不動産担保ローン チラシデザイン コンのみ日記
コンのみ日記
紫 |MAIL

My追加
目次過去の日記未来の日記


2004年12月01日(水) 最後の夜

なんだかんだと言っていた旅ももうそろそろオワリ。
明日の夜、フェリーに乗ります。
福岡か別府から乗ろうかと思っていたけれど、やはり最初に降りた土地をフェリーから見送りたい、と思い、宮崎から乗ることにしました。
となると、今日中に宮崎県内に入っておいて、明日はのんびり最後の1日を楽しみたい。
そういうことで、今日は九州で最初に泊まったユースホステル「高千穂ユースホステル」に向かいました。

とはいうものの、かなりの距離です。
急ぎ足で向かわねばいけません。
でも、途中で有田焼きの資料館で、これまた無料のガイドさんの話を聴きながら1時間半。
雲仙で陶芸家から教えてもらった話と、今日のガイドさんから聞いた話とで、焼きものについて、理解度が上昇。
とてもおもしろかったけれど、有田焼きを買うには資金不足でした。

そして、佐賀。
大隈重信記念館。
すごい人だったんだな、と思いました。

「人は学ぶことによって作られる」

心に残った言葉でした。
ここでも、1時間ほど時間がかかり、だんだんと手持ちの時間がなくなってきました。

でも、ここまで来たからには!と、吉野ヶ里遺跡へ。
無料ガイドの時間まで30分。
待っていられず、自分で回ることにしました…が、いや、広すぎる!
三分の一も見ることができず16時の閉館。
それでも、弥生人たちが、ここで村を作り、長(おさ)などの支配者を作り出し、近隣の村々と戦さをしながら、稲作を始めて子孫を残していったんだな、と思うと、わくわくしてきました。
歴史は、ホントにロマンです。

そしてやっと高千穂ユースホステルに向かいました。
真っ暗な山道を越えて、ユース到着が21時。
夕飯に入ったうどん屋の店主夫妻と旅の話で盛り上がり、時間ぎりぎりに温泉。

同宿の人と日にちが変わるまでお酒を飲み、わいわいと話をしました。
テレビを観ない私は、同宿の人たちの二人が、最近よくニュースに出ている人たちとはつゆ知らず。
それでも、イラクで今起こっていることや、テロリスト集団のことについて、これまで知らなかったことをたくさん聞いて、飲んで、しゃべって。

2時過ぎにようやく布団に入りました。
今日がいちばん、旅先らしい夜だったなぁ。


2004年11月30日(火) 雲仙から長崎。そして平戸。高速道路。

雲仙普賢岳。
近くで見れば見るほど、雄雄しい山でした。
普賢岳の噴火の様子を資料館のビデオで時系列に観ていきました。
リアルタイムでテレビでは観ていたものの、こうしてあらためて記録ビデオを見ると、噴火の恐ろしさと、被災者の感じた恐怖がよりいっそう濃いものとして伝わってきました。

「火山灰で夜よりも暗くなりました」

昨日の陶芸家の女性が言っていたことが、大げさではないことを知りました。

そんな普賢岳を背に、坂道を下りしばらく行くと長崎に着きました。
路面電車の走る街、長崎は、坂道とタクシーと、細い道路と、観光客。
そして教会。

どこかに車を停めてゆっくりしよう、と思ったけれど、あまりにも人が多いため、原爆資料館にのみ、立ち寄りました。
ここでも、戦争の悲惨さについて、原爆のおそろしさ、戦後の被害について、生々しい資料や写真から、再び戦争について考えました。

これだけ、おそろしい悲惨な体験をしているのに、どうして戦争は……。

知覧特攻平和館をあとにしたときと同じような気持ちになり、しばらくぼーっとしながら車を走らせました。

今日は、九州の西の端、平戸(ひらど)へ向かいます。
ぼーっとしていたためか、途中で道を何度も間違え、どうしようもなく高速道路にのり、無事に平戸ユースホステルへ到着。

きれいなきれいなユースホステルでした。
こんなところだったら、また来てもいいな。


2004年11月29日(月) 途中であきらめた九重山、そして雲仙普賢岳

九重の山に登ろう。
昨日の夜、思いました。登山グッズはすべてそろっています。天気も快晴。登山日和です。

ただ、九重の山に関する資料を見つけることができず、一抹の不安。
ユースホステルのペアレントさんは、気軽に行けるところだ、と言ってはいたものの、山をあなどるべからず。

「牧の戸」の登山口で、これから山に登ろうとしている60歳くらいの男性に声をかけました。

「これから登るんですか?」

気さくに九重の山について教えてくれて、最後に、「ぼちぼちといっしょに登りますか」とのお誘い。
嬉しくて「はい!」と言ったものの、まだ何にも準備をしていなかったので、後で追いかける、ということになりました。
トレッキングシューズに履き買え、ザックを整理して九重に登り始めました。
登り始めは、急登でしたが、道が整備されているので、さくさくと登ることができました。
息を切らしながら、どんどん進んでいくと、私の苦手な岩場が出てきました。それでも、少し慣れてきたのか、けっこうすいすいと岩場を登っていきます。

岩場を登りきったところで一息ついたと同時に、弱いほうの右足に痛みを感じました。
うわっ、なんでまたこんなときに…と思いましたが、仕方がありません。
この先、進むかどうか迷いに迷ったすえ、戻ることにしました。
誰かといっしょなら、これしきの痛みは、不安を感じることなく登っていたのですが、やはり一人。
山登り初心者の私は、好奇心よりも、「もし、何かあったら…」という気持ちのほうが勝っていました。

降りる途中、いつの間にか追い越していた60歳代のおじさんとすれ違いました。もう一度、おじさんに着いて登ろうかと思いましたが、気持ちはもう降りる方向へ向かっていました。
車に着いて、トレッキングシューズを脱いで、しばらく車で足のマッサージをしながら、今回の旅について考えました。

「北海道が一周できるんだったら、九州だって一周できる」

そんなことから、九州の旅を計画しはじめたことを思い出しました。
山は、また違うときにくればいいか。
そう思うと気持ちが軽くなりました。

温泉「竹ふえ」で、「山登り」の疲れを癒し、再び九州一周の旅を始めました。
まだ正午前。
阿蘇から熊本まで2時間ほどなので、先日、渡れなかった島原に渡ることにしました。
熊本からフェリーに乗って、阿蘇に着いたのが15時くらい。
そのまま、雲仙普賢岳で宿を取りました。

雲仙焼きという窯元を尋ねて、そこで焼き物についていろいろと聞きました。
ホテルの温泉に入り、豪華なベッドですやすやと眠りました。

おやすみなさいませ。


2004年11月28日(日) 別府堪能。フェリーの見送り

まず、泥湯に入りました。
泥湯、初めてです。
1時間に一回、泥をかきまぜてくれます。
そして静かに静かに入り、熱くなったら静かに上がって、ベンチで泥を乾かします。
泥が乾いたら、また静かに湯船に入ります。
そして乾かす。

この繰り返しでした。
毎週通ってきているという福岡の女性が、入り方を懇切丁寧に教えてくれます。
こうして、常連の人がいろいろと教えてくれるので、けっこう楽しく入ることができました。
もちろん、体も髪の毛も洗えませんが、体が芯からぽっかぽか。

ぽかぽかしたまま、昼食の地鶏屋さんに向かいました。
知る人ぞ知る地鶏屋さん。
私は肉が苦手なので、やまめを食べました。
おいしかった。

そして、これまた隠れた湯「塚原温泉」でもう1湯。
酸味のあるつるつる温泉。
温泉の沸き出る山を散策したあと、別府に戻ってこれまた「堀田温泉」。
あぁ、もう体がふやけまくり。
気分もふにゃふにゃ。
極めつけが夕飯の回転寿司。
いつも2人で分けながら食べて4〜5皿なのに、きょうはあまりにもおいしくて10皿も食べてしまいました。

そして、再び別府港。
19時半発のフェリーに乗り込み、大阪に帰る友たちを見送ります。
フェリーでの見送りは、小樽の港で慣れているけれど、夜の港は初めてです。
大声で「行ってらっしゃい」と叫ぶと、「行ってきまーす」の声が返ってきました。
歌でも歌おうかと思ったけれど、ギターがないのでやめました(笑)。

遠くなる友の影にいつまでも手を振ります。
頭のなかには、もう歌われなくなった歌が、自然とメロディを奏でていました。

「♪君の出会った旅人は、ステキな奴だったかい?」

そんな歌詞を思い出しながら、今日も別府ユースホステルに泊まりました。
明日から、また一人旅の再開です。


2004年11月27日(土) 由布院を散策

昨日の大雨はすっかり上がって、今朝はカラリと晴れた青い空。
早朝に起きて、昨日は視界ゼロに近かった阿蘇の大観望を訪れました。
少しガスはまだ残っていたけれど、谷の町がうっすらと見えて、これはこれでキレイでした。

それから、再び別府港へ戻ります。
昨日と同じく10時20分。
昨日と同じくがやがやとフェリーから乗客が降りてくるなか、またまた友の笑顔を見つけました。

そして今日は3人旅。
旅先で友を迎えるというのが久々で、懐かしい気持ちになりました。

由布院で由布岳を見ながら、温泉につかり、軽井沢銀座に似た雰囲気の由布院の町を散策。
人の多さと道の狭さには閉口したけれど、由布岳のすばらしさと温泉の気持ちよさに満足。

1日たっぷり遊んだあとは、またまた別府。
今日の宿は別府ユースホステルです。
ペアレントさんに教えてもらった近所の居酒屋でお酒と刺身を堪能して宿に帰りました。
宿では、またまた3人の仲間と合流。
計6人となった私の旅。
さて、明日はどこに行くのかな。
自分で予定を決めない、というのは、けっこう楽だなぁ、と思いながら、ぐっすりと眠りました。

かぼすチュウハイ、おいしかった!


2004年11月26日(金) 大雨の阿蘇。一人旅はしばしお休み

阿蘇の朝は、少しうす曇でした。
でも、青い空もところどころに見え、過ごしやすい1日になるのかな、という印象でした。
九重の山々を眺めながらやまなみハイウエイを通り、目の前に迫る由布岳に見とれながら、別府港に到着。

10時20分に、神戸からやってきた「さんふらわあ」が港に着岸しました。
週末とあって、たくさんの人ががやがやと降りてくるなか、友の笑顔を見つけました。
今日から一人旅はしばらくお休みです。

九州はあまり訪れたことがない、という友。
「やっぱり、まずは阿蘇でしょう」と言って、再び阿蘇に車を走らせます。
途中から、大雨、濃霧に襲われながら、黒川温泉近辺のおいしいお蕎麦屋さんで昼食を取り、小国(おぐに)の喫茶店「りんごの樹」でコーヒーと名物アップルパイ。
そして、九州に住む友のおすすめの温泉「竹ふえ」と、黒川温泉の「いこいの湯」。
夕飯に、高菜ごはんと天ぷらを食べて、それから今夜も瀬の本ユースホステルで宿をとりました。

車を運転するのも怖いくらいの大雨の1日だったけれど、雨の日に合った阿蘇めぐりができました。

でも、明日は晴れてほしいなぁ…。


2004年11月25日(木) 阿蘇へ…

ゆっくり寝よう…と思いつつ、つい習慣で早く起きてしまいました。
ホテルの朝ごはんを済ませて、9時出発。
明日の朝は別府で用事があります。
最初は、長崎あたりに泊まって、早朝に別府に向けて高速道路を飛ばそうかと思っていましたが、島原に渡ることができなかったため、予定が狂いました。

高速道路代ももったいないし、適当な場所にユースホステルもないし…、ということで、今日は阿蘇近辺まで戻ることにしました。

熊本市内の大渋滞を抜けて、大津(おおず)市から阿蘇のミルクロードに入ります。
阿蘇に来るのは2回目ですが、やはり人に連れてきてもらうのと、自分で道を探してたどり着くのとは、印象が違います。
阿蘇の頂上は、すすきがいっぱいの大草原でした。

阿蘇の大きさにあらためて感動したあと、今日の宿、瀬の本ユースホステルへ。
車で10分ほどの黒川温泉に行き、「いこいの湯」(500円)にちゃぽん。
立ち湯で足と腰の疲れを癒し、気分も体もリフレッシュ。
宿に戻って、ペアレント(オーナー)さんといっしょに小一時間ほどテレビを観ながら語り合い、それから部屋に戻って早めに寝ました。

ちょっと運転に疲れてきたかな。


2004年11月24日(水) 寄り道の1日

「神様は、ホントにここにいたのかも」

そんなことを思わせるような雲海を見ました。
高千穂の国見が丘まで、ユースホステルから約10キロ。
昨晩、同宿した仲間と1台の車に乗り込んで、見に行きました。
秋から初冬にかけてしか見られない雲海。
ただ、ただ、静かにじっと、見つめていました。

この高台から、地上に向けて稲穂を巻き、稲作を教えたいう神々。
それゆえに「高千穂」という地名が着いた、と聞きました。
どこからともなく、高千穂に古くから伝わる民謡「刈干切(かりぼしきり)唄」が聞こえてきます。
ホントに、静かな気持ちになれた朝でした。

宿に戻って、朝食。それから身支度を整えて出発です。
もう1泊しようかどうか迷ったけれど、やはり先を急ぐことにしました。
目指すは、島原。
島原は、辞めた会社の後輩が、年に一度、家族で里帰りをする場所です。
彼女のメールに、「とてもよいところ」というのはわかりましたが、どんなところか見てみよう、と思い、目標を定めました。

車を走らせしばらくすると、「椎葉(しいば)」という地名が見えました。
いつの間にか、椎葉方面に車を走らせていました。
細い細いぐにゃぐにゃ道。
対向車が来たら、ひと汗かきながら、道を譲り合います。

着いた先は、人里離れすぎた椎葉。
平家の落人が住みついた里。
そして、その落人を見守った那須与一の弟。
ひっそりとした山里の面影を十分に残した村でした。

木に登って、柚子を落としている家がありました。
その香りから、この里の歴史を想像している私に気づいた人が、2つの柚子を私に差し出しました。

「持っていくと。車に置いておくと。いい香りがするとよ」

それから、しばらく木に登っている人と、下で受け取る人たちと、私とで、おしゃべりタイム。

熊本までの道のりを聞いて、気を取り直して熊本へ向かいます。
これまた、途中、いろいろと寄り道をしながら、天草の三角港に向かいました。
ただ、寄り道が多かったため、予定の船に乗れず。
最初に泊まるはずだったユースも、とある理由でキャンセルして、今日は、天草市内のビジネスホテル泊。
久々のビジネスホテルは、出張によく行っていたときを思い出して、なかなかいいものでした。

明日はゆっくり寝ようかなぁ。


2004年11月23日(火) 神話の里、高千穂。夜神楽を見る

8時。
3日間もお世話になった友の家を出発しました。
まだ眠そうな友と、華奢(きゃしゃ)なおばあちゃんに見送られて、小林を後にしました。
「行ってきます」と車の中から叫んだら、「行ってらっしゃい」と返ってきました。
うれしい気持ちが心のなかいっぱいにあふれます。

さて、きょうから一人旅。
今回の旅の目的である「高千穂」まで行きます。
なぜ高千穂なのかは、さておき、10号線をひたすら北上し、日向(ひゅうが)に到着。
海岸沿いを走り、神武天皇が東征に出航した港のある美々津の保存地区を通り、海を眺めながら少し休憩。

それから、牧水記念館に向かいました。
歌人・若山牧水は、私が生まれて初めて「短歌」に感動した石川啄木の最期を看取った人です。
旅と酒を愛した牧水。
その息子の名は「旅人(たびと)」というそうです。

「ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ秋もかすみのたなびきてをり」

尾鈴山を見ながら詠んだ有名な歌です。
彼の生涯のエピソードに、牧水という歌人をもっと知りたくなりました。

館長さんといっしょに、牧水と啄木について、ほんの少しお話をしたあと、高千穂へ向かいました。
車1台がやっと通るくねくね道をゆっくりゆっくり走りながら、今日の宿「高千穂ユースホステル」に到着しました。
今日は、勤労感謝の日。昔で言えば収穫を神様に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」。
高千穂神社では、年に一度の夜神楽が開催されていました。

ユースで知り合った考古学が好きな小学校の先生親子に連れられて、高千穂名物の夜神楽見物。
天照大神(アマテラスオオミカミ)が素戔嗚尊(スサノオノミコト)の乱暴な振る舞いに怒り、天の岩戸に隠れた際に、天鈿女命(アメノウズメノミコ)が岩戸の前で面白く舞ったのが始まりと言われています。

毎年11月〜2月にかけて、各集落で神楽が行われるとか。
高千穂では、11月22〜23日の夜に行われているようです。
獅子舞が、夜通しで集落の一軒一軒の家を、お布施をもらいに回るそうです。
「よく来たよく来た」ということで、かなり飲まされるとか。
お酒の弱い人は、すべての家を回ることができず、どこぞで眠りこけてしまう人もあるとか。
でも、みんなが楽しみにしている祭りなんだな、と地元民の話を楽しく聞きました。

22時半ころに終わってユースで戻り、少しのおしゃべりをして、消灯。
今日もいい1日でした。

おやすみ。


2004年11月22日(月) 霧島連山縦走。快晴の一日。

眠い目をこすりながら、友とふたり、各自の車に乗り込みます。
1台は高千穂河原へ、もう1台はえびの高原に車を駐車。
途中のコンビニエンスストアで、昼食と飲み物を買って、ビジターセンターでほんの少しの情報を仕入れて、出発。
えびの高原から韓国岳(からくにだけ)、獅子戸岳、新燃岳、中岳のピークを通り、高千穂河原まで歩きました。
いわゆる「霧島連山縦走」です。
ひとりで登山は、まだまだ不安だらけの私。
友が着いてきてくれたので、縦走を決心できました。

最初の韓国岳の登りがきつかったけれど、あとはほとんど下りの登山道。
大きな霜柱が、太陽が上がっていくにつれてじょじょに溶け初め、道はどんどんぬかるみます。
トレッキングシューズを履いていてもつるつる滑り、ガレ場はとくに危険です。
スニーカーを履いていた友は、私以上に怖かったでしょう。

「ゆっくりゆっくり」

怖がる友をそう励ましながらも、私自身も下りのガレ場が苦手なため、なかなか余裕がありません。
日が落ちてから、ようやく高千穂河原に到着しました。
ふぅ。

「私は山登りには向いていません」
とまで、友に言わせてしまったことに、もう少し下調べしておけばよかった、と反省。
でも、稜線を歩いているときに「こんな景色、初めて見ました」と言った友の言葉が、なんとなくうれしくて。
もっともっと、いろんな景色や場所をいっぱい見せてあげたい、と思いました。

頂上で食べた恒例の塩ラーメンがおいしかったこと。
初めて見た「火口」は、とても大きかったこと。
山の稜線から友のおばあちゃんに手を降ったこと。
帰りに入った霧島温泉がとても気持ちよかったこと。
夕食に入ったパスタ屋のアルデンテが、ちょっと固めだったこと。

今日のことは、私にとってとてもとてもステキな思い出になるんだろうな、とそんなことを考えながら、ビール1缶でぐっすりと寝てしましました。
明日は、絶対に筋肉痛です。

おやすみ。


目次過去の日記未来の日記


紫 |MAIL

My追加