紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
もうすぐ明日になりかけているころに、降っていた雨が、とてもとても冷たくて。
それでもその雨の冷たさが、こみあげてくる「悲しさ」をごまかしてくれました。
おやすみ。
少し急な坂道を登りきったところに、市民プールがありました。
50メートルプールが1つと、子ども用のプールが3つほど。
けっこう大きめのプールだったように覚えています。
夏休みになると、小学生を対象にした水泳教室が開かれていました。
ほんの10日ほどの短期の教室です。
母は、4年生になるまでは毎年その水泳教室に私と兄を通わせました。
なぜ4年生だったのかはわかりません。
母のなかの「決まりごと」だったのでしょう。
私が1年生になったとき、兄は3年生。
兄のうしろをひょこひょことついて坂道をのぼり、帰り道は「今日は水のなかで目を開けられた」とか「今日は25メートルをクロールで泳いだ」などと、お互いに報告・自慢しながら、坂道をくだりました。
兄は4年生のときに、その水泳教室で50メートルを泳げるようになりました。
そのときの報告が、とてもうれしそうで楽しそうで。
私も4年生になったら、ぜったい50メートルを泳いでやる、そう決心したことを覚えています。
そして、4年生の夏に、50メートルを泳ぎきった私。
もう反抗期に入っていたおそろしいほど機嫌の悪い兄には、結局報告することはできませんでした。
実は今日、久々にプールに行きました。
え? 50メートルを泳いだかって?
あまり多くは語らずに、おやすみ。
10日。
母の誕生日でした。
今年で還暦を迎えます。
誕生日をあまり祝う習慣のない我が家。
いつものように何も考えず、遊びの予定をいれていました。
それでもやっぱり還暦は特別と思い、帰りがけに何か買って帰ろうとしたけれど、遅くなったため、店も開いていません。
せめてお金でも、と思ったけれど、それもすっかり忘れて家に到着。
朝の早い両親は、もう熟睡中でした。
なんとなく、ほっ。
その日はそのまま、ビールも飲まずに眠りました。
翌日、朝ごはんを食べようと電子ジャーを開けると…。
「あ…、お赤飯…」
何も言わなかったけれど、母は母なりに自分の還暦を祝っていたのです。
少しの後悔。
きっと、母は寂しかったはず。
でもいまだにまだ何もしていません。
気持ちだけで十分にうれしいものとは知っているけれど、その気持ちも表に出していません。
さて、私はいつ、母の還暦を祝ってあげられるのでしょう。
はぁ…。大きなためいきをつきながら。
おやすみなさい。
「20年ぶりに来ました」
私のよくいる場所に、そんな母子(おやこ)がやってきました。
20年前までは、親子3人でよく来ていたそうです。
「懐かしい」
そういいながら、娘さんが20年前に父親とよく食べていたという「ハンバーグ」を注文しました。
「父はもう亡くなったんですけどね」
笑顔のなかのその言葉に、私のなかの「家族」の思い出が突然に重なりました。
私にも、子どものころに毎週、通っていたラーメン屋があります。
月に一度、通っていたレストランがあります。
学生を卒業したころ、久々にその地を訪れました。
追われるように、隠れるように、そしてその地から訣別(けつべつ)するように離れた私には、かなり勇気のあることだったけれど、レンタカーのなかから遠巻きに眺めた故郷。
いまだに私には、緊張せずしてなかなか足を踏み入れることのできない「聖地」です。
私の知っている店は、ほとんどが「閉店」していました。
そのときの悲しかった気持ちは、どうにも表現できません。
舌と感覚と、それからそのほかの何かで覚えているあの味、あの雰囲気は、もう二度と再現できません。
今日、来た母子は、本当に喜んで喜んで帰りました。
思い出の場所がここにまだあって、思い出の味がまだそのまま生きていて、それから当時の「思い出」が母子の口からこぼれでていて。
「ぜんぜん、昔と変わりない味でした。ホントにおいしかった。あのシェフなら変わりない味を出してくれると思っていました」
何度も何度も、ホントに何度もそういいながら帰っていく母子に、私の知るはずもない当時の様子が思い浮かばれました。
変化の多い世の中、変わらない何かがそこに存在することに、幾ばくかの安堵が得られるのでしょうか。
それでも、それは、私にとってはとてもとてもたいせつな「安堵」のように思えます。
私はいつ、「安堵」できるものに出会えるのでしょうか。
台風一過の空の下、久々に遠出しました。
遠出といっても、兵庫県朝来郡の生野銀山まで。それでも往復280キロの旅になりました。
本来ならバイクだけのツーリングなのですが、なぜだか車で参加。
「温泉にも入る」という言葉につられて、ついつい参加表明させてもらいました。
元ライダー(大昔)ということで許してください。
途中、事故渋滞にはあったものの、それを抜けると比較的すいすいと車を進めることができ、無事に黒川ダムに到着。
ここで入った黒川温泉(600円)、美人の湯で気持ちよかったです。
お昼ごはんを食べて、少しの食休みをしたあと、生野銀山に行きました。
その名のとおり、室町時代からつい昭和の半ばまで、銀が掘られていたそうです。
アリの巣のようになった細くて小さな坑道に、人が入ってコツコツと作業していた様子が、けっこうリアルに再現されていました。
坑道のなかは13度。夏も冬も温度差は少ないそうですが、ひんやりして長くいるとけっこう寒かったです。
ところで、この生野(いくの)。
大昔は、鉱毒もあり盗賊もいて、作物が育たない地から「死野」と呼ばれていたとのこと。
いつかわかりませんが、大昔の時の天皇が「生野」に名称を変更させたとか。
鉱山の町として発展するまでは、ホントに人は住めなかったのでしょう。
いい名前に変更してくれて、よかったよかった。
ということで、夕飯に食べたエビライスもおいしかったし、今日は楽しい楽しい1日でした。
久々に休肝日にもなりましたとさ。
おやすみ。
ホームページのリニューアルを始めました。
たぶん、1年ぶりです。
実は、あまりホームページの知識はありません。
だから、いつもそんなに凝ったつくりにはなりません。
ただ、見やすければいいな、と思っています。
コンテンツだけ多くて、あまり更新していないページは、消してしまおうかと思っています。
そうなると、ほとんど消えてしまいます。
残るは、日記とアルバムのページだけ?
それでもいっか。
もともと、メーリングリストと自分自身の整理整頓のために立ち上げたホームページ。
余裕があれば、じょじょにコンテンツを増やしていけばいい。
新たにホームページを立ち上げる気持ちで、リニューアルしていくつもりです。
とりあえずは、日記、アルバム、ハーボット(線)、掲示板、だけ残して、ほかは削除。で、リニューアル完了、としますかね。
ん?メインのページが全部、なくなるわけですが。
みなさん、どう思います?
明日の夕方には台風一過。
私の「心のもやもや」もいっしょに吹き飛ばしてくれればいいのに。
おやすみ。
台風が近づいてきています。
9日朝までの24時間の降水量は、四国の太平洋側で600ミリとのこと。太平洋側を中心に、1時間に80ミリを超える「猛烈な雨」が降るそうです。
この台風に被害が出ないことを祈ります。
ところで、いったい1時間に80ミリって、どのくらいの雨なのでしょう。
気象庁では、1時間に10〜20ミリの雨を「やや強い雨」と呼んでいます。
ザーザーと降り、地面からの跳ね返りで、足元がぬれるそうです。
ふむふむ。なんとなくイメージがわきます。
20〜30ミリは「強い雨」。
いわゆるどしゃぶり。車の運転でワイパーを動かしても見づらいそうです。
経験有り。かなり怖いです。
災害が起こるのは、30〜50ミリの「激しい雨」。
高速道路でブレーキがきかなくなる「ハイドロプレーニング現象」が起こるそうです。
これも経験有り。もうダメだと思った瞬間です。冷汗。
となると、80ミリ以上の雨は?
「猛烈な雨」。
息苦しくなるような圧迫感があり、恐怖も感じるそうです。大規模な災害が発生するおそれが強く、警戒が必要。
もちろん、私はテレビで見るのみです。
ちなみに、大阪での年間平均降水量は、約1000ミリ。
1日の最高雨量でも、250.7ミリ(昭和32年6月26日)。
………。
ということは、明日は恐ろしいほどの雨が降るようです。
みなさん、明日は早めに帰り、あさっての「台風一過」の空を待ちましょう。
2003年08月06日(水) |
ソーメンチャンプルの日 |
ホントはとってもかなしかった。
こんな日は、ソーメンチャンプル。
しょうゆを入れすぎて、涙が出るほどしょっぱかった。
いい夢、見よう。
おやすみ。
夕方になってから、空がゴロゴロといいだしました。
ゴロゴロと音は聞こえるけれど、雨はいっこうに降りません。
一雨、どさっと降ってくれれば、少しは涼しくなるだろうに。
といいつつ、雷は苦手です。
雷というよりも、雷が落ちて、停電するのが苦手です。
はっきりいえば、暗闇が大の苦手です。
子どものころ、兄と二人で留守番しているときに、落雷のため、停電になりました。
午後8時。家のなかはまっくらです。
泣き叫ぶ私をなだめようと、兄が懐中電灯をいっしょうけんめいに探してきて、こう言いました。
「ピカって光ってから、ゴロゴロなるまでの時間で、雷が遠くにいるか近くにいるかわかるんや」
それから二人で、ピカっと光ると大声で、「いーっち、にーーっ、さーーんっ…」と窓の外にむかって数え始めました。
でも、数える数がだんだんと減ってきて、雷がどんどん近くにやってきているのがわかり、ますます恐怖。
「だいじょうぶ。中学校に避雷針があるから、ここには落ちない」
「ヒライシン…?」
避雷針の意味はまったくわからなかったけれど、雷が落ちないとわかると、なんとなく怖さも半減。
このとき、兄は物知りだなあ、と思ったのを覚えています。
思えば、空が光るから真っ暗闇でもないし、外にむかって大声を出していることがなんとなく楽しく思えてきて、ますます大声で数を数え出したそのとき、ごく近所の空に大きな大きな稲妻が走りました。
「!!」
「!!!!!!!」
兄も私も、口をぽっかりと開けて、しばらく稲妻が走った空を見つめました。
あまりにも近すぎて、空が半分に割れたかのように見えたその稲妻は、私が想像していた以上に長くて白くて、空が落ちてきたかと思えるような大きな大きな音を出していました。
それが、兄と私が生まれて初めて見た稲妻です。
いまだに空がピカっと光ると、心のなかで数を数えだしている私。
雷は怖いし停電もいやだけど、数を数えることで気持ちがだんだんと落ち着いてきます。
これも、兄が教えてくれた「おまじない」なのでしょうか。
今日は結局、雨は降らずじまい。
この「おまじない」は使わずにすみました。
ほっ。
目次|過去の日記|未来の日記