紫
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いい映画を観てきました。
『夏休みのレモネード』。アメリカの映画です。
私はストーリーを説明するのが苦手なため、あまり多くは語りませんが、「天国」についての概念が、私のなかで生まれたような、そんな映画でした。
カトリックとユダヤの宗教の違いを背景に映画が進んでいきますが、宗教にたいして知識が少なくても、少年たちの会話を通してわかりやすく解説されていきます。
とても無邪気な少年たちの発想に、思わず笑みがこぼれたり、ときどきはらはらしたり。
うまくは言えませんが、「観てよかった」と思える映画でした。
そんなところで、おやすみ。
もう、どうだっていいんですよ。
9月1日は、日記お休みの日。
南に面した部屋に窓が2つ、あります。
1つはキッチンに、もう1つは、父がいつもゴロゴロしている部屋にあります。
夏のあいだは、開けっぱなし。
ときどきいい風が入ってきて、カーテンを大きく揺らします。
先日、父が休みの日。
いつものように、父は窓を開けてゴロゴロと寝ていました。
窓にかかっているレースのカーテンが、ふわりふわり、と揺れて、見るからに気持ちよさそう。
きっとキッチンも気持ちのいい風が入ってきているはず。
私も自然の風にあやかろうと、テーブルに座ってお茶を飲み始めました。
ん…?
待てども待てども、風は入ってきません。
キッチンのカーテンは微動だにしません。
でも、父のゴロゴロしている部屋のカーテンは、さっきと同じように、ふわり、ふわりと気持ちよさげに揺れています。
なんとなく昔、見たホラー映画を思い出し、少しの「恐怖」を感じているところに母がやってきました
「ほら、あっちの部屋、いい風が入ってきてるなあ。気持ちよさそうやなあ」
ふむ。これはいつもの現象なのか。
きっと気流の関係で、あっちの部屋が風の通り道になっているのかも。
そんなふうに妙に納得してベランダに出ると、なんとそこには、扇風機が出されていました。
「………」
あっけにとられて、何もいえないままの私に母が一言。
「あほやなあ」
「……………………」
ますます何も言えなくなったある日曜日のできごとでした。
2003年08月30日(土) |
「僕らの遊び場、広いんや」 |
中学校のときの文化祭で、コーラス部が歌っていた歌を今もときどき思い出します。
タイトルは忘れました。こんな歌です。
ぼくたち、大阪のこどもやねん
町じゅうのことならなんでも知ってるで
すみからすみまで路地の裏まで
僕らの遊び場広いんや
そのとき1回だけしか聞いていないはずなのに、なぜか耳に残りました。
聞いているだけで楽しくて、あとでコーラス部の人に会うたびに、「あの歌、よかった〜」と感想を伝えていました。
私にも子どものころの遊び場は、たくさんありました。
小さな公園や1時間に1本しか電車の通らない線路、家の前にあった中学校のグランドや、どんどん家が建ってきている近所の建築現場。
いっしょに遊んでくれたのっぽのけんちゃんは、今はいったいどうしているのか検討もつきません。
生まれ育った町に、ずっと住んでいる人を、ときどきうらやましく思います。
きっと住んでいる人たちにしてみれば、わずらわしいこともあるのでしょうが、それでも子どものころの自分を知っている隣近所のおじさん、おばさん、幼なじみがいる環境に、少し憧れます。
近所の人とすれ違うたびにあいさつをしたり、世間話しをしたり、同級生の噂話を聞かされたり。
今は、生まれ育った場所からはずっと離れた山の上に住んでいて、歩いていても知っている人に出会う可能性は、皆無です。
楽といえば、楽です。
今日は、最近いつもいる場所の裏通りを、てくてくと歩いていました。
前から自転車に乗ってやってくる目のくりんとした女の子。
誰かに似ている
そうは思ったけれど、知っている人にすれ違う、ということに不慣れな私は、似ているだけで「違う人」だと思っていました。
「なにやってるんですか」
あ、やっぱり彼女だった。
かなりどぎまぎとしたあいさつのあと、なぜかこの歌を思い出しました。
「すみからすみまで路地の裏まで」
彼女もきっとこの町のことをよく知っている人のひとりなのでしょう。
そして、そんな彼女とすれ違って「あいさつ」をした私。
私を知っている人がいる町を、もっともっと知りたいと思った今日の昼下がり。
彼女とその妹弟の「遊び場」は、いったいどこだったのでしょう。
おやすみ。
不思議と幼児のころのことを、たくさん覚えています。
人に話すとびっくりされます。
いちばん最初の記憶は、まだハイハイしているとき。
お湯の入ったポットを倒して、右足のひざのあたりをやけどしました。
そのときの「熱い」という感覚にとてもびっくりしたことを覚えています。
うばぐるまに乗っていたときのことも覚えています。
今のように座るタイプのうばぐるまではなくて、昔は、箱のような感じのものが主流でした。
箱なので、なかで立ったり遊んだりできます。
ダメだと言われているのに、うばぐるまの中で立って、うばぐるまがひっくりかえったときもびっくりしました。
もちろん、怒られました。
三輪車でなぜか溝に頭から突っ込んで、しばらく頭に包帯を巻いていたのは3歳くらいだったでしょうか。
公園のすべり台で、兄と「すべり台の下はワニがたくさんいるごっこ」をしていたときに、すべり落ちる兄を助けようと必死で手を引っ張っていたら、なんと右肩を脱臼。
思わず兄の手を離してしまい、兄が「あ〜、ワニに食べられる〜っ」と言いながら、すべっていった姿は今でも鮮明に覚えています。
これもまだ3歳くらいでした。
お風呂のなかでおぼれたのは、1歳か2歳だったのでしょう。
水の入ったおふろに落ちて、アップアップしていたのは覚えていますが、その後の記憶がありません。
夢だったのだろう、と思っていたら、最近になって母が、
「そういえば、お風呂で浮いていたときはびっくりしたなあ」
とつぶやいていました。
記憶がない、というより、死にかけていたようです。
そんなこんなでケガや病気のたえない子どもだったようです。
もちろん、おだやかで楽しい記憶もたくさんありますが、それはまた今度。
そうです。
今日も書くことが思いつきませんでした。
学生のころの自炊料理のひとつに、焼きそばがありました。
4玉100円のそばを買ってきて、アルバイト先の居酒屋から、余ったソースと野菜の切れ端をもらってきて、フライパンで作っていました。
ソースがないときは、しょうゆ味にしたり塩味にしたり。
焼きそば自体は、バイト先で毎日、汗だくになりながら作っていたから、あまり「食べたい」とは思わなかったのですが、生きていくために仕方ありません。
ビンボー人は、食べ物でぜいたくはできません。
せめて具に凝ろうと思い、いろんなことをためしました。
野菜がなんにもないときに、納豆を入れたことがあります。
納豆と焼きそばは、別々に食べたほうがおいしいということがわかりました。
もやしを入れると、どれが麺だかわからなくなったり、賞味期限の切れた豆腐を入れて食べると、水分が出て薄味すぎたり、長ネギだけを入れて食べると、おいしかったけれど、なんとなく歯ごたえが物足りなかったり。
目玉焼きを上にのっけて食べるのは、かなりのぜいたく。
わが家に経済では、それだけで2食分の食費がかかります。
今日は、焼そばを作りました。
キャベツとピーマンとウインナーを入れました。
私もぜいたくになったなあ…。ふむ。
そんなことをつぶやきながら、焼きそばを食べました。
それでも、やはり目玉焼きをのっけられなかったのは、ビンボー神の耳打ちのせいでしょうか。
ぜいたくな世の中でも、節約のココロを。
いつもの「暦ノート」なるものを開いてみました。
ふだん、聞きなれた言葉から今ではまったく廃(すた)れてしまった言葉まで、たくさん載っている、いわば私の「日記ネタ帳」です。
そう、今日も書くことがないので、はらり、とノートを開きました。
をを!
今日、8月27日は「寅さんの日」!
1969年に『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されたそうです。
この寅さん、最初はなんと「フーテンの寅」というテレビドラマだったとのこと。
この時は最終回で寅さんが亡くなったらしいのですが、反響の大きさに映画で復活したそうです。
寅さんの日か〜。
そうか〜。
妙に納得しながらも、そのあと、そそくさとベッドに入った今日。
バナナの叩き売りをしている夢を見た、なんてことはなく、大蛇にかまれそうになったら、虎がやってきて、大蛇がするするっと逃げていった夢をみましたとさ。
トラちがい。
岡山は、思ったより都会でした。
昔、友がよく言っていた「田舎の都会」を思い出しました。
住むのだったら、都会の田舎より田舎の都会。
それを聞いてからは、私もそう思うようになりました。
そのときに、私の住みたい「田舎の都会」は小樽でした。
でも、今はそれほど「住みたい」とは思いません。
理由はなぜかはわかっていますが、言いません。
岡山に対しては、それほど「住みたい」とは思いませんでした。
思い出が少ないからでしょう。
なんだかよくわからない日記ですが、今日のところはおしまい。
岡山では、車の運転には気をつけましょう。
(どこに行っても気をつけましょう)
沈黙…。
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