紫
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給食が大嫌いでした。
偏食すぎた私は、小学校の6年間、毎日の給食に悩まされました。
当時は、給食は「残さず食べさせる」という教育方針だったのでしょうか。
昼ごはんが終わっても、掃除の時間になっても放課後になっても、ずっとずっと給食を食べ終わるまで、食べさせられました。
給食室のあった私の小学校。
「給食のおばさん」たちは、ホントにこれをおいしいと思って作っているのかが、6年間ずっと疑問でした。
おとなになってから、当時の給食のおばさんに聞いた話しですが、「もっとこうすれば食べやすい味になるのにな」と思って作っていたことがたくさんあったそうです。
それを聞いてなんとなく安心。
今は、無理やり食べさせるということはなく、しかも当時と比べておいしくなっているとのこと。
今だったら、もっと有意義な放課後を過ごせたことでしょう。
給食を食べたくないばかりに、3日ほど仮病を使って学校を休んだことがありました。
なんと4日目の朝には、「みずぼうそう」になり、そのまま2週間、学校を休んだことがあります。
もう好き嫌いは、ずいぶんと減りましたが、やはり食べられないものはあります。
でも、無理やり食べなくていいから、もう仮病は使いません。
おやすみ。
今日の月は「十六夜月(いざよいづき)」。
満月が15番目の月として、今日は16番目の月になります。
30分ほど遅く出る少し欠けた月、です。
満月もキレイだけど、その前後の「少し欠けた月」も私のお気に入りです。
14番目の月は、「がんばれがんばれ」と応援したくなるし、16番目は「おつかれさーん」と言いたくなります。
そんなことを考えていた高校時代。
国語の先生が平安時代の「月」の呼び方について教えてくれました。
今日の十六夜月。
「いざよう」とは、「もじもじする」という意味があります。
満月より、30分ほど遅く現われる月を「もじもじしながら出てくる月」ということで、「いざよい月」と呼ぶようになったそうです。
明日の17番目の月は、立待月(たちまちづき)。
あさっての18番目の月は、居待月(いまちづき)。
しあさっての19番目の月は、寝待月(ねまちづき)。
だんだん遅く出てくる月を、まずは「立って待とう」「座って待とう」「寝ながら待とう」と、古人は秋の月をこよなく愛していたのがわかります。
さらに20番目の月は、臥待月(ふしまちづき)。
「もう待っていられず床に入って、寝てしまった」という月とのこと。
なんとも優雅な月の呼称なんでしょう。
国語や日本史の先生のさりげなく、それでもその時代に思いを馳せてしまうような「余談」が、私は大好きでした。
それでも、私の知りたかった「月のうさぎ」については、そのときの余談に出てこないまま。
いつか先生に会ったときに、教えてもらいたいことのひとつ、です。
ぜんぶ、あげる。
おやすみ。
父は昔、「宮大工」でした。
東北生まれで11人兄姉(きょうだい)の末っ子の父は、中学校を卒業してすぐに大工になりました。
それから、各地を転々としながら、日本列島をどんどん南下。
京都で「宮大工」になったのは、二十代前半のころだったと、私がまだ幼いころに母が教えてくれました。
その話しを聞いたときには、父はもう宮大工はやめて、工務店を開業していました。
父が修復に携わった社寺で覚えているのは、清水寺。
あの「清水の舞台」と言われる屋根を、父がていねいにていねいに張りなおしたそうです。
もちろん、宮大工の偉い親方の指示に従っていただけのことですが。
それでも、その話を聞いたとき、幼心に私は単純にも「清水寺は父の寺なんだ」と思ったのを覚えています。
今も清水寺に行くと、清水の舞台を1枚1枚じっくりと眺めてしまいます。
おそらく当時から何度も修復され、父が張ったという屋根ももうほかの人が張りなおしているのだろうけれど、それでも「宮大工」のときの父の「作品」のひとつと思うと、そこにいただろう若かりし父の姿を探してしまいます。
「編集職人」として、父と同じく「物を作る」仕事をしている私。
自分が手がけた「本」や「雑誌」を町の本屋で見かけると、胸が熱くなります。
きっと、父にも一口にはいえないいろんな思いがあるのでしょう。
いつか、父の長い長い昔話しをしながら、父の「作品めぐり」をしてみたい。
同じ「職人」と呼ばれる仕事をしている者同士で、物作りの喜びを語り合いたい、と、うとうと夢のなかで、思いました。
「あ、海老フライ…」
車に乗り込んだときに、ふと思いました。
先日、久々に入った「収入」で何か家に買って帰ろうと、季節はずれの炎天下を歩きながら考えていました。
何かおいしいもの、おいしいもの………。
……………。
!!!
ということで、いつもよくいく店でエビフライ単品1つをお持ち帰り。
大きめの折り箱からはみ出るほどの、大きな大きな車海老のフライが、ギュウギュウ、ギュウギュウとところ狭しに詰められて出てきました。
あんまりにもうれしくて、うまくお礼の言葉も出ないまま、店を後にしました。
車で約1時間半の道のり。
車のなかはだんだんと海老フライの香りで満ちていきました。
「早く帰ろう」
昔から海老好きな母は、この大きな大きな海老フライを見てどんな顔をするのでしょう。
なんとなくアクセルを開き気味に、171号線を走りました。
約1時間半後、家に到着。
いつものようにテーブルの上にちょこん、と折り箱を置いておきました。
すぐにその折り箱を見つけた母。
車海老をじっと見つめながら、
「すごい海老やなあ。すごいなあ。大きな海老やなあ。食べごたえがあるやろなあ。これはホンマにすごいなあ」
と何度も何度もつぶやいていました。
母が夕飯を食べ終わったころに台所をのぞくと、
「すごかったわ」
と一言。
満足気な母の表情に、なんとなく私も鼻高々。
そんな母の「おいしい顔」を作り出してくれたみなさん、どうもありがとう。
久々の親孝行。
雨は降りませんでした。
24歳の半分は、病院のベッドのうえで過ごしました。
寝たきりのまま、窓の外の「小さな四角い空」を見つけました。
深い秋の青い空が、とてもまぶしく、そして切なく。
でも、とても愛しく感じました。
今も病院に行くと、そのときの「空」を思い出します。
私にエールをおくってくれたとっておきの「空」です。
今日はとある用事で病院に行きました。
高い場所で「広い空」を見つめていると、去年、「ここ」に通った人たちの「思い」が堰(せき)を切ったように流れ込んできました。
こみあげてくる思いを「明太子スパゲティ」といっしょにがんばって飲み込んだことは、今日の「広い空」しか知りません。
私の見つけたとっておきの「空」も、今日のこの「広い空」も、それからあなたが見つめる「空」も、みーんなみーんな、あなたの「味方」です。
おやすみ。
いそがしいのであーる
こんなに忙しいの?
のんびり、ゆっくり、ふわりふわり、としたいなあ。
久々にいつもの場所に行って、「エビライス」を食べました。
久々といっても1週間は経ってないのですが、やはり久々気分。
ホントは、スパゲティを食べようと思っていったのですが、いっしょに来ている友2人に「エビライス」のおいしさを知ってほしくて頼みました。
やっぱりエビライス。
サイコーにおいしいです♪
ほんのりシアワセ気分のまま、おやすみ。
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