紫
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ブロッコリーが日本の食卓に並び始めたのは、1970年代になってからとのことです。
カリフラワーなどとともに、明治の初めに輸入され始めたそうですが、なかなか浸透しなかったとのこと。
おそらく、いろんな輸入野菜の調理法を、テレビなどを通じてアピールしだしたのがそのころなのでしょう。
私の母は、こうした目新しい野菜にはあまり興味を示さず、当時、どんどん市場に出てきていたブロッコリーやアスパラガス、カリフラワーなどの野菜がのぼることはありませんでした。
だから、私が初めてブロッコリーを食べたのは、23歳の時。
会社帰りに八百屋さんに寄ってレタスを買ったら、八百屋のおばさんが「ブロッコリーもどう? おいしいよ」とすすめてくれたのです。
母の影響か、私もあまり気乗りはしませんでしたが、いつもよくおまけしてくれる八百屋のおばさんがすすめてくれるのだから……、と思い切って1つ、買うことにしました。
「これは、どうやって食べるんですか」
「湯がいてマヨネーズをつけて食べるとおいしいよ」
その日以来、ブロッコリーは私のお弁当の友。
こんなにおいしい野菜に出会えてうれしい♪と、しばらくシアワセ気分な毎日が続きました。
今、台所には大きなブロッコリーがひとつ。
明日、食べるのが楽しみです。
おやすみ。
ごろごろ。
正月明けから、父の体調が悪くなりました。
腸の調子が悪いらしく、朝から晩までうんうんとうなされています。
母が、会社の知人に相談したところ「それは、大腸がんの症状だ!」と言われたそうです。
父の家系は、がんで亡くなった人が多く、父も「ワシはがんで死ぬんや」と常日頃、酔っ払ったときに口走っていました。
私も母も冗談半ばに聞いていましたが、まさか……。
話は、まったく変わりますが、母はお昼の番組は「笑っていいとも」派で、昼に家にいるときは、ほぼフジテレビをつけています。
「笑っていいとも」が始まったときも、「おもしろい番組が始まってん」と自慢げに私に言っていました。
その母は、先日、なぜか「思いっきりテレビ」を観ていました。
もしや、紅白歌合戦でみのもんたファンになったのか?!
こっそりと、テレビ欄をみると……、
「この時期寒さで弱った大腸を元気にするコツ」
………。
なんと父は、この正月の暴飲暴食がたたって、大腸が弱っていた様子。
がんでもなんでもありません。
いや、父の正月の暴飲暴食は毎年のことなのですが、やはり年なのでしょう。
表面に出てくるようになったのです。
なんだか安堵しながらも、人騒がせな父と、私と同じ心配性すぎるの母。
ふたりとも、元気でいてね。
おやすみ。
子どものころ、初めて飛行機に乗ったときのこと。
地上は大雨だったのに、雲を抜けて上空に出ると、いきなり太陽がこうこうと輝いていました。
「あれ? 雨がやんだ……」
思わずつぶやいた私に、母は「雨雲の上だから」と一言。
「!!!」
雨の日の太陽さんは、いったいどこでどうしているのだろうと、普段からフシギに感じていた私には、衝撃的な事実でした。
「そっか。雨の日は雲の上にいるのか」
でも、ここでまた疑問。
太陽にこんなに照らされている雨雲は、蒸発しないのかな……?
この疑問は、数年後に解決されることになりましたが、子どものころのフシギ、ふとした瞬間に思い出されます。
今日は飛行機の中から、雪雲を眺めました。
太陽にこうこうと照らされている厚い雪雲。
「雪は、とけないかな?」
………なーんて思うわけ、ありませんね。
もうすっかりおとなです。
おやすみ。
今日の話は、ないしょ。
昨晩、のんだ風邪薬が効きすぎたのか、朝はゆっくりめに目が覚めました。
友の作ってくれた朝ごはんを食べ、のんびりとしたあと、さっそく雪の中に出かけます。
ホントは、近所の山をつぼ足(スキー板などをつけず、雪にずぼずぼと穴を空けながら歩くこと)でトレッキングの予定だったけれど、ちょっと天候が悪かったため、周辺の野原をざくざく散策。
おみやげのワカン(登山用のかんじき)とおみやげの長靴をさっそく私が履かせてもらい、雪の中に出かけました。
雪が軽いのでしょうか。
ワカンやスノーシューを履いていても、雪の中に沈みます。
少し歩くと汗びっしょり。
小さな谷をずるずる滑りながら下り、得体の知れない何かの足跡に思いをめぐらせ、つぼ足で歩いてきた友が雪に埋もれるのを見守り、小さな登りのはずなのに、危うく遭難しそうになって。
大笑いしながら、雪の原を散策。
たった小一時間だったけれど、とてもとても楽しい時間でした。
昼ごはんを食べに出て、馬術関係で有名な店に行き、それから帰ってきて、みんなで夕飯づくり。
といっても、もうごはんは炊いていてくれたので、差し入れでいただいた「ハヤシライス」を温めただけ。
おいしいおいしいと言いながらみんなで食べました。
楽しい夜は、今日もどんどん更けていき。
ほどよく酔っ払ったところで、今日もおやすみ。
2006年01月13日(金) |
お菓子の家とぽかぽか鍋 |
3泊4日の旅の始まりは、飛行機です。
新千歳空港に着き、一路、小樽を目指します。
飛行機の出発が40分ほど遅れたため、予定していた時間より2時間近く遅れて小樽に到着。
お昼ごはんを小樽で……と思っていたけれど、もう16時でした。
いつもの店「魚真(うおまさ)」でお寿司を食べるのが精一杯。
運河までは、悪天候もありたどりつきませんでした。
札幌で友と合流してから、今回の旅の目的地に向かいます。
年末から北海道で暮らし始めた友の家です。
駅まで迎えに来てもらって、途中、いろいろと買い物をして、まるでお菓子の家のようなステキな家にお邪魔しました。
外は氷点下。
でも、家の中は半そででも大丈夫なくらい、ぽかぽか、ぽかぽか。
北海道に来たんだな。
夜は、用意してくれていた鍋をつつき、みんなでわいわいとおしゃべり。
私は、予防に飲んだ風邪薬が効きすぎて、早めにお休み。
でも、楽しい楽しい北の大地の初日でした。
おやすみ。
初めて北海道をひとりでまわったときは、ちょうど雪祭りの時期。
2月のいちばん雪が多いころ。
私は、二十歳でした。
そのころの北海道がどのくらい寒いのかも検討がつかず、バイト先にたくさんいた北海道出身の人たちに、寒さ対策を聞いて荷造りしました。
できる限り荷物は小さくしようと、15リットルほどのザックに少しの着替えやカメラを詰め込み、2週間のJR周遊券で道北をのぞいた北海道をほぼ1周。
雪の深さと人のあたたかさ、旅人とのふれあいがとてもとても新鮮だったのを、とてもとてもよく覚えています。
ひとり旅って、孤独じゃないんだなって。
今日、17リットルのザックに、荷物を詰め込みました。
あれもこれも、と入れていくうちに、ザックに入りきらなくなりました。
少しずつ、減らしていったけど、それでもパンパン。
二十歳のころ、必要ではなかったものが、今は必要になっているのでしょうか。
いや、そんなことはないはず。
「あれもいるかも。これも使うかも」の荷造りがいつの間にか身についてしまったようです。
「快適な旅」に慣れてしまった私自身に、一抹の寂しさを覚えながら、入れていたTシャツを1枚、減らしました。
明日から久々に雪の北海道。
実に4年ぶり、です。
先行き不安だわ。
先日、「将棋」の話を日記に書きました。
思いがけず、いろんなところから反応が届きました。
それだけわが家の遊びが珍しかったのか、今の子どもたちは「将棋」では遊ばないのか。
とはいえ、残念ながら、私は将棋のさしかたを知っているだけで、勝負はできません。
オセロ同様、先の先のそのまた先の手を読む、ということができないのです。
子どものころから私は刹那主義だったようす。
もうひとつ言えば、実は碁(ご)も打つことができます。
こちらも、兄と私がいっしょにできる「遊び」のひとつでした。
ふたりだけのルールを作って、ときどき勝たせてくれました。
もちろん、碁の場合も、私はその場しのぎの手を打っていくだけで、兄にしてみれば、禁じ手だらけの奇想天外な碁譜になったことでしょう。
囲碁・将棋。
もう少し、真剣にしておけばよかったかな。
今なら、先の先くらいまでは読んでいけることでしょう。
おやすみ。
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