紫
|MAIL
目次|過去の日記|未来の日記
突然に、そして即決で、車を買ってくれる人が現れました。
あぁ、ありがとう。
小さいくせに、とてもよく走るんです。
生意気にもフォグランプがきちんとついているんです。
それから、接触がちょっと悪いけれど、キーレスエントリーなんです。
CDもテープも聴けます。
スピーカーもみんなが驚くほど、いいやつがついているんです。
小回りが効いて、そして四駆。
ターボもついているので、高速での追い越しもラクチンです。
そして、私と、それから父が気に入っていた車なんです。
だから、どうしても知っている人に買ってほしかったんです。
そんな車を、買ってくれて、どうもありがとう。
「買ってあげて」とすすめてくれてありがとう。
きょう、私は初めて親戚以外の人たちの前で泣けました。
なんだか、肩の荷がひとつ、おりたような心地がします。
どうも、ありがと。
私の思いをわかってくれた人たちに、ありがとう。
あした、母に電話をしよう。
「車、知人が買ってくれたよ。大事に乗ってくれそうだよ」
おやすみ。
なかなか車に買い手がつきません。
中古車センターに売ってしまえば早いのですが、数年前に私に安価でまだ1万キロしか走っていない車を売ってくれた友と、私の車を文句言わずに機嫌よく乗っていた父に申し訳なく、時間の許す限りギリギリまで、新しい「騎手」を探そうと思います。
大事に乗ってくれそうな人に、数人、声をかけましたが、車ともなると、駐車場のことやその後の維持費のこともあり、みんな首を横に振るばかり。
ちょっとあきらめモード。
でも、最後までがんばります。
誰か買ってくれませんか?
ということで、関係ありませんが、あしたの選挙には行きましょう。
おやすみ。
一触即発。
メッタメタ。
水風船を大事に守っているような感じ。
おやすみ。
日記、おやすみ。私もおやすみ。
尊厳死、の話を、先日、書きました。
それに対して、いろんなメールがきました。
すべてが「それで、お父さんは喜んでいるよ」
それはそれで、うれしいのですが、でも、違うんです。
尊厳死は、本人ではなく、家族、に精神的負担がかかってくるのです。
私はそのことを、その負担を教えてくれた父に、いずれ感謝の気持ちを表したいけれど、やっぱり今は、無念でなりません。
父は、生きたかったんです。
弔電のお礼に生花へのお礼、四十九日の準備にと、よくわからないことばかりです。
とくに私の母は、冠婚葬祭には無頓着な人で、私のほうが社交辞令的に詳しいことが多々あります。
それでも、今回ばかりは私もお手上げ。
というか、気力がありません。
とはいえ、私はそれなりに齢(よわい)を重ねているので、人並みな対応はできているのでしょう。
いえ、できなければいけないのです。
私より10歳近く年下の友人がメールをくれました。
父親を亡くしたときは、その後の手続きでやはり精神的に疲れたと。
そっか。
みんな、そうなんだな。
これって、通過儀礼なんだな。
そして、これは、ある意味、正当なことなんだな。
親を送る。
親を送れて、よかったんだよ。
いろんな不信感は残るけれど、いずれ、それもまた、解消されるでしょう。
ね。
おやすみ。
黄砂がひどい1日でした。
涙が出るのは、黄砂のせい?
そんななか、今日は、友たちと4人でダリ展に行きました。
私は事情ありで、ダリ展には間に合わなかったけれど、ランチから合流して、その後、みんなで大阪港から西九条までてくてく歩きました。
歩くのは大好きだから、苦痛ではなかったけれど、ときどき、心ここにあらずの状態になるのは、気のせい?
きょうも友たちに感謝しました。
楽しい楽しい1日を、ありがとう。
今の私に必要なのは、友たちの「生きる息吹」なのかもしれません。
夜、家に帰ったら、母が喜んで迎えてくれました。
毎晩、泣いているの様子。
少し、やつれているような気がしました。
どんな手続きをしても「配偶者の方をお願いします」と言われます。
「一親等」ではダメみたいです。
同じ血が通っているのは私なのに、やはり基本は「夫婦」。
おかしな世の中ですね。
そんな不条理な手続きばかりで、私は今も泣けません。
ホントは、誰よりも泣き虫なくせにね。
おやすみ。
そのとき。
私は言いました。
「『なし』でお願いします」
いよいよ父の意識がなくなり、主治医に「人工呼吸器」を装着するか否かの最終的な選択をせまられたとき……。
母と相談のうえでした。
でも、最後の決断は、私にまかされました。
人工呼吸器をつけて1〜2週間、延命しても、インフルエンザの薬物で弱りきった腎機能が回復することはありません。
肝機能もかなり低下しているため、透析もできません。
インフルエンザなんて、院内でうつされたのに……。
たとえ、呼吸機能が回復したとしても、父は「尿毒症」に苦しむのでしょう。
それなら……。
「………『(人工呼吸器)なし』で、お願いします……」
とめどなくあふれる涙のなか、私の決断は正しかったのか。
いまだに、私はわかりません。
「尊厳死」という言葉が私の心の支えにはなっているけれど、果たして、父は「尊厳死」だったのか。
「しんどい?」の問いに首を横に振った父を、そして、そのときの母を、私は、一生忘れることはありません。
そして、私の決断の時の気持ちを、私は、忘れてはいけないのです。
いつか、少しでも「そんな人たち」の「役」に立てるように。
おやすみ。
車を1台、売るんです。
それは、妙に切なくて。
ためいきまじりの3月末日。
できれば、知っている人もしくはそのまた知り合いに買ってもらいたいのです。
だれか、欲しい人、いませんか?
小樽から、友がやってきました。
東京からも、友がやってきました。
友が、たくさん集まりました。
この場所で、この人たちと同時に会するのは、もうないかもしれません。
いや、これからもっとこんな機会は増えるのかも?
なんだかとてもシアワセな気持ちがして。
そして、とっても切なくて。
みんながさりげなく、私を心配してくれて。
それは、とてもとても、とてもうれしくて。
どうも、ありがと。
さて、あしたから、またがんばるのだ!
おやすみ。
目次|過去の日記|未来の日記