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2004年10月22日(金) たから・ばこ

我ながら、「思い出めぐり」の日記が多いと思います。
それを「日記」と呼ぶのか、「自叙伝」と呼ぶのかはわかりません。
でも、私としては「その日に思い出したこと」だから「日記」でいいと思っています。

子どものころの話を、ほとんど覚えていない、という人が多数、います。
幼稚園からの友に、幼稚園時代の話をしても、「はぁーっ?」って感じでみられます。
きっと、それが当たり前なのでしょう。

私は、なぜか子どものころの記憶が鮮明にあります。
おそらく、兄は私よりもいろんなことを覚えているでしょう。

「思い出めぐり」はとても楽しいけれど、ときどき、胸が「きゅうーーっ」となるときがあります。
それは、おそらく「思い出」が「宝箱」に入っていないからだと思います。

「宝箱」というものをつくってしまった私にも原因があるのでしょう。
でも、「何か」を乗り越える手段として、「宝箱」は私には、必要不可欠でした。

いつか、「宝箱」の話をしなくなる日がくればいいな、と思います。
そうすると「コンのみ日記」も、最終回を迎えるのかも。

まだまだしばらく、思い出めぐりにお付き合いください。

おやすみ。


2004年10月21日(木) 東塔

高校三年生のとき、学校をさぼって、祖母とふたりで奈良に出かけました。
日本史の先生の影響で、神社仏閣に興味のあった私。
地理感のある京都の社寺には一人で行っていたのですが、奈良に行くには勇気がいります。

当時、いっしょに住んでいた祖母を誘いました。
学校をサボる私に何も言わずに、「行こうか」と言ってくれた祖母。
本当は、どういう思いでついてきてくれたのでしょう。

なぜ、奈良に行きたかったかというと、薬師寺の東塔が見たかったから。
「凍れる音楽」とフェノロサが評した薬師寺東塔。
どういう意味なのか、確かめたかったから。

実際に見た東塔は、何が「凍れる音楽」なのかはよくわかりませんでした。
でも、祖母とふたりで、解説を読みながら、「うんうん、そうか」とまわった薬師寺を、私は今も鮮明に覚えています。
帰りのバスに、お土産のおまんじゅうを忘れてしまったことも…。

薬師寺、あれ以来、いまだ訪れず。
いつかふらりと、訪れてみたいと思います。


2004年10月20日(水) 懐中電灯

「停電、するかな」

夕食時に母にぽつり、と言いました。
暗闇の大嫌いな私。
停電は、「怖い話」より天敵です。

超大型の台風23号は、日本列島を縦断ではなく、すっぽりと丸のみしてしまいました。
18時ころに、泉佐野に上陸したとのこと。
わが家は大阪の北にあるので、それほど雨は激しくありません。
それでも、ときどきピカリと光る空を見ると、ほんのちょっと、ふ・あ・ん(不安)。


「はい、これ」

母が、赤くて大きな懐中電灯を出してきました。
それは、私が小学校のころに学校のキャンプに持って行って、クラスの注目を集めたあの懐中電灯でした。
テントのなかを昼間のように明るく灯してくれた懐中電灯。

今までも、キャンプをするたびに、赤くて大きい懐中電灯をよく思いだしていました。
暗闇を明るく照らしてくれたあの懐中電灯が、今、私の目の前にある。

昔、住んでいたあの「家」にあったものを見つけると、今も胸が詰まります。

 あの騒動のなか、よくいっしょに出てきたね。

なくしたものは、たくさんあるけれど、こうして今もいっしょに暮らしているものたちもたくさんあります。

停電しても、この赤くて大きな懐中電灯があるから大丈夫、ですね。

おやすみ。


2004年10月19日(火) 1行日記

どんより。


2004年10月18日(月) 結論

求めず期待せずって、慣れれば、いちばん楽なのかもね。


2004年10月17日(日) なまえ

幕末に大活躍した人物の一人に、西郷隆盛さんがいます。
現在の鹿児島出身の人で、江戸城の無血開城に一役買った人物です。
東京の上野公園に、西郷隆盛像があるのは、江戸を戦火から守ったからだとか。
彼が政府から退くと、多くの人が、彼のあとを追って政治から手をひいていったそうです。
情のあつい人柄に、多くの人が彼を慕っていたことがうかがえます。

きょう、国会生中継を観ていました。
政治については、大きな声では言えませんが、あまりよくわかりません。

時代には、時代のヒーローが必ずいます。
今の時代のヒーローは、いったい誰なのでしょう。

ということで、幕末のヒーローのひとり、私の好きな西郷隆盛さんをネットで検索。
なんと、「隆盛」という名前は、お父さんの名前で、役所に届けるときに間違えて記入し、お父さんの名前がそのまま息子の名前になってしまった、という記述を発見!

ヒーローは、ホントは違う名前だったようです。
こんな人、あの時代にはいっぱいいるんでしょうね。
ますます親しみが生まれましたとさ。

おやすみ。


2004年10月16日(土) 須磨アルプス

朝5時半に起きました。
手っ取り早く身支度をして、駅に向かいました。
きょうは、六甲山登山の日。
六甲全山縦走コースの3分の1(?)を歩きます。

集合場所の須磨浦公園駅で、きょうのメンバー4人が集合。
そこから、鉢伏山、旗振山、鉄拐山、高倉台、栂尾(とがのお)山、 須磨アルプス 高取山 鵯越(ひよどりごえ)まで、途中にあった「馬の背」をおっかなびっくり越えて、ときどき住宅街を通り抜け、階段の多い山道で息を切らし、いくつかのピークで達成感を味わい、少し道に迷いながら、あーだこーだと言って仲間と意見交換、そして、横一列に並んで食べた昼食。友がつくってきてくれた「フチャンプル」、それから心のこもった「手作りおにぎり」、そして「昔ながらのハンバーグ」。

秋晴れの高い空と、そよそよ秋風。

すべてが、「楽しい」という一言に尽きた1日でした。

有馬温泉の金の湯。
そして、湯上がりの生ビール。
最後は、かきフライとリゾット。

いい1日は、いい1日のまま。
おやすみ。


2004年10月15日(金) 2行でいい

あしたは、早い。
おやすみ。


2004年10月14日(木) 登場。

1日のオワリは、なんだかしくしくモードでした。
おまけに寒くて、ぶるぶる震えていて、このまま寝たら、すごくみじめな思いをするような気がしました。

ということで、小さな「シアワセ」を抱きしめて寝ることに。
ぎゅっ。
あったか〜い。

ということで、いよいよ登場。
「湯たんぽ」。
あぁ、懐かしい………なんて、寒がりの私は、今年の5月中旬くらいまで、湯たんぽを抱いて寝ていたから、それほど懐かしくはないはずです。

紅葉よりも先に、冬の風物詩を抱きしめて寝る。
1日のオワリは、こうしてあたたかくなりましたとさ。


2004年10月12日(火) たいへん

きょうも、朝から晩まで仕事をしていました。
なんだか、大変です(汗)。


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