不動産担保ローン チラシデザイン コンのみ日記
コンのみ日記
紫 |MAIL

My追加
目次過去の日記未来の日記


2004年10月11日(月) 訴え

忙しすぎる1日だった。


2004年10月10日(日) 1日目・箕面から忍頂寺。うっそうとした木立を歩く

8時に箕面(みのお)駅集合。
記念撮影をしたり、買い物をしたりと、トイレに行ったりと、各自いろんな準備をすませてから、いよいよ出発です。

きょうから、「東海自然歩道」を、何日か小分けして東京の高尾を目指します。

箕面川に沿って整備されている「滝道」のゆるい上り坂をてくてくと行くと、箕面の滝に到着。
整備された観光道路という感じでした。

しばらく休憩したあと、車のびゅんびゅん通る道路を通り、サルのふんをよけながら歩き、箕面ビジターセンターに出ます。
実は、「東海自然歩道」は、このビジターセンターから始まります。
ビジターセンターで、東海自然歩道の地図を購入。
京都の高尾までのルートが乗っています。

ようやく山道に入りました。
ここから、最勝ケ峰に向けて、標高差250メートルをイッキに登ります。
さすがに息切れ。
途中のベンチで休んでいると、なんとマウンテンバイクのおじさんたちが、5人。
自転車を抱えてやってきました。
しばし、談笑。

「それじゃあ、また」という感じで、去っていきました。

なんとなく、旅の途中、のような感じがして、気持ちがよかったです。

それから、またひたすら歩きます。
勝尾寺(かつおうじ)の鐘を聴きながら、ひたすらてくてく。

山道だったり、車道に出たり。
民家のあいだを抜けたり、田んぼの側道を通ったり。

いろんな道に出会いました。

そろそろ歩くのに飽きてきたー、と思ったところで、遅めの昼食。

おにぎりと塩ラーメン。
野菜とウインナー入りの塩ラーメンは、かなりおいしかったです。

そして、15時半。
とうとう茨木市の忍頂寺(にんちょうじ)のバスターミナルに到着!
約7時間の歩きでした。

旅の様子は、写真日記で公開しています。
トップページ→The CONTACT →旅 → 東海自然歩道の旅にあります。

次回は、忍頂寺から高槻市の摂津渓を過ぎたところまで歩きます。


2004年10月09日(土) 東海自然歩道の旅

以前も書きましたが、いよいよ明日から「東海道の旅」の始まりです。
正確に言えば、「東海自然歩道」の旅。

アスファルトと排気ガスの1号線をのぼるより、自然のなかを歩こうと、企画を変更しました。

19歳のときに思いついた目標を、十年以上経った今、始めようと思います。
当時は、夏休みを利用して、イッキに京都まで行こう、と思っていましたが、今は、そんな気力も体力もありません。

何日かに小分けして、歩きます。
1日に4〜6時間。
無理はしません。

さて、何年かかるのでしょうか。

旅の様子は、写真日記で公開予定です。
トップページ→The CONTACT →旅 → 東海自然歩道の旅にあります。

とにかく明日。
いよいよスタート!


2004年10月08日(金) 日記

ためてても、どうせ書けないので。

おやすみ。


2004年10月06日(水) 平凡

「ガラスの仮面」という少女漫画があります。
美内すずえさん作で、「はなとゆめ」という漫画雑誌に連載されていました。

私が幼稚園くらいから高校1年生くらいまで、ずっとずっと、単行本を集めていました。
たぶん32巻くらいまでは持っていたように思います。
1巻はたしか320円。だんだんと値上がりして、だいたい360円に落ち着いていました。
今は、1冊410円もするようです。

ひとりの平凡な少女が、すばらしい役者に成長していく物語。
いまだ、完結していません。

ただ、この物語に影響されて少女時代を過ごした人は、かなりの数だったと思います。

かくいう私もそのうちのひとり。
小学校のときから、クラスの芝居で何かしらの役を演じ、中学校に入ると、俳優養成所に通いました。

ただ、私には、「ガラスの仮面」の主人公・北島マヤのような隠れた才能と役者魂は皆無に等しく、ときどき、養成所の窓の外を歩く時代劇役者さんを見つけては、満足していました。

「なんのとりえもない平凡な私が……」

これは、北島マヤの口癖のようなセリフです。
北島マヤは、その才能を認められて、非凡になっていったけれど、私は「平凡」なまま、おとなになりました。

いや、なんでも「平凡」がいちばん、と今は、つくづく思っています。


2004年10月05日(火) 気合

さ、がんばろー。


2004年10月04日(月) け・つ

「てめえのケツくらい、オレがふいてやるから、思いっきりやってこい」

最初の会社に入ったとき、よく先輩に言われた言葉です。
かなり下品な言葉遣いだと、今、日記を書いていて思うのですが、当時は、とてもとても心強いセリフでした。

新人が失敗することなんて、今から思えば、たいしたことはありません。
たいしたことはあっても、上司がうまくフォローに入ってくれます。
だから、まさに怖いもの知らずで、思う存分、やっていたように思います。

「失敗したら、ケツまくって逃げてこい。あとのことは任せろ」

そんなセリフを背中に、仕事に出かけていた毎日。
当時の「男社会」のなかに、たった一人の女性営業として飛び込んだ私は、ある意味、かわいがられながらも、かなりひどい罵声を浴びながら、毎日を送っていました。
いえ、これは、私だけではなく、ほかの同期も同じ対応でした。

ただ、実際に失敗して逃げ帰った暁には、こんなセリフも。

「ばかやろうっ。それでのこのこ帰ってこられるな! 何を考えてんだ、てめえっ」

人に怒鳴られるなんて、高校時代以来。
ときには、理不尽なことで叱られることもありましたが、今、思えば、その上司や先輩のなかでは、一本、筋の通った理屈があったのでしょう。

部下を怒鳴る上司。
最近では、嫌われる上司の代表のようです。
叱り方、叱られ方を知らない世代が、増えてきたように思うのは、私だけでしょうか。

ただ、言葉遣いは、もう少しキレイなほうがいいとは思うのですが。

おやすみ。


2004年10月03日(日) ど・ぶ・ろ・く

「もしもーし、おう、ワシだ。久しぶりやな」

父が、岩手の兄弟に電話をしていました。
兄弟といっても、11人兄姉の末っ子。
私のいちばん年上のいとこは、母よりも年上です。

長男のお嫁さんにいじめられながら育った父。
いつもかばってくれた七番目の姉も父が子どものころに病気で亡くなったそうです。

そんな父の話を聞くのは、別世界の話を聞くようで、とても楽しみでした。
だから、父が岩手の方面に電話をしているときは、ついつい耳を傾けてしまいます。

「おう。元気か? ところで、ガンは大丈夫か?」

んん?
ガン?

「いや、兄姉がどんどんガンで死んでるだろ。なんだ? ガンの家系か?」

父は、わざわざそんなことを聞くために電話したのでしょうか。
最近、健康診断に行った父。
もしかしたら…。
いや、もしかして、もしかすると………。

母譲りの「心配性気質」な私。
でも、もしかして………。

「ガンって遺伝やって言うだろ?」

………あぁ…(どきどき)。

「ところでな。おまえ、知っているか? 『どぶろく』ってどうやって造るんだ?」

え(・_・)?

「このあいだ、娘がうまそうな新米を買ってきてな。それで、どぶろくを造ろうと思っているんだ」


……………、酒かいっ!

と、心のなかで突っ込んではみたものの、父が元気であったこと。
父が電話で聞いているレシピを、母が隣でメモしていたこと。
それから、両親が元気なことが、とてもとてもうれしく感じた一瞬でした。

どぶろく、もしかしたら来年あたりに「のみすけ日記」に載るかも?!


2004年10月02日(土) 目標

学生時代、「東海道五十三次を歩こう」という企画を何度も立てました。
東京の日本橋から京都の三条大橋まで。
ひとりで歩きとおす勇気はありません。
二十歳になる年、何人か友を誘いました。

が、「親に反対された」とか「絶対無理だから」という理由でことごとく断られ、結局、普通電車とバスを乗り継いで、3泊4日で京都まで帰る旅をしました。
これはこれで、また楽しい旅になったのですが、やはり最初に立てた目標は忘れることはありません。

大学4年生のとき、「自転車で東海道を下ろう」と中国人の友に誘われましたが、就職活動をするため、と、マウンテンバイクを買うほどの余裕がなかったため、実現できませんでした。

そんなこんなで、のびのびになってもう十年以上経った私の目標。

そろそろ、形をかえて、スタートしようと思います。
少しずつ少しずつですが、ゆっくりのんびりと、歩いていこうと思います。
いつ、スタートするかは、また追ってご連絡するとして、まずは、ひとまず。
おやすみなさい。


2004年10月01日(金) 一行日記

つかれたよぅ。


目次過去の日記未来の日記


紫 |MAIL

My追加