜が過ぎていきました。

今日もまたココロのなかでいろんなことがありすぎて、少し疲れてしまったのでしょう。
少しメールをしながら、一足早めに眠りました。


2003年07月10日(木) 小利別へ

下から見れば晴れているようだけど、旭岳登山口は強風のため、朝から運休中止。
ということだったので、銀泉台(ぎんせんだい)というところに行きました。
登山は無理だけど、花の咲く場所くらいならうろちょろできるかな…、と。
約15キロほどの林道を走り、登山口に着きました。
強風と霧と雨で、車を降りる前からこれまた断念。
売店でコーヒーを飲んで帰ってきました。
おいしいコーヒーでよかった。

来た道を戻り、大雪ダム近辺でお昼ごはん。
塩別(しおべつ)つるつる温泉で、まさにつるつるになり、置戸(おけと)のオケトクラフトを見て、今日の宿へ向かいました。

今日は、ずっと泊まってみたかった小利別(しょうとしべつ)の宿です。
廃校になった校舎を利用したこの宿。
10年ちょっと前は、この宿があるからここに来る、という旅人たちでにぎわっていました。
昔からある有名な宿です。

少し、旅の疲れが出てきたのでしょうか。
今日はガクガクと体を震わせながら、早めに部屋に戻りました。

明日はどんな日になるのでしょうか。


2003年07月09日(水) 美瑛

朝8時半に宿を出ました。
いつもの見送り風景です。
「また来ます」と宿主さんに告げて出発。
この宿が、私にとって「居心地のいい宿」になるのかどうかはまだわかりません。
でも、きっとまた来るのでしょう。

最後の楽しい夜をくれた宿主さんと宿泊客の人たちと写真を撮り、いざ出発。
12時過ぎに旭川空港に着く友を迎えに行きます。

延々と40号を南下して、11時半には到着しました。
少し日記を書いて、それから到着口に友を出迎えに行くと…。
なんと友は、お弁当を手にしていました!
あぁ、感激(涙)。

美瑛の丘まで車を走らせて、そこで二人でお弁当と食べ、ぺちゃくちゃと話し、ぱしゃぱしゃと写真を撮り、それから友の案内で美瑛の丘をぐるりとひとまわり。
この時期の丘を久々に見ました。
昔のように、粗雑なキレイさがなくなってきて、いろんな木にやたらと名前がつけられてはいるけれど、やはりキレイなものはキレイです。

楽しい時間を過ごしたあとは、今夜の宿へ。
今日は旭川の東にある東川の宿です。
明日は旭岳登山の予定。

明日のためにぐっすりと眠った夜でした。


2003年07月08日(火) のんびり1日

車で「モケウニの沼」まで行きました。
初日に自転車で行ったところです。
車でもけっこうな距離があり、こんなにたくさん走ったのか、と自分でもびっくり。
そういえば初日の自転車での走行距離は50キロ。
チャリダーデビューできるかも? と非現実的なことに思いをめぐらしながら、モケウニでのんびり昼食。

そのあと、これまらクローバーの丘に行き、のんびり昼寝。

ウイング温泉に入り、クッチャロ湖を眺め、宿に戻りました。

ヘルパーさんが1泊2日で里帰りのため、夕食の準備を手伝いました。
今日の夕食はパエリヤ。
宿主さんとおしゃべりしながら、なんとも楽しい時間を過ごしました。

今晩が最後の夜。
明日はここを出る日です。

今晩も宿主さんとほかの宿泊客のおかげで、楽しい夜を過ごせました。
ありがとう。


2003年07月07日(月) 開拓

少し強めの日差しのなかを、宿の人たちが布団を干していました。
私は、リビングで読書を続けていました。
「羆嵐(くまあらし)」という実際にあった話を小説化したものです。
冬眠にうまく入ることができなかった熊が、わずか3日間で6人を殺害した話。
「コワイ」の一言に尽きます。

あまりにもおそろしすぎたため、熊の本をあっという間に読み終えると、もうお昼でした。

ふらりふらりと、街の定食屋に行ってお昼ごはんを食べならが、北海道開拓使について考えました。
この浜頓別という町をここまで整備するのにも、想像を絶する苦労があったのでしょう。

浜頓別の資料館に行き、そのあとまたまたウイング温泉。
そしてまた宿に帰り、仕事を始めました。

今日は、なんとなく充実した1日でした。
疲れたのでこのへんで。


2003年07月06日(日) カニ祭り

旅人夫妻に誘われて、枝幸(えさし)のかに祭りに行きました。
街をおこしてのお祭りらしく、駐車場の誘導に警察が立ち会っていました。
このお祭りで、たくさんの人が酒気帯び運転をするだろうに、きっと見て見ぬふりをするのでしょう。

お祭りは、けっこう大きな規模でした。
出店がたくさん出ていました。
私たちは、カニ弁当とカニ汁を食べて、抽選会をして帰ってきました。
「楽しい」と思えたのは、きっといっしょに行ってくれた旅人夫婦のおかげでしょう。

札幌に住んでいるいう彼らとは、午前中で別れました。
住所もメールアドレスも聞くことなく、それでもきっとまたどこかで会うのでしょう。
なぜかそう確信した別れでした。

昔は、旅人同士で住所交換をしたけれど、最近はほとんどしなくなりました。
お互いに聞かないし、聞かれないし。
でも、やはり会う人たちとは、どこかで会うのでしょう。
なんとなくそう思います。

カニ祭りのあとは、適当にブラブラして、早めに宿に帰ってきました。
今日はホタテごはん。
連泊メニューは楽しい。

おやすみ。


目次過去の日記未来の日記


紫 |MAIL

My追加