紫
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お中元を贈りました。
ここ10年ほど、贈り贈られが続いています。
もうとっくに切れてもおかしくない相手なのに、季節の挨拶は欠かしたことがありません。
夏にはマンゴーが届きます。
「元気にしているかな」
ふと、その家族を思う瞬間です。
冬にはリンゴが届きます。
「今年も忙しい歳の瀬を迎えているんだろうな」
その家族と何度か食事をしたことを思い出します。
その家族との出会いは、けっしていいものではありません。
でも、出会いのきっかけがどんなに悪いことであれ、その家族と出会えたということがとてもうれしい結果です。
いつまでもいつまでも、つながっていたい。
そんなふうに思える人たち。
私の「片思い」でなければいいな、と思います。
おやすみ。
月初。
おやすみ。
月末。
おやすみ。
イギリスの会社の主催する宇宙旅行に、日本人の女性が当選したそうです。
参加費用は、なんと1人2200万円。
実現するのは2008年だとか。
宇宙。
たしかに憧れはあります。
夜空の向こう側に行ってみたいとは思います。
でも、2200万。
220万円でも躊躇(ちゅうちょ)するでしょう。
22万円だったら………、考える。
ビンボーたれなワタシ。
ぷん。
ハイキングセミナーが修了しました。
5月末から始まって約2カ月。
我ながらよくがんばったなぁ、と思います。
セミナー仲間もできました。
このうちの何人かは、これからも「仲間」でい続けてくれるのだと思います。
最後に校長がさらりと言いました。
「仲間作りは、技術を超える」
きっと私は、この言葉をいつまでも覚えているんだろうな。
そんなことを考えながら、修了証書を見つめていました。
ありがとう。
きょうも取材。
「目に見えないもののたいせつさ」を取材してきました。
取材相手は、阪神大震災で家屋全壊という被災を受けた人。
避難先は、近所の大学の研究室で、指定された避難場所ではなく、もちろん救援物資は届きません。
「そんなときに、学生たちがどこからか持ってきてくれた塩辛いおにぎりの味が忘れらません」
思わず目頭が熱くなりました。
震災10年。
町はどんどん復興してきて活気を取り戻してきています。
それでも、忘れてはいけないのが、震災のときに感じた「人と人とのつながり」だと、その人は言っていました。
震災当時、私は関西にはいませんでした。
でも、こうして10年経った今も、被災した人から話を聞くことは、とても大切なことのように感じました。
震災後、10年経った神戸。
市ではなく、町単体としての小さな活動が、あちこちで展開されています。
震災は10年前の話ではなく、震災を通してできたつながりをずっとたいせつにしていこう。
その人の話には、そんな気持ちがいっぱいこもっていました。
きょうもいい取材。
ありがとう。
きょうは、ふたりの友のバースデーパーティー。
ごくふつうの飲み会をするから、といってふたりを誘い、もうひとりと企んで、イベントの内容を決定します。
内容といっても、花束をいつ渡すとか、どうやってふたりにばれないようにするか。
会場は、バースデーイベントをしてくれるところを選びました。
そして、集合間際にスペシャルゲストも参加することに。
このゲストが参加することになってからが、また打ち合わせの連続でした。
しかもメールで。
さて、本番はというと……。
それはもう、大成功。
ふたりの驚き方といったら、表現しようがありません。
とくに、スペシャルゲストが花束を持って現れたときのあの表情。
写真を撮れなかったのが、とても残念です。
サプライズパーティー。
いいですね。
あたたかくって。
おやすみ。
ずっと将来を見守っていきたい人がいます。
まだ18歳で、今年の春に看護学校に入学したばかり。
病院に勤めながら、看護師になるための勉強をしている彼女に久々に会いました。
どことなく、女子高生独特の頬のふくらみが取れてきたような気がするのは、仕事が大変だからでしょうか。
それとも、だんだんと「おとな顔」になってきているのでしょうか。
高校時代に比べて、自分から言葉をどんどん発するようになった彼女。
きっと、いろんな世代の人たちに囲まれて、社会人として成長していっているのだと思います。
勉強の面では苦労するだろうけれど、がんばってほしい。
きょうはつくづくそう思いました。
こんな小さな体でがんばっているのだから、私もがんばろう。
うんうん。
まずは、おやすみ。
ボランティアをしている人の取材でした。
パワーをもらってきた感じでした。
この人は「人を大切にする人」だな、と直感的に思いました。
取材でなくとも、「人と会い、人の話を聴く」っていいことだと思います。
その人の話し方やしぐさ、話しの内容で、その人の人生観が見えてきます。
たった1時間ほどの会話だけど、自分の人生観に影響を及ぼす瞬間にも出会います。
人の話をじっくり聴く。
なんの「正解」もない話を聴きだしていくのは、ちょっと難しいのですが、正解がないからこそおもしろい。
きょうも、いい取材ができました。
ありがとう。
2005年07月24日(日) |
私が感じた「あたたかい何か」 |
きょう、感じたたくさんのことを、きょう、会えなかった多くの人に知らせたい。
そう思っていたけれど、書けません。
きょうの気持ちを、きょうのことを言葉にするには、私にはまだ時間がかかりそうです。
数日前、友がこんなメールをくれました。
「『彼』を知る人たちが、『彼』のことをたくさん話して、思い出してほしい。家族も友も、いつもより近くに『彼』を感じられる大切な時間だから」
もちろん、思い出さない日は、ありません。
でも、こうして『彼』を知る人たちが、1年に1度、ひとつのところに集まって、『彼』の思い出を語っていく。
悲しい気持ちも、悔しい気持ちも、いつまでもそのままそこにあるけれど、「あたたかい気持ち」にも触れることができる不思議さ。
数年前のお通夜の席で、私はみんなにお願いしました。
「彼の思い出を、分けてください」
人に語られる思い出は、さらに悲しみを呼ぶけれど、思い出を共有しあうことで『彼』が近づいてきます。
時には、語り合っているような錯覚にも陥ります。
その瞬間が、あたたかいのか?
そして、そのたびに、こうつぶやきます。
「カレガ、ココニイタラ、ワタシハ、ココニ、イナカッタノカ?」
そんな堂々巡りの悲しさを、きょうは、初めて吐き出しました。
その瞬間、「あたたかい何か」に包まれたような感覚に、涙がとめどなくあふれて、仕方がありませんでした。
帰り道。
きょう、感じた「あたたかい何か」を、私は、いつまでもいつまでも覚えているんだろうな。
そんなことを考えながら、ゆーらゆーらと自転車に揺られつつ、夜空に向かって「ありがとう」を繰り返していました。
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