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2004年08月31日(火) 夏休み

高校3年生の夏休み。
「最後の夏」ということを意識はしていなかったけれど、3年間でいちばん遊んだ夏休みだったような気がします。

1年生のころは、近所のラーメン屋さんでアルバイトをしてひと夏を過ごしました。
おかげで、ギョーザを食べられるようになりました。

2年生のころは、部活でほぼ毎日、学校に行っていました。
ハードな練習も、仲間といっしょに乗り越えました。

3年生の夏は、受験生の夏。
毎日、勉強をしていました…と言わなければいけないのですが、休みの日も部活一筋だった反動か、思い切り遊びました。
山、海、プール、湖、友の田舎。
もちろん、その合間には学校に行って、受験勉強もしていましたが、夏休みが終わるころには、真っ黒になっていました。

9月1日、担任の教師が開口一番に言われた言葉。

「…お前、受験勉強はしなかったのか」

誰からみても、ひとめでわかるほどに、遊んだ夏休み。
高校生活で最後の夏は、そうして終わっていきました。

いい夏だったな。


2004年08月30日(月) 大型すぎる台風!

夜中に近い時間になってから、台風がやってきました。
今、ごうごう、とうなり声を立てています。

ちょっと、怖いです。
でも大丈夫。

なんども、この怖さをひとりで乗り越えてきました。

大丈夫。

おやすみ。


2004年08月29日(日) お買い物デー

日記を、書き損ねると、もう書きたくない。

でも、きょうは、楽しい1日だった。


2004年08月28日(土) 短い日記

台風が、来る、来る、といいながら、きょうも晴天に近い1日でした。

今年は、ホントに台風が多いですね。

きょうは、きょうで、おやすみ。


2004年08月27日(金) ふらの

21歳の夏、富良野に約1カ月、住んでいました。
ラベンダーと朝霧と、毎晩の焚き火。

………。
きょうは、時を違えて同じ場所にいた友とおしゃべりしました。
富良野で会ったことはないけれど、「あの場所のキッチン」から見える「十勝岳」を知っている友。

いろんなことをイッキに思い出して…。
おやすみ。


2004年08月26日(木) ………。

きょうのこと?
もう忘れたよ。
ふ。


2004年08月25日(水) 映画を観た

水曜日は、女性サービスデー。
ということで、『誰も知らない』を観に行きました。
8月が終わったら、ふらりと行こうと思っていたのですが、きのう、友に誘われて観に行くことになりました。

おとなの腹立たしい部分はまったくなく、子どもたちがいかに生きていくのかに焦点がしぼられていたように思います。
実際にあった話とか。

確かな感想はあるのですが、多くは語らず。

今、彼らはどんなおとなに成長しているのでしょうか。


2004年08月24日(火) 詰まってきた。

さて、がんばろう。


2004年08月23日(月) 映画

学生のころ、映画の日に3本の映画をはしごで観たことがあります。
何を観たのかはもう覚えていないけれど、3本目はけっこう疲れていました。
でも、楽しかった。

ビデオを買ってから、毎日3本ずつ、ビデオを借りていました。
うれしくて、毎日レンタルビデオ屋さんに通っていて、気になる映画はほとんど観たように思います。

ホントに映画三昧の毎日でした。

今は、あまり映画を観にいかなくなりました。
以前は、ひとりでちょこちょこと映画を観ていたのですが、今は、大阪の映画館に慣れていないから、というのが大きな理由です。
それから、時間がないこと。
家から映画館まで遠いこと。

最近は、家につながっているケーブルテレビで、映画を観ています。
字幕スーパーで、のんびりと観られて、けっこういい映画もしています。

学生時代は、映画サークルにも籍を置いたことがある私。
今、ほとんど観に行かないのが不思議なくらいです。

そろそろまた、映画熱を復活させてもいいかな。

とりあえず、オリンピックが終わってから。
テレビの取り合いなんて、イヤだしね。


2004年08月22日(日) 義務

父の、11人兄姉のすぐ上の兄が亡くなりました。
ずっと癌をわずらっていて、入退院を繰り返していたとか。
10番目に生まれたから、「米十(よねと)」と言う名をもつその叔父は、初めて会ったとき、幼稚園児だった私を、とてもかわいがってくれました。
父とよく似た表情をするその叔父。

昨夜未明、亡くなりました。

深夜3時くらいの鳴った電話。
父が、

「そうか…。長いこと、生きたなぁ」

と言って電話を切りました。

そのあと、母が起きてきて、父から訃報を聞いて言いました。

「長いこと、生きはったなぁ」

同じことを言う両親。
この二人には、私の知らない歴史がたくさん詰まっていて、これからも「夫婦」としても歴史を積み重ねていくんだろうな、と、同じことを言う両親に、思いました。

両親を客観的にみることは、一家離散をしたころからの癖かもしれません。
理由があり、一度、理由あり離婚し、「子ども」を手放した両親とはいえ、今は、がんばっていろんなことをやりなおしている両親。

子どもとして、親へ恩返し。
でも、恩返しは、けっして「義務」ではありません。


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