紫
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19歳の友人に、ひとり旅のよさを聞かれました。
うまく答えられません。
その彼女の歳からひとり旅をしていた私。
きっかけは、「ひとりでできるもん」だったような気がします。
誰かがいれば、その誰かにまかせっきりになってしまいがちな私。
私ひとりだったら、私ひとりで決めなければいけません。
そう。
自分を強くしたかったのでしょう。
ひとり旅に出て、たまたま出会った記念碑が、たまたま私の大好きな石川啄木でした。
この城跡で、この景色を見て、この風を感じながら、啄木はこの歌を詠んだんだな。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
歴史が好きでよかった。
啄木が好きでよかった。
旅には、いろんな発見があります。
きょう、19歳の友と会話をしながら、「旅」を知らない大学生にはなってほしくないな、と、思いました。
旅は、自分を発見させてくれます。
おやすみ。
「天王寺(てんのうじ)」で飲みました。
最初は3人で。
小一時間ほどでひとり帰って、ふたりきり。
いろんな話をしました。
楽しかったり、深刻だったり。
とりとめがなかったり、ちょっと胸がきゅうっとなったり。
こうした時間を、私は求めていたことに、途中で気づきました。
そうして、時間はあっという間に過ぎ、終電に近い電車で帰路につきました。
「お酒の席でしか日本人は本音を言えないのか」
とある雑誌で、アメリカ人が書いていた記事です。
「お酒」の席でしか……というのは、極端な気もしますが、ある意味、当たっているような気がします。
私としては、それはそれで、そのほうがいい、とも思います。
どんな形にせよ、人と人とが、じっくりとゆったりと話し合う。
そんな場があることが、生きることにとっても重要なのです。
おやすみ。
来月。
久々に、ハイキングの計画を立てています。
10人くらいの大所帯で。
この夏、大きな大きな山に登るためのトレーニングです。
私以上に山に慣れていない友たち。
常日ごろからの自主トレとして「階段一段飛ばし」を推奨しています。
連休が明けたら、少しずつ必要なもの、あったら便利なものを伝えていかなくちゃ。
私の勝手な趣味に、楽しんでつきあってくれる仲間たち。
たくさんたくさん、思い出計画、立てていきましょう。
おやすみ。
山の話をすると、止まらなくなるのは、山好きとしては、当たり前なのでしょう。
だって、私も私の知っている数少ない山を、たくさん語りたい、って思うもん。
おやすみ。
なんだか、きょうの感覚は不思議でした。
ま、どうでもいいけど。
おやすみ。
なんだろう。
なんでしょう。
空白の1日。
おやすみ。
1日のオワリに、とてもとても、とてもいい話を聞きました。
よかった。
ホントによかった。
うれしいニュースを、ありがとう。
ホントにホントに、ありがとう。
おやすみ。
半年間、貯めていた500円玉貯金箱をあけました。
そのまま郵便局で貯金。
すぐに引き出して、銀行の口座に入れました。
去年の4月から半年に一度、ちょっと大きな「支払い」のために、こうしてまだ満タンにならない貯金箱をあけます。
そして、支払い。
足りないぶんは、日ごろの貯金から補充します。
もちろん、貯金は減るばかり。
というか、このところ、いろんな出費が重なり、今回でもうほぼすっからかん、になってしまいました。
学生時代より、ビンボーかも。
そう思うと、おかしくなってきました。
学生時代、毎日300円以下の食費で、よくがんばったな。
今も、大差はないけれど。
さ、また新しい500円玉貯金箱を買いにいくとしますか。
お金くらい、きちんと生活していれば、すぐに貯められます。
おやすみ。
1日、ボーっとしていました。
高齢者の特徴と、終末期の患者さんの症状を聞きながら、気が付いたら、目に涙があふれていました。
あぁ、あのときのあの症状は、もう「死」への兆候だったのかと……。
よかった。いちばんうしろの席で。
主観を、患者さん側に置くのか、医療者側に置くのか。
もちろん、主体は患者さんです。
でも、主観は「医療」を前提としていなければいけないのかも……と、きょう、ふと思いました。
父が亡くなる前日。
いろんな「家族」が楽しそうに幸せそうに洋食屋さんで食事をする光景を見て、「退院したら、一度、食事に来ようかな」と思っていました。
子どものころに通ったレストランと同じく、「家族」で久々に外食を楽しもうと思っていました。
もしかしたら、私がそんなことを安直に考えているときにも、医療者は「かなり危険な状態」と予測していたのかもしれません。
終末期医療。
癌の患者さんによく使われる言葉です。
病院は、患者さん主体に医療を提供してくれます。
家族には……?
よくわからなくなってきました。
ここまで書いて、結論のないまま、おやすみ。
父の初めての「月命日」でした。
昔、祖父が亡くなった日にちが来ると、祖母が「きょうは『おじいさんの日』と言って、ふだんとは違ったお供えをしていたことを思い出しました。
日が経てば経つにつれて、父の死に納得できない思いが強くなります。
それでも、やはり「訴訟」という行動には踏み切れません。
私に配偶者がいればまだ手続きなど少しは楽なのだろうけど、あいにく、独身を通してきた私には、そんな都合のいい存在はありません。
いつも強がってばかりいるけれど、ホントは、臆病者の意気地なしで、だれか他人への依存度がかなり強い私。
どうしようもないですね。
月命日だからといって、特別に何かするわけではありません。
買い手のついた父のお気に入りだった車に乗って、母と買い物にでかけました。
もう、これで母とこの車に乗るのは、最後かもしれません。
母もあきらめがついたようで、買い手があったことに喜んでいる様子。
毎日のように思い出すことがあります。
抑制帯つきの車椅子に一生懸命に座る父。
「しんどい?」の問いに首を振る父。
院内でうつされたインフルエンザに苦しみ、一生懸命に、呼吸を続ける父。
そして、病室を訪れるナースの、まるで「死」を予測しているかのような態度。
そして、言葉を亡くした父に「お父さん……」と語りかけた母の姿。
そんなことを、思い出しながら、きょう、1日が、過ぎました。
父に聞きたいです。
いつ、「死」を予測しましたか?
「しんどい?」の問いに、首を横に振ったときですか?
私たちの声は、いつまで聞こえましたか?
人工呼吸をしてでも、もっと、生きたかった、ですか?
………。
もうすぐ、四十九日です。
おやすみ。
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