紫
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カキフライを食べました。
おいしかった。
やっぱりこれですね、はい。
ということで、もっとカキフライについて語りたかったのですが、忙しいのでまた今度。
おやすみ。
2003年10月12日(日) |
宣伝!「宮澤英子」作品展『ざわざわ』 |
今度、イラストレーターをしている友の個展が開催されます。
この場を借りて、宣伝。
って、私の日記だから、借りるもなにもないのですが。
ぜひぜひ行ってください。
ほんわかあたたかいイラストを描いています。
行ったら感想を聞かせてくださいね。
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■宮澤英子作品展「ざわざわ」
■日程:2003年10月7日(火)〜11月9日(日)12時〜19時まで(月曜休館、日曜17時まで)
■場所:Gallery ART SPACEのトイレのなか(!)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3−7−5第5大鉄ビル4階
営団地下鉄銀座線外苑前駅3番出口より徒歩5分
http://www2.odn.ne.jp/artspace/
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今日の日記はこれで、おしまい。
10月は案の定、忙しくなりました。
あ〜、大丈夫かなあ…。
不安。
よく電話がかかってくる家で育ちました。
そりゃ当然。
家が事務所代わりだったからです。
先代のあとをついで、父が工務店を開いてからは、私の家は四六時中といっていいほど、電話が鳴りました。
夜中の電話は、もちろん「やくざ」です。
そして、その電話に出るのは、私の役目。
「もしもし」
「おとうちゃん、おるか?」
「まだ帰っていません」
「なんや、まだかいな。おかあちゃんは?」
「もう寝ました」
「起こしてきてくれへんか」
「……………、いや!」
子どもだからこそ、こういう会話ができたのでしょう。
そして、子どもだからこそ、こういう会話が許されたのでしょう。
なぜ、こんな深夜にしかも「やくざ」から電話がかかってくるかは、当時はわかりませんでした。
でも、さすがに幼い私との会話に「やくざ」も「人の子」であり「人の親」なんだな、と子どもながらに思ったことを覚えています。
「おじょうちゃんも、たいへんやな。はよ、ねーや(寝なさい)」
「おじさんの電話が鳴ったから、起きたんです」
「…………、そ、そやな」
毎晩、限りない「付き合い」で午前様の父。
深夜の電話に、ノイローゼ気味だった母。
そんな家庭環境のなかでも、頭が良すぎた神経質な兄。
そして私は、深夜の電話に応対しながらも脳天気すぎるほど、世間知らずに育ちました。
最近よく、「やくざ」の乗っている車や、「親分」そのものをよく見ます。
不思議と怖くないのは、子どものころの経験と、やくざ上がりっぽいまじめな職人さんがたくさんいたおかげでしょうか。
それでも、私は商売を始めたばかりの父にいやがらせをし、母を苦しめたやくざの名前を忘れることはできません。
やくざがなんぼのもんやっちゅうねん!!
これはつっこみ?
ふんわり、ふわふわ。
「一度、あげた看板は、ちょっとやそっとのことではおろしちゃいけない」
最近、心に響いた言葉です。
少し前に開店した小料理屋の若い板さんとその奥さんに、洋食屋のマスターが言いました。
なんとなく、そんな言葉を思い出した今日。
刹那主義なんて言っていられません。
さて、明日もがんばりますか。
おやすみ。
小学校5年生のころ、市のマラソン大会に出場したことがあります。
陸上部だった私は、部活の先生のすすめで、いつもいっしょに走っていた友といっしょに申し込みました。
マラソンといっても、小学生の部はたったの2キロ。
それでもアップダウンの激しい道を往復します。
スポーツなら、何をさせても群を抜いていたその友に、私が対等に張り合えるのはマラソンくらいでした。
でも、彼女を抜いたことはありません。
いつもゴールギリギリで、彼女がすぅーっと当たり前のように前に出ます。
だからタイムの差はいつも1秒。
彼女が1番になるのは当たり前のことだったので、私もとくに「くやしい」とは思いませんでした。
市のマラソン大会の当日。
世間は広いもので、私たちよりも1分近く早い選手が1位を取りました。
だから、私たちは2位と3位を争います。
ゴール近くになって、ラストスパートに入りました。
ラスト50メートルくらいになると、最後の力を振り絞って短距離走のように思いっきり走ります。
「あれ?」
どうしたことか、いつものように彼女はすぅーっと前に出ません。
それどころか、ペースが落ちたように思いました。
「抜ける! ………でも…」
何を思ったのか、私もペースを落としてしまいました。
と同時に、すぅーっといつものように彼女は私の前に出て、いつものように1秒差のタイムで2位と3位。
ペースを落としたとはいえ、それでもタイムは私も友も自己ベストでした。
そして、そのあとしばらくしてから、私は陸上部を辞めました。
今も私の部屋には、そのときにもらった3位の賞状が飾ってあります。
あのとき、彼女を抜けなかったわけは、11歳の私しか知りません。
何年か前に「痴漢」を通報したことがあります。
通報してもらった、というほうが正しいのでしょうか。
「いっしょに通報しましょう」
「四谷三丁目」の駅に着いたとたん、隣に立っていた女性がいきなり声をかけてきたと同時に叫びました。
「駅員さん、この人、痴漢です!」
よく聞けば、その女性も半年ほどずっと痴漢をされていて、でもなかなか通報する勇気が出なかったとのこと。
通報された痴漢もびっくりですが、私もかなりびっくり。
そのあと、パトカーに乗って四谷警察で調書をとりました。
パトカーに乗ったのも調書を取ったのも何度か経験済みですが、痴漢の通報や朝のラッシュ時の地下鉄を5分も止めたことはもちろん初めて。
経験しないほうがフツウなのでしょう。
30年ほど前にやはり痴漢罪で捕まっていたらしいその痴漢。
前科があるため、2週間ほど留置所に入れられた様子。
初犯なら「厳重注意」になることもあるとか。
「仕事もクビになるだろうね」
担当の警察官がつぶやいていました。
それからは不思議と痴漢にあわなくなりました。
あわなくなった、というより、あわないように十分に警戒するようになったのでしょう。
通報当日は四谷警察で午前中がつぶれ、そのあと、四谷警察に1度呼び出しがかかり、それから検察庁に行って検事さんにばかばかしい話をまたいろいろ聞かれて。
あんな無駄な時間はもうまっぴらごめんです。
「女性専用車両」の表示を見るたびに、そのときのことを思い出す今日このごろ。
そういえば、阪神電車は朝の特急だけに女性専用車両が導入されたとのこと。
阪神電車には「巨人ファン専用車両」があるってホントなのでしょうか。
おやすみ。
2003年10月05日(日) |
「絶対」のとらえかた |
「『絶対』ですよ」
と言ったのに、なーーんにも果たしてくれない。
「絶対」ってそういうことかな。
「うわあ」
友のくれた見慣れた赤い紙袋を広げると、懐かしい香りがあふれてきました。
この香りがほのかにした歩くとミシミシと床のきしむ台所が、私は大好きでした。
懐かしすぎるその香りに、泣きたくなる気持ちを抑えて「ありがとう」と言いました。
毎朝、朝ごはんよりも先に豆をひき、ポトポト、ポトポトと時間をかけておとした濃いめのコーヒー。
もうこのコーヒーのする台所に立つことも、このコーヒーが手紙といっしょに送られてくることもありません。
それでも、このコーヒー豆の香りに宝箱に入ったはずのいろんな思い出がどんどんどんどんこぼれてくるのは、今が「秋」だからでしょうか。
明日の朝、新しい豆でコーヒーをいれよう。
思い出の宝箱のなかにとっぷりとつかってみよう。
だから今日は早めにおやすみ。
早く明日になるために。
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