紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
この夏、穂高のふもとの涸沢カールに行きました。
そのときの仲間と、なぜか今ごろ打ち上げ鍋パーティーが開催されました。
ちょっと遅れての参加でしたが、楽しかったです。
山の魅力は、頂上の景色や仲間と分かち合う感動もありますが、こうして下山してからも、そのときの思い出を語り合えるのも、そのひとつなのでしょう。
これは、山に限らずですが。
いい日。
いい夜。
ありがとう。
おやすみ。
色が悪いんだな。
いや、それがよくなるんだな。きっと。
おやすみ。
「アルゼンチン・タンゴ」を聴きに行きました。
実は初めて。
知っている曲なんてないだろう、と思いきや、耳慣れた曲や歌がけっこうあったことに驚きました。
あれってタンゴだったんだ〜。
日本に何度も来ているためか、日本語もかなり達者な団長が、2000人で埋め尽くされた会場を巻き込んで、コンサートを進めていきます。
つねに会場に音楽やジェスチャーで語りかけ、目が離せません。
とても楽しい2時間はあっという間に過ぎていきました。
音楽って、すばらしいね。
世界共通の言語です。
おやすみ。
きょうで二十歳(はたち)になる友がいます。
16歳のころからずっとその成長を見てきました。
だから、いまだに16歳のような気がする彼女。
でも、もう二十歳。
今は自分の夢に向かって邁進中です。
「二十歳です」と答えられる1年間。
怖いもの知らずだった1年間。
「私」という人格を再構築したような1年だった気がします。
おとな、になるために。
お誕生日、おめでとう。
はたち、おめでとう。
おやすみ。
風邪引きさんが多くなってきました。
手洗いうがい励行で、自己防衛していきましょう。
おやすみ。
銀座の小さな映画館で「ニューシネマパラダイス」という映画に出会ったのは、私がまだ学生時代。
なんの前情報もなく、大学の友人に連れられて、映画を観ました。
当時から映画館ではあまり泣かなかった私が、珍しく涙をこらえることができなかった映画のひとつです。
当時、私がいちばん泣いたのは、主人公の少年がいつしか青年になり街を出ていくシーン。
自分自身に投射され、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙があふれ出てきて困っていたのを覚えています。
きょう、たまたまつけたケーブルテレビで「ニューシネマパラダイス完全版」を観ることができました。
これまでも、何度かビデオをレンタルして観たことはあり、いつも同じシーンに涙していたのですが、きょうは、なぜかほかのシーンに何度も何度も胸を詰まらせてしまいました。
そのシーンがどこかは胸の内に秘するとして、私の涙のツボが変わったことは確かです。
人生を続けることと、人としての成長が比例するとは思っていませんが、いろんな経験をしていくことで、豊かな心を手に入れられるのなら、人生も悪くはないな、と思いました。
「トト」という名の主人公は、最後に何を考えながらスクリーンを観ていたのでしょうね。
おやすみ。
中国大陸からアフリカまで、大陸横断をしてきた友人夫妻の家に、久々に、ホントに久々に遊びに行きました。
再会はうれしく、予想通りに楽しいひと時でした。
彼らと話していると、なんとなく彼らが以前いたときの記憶に戻ってしまいますが、時は必ず流れています。
そういえば、2年半前はそうだったな。
そんなことに思い出を探りながらも、きょうは楽しい夜になりました。
またこれからも、気軽に遊びに行ける「場所」が再びできたことが、きょうの大きな喜びかな。
おやすみ。
料理の用語に「ジュリアン」というものがあります。
野菜サラダやスープにいれるスライス状の野菜のこと。
「ジュリアン」とはフランス語で、女性の髪の毛のように細いという意味だとか。
となると、キャベツの千切りもジュリアン。
白髪ネギもジュリアン。
オニオンスライスもジュリアン。
ということになるのでしょう。
料理の用語って、なんだかくすぐったいくらい楽しいですね。
おやすみ。
最近、声をかけられることが多くなりました。
新しい場所に馴染むのは、いつも「遅効型」。
幼稚園や小学校、中学校に入学したときも、いつもいつも友人ができるのが遅かった私。
私は私なりに、ゆっくりじっくり観察しながら心を開いていっていたのですが、母には心配だった様子。
あの手この手で私に友だちを探してきてくれました。
そんな母の心配をよそに、私は半年ほどかけてゆっくりと仲間を観察していたような気がします。
兄は私よりも、もっともっと慎重でした。
でも、兄はいちど親友になると、今もずっと親友のまま付き合いがあります。
私は……といえば、親友と思った人の多くは音信不通。
男女の違いがあるといえばそれまでですが「親友」の定義に、幾度となく考えさせられます。
最近、声をかけてくれる友人たちは、おそらく3年後にはかけがえのない「仲間」になっているのでしょう。
そのうちの何人かが「親友」として私の歴史に残っていくのでしょう。
なんだか、心強い未来がみえてきました。
おやすみ。
バレーボール。
また、ホンキでやりたいな。
ふとそんなことを思いました。
もちろん、思っただけでするわけはありません。
それに、バレー部だったとはいえ、補欠の補欠だった私。
腕は素人並です。
それでも、ときどき腕にあたるあのボールの力強さがなつかしくなります。
砂まみれになってボールを追いかけたあの夏の暑い日が、初めて出た試合でスパイクを決めたときのあの感動が、最近、妙に心を揺さぶります。
いえ。
懐かしいのは、バレーボールじゃないのかもしれません。
あのときの「一途さ」「一生懸命さ」「必死さ」が、今の私に失われたものなのでしょう。
何かに一生懸命になることって、恥ずかしいことですか?
おやすみ。
目次|過去の日記|未来の日記