紫
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今日は各地で「成人式」が行われたようです。
昔よりも振り袖姿の新成人が少なくなったように思うのは、気のせいでしょうか。
私の故郷は、田舎ということもあり、ほとんどの女性は振り袖を着て市民ホールに集まり、洋服で行くのが少し恥ずかしいような感じでした。
私も振り袖を着て、高校時代の友と集まりました。
ピンク色の下地に桜の花が散りばめられていて、祖母曰く「流行にあまりとらわれない柄」とのこと。着物にも流行があるのだと、そのとき知りました。
その振り袖は、私が小学校のころに父がもらってきた反物で、私が大学に入った年に、祖母が仕立ててくれました。
成人式に振り袖を着ることをあきらめていた私は、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。
その反物は、父の仕事の取引先が倒産し、家財道具を売りに出したときにもらってきたものでした。
子どもながらにその反物の持ち主について、思いを馳せざるをえませんでしたが、そのほんの数年後、自分たちが同じ境遇に立つことになるとは、当時は思ってもみませんでした。
そのとき、約10年間、叩き続けたピアノは、反物と同じように売りに出されたと聞きましたが、あの騒動のなか、いつ、どうやって持ち出されたのでしょうか。その反物は祖母のところにずっと保管されていた様子。
そして、祖母の手によって見事に振り袖に仕立てられたのでした。
母が、知人の呉服屋に頼んで、オレンジ色の帯を仕立ててくれました。
帯に合わせて、カバンと靴はその呉服屋さんがプレゼントしてくれました。
いろんな人の手を巡りに巡って私のところにやってきた振り袖を着て1月15日の朝、祖母がうれしそうに成人式に送り出してくれました。
いろんな人に感謝せざるをえなかった成人式の日。
私の愛したピアノも、こうしてどこかの子どもが喜んで弾いてくれていたらいいな、と、その日の夜、着物をたたみながら思いました。
おやすみ。
「足が23センチになったら、スケートを習わせてあげる」
母は私が幼稚園のころに、こう約束してくれました。
ちょうど冬季オリンピックの時期でした。
当時、バレエを習っていた私は、スケートという習い事を増やすなんてとんでもありません。
単なる子供だましの口約束で、母は言ったのでしょう。
23センチなんて、すぐになる、と思っていた私。
ところが、なかなか足は成長してくれません。
中学校1年生になって、足が23センチになったとき、母に言いました。
「スケートを習いたい」
小学校を卒業すると同時にバレエをやめていた私。
今度こそ、と思い、言いました。
ところが母曰く。
「自分でスケート靴を買ったら、習わせてあげる」
バレエは辞めていたとはいえ、東映の俳優養成所に入所したばかりの私には、そんなお金は、お年玉をかきあつめてもありません。
今、思えば、母は「いつあきらめるのか」と思っていたことでしょう。
中学校三年生になる年。
お年玉を貯めに貯めて、ようやくスケート靴を買うお金がたまりました。
「スケートを習いたい」
もう一度、母に言いました。
これでダメだって言われたら、こっそりでもいいから習うんだ。
そんな決意を胸に秘めながら、母に言いました。
「いいよ、今度、申し込みに行こう
え……!?
自分の耳を疑ったけれど、その週末、私は新しい真っ白なスケート靴と、スケート教室の会員証を手にしていました。
約十年越しの私の夢。
それから、受験生と身分を忘れてスケートに熱中したことは言うまでもありません。
スケートを通じて、かけがえのない友もできました。
今は、年賀状友だちのひとりになってしまった友。
今年に年賀状に「長女に、今年からスケートをさせてみます」と書いてありました。
私たちが抱いたスケートへの夢を、彼女の娘がまた感じてくれるといいな、と思います。
そういえば、交通事故に遭ってから、スケート靴に足を通していません。
今年は、ふらりとスケート場に行ってみようかな。
いいよね?
黒澤明監督の映画を観ました。
「隠し砦の三悪人」。
たまたまつけたケーブルテレビの「日本映画チャンネル」で放映していたのですが、ついつい最後まで観てしまいました。
さすが「世界の黒澤」。
この映画のなかに出てくる凸凹百姓コンビが、後の「スター・ウォーズ」のロボットコンビのモデルになっているとか。
私が映画館で初めて観て感動したハリウッド映画が、日本の黒澤明監督の影響を受けていたとは驚きです。
そういえば、最近、古い日本映画を積極的に観ています。
私の知らない「古き良き時代」が、とても新鮮です。
最近のヒットは、「夫婦善哉」かな。
甘いものとカレーが苦手な私ですが、あの映画に出てくる法善寺横丁の「夫婦善哉」のおぜんざいと、千日前の「自由軒」のライスカレーが、むしょうに食べたい今日このごろです。
高校3年生になる前の春休みから、友と4人でいっしょに、「塾通い」を始めました。
京都大学の院生が4〜5人集まって教えている塾で、それほど有名でもなく、授業料も安く、英語、数学、国語、社会を教えてもらって月々1万円だったと思います。
あまりお金を使いたくなかった私は、塾に通うのはあまり気乗りはしませんでしたが、その塾は小学校5年生のころに半年ほど通ったことがあり、「懐かしい」という気持ちと、友の強い誘いもあり、いっしょに入塾することにしました。
当時の先生は、ほとんど卒業していませんでしたが、ひとりだけ私を覚えていてくれた先生がいました。
その先生が私を見てひとこと。
「アンタは、ぜんぜん勉強できなかったけど、お兄ちゃんはすごかったな」
いや、そんなことを友の前で言わなくても…と思いましたが、でも私や兄のことを覚えていてくれたことが、恥ずかしくもうれしく感じました。
それから1年間。
週に2回、「アンタはホントに昔と変わらんな」とさんざんイヤミを言われながらも、友といっしょに通った「京大塾」。
塾の宿題をいっしょにしたり、塾の先生のうわさ話をしたり…と、意外と楽しい塾通いを終えて、志望校ではないけれど、全員無事に合格することができました。
あのとき、いやがる私を無理やり塾に引っ張っていってくれた友と、「アンタはこんなんじゃ、どこの大学も行けへんで」と1年間イヤミを言い続けたワタナベ先生に、今は感謝しています。
京大塾。
今は、地元ではけっこう大きい塾になっているとか。
ときどき、ワタナベ先生のイヤミが妙に懐かしくなるときがあります。
時間ができたら、友を誘ってちょっとのぞきに行ってこようかな。
おやすみ。
何かを築き上げたいけれど、しょせん、無理な話。
今、未来が見えません。
新しい風でも、取り入れましょうかね。
民間企業は、今日からが仕事初めのところが多いようです。
道路の車の数も、道行く人々の数も、なんとなく多いように思います。
おそらく、多くのサラリーマンは、比較的短かった冬季休暇の休みボケから、通常勤務へに向けて「慣らし運転」のように1日の過ごすのでしょう。
かくいう私は、諸事情ありで12月の1カ月間、長い長い休みを取らせてもらいました
でも、丸々休んだというわけではなく、細々とした小さな仕事は引き受けていました。ただ、本を丸々1冊、という長期の仕事は、お断りするか年明けからでよければ…ということで受けさせてもらいました。
今日は、そんな私にとっても仕事初めの日。
とりあえずは、来週末の締め切りの仕事を、頭のなかを慣らしながら、じっくりていねいに進めていきます。
ただ、この1カ月でついた昼寝癖が取れるのは、まだ1カ月くらいかかるかな…。
おやすみ。
ZZZ……。
今年は出さないと、公言し続けた年賀状。
きょう、投函しました。
いつものようにいろんな人に、ではなくて、仕事関係の数人と、年賀状をくれた人に。
それから、今日、会った人に。
やっぱり「つながり」は、最低限、続けていかなければいけませんね。
おやすみ。
毎年恒例の初詣に行きました。
恒例といっても、今年で3回目です。
勝尾寺(かつおうじ)という山の中腹にある寺をめざして、参道を登ります。
だんだんと手慣れてきて、今年は「いつもの場所」で塩ラーメンを作って食べました。
だれかに見つからないかと、少しびくびくしながら作ったので、ちょっとびくびくした塩ラーメンになってしまいました。
そうですね〜、30点くらいかな。
でも、みんなで食べる昼ごはんはとても楽しくて、笑いのたえない1日になりました。
初詣。
来年もまた行けるかな?
今日も昨日と同じパターン。
夜中に目が覚めて、「ボーリングフォーコロンバイン」を観て、明け方に寝て、昼前に起床。
ゴロゴロって、すばらしい!
2005年が明けました。
今年もよろしくお願いします。
今日は何をしていたかと言いますと、昼過ぎまでずっと寝ていました。
なぜそんなに寝ていたのかと言いますと、夜中の2時ころに目が覚めて、それからずっと、ケーブルテレビの映画チャンネルを観ていました。
何を観たかというと、「耳に残るは君の歌声」というイギリス映画。
ちょうど始まったばかりで、いずれ眠くなるだろう、と思っていたら、いつの間にか最後まで観ていました。
明け方近くなってから映画が終わり、空が白み始めてくるのを見て「新年」ってなんだろう…なんてことを考えていたら、いつの間にか眠っていました。
そして昼過ぎに目が覚めて。
それから、今度は夕方まで「夫婦善哉」「新・夫婦善哉」を2本立て続けに観て、「女のシアワセってなんなのかしら〜」なんて考えていたら、おなかが空いてきて、きのうの残りの蕎麦を食べてまた寝ました。
これぞ、寝正月。
ぐぅたらって、楽しいですね。
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