紫
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次の旅は、九州。
そう決めてから1年経ちます。
が、まだ行っていません。
時間があると、お金がなく、お金が入ると時間がなさすぎて、なかなか「旅」そのものにたどり着けません。
九州のどこに行きたいかというと「高千穂」。
それから、時間があれば、九州を一周したい。
そんな予定をたてて1年。
長く旅をしようとしているから行けないだけで、1点集中すればすぐにでも行けるのですが、やはり「もったいない」という気持ちが生まれます。
でも、最近は短期で安く楽しく旅をする、というのを目指しているので、そろそろ高千穂、行ってもいいかなぁ、なんてのんきに思っています。
10月まで仕事で忙しいっていうのにね。
予定は未定。
夢は、夢。
計画だけで、楽しんでいます。
疲れた。
おやすみ。
飲みに行く店選びは、慎重にします。
なんといっても、その日の終わりを楽しく過ごせるかどうかを左右する大事な場所です。
初めて入る店は、宝くじを買うような気分で入ります。
はずれて、もともと。
店に期待して入ると、はずれたときのショックが大きいからです。
初めて入る店で、重視するのはやはり店構え。
昼間、店が閉まっていても「あ…、ここで飲んでみたい」と思う店もあります。
飲む店は、和食かパスタなどのイタメシが多く、気に入ると、足しげく通います。
飲む量が半端ではないので、3〜4回、通うと、だいたい覚えてくれます。
そうなると、だんたんと居心地がよくなります。
二度と来ないと思う店もあります。
店によっていろんな理由がありますが、だいたい共通しているのは「店主の話を押し付けられる」ことです。
店主との会話は、楽しいのですが、客の好みをさぐろうとするのではなく、好みを押し付けられることは、かなり疲れます。
今日、初めて入った店は、最初から最後まで、店主のうんちくを聞かされ続けました。
客の会話に入るのではなく、会話をさせない店。
あ〜、疲れた疲れた。
って、話は聞いていなかったけど。
だから、ビールで口直しをして寝ましたとさ。
そう、口直し。
おやすみ。
周知のとおり、よくお酒を飲みます。
最近は、あまり外で飲まなくなりましたが、会社勤めをしていたころは、ほぼ毎日、飲んで帰っていました。
飲む場所は、会社の近所ばかり。
約束して飲むのは、あまり好きではなく、会社の帰り道の途中に「飲む」という感覚で、当日、めぼしい人に声をかけます。
たとえばエレベータの中で会った人や、ちょうど私が帰る時間に帰り仕度をしている人、毎日どこかで飲んでいる人など、相手はあまり選びませんが、
一度、いっしょに飲んで「イヤだな」と思った人は、当然ながら誘いません。
かける言葉もだいたい決まっています。
「きょう、まっすぐ、帰るの?」
こういうと、私を知るだいたいの人が、「行きましょうか」とか「1時間だけですよ」とか「今日は、どうしてもダメなんです〜」「きゃ〜っ!つかまった〜」などの返事をしてくれます。
いい仲間です。
「きょう、まっすぐ、帰るの?」
と言える環境を作るために、1年ほどかかります。
じわじわと周囲に「酒飲み」ということを浸透させていきます。
いきなり知れ渡ってしまうのは、好ましくありません。
いきなりだと、イヤな相手の飲みの誘いを断りにくいからです。
じわじわ、じわじわ、と全体に行き渡ったころには、私も「この人とは、こんな話がしたい」「あの人とは、こんなお酒が飲める」など、頭のなかにリストができあがっています。
最近は使わなくなったこのリスト。
もちろん、非売品です。
私信日記で失礼します。
今日の誕生花。
・月下美人(げっかびじん);Dutchman's pipe cactus
花言葉は、艶やかな美人・デリカシー
・ベルガモット(松明花);Bergamot
花言葉は、感受性豊か
・ゆりの木;Tulip-Tree
花言葉は、田園の幸福
・合歓木(ねむのき);silk tree
花言葉は、歓喜
合歓の木だって。
お誕生日、おめでとう!
会社に入りたてのころ、上司や先輩に叱られるのが、いちばんイヤでした。
そりゃ当然。
だれでもきっとイヤでしょう。
でも、私の入った会社は、仕事以外のことも叱ります。
たとえば。
「今朝は、朝ごはんは食べたか? 何、食べてない? なっとらん!」
「いつも何時に寝るんだ? え?1時? もっと早く寝ろ!」
「日曜日は、何をしていた? ん? 寝てた? 洗濯くらいしろ!」
会社に入って、3カ月くらいは、ノイローゼになりそうでした。
なんでそんなに私生活について注意されるのか。
どうでもいいじゃないか。
極めつけは、引越し。
お風呂のない部屋に住んでいた私は、会社から「風呂付きの物件に引っ越すように」と言われていました。
もちろん、補助は出ます。
ようやく、気に入ったところを見つけて、会社に申請を出して引っ越す前日。
「お前、明日、引っ越すのか! なんで言わない? 誰も手伝いに行ってなんかやらねえぞ!」
引越しで、うきうきしているところに、なぜ、そんな気分の悪いことを言われるのか、わかりませんでした。
第一、手伝ってくれなんて言ってないのに。
そのあと、しばらくしてから、その理由のほとんどのことを、自分で学ぶことになります。
朝ごはんを食べるということは、その日1日の営業活動の力になります。また、お味噌汁を食べることで、自分の仕事にもつながります。
何時に寝たかというのも、車で営業をしている毎日。寝不足は、事故のもとです。
休みの日の干渉も、親から子どもを預かっているため、きちんとした社会人に育てないと…という、昔ながらの気質から出た言葉。
反発はしたけれど、今は、あのときに「余計な干渉」をしてもらってよかったと思います。
だから、私も、たとえ嫌がられようとも、言うようにしています。
引越しの件は、つい最近まで、よくわからなかったけれど。
最近になって、こう思うようになりました。
ホントは、引越しを手伝いたかったわけではなくて、「礼節」を教えたかったんだな。
「一言」の大切さ。
たとえば、私が、「今度、引っ越します」という一言。
「ありがとう」の一言。
「行ってらっしゃい」と言えば、「お帰りなさい」と言える日を待ち望む一言。
この会社を辞めてから、この「一言」の重さを感じるようになりました。
古臭いかもしれません。
たとえ、古臭くても、大切にしなければいけないことだと思います。
礼節を忘れず。
面倒だけど、その一言が大事。
会社にいたころは、私なりに嫌がられながらも、ずっと言い続けてきました。
私生活にも、ずいぶんと口を出しました。
嫌がられても、いつかわかってくれるときがくる。
そう思っていたのは、単なる理想だったでしょうね。
おやすみ。
そろそろ花火の季節も終わり。
今年は、わが町の花火を見られてよかったです。
お盆の送り火のひとつとして、全国各地で開催される花火大会。
明日(16日)で、ほとんどの花火大会が終わります。
この花火、もともとは、イギリスから伝わってきたものらしいです。
今のような打ち上げ花火の形になったのは、19世紀になってから。
江戸時代ですね。
ところで、花火が上がると「たまや〜」「かぎや〜」と言います。
なぜか、ご存じですか?
実はこれは、花火屋さんの名前です。
江戸時代の豪商たちがスポンサーとなり、鍵屋さん、玉屋さんに花火を打ち上げさせたとか。
その花火の見事さに、江戸の町民が「かぎや〜」「たまや〜」とはやし立てたのでしょう。
江戸時代には、たったの20発だった花火が今は2万発。
PLの花火は、12万発。
「かぎや〜」「たまや〜」というのも、疲れますね(言わないけど)。
祖母と暮らし始めて初めての夏。
仏壇をきれいにしている祖母の姿がありました。
そのときは、掃除をしているだけだと思っていましたが、その数日後。
部活から帰ると、お坊さんが仏壇に向かって、お経をあげていました。
「あ…」
という私に祖母は手招きで、
(ここに座りなさい)
と言いました。
祖母の隣に座って、お坊さんのお経を聞きました。
祖母は暗唱していました。
私が14歳のときに亡くなった祖父は、こうして毎年、この時期に、ここに帰ってきているんだ、ということを、その日、初めて知りました。
それから、そのお坊さんは、祖母のつくるそうめんを食べ、そして少し田舎の話をし、祖父の子どものころの話をして、帰りました。
そのお坊さんは、祖父の幼少期からの親友で、祖父が亡くなる前に、祖父に「亡くなってからの地位」を与えてくれたそうです。
死んでからも「地位」があるのか…と、祖父のお葬式に思いました。
その地位のおかげで、葬儀屋さんの応対も、お坊さんの袈裟の色もずいぶんと違ったようです。
死んでからも「地位」があるのか…と、そのときはなんともムショウにやりきれない思いがしたのを覚えています。
それでも、あとで、よくよく話しを聴くと、その「地位」は、祖父の友の贈り物だったことを知りました。
プレゼント。
自分にしかできないプレゼント。
そのプレゼントを贈ってくれたお坊さんが、数年前に亡くなりました。
それと、ほぼ時期を同じくして、祖母の痴呆が、ひどくなりました。
それ以来、母が仏壇の周辺のいろいろをしています。
祖母といっしょに住んだ数年のあいだに、いろんなことを吸収しておけばよかったな、と思います。
中途半端に、おやすみ。
オリンピック、いよいよ開幕です。
今年は、どんなオリンピックになるのでしょう。
いろいろとトラブルはありますが、楽しみなのは、楽しみです。
「オリンピック」を意識したのは、小学校1年生くらいだったでしょうか。
しかも冬季オリンピック。
クラシックバレエをしていたせいか、フィギュアスケートも好きだった私。
その華やかさ、ダイナミックさに見入り、「いつかフィギュアスケートを習いたい」と思いました。
その思いは、それから8年後に果たされます。
このオリンピックでも、子どもが純粋に「夢」持つことのできるような大会になればいいなと思います。
オリンピック。
出場選手だけでなく、私にとっては、「夢」を持ち続けることの意義を教えてくれた大会といえます。
おやすみ。
京都の鴨川沿いにずらりと並ぶ納涼床は、江戸時代から始まったそうです。
盆地ゆえの夏の暑さを少しでもすごしやすくするため、裕福な商人が始めたとか。
京都の山と月明かりと、川のせせらぎを楽しみながら、お茶を飲む。
さぞかし風情のある夏の風物詩だったことでしょう。
今は、電灯のあかりで京の山々も月明かりもよくわかりません。
川のせせらぎも、にぎやかすぎて聞こえません。
それでも、水面を渡る風は、肌に感じることができました。
そう、今日はいつもの仲間の会合で、京都の床料理に行きました。
不景気な世の中になったおかげで、以前は足を踏み入れるのも憚(はばか)られた先斗町(ぽんとちょう)は、今は、若い人をターゲットにした値段設定の店が増えてきています。
床料理も然り。
料理だけで3500円のコースは、けっこう満腹。
十数人で飲み食いして、ひとり6000円ほどでした。
安価でぜいたく。
仲間との楽しい会話に、京都の夏をおおいに楽しんできました。
この納涼床は、9月30日まで。
イタリアンやフレンチの床料理もあるようですが、やはり京料理・豆腐料理がいちばんでしょう。
でも、店員さんの接客がイマイチだったのが玉に瑕(きず)、ですね。
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