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2005年08月22日(月) メッセージ日記

秋が近づいてきたなぁ……、と思うことが多くなってきました。
まだまだ暑いけれど、ちょっと日差しがゆるくなったようなそんな感じ。

つくつくぼうしがそろそろ鳴くかな。

今年の夏は、おおいに遊び、おおいに働いた夏、でした。
って、まだ夏を回想するには早いですね。

まだまだ厳しい残暑が続きます。
みなさん、ご自愛くださいませ。


2005年08月21日(日) 予定

久々にまったりと過ごした昼さがり。
こんな時間があっていいのか、と思えるくらい、何も考えずに過ごしました。

さて、明日からまた〆切に向けて忙しくなります。
がんばらねば!


2005年08月20日(土) パスタパーティー

きょうは、パスタパーティーでした。
お料理教室に通っている友が覚えてきたレシピを参考に、みんなであーだこーだといいながら、キッチンに立ちました。

ペンネアラビアータとサラダパスタとジェノベーゼ。
それから、ガーリックトーストになぜか豆腐のサラダ。
麺をゆがくときにお塩を入れるのを忘れていたので、ちょっと塩気の足りないパスタもできてしまいましたが、それでも十分においしかったです。

なんといっても、料理の味を引き立ててくれたのは、みんなの楽しいおしゃべりでしょうか。

楽しい楽しい。
真夜中まで、わいわいと楽しい1日でした。


2005年08月19日(金) 忘れた過去

きょうの日記は、おやすみ。


2005年08月18日(木) 「GO」コマンド

ニフティのワープロ・パソコン通信「NIFTY-Serve」が、来年の3月で終了するそうです。
といっても、「NIFTY-Serve? 何、それ?」と思う人が大半なのでしょう。

インターネットが世界に開かれたネットワークなのに対して、パソコン通信は会員制の閉じたネットワーク。
電子メールやチャット、掲示板にフォーラムなど、現在のインターネットと同じような感じですが、パソコン通信は文字だけの世界。
画像も色もありません。
今から思えば、かなり殺風景な画面に向かって、文字ばっかり打っていたのが不思議な感じもしますが、当時は、ニフティにつなぐことが楽しみの一つでした。

ここ数年、アメリカから入ってきた「ソーシャルネットワーク」というサービスが人気を呼んでいます。
紹介制の会員制ネットワークで、代表的なのが「mixi」。

よく考えれば、この閉じられたサービスはニフティサーブとよく似ています。
インターネットという開かれた世界の中で「守られた空間」に安心するのは当たり前なのでしょう。

それにしても、ニフティサーブ。
「GO」コマンドがなくなるのは、なんともサビシイですね。 


2005年08月17日(水) きょうも。

筋肉痛。
一度、座ったら、涙なくして立てません。

下りの時に使う筋肉って、どうしたら鍛えられるのでしょう。


2005年08月16日(火) 毎度!

例によって例のごとく。

激しく筋肉痛。
一度、座ったら、叫ばずして立てません。


2005年08月15日(月) 平湯温泉。そして、感謝の気持ち

4時起床。
今日の朝ごはんは「塩ラーメン」。
それでも、寝起きで食べるため、あまり多くは食べられません。
後片付けをみんなでして、テントを撤収して6時出発。
上高地バスターミナルまで戻ります。

私のいた班は、班員の誰かがいないと必ず探してくれる人たちばかりで、いつもいっしょに行動。
もちろん帰りも6人いっしょ。
それがなんだかとても居心地がいい。
短期間だったけど、「私」を知ってくれる人ができたのが、とてもうれしい。

平湯温泉でお風呂に入って、おみやげを買って、バスの中で隣に座った班の違う友と今回の山行の報告会。

北穂高岳。
登ったのは自分の力だけど、登らせてくれたのは、感動をひときわ大きくさせてくれたのは、このバスに乗り合わせている人たちのおかげなんだな、とバスの中で思いました。

「仲間作りは、技術を超える」

セミナーの修了式で聞いたこの言葉。
今はしっかりと、自分のものになったような、そんな山行でした。

思いっきりの気持ちをこめて。
北穂高にいっしょに登った人たちへ。

「ありがとう」


2005年08月14日(日) 北穂高登頂。山頂の風と、山の仲間と。

朝3時に起床。
テントの中で雑炊を作って朝ごはんを簡単に済ませました。
夜明け前の空は、こんなにあったのかと思えるくらいに満天の星。
だんだんと空が白み始めてくるにしたがって、キーンと冷えてくる空気。
山の朝は早く、ところどころのテントから明かりがぽつぽつと灯り始めます。

山小屋で泊まった時とはまったく違う山の朝を目に焼き付けながら、朝5時。
出発の時間です。

昨日、担いでいたザックはテントに置いて、サブザックに必要最小限の荷物を詰めて、北穂高の登山道に向かいます。
まだ体が起きていず、最初のゆるやかな登りで息が上がりだしましたが、それにもだんだんと慣れていきました。
登山道は、テント場からよく見えていて「あんなところを登るのか」と驚いていた道ですが、いざ登ってみるとけっこう登れるもの。
なーんて言いながら、もうぜいぜいはーはー。

空気が薄くなっていくのを「肺」で感じながら、苦しくてしんどくて足取りが重くなってきたころ。
ふと振り返ると、昨日は見上げていた山の稜線が、ほぼ視線と同じ高さのところにありました。

こんなに、登ったんだ……。

頂上に行くに連れて、ガスが晴れ渡り、どんどんその姿をあらわにしていく山々に、感動せざるをえませんでした。

「あと、30分くらいですよ」

私のすぐうしろを歩いていた「やまや」さんが教えてくれました。
例のやっかいな右足が痛み出し、歩をゆるめていたところになんだか「がんばれ」と背中を押されたような感じ。
不思議と、とても心強い一言でした。

そして、まさにその30分後に「北穂高岳」の山頂。
涙を流しながら仲間に「ありがとう」を繰り返す人。
やたらと写真を撮りまくる人。
360度に見える山の説明をする人。
その山頂の表情すべてが、感動を呼び起こします。
私は、山頂の空気をゆっくりと肺に吸い込み、全身で風を受け止めました。
ここに来た人にしかわからないこの感覚、誰にもあげません。

30分ほど頂上にいたあと、山を下りました。
登りより怖い下り。
写真を撮りながら、ゆっくりゆっくりと下ります。
涸沢のテントは撤収して、横尾のキャンプ場に着いたのが、15時。
約10時間、歩き通しの今日は、ホントに疲れました。

夕飯は中華風焼きそばとポテトサラダ。
テントの中で、みんなで丸くなって食べました。
なぜか話題は「恋」の話し。
とても楽しい夜でした。
この「班」にいられて、よかった。
班の仲間に感謝しながら、お酒の力も手伝ってぐっすりと眠りました。


2005年08月13日(土) 北穂高岳登山・上高地から涸沢へ

昨夜22時半にバスで森ノ宮を出発して、今朝6時前に上高地バスターミナルに到着しました。
今日から15日まで、ハイキングセミナーの終了山行で「北穂高岳」に登ります。
標高3016メートル。
久々の3000メートル級の山。しかもテント泊です。
約11キロのザックを背負って、標高差1500メートルを登るのにかなり不安と緊張の続いた数日間でしたが、いよいよ本番になりました。
天気はあいにく雨模様。
上高地バスターミナルでカッパを着て、事前に分けられた班ごとに行動します。

上高地は、明神の池までは遊びで何度も訪れているのですが、その先は未踏の地。
噂に聞いていた長い長い平坦の「奥上高地自然探勝路」をてくてくと歩き、「徳沢」まで約1時間、そこから「横尾」までも約1時間。
横尾の吊橋を渡り、左手に国内最大級の岩場と言われる「屏風岩」を眺めながら、これまたほぼ平坦な道を「本谷橋」まで1時間。
さて、これからがいよいよ登り道に入ります。

その前に河原で腹ごしらえ。
出発前に作ってもらった「おにぎり」を食べました。
いつもいつもありがとう。

地図によると、ここから後2時間。
いきなりの急登に息を切らしながらどんどん、どんどん登ります。
ときどきうしろを振り返って景色が変わっていくのを確認し、こまめに水分補給をしながら、これまた手作りの「サーターアンダギー」を食べて、力を蓄え。

ときどき、数年前に登った「白山(はくさん)」を思い出します。
あの時は、行動食の取り方も知らず、途中でばててしまったっけ。
今回は、ばてる前に行動食を取り、水分補給も汗対策もしっかりとしていたので、ばてることはありませんでした。
成長したなぁ……、ワタシ。

とはいえ、だんだんと樹木が少なくなってきて、涸沢手前のガレ場を登るときには、もう足はボロボロ。
雪渓を渡る冷たい風にも体は冷えず、ザックは肩に食い込みだし、もう歩けない、と思い始めたころに「涸沢ヒュッテ」に到着しました。
あぁ、よかった。

蛇口から出る山水をごくごくと飲み、班ごとにテントを立てました。
それから、ヒュッテで販売している生ビールとおでん。
山の上で生ビールが飲めるなんてシアワセ(涙)。

夕飯は「ポトフ」と「海草サラダ」を班で作り、暗くなる前にテントに入って就寝しました。
時計はまだ19時半。

あしたはいよいよ「北穂高岳」に登頂です。


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