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2003年12月04日(木) こんな日

今日はシアワセ。


2003年12月03日(水) ホタテ

はてさて、なぜだか最近、「思い出の宝箱」のふたが全開です。
時系列を関係なくして、思い出がどんどんこぼれ出てきます。
きっと、「そろそろ整理整頓しておこうよ」という暗示なのでしょう。
だからというわけではないけれど、「昔」の話が今まで以上に多くなります。

そんなわけで、おとといの続き。

もともと最新式だった親子電話は、突然に手元からなくなり、いきなり黒電話に逆戻りしました。
食器乾燥機もビデオもホットプレートも何もかもなくなったけれど、それほど「不便」は感じません。
親子電話は黒電話になったけれど、今までのように電話がじゃんじゃんと鳴るわけでもなく、かえって気楽でした。
14インチのテレビを、祖母と二人であーだこーだとテレビにコメントしながら観る毎日もなかなかステキな1週間が過ぎていました。

でも、一つだけ不満がありました。
それはお弁当から「フライもの」が消えたこと。
家庭用フライヤーも、「家」に置き去りにしてきたからです。
冷凍食品だけど「貝柱のフライ」が大好きだった私。
お弁当に入っている母のつくる卵焼きの次に好きなメニューでした。

学校にいって、祖母のつくってくれた卵焼きが、母と同じ味をしていることに毎日、感謝をしながらも、それでもそこに「貝柱のフライ」が入っていないことに、「やっぱり、生活が変わったんだ…」と思わざるをえず、なんとも寂しい1週間でした。

そしてその1週間後のお弁当には、再び貝柱のフライが顔を見せてくれることになります。
この話はまた違う機会に。

今もホタテの貝柱は大好きです。
ホタテを食べると、あの1週間を思い出します。
なんでもなかったことだけど、なんでもなかった「日常」がとてもとても大切だったんだ、と、今も思います。

おやすみ。


2003年12月02日(火) 更新できたトップページ

「この写真がいい」

そう言ってアルバムからていねいに剥がされた写真に、胸が詰まりました。

「よくこういう表情をしていたんだよ」

そう言いながら、アルバムに貼られているほかの写真をじっと見つめる「彼の父」。
かける言葉もやはりいまだに見つからず、隣で涙をこらえているだろう「彼の父」の顔を見ることもできず、私は黙ったままパソコンに向かって作業を進めることしかできませんでした。

今日は月に1回、私の「いつもの場所」のホームページのトップを更新する日。
その前に先月、新しく買い換えたパソコンに、スキャナを設定中でした。
剥がされたばかりの写真を、スキャニングしてホームページに使います。

ところが、そのスキャンに必要なものが見つかりません。
きちんと探せばどこかにあるのだろうけど、だんだんと人も増えてきて、探せる状況でなくなってきました。

「また明日、ゆっくり探そう」

そう思い、「いつもの場所」から帰ろうとする私に、彼の父が一言。

「できそう?」

「………。写真、借りていきます」

寂しさを帯びた「彼の父」の表情に、なんとしてでも今日中に更新しなきゃと思い、頭のなかでありとあらゆる方法を考えました。

………。
あ…、できるかも。

まだ試したことのない方法を思いつき、さっそく準備。
意外と簡単に、そして無事に「彼」の写真をスキャニングできました。

「いつもの場所」に戻り、さっそくトップページを更新。

「彼の父」がとっても喜んでくれたこと、「彼の母」が「ありがとうね」と背中ごしに言ってくれたことが、とてもとても嬉しくて。

明日にしなくて、よかった…。

そんなわけで、今日からサンタクロースの彼が、とあるホームページのトップを飾っています。
彼の「あふれる愛」が配達されるのは、やはりクリスマスなのでしょうか。
「心の煙突」を掃除して、待っているとしますか。

おやすみ。


*業務連絡
トップページ、ちょっと不具合があるので、また直しておきます(汗)


2003年12月01日(月) 親子電話

NTTがまだ「日本電信電話公社」だったころ。
家庭の電話は「黒電話」で、公衆電話は3分10円の「赤電話」。
電話の着信音も、まさに「ベル」。
リーンリーンと音の調整もできず、その大きな音に驚いていました。
そんなころ。

なんと我が家の電話は、1階と2階の「親子電話」でした。
親の仕事の関係で、電化製品はまだCMもしていない最新式のものが我が家にはありました。
ビデオやホットプレート、ポケットベル、携帯電話に家庭用フライヤー、食器乾燥機…。
今では家庭にあって当たり前のものばかりですが、当時は見慣れぬ電化製品でした。
携帯電話なんて、自宅のアンテナから2キロ以内でしか通話はできませんでした。

さて、その「親子電話」。
まだ幼稚園に入る前の私が、1階の部屋で遊んでいると、フォンフォンと電話がなりました。
そう、電話の音はリーンリーンではなく、プルルルル。
親子電話の呼び出しは、フォンフォンと、耳にも心臓にもやさしい音でした。
でも、親子電話がついたばかりだったため、私には音の違いがわかりません。
ホンモノの電話に出たこともありません。
なぜかそのときは、母にせかされて、電話に出ました。

「もしもし」

おもちゃの電話で覚えたとおりの電話のあいさつをすると、なんと受話器から父の声が。

「もしもし。元気にしてる?」

風邪をひいたため、幼い兄と私からは「隔離」されてしまった父。
それでも子どもたちと話をしたかったのか、電話で親子の交流。
まさに「親子電話」です。

子ども心にも、「風邪をひいて父は寂しいんだ」ということがわかり、しばらく電話におつきあい。
テレビで覚えた歌を歌ったことを覚えています。

この最新式だった電話は、いつしか旧式になり、そして、思い出たっぷり詰まった「家」に、やはり昔は最新式だったそのほかの家電といっしょにそのままおきざり。

「長い間、ありがとう。さようなら」って、あの日、「親子電話」に言ったかな。

おやすみ。


2003年11月30日(日) スピーチ

最近、このネタが多いのですが、またしても新卒のころの会社の話。
実は11月は、私がこの会社を1年休んだきっかけになった月。
今月は、実によく当時のことを思い出しました。

さて、その会社の話。
毎朝、朝礼があったのは、2〜3日前に書きました。
私はこの朝礼が大きらいでした。
毎日、1人ずつ順番に前に出て、朝礼の進行をします。
今日の日付を言って、それから簡単なスピーチ、ラジオ体操などをしなければいけません。
スピーチは、「ほかの社員の情報になること」や「日々の営業で感じたこと」、このほか「個人的な話(休みの日のことなど)」を、短い時間のなかに起承転結をつけて話さなければいけません。

もちろん順番は決まっているので、事前に準備ができるのですが、それでも40人の先輩の前で話すのは緊張します。
朝礼のあとで、上司や先輩がこっそりと感想を言いにきてくれたり、話しかたの癖を指摘されたりします。
だから余計に緊張するのです。

感想はともかく、私がよく指摘されたこと。
「自分にいい聞かせるように、うなづきながら話す」
「要点までの前ふりが長い」
「話したいこと全部を話そうとする」

今もその傾向がありますが、その朝礼で指摘されなければ、いまだに気づいていなかったでしょう。

たった5分弱の朝礼。
いろんなことを学びました。
またおいおい話すとして、おやすみ(?)。


2003年11月29日(土) あわてた結果

とうとう先日、車を擦ってしまいました。
助手席側のドアの下。

とある駐車場から出すときに、下のほうにブロック塀があるのを知らなかったのと、かなり左寄りに駐車していたためです。
発進して、左にハンドルをきって公道に出ようとしたところ。

「ガリガリっ!」

自分でも、目がまんまるになったのがわかるくらい驚きました。
少し慌てていたのと、よく確認しなかったのが悪いのです。

車を擦ったのはこれで2度目の経験。
最初に擦ったのは、新卒のときです。
ペーパードライバーだった私でしたが、週に1〜2度、ハイエースで荷物を搬送しなければいけません。
「マニュアル、重ステ、コラムシフト」の廃車寸前のハイエース。朝のラッシュを避けて裏道のさらに裏道を通るため、車1台通るのがやっとの細い道を抜けていきます。

その日はいつもより多めの配達に時間がかかり、ちょっと慌てていました。
いつもの細いクランクにさしかかったところで、「ガリガリ、ガリ!」。
右側の後部座席のドアが、電信柱にぶつかっていました。
生まれて初めて車をぶつけたことと、その音に動揺した私は、早くその電柱から遠ざかりたいばっかりに、思い切り前進。

結果は………。

営業所に帰って上司に報告。
しょんぼりしている私に上司は一言。

「何かにぶつかったときは、あわてずゆっくりバックするんだ。バカ野郎」


一昔以上経った今、その言葉を思い出し、子どもたちが興味深げに見つめるなかをゆっくりとバック。
今度はハンドルを右に切って、違う出口に向かいました。

こういうときは、あわてずさわがずジタバタしましょう。


2003年11月28日(金) 急な呼び出し

急に呼び出しがかかり、打ち合わせに行ってきました。
仕事があるのはいいことだ。

おやすみ。


2003年11月27日(木) 叱ること

新卒で入った小さな食品メーカーにいたころ。
毎日、朝礼がありました。
始業時間は8時45分。でも、朝礼は8時40分から始まります。
だから、朝礼が始まるまでに出勤しなければいけません。
逆に、朝礼にきちんと出ると、遅刻はしないということになります。
もちろん、朝礼の席に遅刻すると、上司からこっぴどく叱られます。

新入社員は、7時半ころから来て、駐車場の掃除をしなければいけません。
朝の弱い新入社員。
でも、1時間以上早く来ることで、遅刻はぜったいしません。
そしてもちろん、掃除の時間に遅刻すると、先輩からこっぴどく叱られます。

「遅刻」には、かなり厳しい会社でした。
始業ギリギリに出勤しても叱られていました。
最初は理不尽な会社だ、と思っていたけれど、1年経ち、後輩ができると、なんとなく「あのとき、なぜ叱られたのか」がわかってきたように思います。

そして私も後輩に同じことを言っていました。

「誰からも叱られなくなったら、見放されたと思え」

「叱られる」って、そのときは「なんでこんなことで叱られるんだろう」と腹を立てたり、むしゃくしゃしたりするけれど、「叱る」人にはちゃんと「叱る理由」があります。
「叱る」ことはとってもイヤなことだけど、叱らないと、後輩は成長しないんだな、「叱る」って「愛」なんだな、とひとつ下の後輩ができたときに気づきました。

最近は、他人から「叱られることに慣れていない」世代が増えてきています。
だから、頭ごなしに叱ると、それだけで会社を辞めたり、体調を崩したりする人がいるそうです。
叱り始めると、話しをかえようとする人もいます。
理不尽だと、言い返す人もいます。

その「理不尽さにも意味がある」ことに気づく前に、会社を辞めないでほしいな、とよく思うのでした。

そんなところで、おやすみ。


2003年11月26日(水) 忙しい月末

今月末もまた忙しい。
あ〜、忙しいっ!


2003年11月25日(火) 気の持ちよう

寝る場所と仕事する場所が同じところにあると、ほとんど外に出なくなります。
〆切前は、ほとんどこもりっきり。
誰とも口をきかない日もあります。

これでは不健康だ!と思い、最近は、企画など頭のなかで考える仕事は、気分を変えて近くのファミリーレストランで仕事をするようになりました。
車も止められるし、何時間いても文句を言われません。
持ち前の集中力で周りの音も気にならないし、一息入れたいときは、ドリンクバーでコーヒーとかオレンジジュース。

といいつつ、やはり滞在時間は2時間くらいが限度です。
限度というより、ある程度、煮詰まってくるとパソコンが必要になってくるからです。

それでもこのちょっとした気分転換で、仕事の効率がアップしたように思います。
(思うだけ)

以前、こんな話しを聞きました。

「人は、3つのグループを持っているといい。たとえば、ひとつは会社、ひとつは家庭、もうひとつは、遊びやけいこごとなどの仲間」

会社や学校と家との往復だけだと、どこかで窮屈さを感じるようになるそうです。
ひとつだけでも「寄り道」できる場所や仲間をつくることで、ストレス発散にもなるとか。

今の私は、そういう場が3つあるのかな。
仕事する場所も住む場所も仲間のいる場所もすべてが同じ場所にあるような気がします。

それはそれで、私としてはなぜか楽しい。
すべては気持ちの持ち方ひとつ、ということで。
おやすみ。


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