紫
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お年玉年賀状は、2枚だけ当たってました。
もちろん、切手シートです。
実は切手大好きな私は、切手シートは大歓迎です。
それでも、筆マメな私に来る年賀状はけっこうな数量で、これだけきたらもしかしたら「ハワイ旅行〜?」と期待もしていたのですが、それは甘い考えだったようです。
プラス志向で「2枚」の当たりに喜んでいると、母が一言。
「10枚ほど年賀状が来て、1枚切手シートが当たってたよ♪」
………。
そういえば、去年も2〜3枚は母は当たりハガキを交換していたっけ。
…………………。
今年は宝くじは、母に買ってもらうことを、新年の抱負に加えておきました。
おやすみ。
「あいたたた」
朝、起きてベッドから降りるときに、太ももに痛みが走りました。
きのうの山行で、筋肉痛になったのでしょう。
でも、ちょっと様子が違います。
痛いのは太ももの一箇所だけで、ほかの部位は飛んでも跳ねてもまったく痛くありません。
ん?
どうしたのかな?
体をひねって痛い部分に目をやると、なんと大きな青たんができていました。
きのう、道なき道を下っていったときにすべって尻もちをついた結果、できたのでしょう。
なんとなくおかしくなって、朝からひとり、にやにやと笑ってしまいました。
こんな青たんを作らないためにも、地図、きちんと読めるようにならないとね。
おやすみ。
山に行きました。
「読図」です。
地形図を見ながら、自分が今、どの場所にいるかを確認します。
地図が読めないと、つらいです。
難しいです。
地図が大好きな私ですが、後半部分はけっこう間違えていました。
これからも、要勉強です!
いい気分転換になりました。
いえ、夕方からやはり仕事だったのですが……。
ま、いつものことでしょ。
おやすみ。
「放浪者」なのかな、って、ときどき思います。
いつも「家」を探しているような気がします。
それは、私が思春期のときに、一晩で「家」をなくしたからなのでしょう。
別れを惜しむ間もなく、私は「家」を後にしました。
最期にちらりと見た私のピアノの姿をいまだに覚えています。
真夜中に、猫の「太郎」を連れに戻ったとき、妙に平静だったこと。
父を慕っていた職人さんがお小遣いをくれたこと。
「太郎」が、やけににゃーにゃーと鳴いてぶるぶるとふるえていたこと。
そのときから、私はどこか平穏な場所を求めているような、そんな気がします。
そんな場所。
ないのにね。
自分でつくっていくしか、ないのにね。
おやすみ。
生まれて初めてスキー板を足につけたのは、おそらく小学校1年生のとき。
場所は「白樺湖」でした。
わけもわからず、父に手を引かれながらスキーを教わったけれど、私はけっして「スキー好き」にはなりませんでした。
私の興味を引いたのはアイススケート。
当時のオリンピックの影響もあったのでしょう。
私は、無我夢中で白樺湖の氷の上で、スケートを練習していました。
もちろん、そのときも父に手を引かれながら。
そのときの写真は、確か「フエルアルバム」に残っていて、いつでも見返そうと思えばできるのですが、なかなか見返す気持ちにはなりません。
おそらくそのときがいちばん「家族」を演じていたからだと思います。
もう、いい年なんだから、過去のことは忘れようよ。
そんなふうに言い聞かせても、やっぱり忘れられないことは、忘れられないのです。
それは、いいことだと、私は思っています。
おやすみ。
まだ新年ですが。
ちょっと疲れたかな。
おやすみ。
「爪が痛い」が語源となってできた言葉があります。
「冷たい」
あぁ、日本語はなんて美しいのでしょう。
きょう、出会った言葉に、あらためて感動を覚えました。
何度でも、私を感動させてくれる言葉たちに「どうも、ありがとう」。
近年。
若者言葉で略語が多すぎる!と嘆いている言語学者が多くいますが、こうして言葉の語源をたどっていくと、日本語は昔からいろんな言葉を略して言うことが多いように思います。
言葉は生きているんです。
だから、変わっていくのは仕方がないんです。
ただ、人が不快に感じる言葉だけ、刃(やいば)となる言葉だけは、使い方に気をつけないと。
ふだんの私の言動に、ちょっと心を痛めながら……。
おやすみ。
はい。
きょうからまた始まりの日。
おやすみ。
成人式でした。
今年、私の友も成人式を迎えます。
15歳のころから知っている彼女は、当初のあどけなさはまだ消えないながらも、この5年でずいぶんと「おとな」になりました。
ひとりでふらりとあいさつにやってきた彼女。
今までに見た新成人の誰よりもかわいくてステキでした。
高校を卒業して働きながら看護学校に通っている彼女は、おそらく私が学生だったときよりも、かなり大変だと思います。
でも、今ががんばるときだから。
この二十歳のときにがんばることが、のちのちの力になるのだから。
そんなことを言ってもまだ彼女には伝わりませんが、心の底から応援しています。
おめでとう。
新成人!
子どものころ、父が風邪で寝込んだときに母がお粥を作りました。
そのときにご相伴にあずかったお粥が、とてもとてもおいしくて、それから私はお粥好きな子ども、になりました。
冷えたお粥に、岩海苔や梅干しをのせて食べるお粥、味のりをパラパラふりかけて食べるお粥、母のお手製の漬物をどっさり載せて食べるおかゆなどなど、病気でもないのに、いろんな食べ方を試しました。
数年前、入院したときは、しばらくはお粥が私の病院食でした。
そのとき、初めて自分でお粥をすくって食べたとき。
当然、母の作るお粥の味はまったくしなかったけれど、それでも子どものころに食べた味を思い出したのか、それとも「生きているんだ」と実感できたのか、涙がぽろぽろとこぼれて仕方がありませんでした。
きょうは、七草がゆ。
お粥は食べなかったけれど、毎年、この日は、母のお粥の味と、おとなになってから食べた、涙でしょっぱくなった病院のお粥の味を思い出すのでした。
今年もみなさま、健康でありますように。
おやすみ。
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