業務日誌

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2002年11月28日(木) 成分献血ができる!

 二十日ぶりの書き込みです。
忙しい文化祭も終え、あとは帳簿を書くだけ。ほっと一息ついております。

昨日,18歳の誕生日を迎えました。これでやっと成分献血ができる(笑)

 この繁忙期を終えて、あとは卒業に向けて一直線・・・
 授業はあと1ヶ月ちょっとしかない。
 早速春休みの予定なぞを立てている今日この頃。

 春休みは、免許・旅行・写真展… そのほか大学の手続きなどで、色々忙しくなりそうだ。 


2002年11月07日(木) ピーク!

 いまは中間5日前。中間が終わると1週間もたたないうちに、
日吉祭準備期間。この時期はいよいよ1年で一番忙しい時期であります。

 今年は部誌の編集もあるし、やることがいっぱいあるぞ〜〜。


2002年11月03日(日) 100kmサイク

 今日は年に一度、中学校の多摩川40kmハイキングである。
 これに参加するのは6度目である。今回は、中間試験が離れていることもあり、
自転車でいってみようじゃないかと、思ったのだ。

 この40kmハイクは羽村取水堰から東横線鉄橋までを歩く。
 自転車で行くということは羽村までとその後も、自転車。うちからは村までは54kmちょっと。東横線鉄橋からうちまでは21km。合計100km弱自転車で走るわけだ。

 40kmハイクは今日の朝8時に羽村をスタートする。それまでに羽村につかねばならないので、逆算して、家を・…2時にでた。

 新宿まで10km、さらに上高井戸まで10km。10kmを一時間弱かけて、また10kmごとに休憩しながら進んだ。30kmの府中市白糸台のファミリーマートではあったかいコーヒーで大休止。耳を隠す帽子と、軍手がないと、とてもとても寒くて走れません。40km進んだところでようやく多摩川に出た。5:40くらいだ。その時刻になると、空も明るみはじめ、川にはもやがでており、とっても幻想的な光景が広がっていた。多摩川に到達したという喜びと、その景色とで、なお感動してしまった。もう、モノレールも走っている時間か・・・。

 ここからまだ14kmあるが、知っている道だし、明るいので楽か。と思ったのだが、良く考えれば、川をさかのぼるのである。ペダルをこぐのを休むとすぐに減速してしまい、歩くときよりも余計に傾斜を感じるのが自転車だなと痛感させられた。しかもその途中でギアが壊れ、変速しなくなってしまった。走れなくはないのだが。
 
 でも、結局予定より早い7時ちょうどに羽村取水堰についた。そこには同じく自転車で来ていた先輩が一人いた。

 近くのコンビニで、暖かい物を調達した。肉まんのおいしいこと・・・・。

 8時には駅から集団が歩いてきた。今年は68名だそうだ。自転車部隊は、歩く人々をサポートする形になる。ここからの40kmは比較的楽であった。

 最後の10kmはだんだん日が落ちる時間帯。自分はいち早くゴールに到達し、点呼の準備を行う。この自転車での40kmはなんかあっけなかったが、別の達成感があった気がする。

 生徒が全員到着したのは19時前。そのあと、今日は新丸子で御飯をいただき、電車で帰った。さすがにこの後自転車を20kmこぐ気力はない(中には30kmこいで帰った人もいたが。)。
 翌日は休みなので、明日ゆっくりとりに来るのだ。

 試験9日前にして、凄い運動量だなあと自分でもなんか感心してしまった。
 来年は、徒歩か、自転車か…?


2002年10月20日(日) 山登りのあともなかなか

 今日は中学校山岳部の山行についていった。
 一つ上の先輩二人もコーチとして来ていた。

 対象は前にのぼったことのある丹沢の鍋割山。同じ道なので、前半は先輩達と大学生活やドイツ語のことなど喋ったりして過ごした。

 途中、道端にペットボトルが沢山並べてあるところがあった。どうやら山頂の山小屋の水道水らしく、ボランティア精神旺盛の方に運んでいただきたいというものらしかった。それを見つけたコーチ陣。自分は1本(2kg)、もう一人は4本も詰め込んだ。

 尾根道になったところで、その4本の水が入ったザックを交代で担いだりしながら登った。なぜか先生の荷物が括り付けられていたので、相当重かった。10分交代だったが、かなり長く感じた。

 そんなことをしているうちに山頂に到着。
 山小屋に水を渡す。我々が昼食を作っていると、山小屋の主人の娘と思われる元気の良い女の子(小6)が来たのでみんなでいろいろ喋った(というか騒いだ?)。さすがというかんじだったが、鹿の糞を素手で平気につかむ人だ。

 おいしい昼食を食べた後は、下山。ひたすら下る。とっても下りにくい尾根であった。雨との予報もあったが、ほとんど降られることなく、むしろ晴れ間が見えたくらいだった。

 解散後、相模大野で飯を食べた。先輩の行動が非常に面白かったのが印象的である…・。


2002年10月13日(日) ふるさとを求めて

 目がさめたのは松本到着前の放送。ここで部員の3人が降りた。

 残る2年のS井と今日は一緒に行動する。今日は中央線183・189系に乗りまくろってチャイムをいっぱい撮ろうという魂胆である。12月の改正でこの車両が無くなってしまうからである。

 信濃大町5:10着。寒い。かなり冷え込んでいた。周りは登山者ばかり。まだ暗いホームに大荷物の人々がぞろぞろと歩いている。まだ折り返しの特急まで時間があるので、大糸線の南小谷まで往復。やはり朝のうちは寒かった。

 信濃大町からはあずさ54号。出発したとたんに、求めていた「ふるさと」チャイムが鳴って喜ぶ。電子音チャイムは5種あり、いままでこれだけ聞いたことが無かったのだ。

 今日この後は、しなのを一往復と、スーパーあずさに1度乗った以外は、すべて183・189系のあずさ・かいじに乗っていた。特に甲府・松本間はかなり往復した。今回が最後だと思って、飽きるまで乗ろうという予定にしてしまったから仕方がない。

 それでもやはり、最後のときは訪れ、あずさ82号。この列車には部員5人が乗車。にぎやかに帰った。最後の「ちょっとだけストレンジャー」を聞いて、潔く降りる。

 明日、休みでよかった。


2002年10月12日(土) 一応授業はあった

 今日は学校があるが、学部説明会のため、3年は2限で終わる。

 で、昨日に引き続き、今日は土日きっぷを使用。
 フルール踊り子からはじまり、学部説明会(湘南)にいくのにもリゾート踊り子を使うという乱用(?)っぷり。

 夕方に学部説明会が終了したので、その後は中央線の「あずさ」で「ちょっとだけストレンジャー」を録音。家に帰ったのは10時すぎであった。しかし「旅行」はつながっており、15分程度の滞在で、制服を着替え、教科書を置き去り、再び出発した。

 今夜は夜行急行「アルプス」で信濃大町に向かう。同列車に乗る部員は自分を含め5人居た。

 この列車は時間が短くてあまり寝られないが、一番先に自分が寝てしまったようだ・…


2002年10月11日(金) 運動会の疲れを温泉で

 今日は運動会の代休。もともと土日で土合に行くのとあずさに乗ることにしていたが、土曜午後に大学の説明会が入ってしまい、土曜には物理的に土合に行くのは不可能になってしまった。
 そこで今日を使って土合に行くことになった。切符は、鉄道の日記念JR全線乗り放題きっぷ。なんとも長い名前だが、毎年この時期に発売していて、青春18の3回版みたいなものだ。2年2人がこれを2枚使うそうなので残りの一枚を頂戴した。

 さて、今日はまずまだ先まで乗ってない吾妻線に行った。7:50上野発。高崎で乗り換えて終点大前まで行った。大前の一つ手前、万座・鹿沢口駅までは結構列車があるものの、大前まで来るのは一日五本しかない。そのため、何にもない寂しい駅かなと思ったが、着いてみると駅の前にアパートが。そこまで何にもなくはなさそうだ。
 次は万座・鹿沢口で下車。ここは街が広がっているが、平日の昼間だからであろう、車はある程度通るが人通りはまばらだった。平日なので〒とスーパーで昼飯を調達。
 次に乗った列車が長野原草津口で29分止まるので、駅前を散策したが、ここは草津・軽井沢方面へのバスの乗換地のようで、市街地はかなり離れているようだ。
 同じ列車で隣の川原湯温泉へ移動。この一帯は近い将来、八ツ場(やんば)ダムの建設により水没するらしい。そのため開発の手が着かず、昔ながらの風情あるこぢんまりとした温泉街が広がっているのだ。そこの公衆浴場、王湯に向かう。その途中車がすれ違うのがやっと位の細い道路脇に数件の旅館、商店が並んでいる。ここもまた静かだ...。当の王湯は300円で露天、内湯共に入れるが風呂自体は広くなく設備的にはよくないかもしれない。ただ、この温泉街の雰囲気だけは忘れられない。
 
 次はやっと土合を目指す。渋川、水上で乗換え17:55到着。今回は32分滞在のため、地上へあがってノート交換をしていたらすぐに時間が来てしまい、忙しかった。そして日は沈んだため、気温は結構低く、上着を着ても少し寒いくらい。帰りの列車は暖房までついていた。もうそんな季節か...。

 これで一日が終わりだが帰宅は十時過ぎ。明日は一応学校があるのだが...。


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