紫
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人と話すとき、私はあまり口を大きく開けません。
だから、聴力障害者には申し訳ないのですが、おそらく読唇術は使えないと思います。
口を大きく開けずに話す癖を、ときどき人から指摘されます。
そのときは、「父が東北人なので」ということにしています。
東北の人は、寒いからあまり口を開かずに話す。
そんなことを聞いたことがあるし、実際にそうみたいです。
だいたいの人は、それで納得してくれますが、実は、学生時代までは、ふつうに口を開いて、話していました。
では、いつからあまり口を開かなくなったのでしょう。
いくつかのきっかけが、あります。
まず、最初のきっかけは、社会人になって、車で営業をしはじめたとき。
車のなかで、得意先の人との話し方をひとりでシミュレーションをしていました。
「まいど〜」の言い方まで、練習しました。
それから、注文をとるまでの「話術」も練習しました。
その練習のときに、車のなかでひとりでぺらぺらしゃべっているように思われたくなくて、口をあまり開かずにしゃべっていました。
この練習が功を奏したかどうかは、わかりません。
2つめのきっかけは、社会人になって初めて、課で暑気払いがあったとき。
二次会のカラオケでは、まずは新人から歌を歌わなければいけませんでした。
何をするにも、新人から…という昔ながらの社風の会社。
得意先との接待でも、やはり歌は「若い人から」という風習があります。
もちろん、歌わなければ叱られます。
ただ、音痴な私は、人前で歌うとますます音痴になってしまいます。
その暑気払いの前日、一生懸命、車のなかで歌う練習をしました。
その練習のときに、車のなかでひとりで歌っているのが恥ずかしくて、口をあまり開かずに歌っていました。
この練習が功を奏さなかったことは、間違いありません。
それから、あまり口を開かずに話す癖がついたように思います。
きわめつけがその数年後。
「2001年宇宙の旅」という映画を観たとき。
コンピュータのHALが、乗組員の口の動きを読んで、秘密の話を知り、次から次へと乗組員を殺していく、という場面があります。
あのとき、口を動かさずに腹話術のように話していたら、HALは、読唇術が使えずに、無事にHALの動きを止めることができたのではないか。
………。
それから数年経ちますが、そろそろHALの動きを止められるようになっているかもしれません。
いえ、ホントは、ふつうに話したいのですが…。
おやすみ。
もうだめ。
もう、眠い。
日記、さぼり気味。
ま、こういう毎日も、いいよね?
やっと日記が追いついた。
バタンキュー………。
きょうは、おやすみ。
いいでしょ?
諏訪湖には、バイクでも車でも、何度も行きました。
身近なツーリングポイントでした。
諏訪湖から女神湖、ビーナスライン、白樺湖。
近辺のユースホステルに泊まって、情報交換。
当時は、温泉にあまり執着がなく、近辺にどんなにいい温泉があるかなんて、まったく知りませんでした。
火山のふもとです。
いい温泉がないわけ、ありません。
ということで、今回は温泉を堪能しました。
でも、最終日に入ろうとした温泉は、なんと「レジオネラ菌」が発生したため、営業停止。
その温泉は、「ハイウエイ温泉諏訪SA」。
そう、高速道路のサービスエリアのなかにある温泉です。
途中で高速を降りて、ほかの温泉に入る気力もなし。
のむヨーグルトだけ食べて(飲んで)、帰ってきましたとさ。
安曇野に住む友と、初めて会ったのは21歳のとき。
富良野の宿で、「ヘルパー」をしていました。
その友は、オフロードのバイクで富良野まで来ていて、ときどき、仕事の合間にふらりと出かけていました。
ある日。
帰ってくるのが、ずいぶんと遅いなぁ、と思っていたら、足をひょこひょこと引きずりながら、部屋に帰ってきました。
なんと、宿に入る前の舗装されていない道路で転んだとか。
じん帯が切れていて、そのまま1週間ほど入院。
退院後は、松葉杖をつきながら、ヘルパー業に専念していました。
そのときの事故がきっかけとなって、ブレーキのかけ具合や、急ブレーキのかけ方などを、練習しはじめたそうです。
彼女が、怪我をしているとき、もし、私にバイクの免許があったら、私がバイクに乗って帰ってあげられたのに…と、免許がない自分をとても悔やみました。
おそらく、それが、私が「二輪の免許がほしい」と思ったきっかけでしょう。
その年の秋。
無事、中型限定の免許を取得しました。
きょうは、そのときの友といっしょにお昼ご飯。
「林道で、自分の通ったあとの砂埃をバックミラーごしに見ると興奮する」
という彼女。
だから、人といっしょにツーリングに行くのは苦手だそうです。
誰かのあとを走ると、砂埃の中を走ることになるから。
久々に会ったけれど、21歳のころの彼女は健在のようです。
おやすみ。
朝、6時に菅の平バスターミナルに到着。
2時間ほど仮眠をしました。
8時に起きて、さて、はじまりです。
これから、2956メートルの木曽駒ケ岳に登頂です。
ロープウエイで2612メートルの千畳敷まで上がり、そこから残り300メートルを上ります。
先月、乗鞍岳に登った私。
同じ標高差300メートル。
けっこう楽かも…と思っていたのが大間違い。
木曽駒ヶ岳のほうが、かなりハード。
でも、途中、写真を撮ったり、景色を眺めたりしながら、自分のペースで登ったため、気分・体力的に今回のほうが楽だったように思います。
なんといっても、山頂付近で食べた塩ラーメンが、山の魅力をいっそう引き立てます。
いえ、この塩ラーメンが今回の「メイン」だったのでしょう。
実はこの塩ラーメン。
買っておくのを忘れて、ギリギリになってから町まで車を飛ばして、3キロほど離れたコンビニエンスストアで手に入れました。
いっしょに登った友とふたりで、昨日、作ってもらった大きなおにぎりを食べ、「おいしい。おいしい」と何度も繰り返しながら、ガスのかかった山頂で、のんびり休憩。
登山の醍醐味は、まだまだ知りません。
でも、少しだけ「アルピニスト」の気持ちがわかったような気がします。
夕方になってから下山。
温泉に入り、蕎麦を食べ、真夜中のおしゃべりを楽しんで。
旅。
いいすね。
ザックの中には、大きなおにぎりが2つ。
旅立つ前には、必ず作ってくれます。
いろんな人に見送られて、いざ出発。
たいそうですが、たったの2泊3日の旅のはじまりです。
さて、行き先は?
おやすみ。
もう何度も書いているけれど、大学に入って1年間、テレビがありませんでした。
だから、部屋にある音の出るものは、古いラジカセのみ。
ミュージックテープもあまりなく、もっぱらラジオばかり聞いていました。
高校のときも、あまりテレビは観なかったのですが、やはり音が出るほうに首を向けてしまう癖がついています。
ラジオで野球を聴いていて、急に盛り上がったりすると、その映像を求めてつい首をラジオのほうに向けてしまいます。
「あ、ラジオだ…」
この映像のないラジオの音に慣れるまで、しばらくかかりましたが、慣れると映像があることのほうが、ある意味、うっとうしく感じるようになりました。
1年経って、知人からテレビをもらってからも、あまりテレビは観ることはありません。
なぜかといえば、住んでいた部屋のアンテナが壊れていたようで、まったく映らなかったからです。
そんなこんなで、ますますテレビから遠ざかった私。
先日、明石焼き屋さんでラジオが鳴っていました。
ラジオ番組の内容が気になり、ふと映像を求めて店のなかを探していました。
テレビをほとんど観ないとはいえ、やはりテレビって私のなかに溶け込んでいるんだなぁ、と思った瞬間でした。
この間の台風で、今まで見ないようにしていたいろんなものが見えてきたように思います。
こんな毎日は、もう終わり。
刹那主義は、どうあがいても、刹那でしかありません。
おやすみ。
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