紫
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いそがしいよぅ
古巣で仕事をしていると、必ずコーヒーを入れてくれる後輩がいます。
私がコーヒー好きなのを知っているのでしょう。
ホントに必ず「コーヒー、飲みますか?」と聞いてきてくれます。
古巣とはいえ、あまり「勝手知ったる」態度はやめようと、なかなか給湯室にいけない私は、そのコーヒーがとてもありがたい。
何もかもを捨てて辞めた私に、「教えてください」と聞いてきてくれる後輩がいます。
教えることは苦手だけど、理解してくれるのはとてもうれしい。
今日は久々に「隣の彼女」を思い出しました。
彼女は、果たして私のことを思い出してくれることはあるのでしょうか。
いい意味でも悪い意味でも。
おやすみ。
最近、毎週水曜日の深夜にNHK放映の『プロジェクトX』という番組を観るようになりました。もちろん再放送です。
「人類の歴史と文明を劇的に変えたのは『プロジェクト』である。 」
このようなサブタイトルがついています。
これだけを読んで番組を見ると、「昔の人はすごいなあ」と単純に考えてしまいます。
でも、この大掛かりなプロジェクトを実現させてきたのは、「無名の日本人」。
この番組さえなければ、名前も顔も知られることのなかった人たちがほとんどです。
もちろん、プロジェクトは一人の力では動きません。
「チームワーク」という船にのって、進むべき方向へ動きます。
私の辞めた会社は、今、大きなプロジェクトが動いています。
この業界では新参者だけど、だからこそ自由気ままな発想で「ものづくり」をしてこられたんだと思います。
古巣で仕事をしているここ数日。
がんばってほしいなあ、とプロジェクトXを観ながら思いました。
おやすみ。
午後から古巣。
ここは、私を知っている人たちばっかり。
ありがとう。
明日もよろしく。
おやすみ。
今週は古巣に戻って、仕事です。
最後の仕上げは、会社のマッキントッシュを借りて、久々に「組版」をします。
うん、やっぱりマックはいい。
辞めて1年半も経つと、知らない人や名前のわからない人がたくさんいます。
以前と変わらず、同じように話し掛けてきてくれる人もいます。
私も当たり前のように「そこ」に座っています。
なんとなくずっと音信普通にしていた「ふるさと」に戻ったようで、人の視線がこっぱずかしい1日でした。
明日もまた古巣で仕事、です。
おやすみ。
小さい小さいオムライスに、シアワセ気分♪
おやすみ。
小学校4年生の1学期のオワリに、のっぽの男の先生がやってきました。
担任の先生が産休・育休に入るためです。
産休で先生が休むというのも、男の先生が担任になるのも、こんなにのっぽな人と身近に接するのも生まれて初めてでした。
二学期から始まったのっぽ先生の授業は、まさに破天荒。
授業は毎日「国語、算数、理科、社会」。その間に、体育、音楽、図画工作、書道、道徳などの授業が入ります。
近畿大学理学部(?)卒業のその先生は、シーラカンスの研究をずっとしていて、理科の授業はほとんどシーラカンスの話。
国語も社会も教科書を使わずに授業が進められました。
苦手だった算数もなぜだかその先生に教えてもらうと、まるで魔法がかかったようにすらりすらりと問題が解けました。
あれはホントに魔法だったのでしょうか。
極めつけが体育。
おそらく小学校4年生が、普通は授業で習わないことをたくさん教えてもらいました。
たとえば、マット運動では地上転回(?)やバク転、側転の前ひねり、後ろひり。
運動神経のいい児童が、もっともっと伸びるように。
運動の苦手な児童には、側転だけでもできるように。
クラスのみんながきれいに側転ができるように、私たちも教えあいっこしました。
そして、運動場を使った授業では、私たちはなんとラグビーを教えてもらいました。
もちろん、そんなカリキュラムはありません。
ラガーマンである先生は、何もかもを無視して、ラグビーを必死に私たちに教えてくれて、そして私たちもラグビーという生まれて初めてのスポーツに必死になっていきました。
1年にも満たない時間だったけれど、その先生とめぐり合えたことは、まだ「人生」を知らない私には、かなり影響を与えたと思います。
今日は久々にテレビでラグビーを観戦。
きっとあの先生もどこかでテレビにくぎ付けになっているのでしょう。
みんなでお金を出し合って買ったあの白いラグビーボール、今も持っていてくれているのでしょうか。
おやすみ。
ベランダをふとのぞくと、見慣れた懐かしい葉っぱがにょきにょきと顔を出していました。
「あれ? イチゴ?」
一人暮らしをしていたからずっと育てていたイチゴは、私の度重なる引越しに耐え兼ねて、とうとう枯れてしまったのが、おととしの冬。
毎年、春になると必ず花を咲かせ実を結び、びょーんびょーんとツルを伸ばして株を増やしていたイチゴのために、いくつものプランターを買ってきて、あまりにも増えすぎたために、知人に里子に出していたイチゴ。
大阪に来てから、イチゴの元気がみるみるなくなっていくのがわかりました。
当時の私の「大阪なんて大嫌い」という思いが、イチゴにも伝わったのかもしれません。
今は大阪という土地にも人にもすっかり慣れ、「ボケ」と「つっこみ」にも寛大になり、この土地を「もっと知りたい」と思うようになりましたが、イチゴはもうとっくに枯れていました。
「なんかわからないけど、このあいだからにょきにょき芽が出てきてん」
母が隣にきて言いました。
枯れたとばかり思っていたイチゴ。
じっとずっと土のなかで、芽を出してもいい時期を待っていたのでしょうか。
「来年、花は咲くかな…」
そのイチゴに自分を重ね合わせた気分になり、ふとそんな言葉が口をつきました。
「イチゴが食べられるよ」
母の返事に、胸が熱くなるのを隠しながら、家を出ました。
あの甘酸っぱいイチゴ、来年の春にはまた食べられるといいですね。
おやすみ。
今日は湯豆腐。
豆腐好きの私には、たまりません。
子どものころは、「鍋料理」は嫌いでした。
熱くて熱くてたまらないからです。
「おとなはなんで鍋料理が好きなのかな」
食卓に鍋が出ると、いつもそんな疑問が頭をよぎりました。
ようやく「おとな」と呼ばれる年齢になって、お酒を飲むようになって、仲間でわいわいとする楽しみを覚えて。
「鍋、しようよ♪」
いつからか、自分から率先して鍋パーティーを開くようになっていました。
「酒をたしなみ、会話を愉しむ」ことを覚えたのでしょう。
今日の湯豆腐も楽しい愉しい会でした。
あのまずいワインも、いい思い出。
おやすみ。
久々に淀屋橋まで行きました。
おわり。
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