CORKSCREW Diaries(米国編)
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2002年06月25日(火) 필승KOREA


最初の文字は「ピルスン」なんですが、
ひょっとしたら文字化けして上手く表示できてないかも知れません。
「必勝」って意味です。
お〜何とかコリアって言うのは聞いたことはあると思いますが、
何とか・・・の部分はこれ。


正直韓国の熱狂ぶりは怖かった。
JUNGさんやリュウくん達には悪いけど。
ここで言っておくけど、僕は韓国という国も、韓国の人たちも大好きだ。
そうでなければ何回も行ったりしない。
だからこそ、このワールドカップでの韓国の熱狂を見ると怖くなった。
僕の見た蔚山のドイツ対アメリカ戦は、準々決勝に相応しい素晴らしい試合だった。
だけど、客席は試合開始までほとんどガラガラ。
直前になって近隣の住民が集められて埋められる始末だった。
それに対して次の日の光州の韓国スペイン戦は赤一色。
一体この差は何?
4試合あった準々決勝の中で客席が埋まらなかったのはこれだけ。
・ ・・
それはちょっとないんじゃないかなあ。
なんて思ってしまったのは僕だけじゃないはず。

ちょっと韓国の人たちは熱狂しすぎで怖かった。
相手国の選手がボールを持った瞬間にブーイングはさすがに無いんじゃないかなあ。とかも思ってしまう。
この状態を世界中に流し続けるのは、
韓国の地位を世界的に高めるどころか、逆効果になりえるんじゃないだろうか、
なんてことも思ってしまったぐらい。

だから今日はすごく残念と思ったとともにほっとしてしまったことは否定できない。
韓国もドイツも素晴らしかったし。
固いディフェンスを見せてくれたもの。両チームに拍手を送りたい。
このまま韓国には3位決定戦でも是非勝ってもらいたいと思う。

それにしても生で見たチームが決勝に進むのは嬉しいかぎり。
出来ればこのまま優勝してくれないかなあと思う。



2002年06月24日(月) gobacktoKOREA2(W杯観戦記2 7/8更新)続きはまた別の日付で


2002年6月21日 釜山−尉山

いよいよワールドカップの準々決勝を観戦する日になった。
チケット申し込みから2ヶ月半。
まさかこんなに簡単にチケットが取れるとは思わなかったワールドカップ。
飛行機の値段も予想外に安かったし、
日本で行われるゲームのチケットが取れなかったとお嘆きの皆さんは、
韓国のゲームのチケットを買ったら良かったのにねえ。
物価も安いし、下手に北海道なんかに行ってしまうよりもはるかに安いと思うんだけどなあ。
などと言ってももう大会は始まってしまったからもう遅い。
日本で羨ましがる同僚や友人を置いて僕はこの韓国に帰ってきた。
会計検査なるものの真っ只中なのだがそんなこと僕の知ったことではない。
ま、いっか。いや、決して良くはないんだけど。

そうして釜山での朝はまた始まった。
と言うか、今回もまた6時半から授業が始まるのだ。
勘弁してください亮佑先生。
いや、たとえ亮佑先生が勘弁してくれたとしても生徒の皆さんが勘弁してくれないだろう。
たとえ勘弁してくれたとしてもきっとがっかりすることだろう。
それはいけない。
と言うことで頑張って起きた。
隣でカシウチさんは寝ているのだがまあ気にしない気にしない。
前回は僕がもたもたしていたおかげで遅刻しかけてダッシュする羽目になってしまったのでその反省?を活かして今回は素早く準備を済ませた、僕は。
しかし今回は亮佑の方が準備が遅かったんだよ〜、もう。
で、結局今回もダッシュする羽目に・・・
今回はちょっと息切れしてしまった。
そのまま蔚山に移動する予定だったから荷物もいっぱい持ってきてたのだ。
3月の時と比べて同じ6時半でも外は大分明るい。
しかし毎日6時半は早いよなあ。生徒と違って先生は授業をそうやたらとキャンセルする訳にはいかないもんね。僕は今日一日だけだからまあいいやって思えるけど、毎日6時半って言うのはさすがに辛いと思う。

午前中は4時間連続で終了なのだ。3月は6時間連続だったことを考えると、
6月は授業数が減ったみたいだ。大学も試験シーズンみたいで総じて出席率は低かったような気がする。授業が減ったらそれだけ楽が出来るかって言えば決してそうではなくって、亮佑先生の収入に直結するのだ。亮佑にとっては頭が痛い問題と言えよう。
そして本日1時間目の授業、6時35分から。
前回はいなかった人もいるけど、この前にも会った人もちゃんといる。ちゃんと覚えてるよ。
お久しぶりです。再びお会いできて本当に嬉しいです。
韓国語を勉強する予定だったけど思った以上に出来てないのが本当に残念です。って言う感じ。
やっぱり6時半殻の授業は眠かったのか、あんまり内容は今回は覚えてない。
韓国ではやっぱり代表チームの躍進がすごいムーブメントを沸き起こしているらしくって、
やっぱりみんな「次も韓国が勝ちます」って言ってた。
誤審騒動についてはちょっと心を痛めているみたいで、何度かメールを書いてくれたカンさんがしきりに気にしてた。うーん、あのイタリア戦のトッティの退場はまあ仕方がないんじゃないかなあ。
退場が誤審だったとしても、それがイタリアの敗戦に直結した訳じゃないし。
日本の掲示板とかニュースを見て、心配しているらしい。
まあ結構日本ではあの試合を観て感動した人の方が多いから、
あんまり気にしないで欲しいって言ったんだけどね。
そうそう、釜山市にお勤めの公務員の河さんとも結構お話したね。奥さんは研究職で日本に行ってしまっているらしい。現在は一人で寂しいんだろうな。
ここPAGODAには本当にこういうかなり頭のいい人が多い。
亮佑とか僕のアホさ加減がバレないことを祈ろう。
それにしても韓国の男性は本当に奥さんを愛してて大切にしているみたいで、
奥さんのことをツッコむと河さんもいろいろ話してくれた。
「写真とかいつも持っていますか?」って聞いたら、「はい」と答えてくれて、
そんで見せてくれたのだ。美人の奥さんだったなあ。
河さん奥さんと子供さんをいつまでも大切にして下さいね。
(2002/06/29)


2時間目
3月の時はこの時間が一番盛り上がった時間だったので、
今回はどうなるんだろう・・・って思ってたんだけど、この時間も人は大分入れ替わっておりました。
人数も2人だけ。普段は3人って話なんだけど。
やっぱり学生の皆さんは試験期間中って言うのが効いているのかも知れない。
今回の生徒さんはアダルトなお二人の女性でございました。
一人は新婚ほやほやの奥様。
もう一人は・・・分からないんだけど、僕と同じ年くらいかなあ。
もう結婚してるぐらいの落ち着いた方でした。
3月の紀行にも書いたんだけど、韓国の人結婚しているしていないに関わらず左手の薬指に指輪をファッションでしているから良く分からないのだ。でも結婚してそうな感じのする美人でした。
新婚さんの方は、旦那さんが今は大津の東レで働いているみたいで、
もうすぐ日本にやってくるそうです。
そのために現在日本語を勉強しているんだって。
1時間目の河さんと言い、はなればなれの夫婦が多いなあと思ってしまった。
しかし東レって言うのも一流企業だからねえ、やっぱりここの生徒、エリート多いなあ。
大津にすむ予定と言うことで、よろしければまた韓国語を教えて下さいと、名詞を渡しました。
なにか有ればよろしくお願いします。
でも早く一緒に暮らせるといいですね。


3時間目
本日は全ての時間和やかに流れております。
いや別に3月の時が和やかじゃなかったと言うことはなかったんだけど。
なんとな〜くまったりとした雰囲気。
先生やクラスの雰囲気になじめなかったりした人はやめたり、
クラスを代わったりした影響なのかもしれない。
3時間目は前回ではなかなか会話が成立せずに亮佑先生が苦労したクラスだったんだけど、
今回は一番の盛り上がりを見せたのが3時間目。
どうやら大分クラスのみんなも馴染んできたらしい。
そうそう、3月に亮佑にケーキをプレゼントしていたのもこのクラスなんだよね。
前回はあまりにもクラスが盛り上がらなくって心配だったんだけど、新しい人も増えて今回は大変楽しいクラスになっていた。
リュウくんが買って来てたんだった。懐かしい。
彼は一昨日はお酒を飲みすぎて昨日の授業は来れなかったらしい。
ま、韓国も勝ったことだしね。
国中お祭り騒ぎの韓国を少しうらやましく思う。
あまりにもうれしくて3時間歩いて家まで帰ったとか、なんか韓国ってすごいって思う。
何て言うかもう、情熱的。
日本人の僕にはとても真似が出来ないなあと思った。
リュウ君だけじゃなくって、3月に出会った人にもいっぱい再会した。
結構覚えてるもんだなあと思った。
今回の授業のメンツはすごい。
ロンドンに13年間留学している「関ちゃん」
(あいのりの関ちゃんにすごくよく似てるのだ)
今度京大に留学する予定のパクさん。
とかとかなんかすごい人が学びに来てる。
ちょっと今回の釜山ではサッカーの話題に終始しすぎてしまった感はあって、
内容をそんなに覚えていなかったんだけど、それでも楽しかったことはよく覚えてる。
パクさんとは京都での再会を誓ってアドレスを交換した。
色んなところで色んな人とこうして僕はリンクしていく。
この繋いだ糸を決して切ったりしないようにしないといけない。
(2002/07/01)
4時間目3月の時は午前中6時間たっぷり授業に参加したのだが、今回は4時間で終了。
ちょっと拍子抜けしてしまうなあ。
この時間は高級クラスの時間。
前回の旅行記にも書いたがここ韓国では「上級」ではなく「高級」と言うらしい。
高級クラスまで行くとほとんど日本語がペラペラと言う話だけど、
今回は上がりたてっていうのもあったからかなあ、ちょっとレベルにバラつきがあった感じだ。
ちょっと僕も「話せる」って思ってしまったからだろうか、かなり早口になってしまって、
話に参加出来る人と出来ない人に分かれてしまった。これは反省。
「出来る」って思ってしまうとゆっくり話そうと言う努力を怠ってしまうのは良くない。申し訳なく思った。
さてさて今回もまた新婚さんがおられると言うことで、
馴れ初めやらいろいろ聞かせてもらった。
うーん、参考になるなあ。
こういう事情と言うものは韓国でも日本でもあまり変わらないね。
やっぱり一番重要なのは情熱と愛情なのかもしれない。
そういえば授業で話題になったことを思い出した。
亮佑先生、釜山での生活も7ヶ月が過ぎたと言うことで、大分韓国語にも慣れてきたんだけど、
かな〜り、釜山のサトゥリ(方言)に染まってしまったみたいなのだ。
韓国語の勉強にしても基本時にはテレビの講座を見て勉強しているから、
まあ標準語の発音になるのだけれども、釜山サトゥリに染まりきったのは亮佑先生だったみたい。
日本でも関西弁を話す外国人って妙にウケるみたいなもので、
先生はサトゥリ使って話してる〜って言うのは、
結構、それはそれで生徒からは暖かく受け入れられている証拠なのだ。
今回の授業では、亮佑先生の趣味のせいか、
あまり深くて高尚な話にはならず、
どっちかって言えばライトで楽しい話になった、
韓国と日本の違いを深く突っ込んで話したりするよりも、
お互いに交流を深めたって気がする。
だから日本人対韓国人って言う感じじゃなくって、
本当に友達みたいな感じで話せたんじゃないだろうか。
まあ確かに、3月に行ったときはかなり緊張して固くなっていたからね。
ちょっと会話の内容が真面目になりすぎてしまった。
語学って言うのはまずは「楽しい」と言うことありきだと思う。
でも確かにせっかく日本人である僕が来ているのだから国際交流は深めたい。
そんなチャンスお互いになかなか無いんだから。
(2002/07/02)

本日の授業はこれで修了した。
4時間って言うのはあっという間だった。
あとはもう、カシウチ氏がやって来るのを待つばかりだ。僕は何度か行ったことのあるPAGODAだが、カシウチさんには地図を渡しただけだった。うーむ、彼は果たして無事に来られるのだろうか。いや、多分来られることは来られるとは思うけど、入りにくくないかなあ・・・大丈夫かなあ、と少し心配になる。
ま、あんまり心配しても仕方がないので、講師室で僕は日記の更新を行い、亮佑はメールチェックを行う。講師室も何にも変わっていない。懐かしく思いながらもモニターに向かって文字を打ち込んだ。色んな想いが交錯する。
今回もまたあまりにもせわしなさすぎてゆっくり授業に参加は出来なかったなあ。まあ今回はワールドカップ観戦が主な目的になるから仕方がない。試合は20時30分からだから、おそらく本日の帰りは12時を回るであろうと思われる。睡眠不足な上に朝の6時半から授業に出てしまったが、僕の体力は果たして持つのだろうか・・・? ううむ、しかしまあせっかくここまで来て授業に参加させて頂かない手はないのだ。(2002/07/03)

そうして僕らはPAGODAの3階でソファに座って過ごした。
ジョンさんのバイトは13時までってことなので、バイトが終了次第お昼ご飯を食べに行く予定なのだ。
無事にカシウチさんとも合流に成功して、ぼやーっとする。
そう言えば3月のあの日も確かここでこんなことをしてジョンさんといたんだよなあ。
懐かしいなあ。
あの時はまだまだ寒かった。
なんてことを思った。
座ってたらジョンさんもやって来てまたいろいろ話す。
「ジョンさんバイト中でしょう? 大丈夫なの〜?」
とツッコんでみたが、「大丈夫なんです〜」とジョンさん。
この辺も3月の時と変わらない。
デジャヴみたい。
さすがに6時半起きは辛かったのか、どうもやっぱり眠い。
これからのハードなスケジュールを考えると体力を温存しておかないとまずいかもしれない。

そうしているうちに13時。ジョンさんのバイトも終わって、昼ご飯の時間だ。
昼ご飯は何にしよう。
キムチチゲにしようかユッケジャンにしようか、スンドゥブは昨日食べたよなあ。
うーむ、うむうむ。
結局、3月の時に食べたダッカルビポックンパプで決定。
タッカルビベースで作った、要は焼き飯である。
3月の時は中途半端な食欲であまり堪能できなかったので今回はリベンジ!なのだ。
どうも眠くってあまり会話が弾まない〜。
それに引き換えジョンさんは元気だった。
君は寝てるからだよ〜。
でもバイトお疲れさまジョンさん。
明日はいっぱい話しましょう。
昼食は美味でございました。
って言うかかなり辛かった。
辛かったけど美味しかった。
汗をかきかき食べたのです。
でもやめられない、とまらないのが韓国料理なのだ!
(2002/07/05)


辛いものを食べた後は甘いデザートが食べたくなるのが人情であります。
特に韓国の料理は辛いだけに甘いものが食べたくなる。
シュークリームが食べたい!、と言うことで韓国で有名なパン屋さん、
クラウンベーカリーに行ってまいりました。
小さいシュークリームが一個50円! 安いなあ〜♪
他にもパンを購入。クラウンベーカリーのパンは美味しいのだ。
韓国的物価を考えたらちょっと高いのかもしれないけれども。
さっきの昼食は我々が持ったと言うことで、ここはジョンさんにおごっていただきました。
ジョンさん有り難う〜。
そんなことをやっているうちに2時。
そろそろ尉山に向かって出発しなければ〜、と言う感じになった。
釜山市内からスタジアム行きのバスは結局無いってことで、
釜山総合バスターミナルにまずは向かう。
総合バスターミナルは釜山市内の北の外れ、老圃洞と言う所にある。
最近新設されたらしい。
新しく出来た施設と言うのは、確かにきれいで使いやすかったりするが、
土地の関係もあって街の中心部から遠いと言うパターンであるが、(関空しかり仁川しかり)
例によって釜山総合バスターミナルも果たしてそうであった。
中心部から地下鉄で30分と言うのは遠すぎる。
前にあったバスターミナルだったら15分ぐらいだったのになあ。
日本でもそうだが、韓国の地下鉄も線路が郊外に行ったら地上に上がる。
延々と広がる釜山の町並みは、多少の古さは感じたもののやはり大都市のそれだった。
サッカー観戦のために釜山から尉山に向かう人は少なくなかったらしい。
レプリカユニフォームを着た人々の姿も見られた。
釜山から尉山へはそれでもせいぜい1時間程度の距離。
この調子では4時前には着いてしまいそうだ。
イングランド×ブラジルの試合も(TVで)見られるかもしれない。
そんなことをカシウチさんと話しながらバスに乗った。
窓の外の景色を楽しみながら行こうと思ったのだが、
疲れていたせいかバスの中ではかなりぐっすり眠ってしまった。
気が付いたら外にサッカースタジアム。
大きくて広い。おまけにきれいなスタジアムだ。
ただし今はまだ3時。今から会場に入るのは早すぎる。
とりあえずはそのまま尉山高速バスターミナルに向かう。
街の中の雰囲気はワールドカップ歓迎ムードだった。各国の国旗が翻っている。街の中ではワールドカップを見に来ているのであろう外国人も多くいた。大体尉山行きのバスの中でさえ日本語が結構飛び交っているぐらいだし。結局尉山の街を歩いたりすることも無かったのだが、言ってしまえば地方都市と言う感じだ。広域市(日本で言ったら政令指定都市)だけのことはあって、街自体はきれいで都会だった。大抵のものはこの街に住んでいたら手に入るだろう。それでも韓国と言う国は日本以上に一極集中化が進んでいるのだが。
現代自動車のお膝元の工業都市。
日本で言ったら名古屋かなあ。
大きな街だけど特に見るべきものはあまりなさそうな感じだ。
「韓国らしい」風景がもしみたいのならば、やっぱり田舎に行くべきなのかもしれない。
そういうこともあって僕が好きなのは、やっぱり扶余の町だ。
あそこに行ったら、日本人が忘れていたものに出会うことが出来るから。
ただし扶余の町も最近では大分観光地化されてしまったのだけれども。
どこかでイングランド×ブラジル戦が観たいと言うカシウチさんのリクエストにお応えして
ちょうどバスターミナルの待合室のTVで試合を観た、
ちょっとだけ観て別の場所にでも移動しようかと言っていたのだが結局最後まで見てしまった。
バスターミナルにはワールドカップ用のインフォメーションがあって、
日本語英語会話が出来るボランティアもいた。
しかしワールドカップを見に行く人はほとんどが日本人。
韓国人はほとんどいない。
ここでも日本語がかなり飛び交っていた。
TVで熱心にサッカーを観ていたのはやっぱり日本人とか外国人(韓国で言うところのね)ばかりで、
あまり韓国の人はいなかったような気もする。
やっぱり韓国では自分たちの出ている試合以外はあまり興味が無いのかもしれない。
試合はブラジルがロナウジーニョの退場にも関わらず2−1で勝利。
日本では多くのにわかベッカムファンが悲鳴をあげていたことであろう。
今回のワールドカップは、一人退場してもそれで崩れるパターンは少ない。
それだけその一人欠けた分をきっちりカバーするからだろうか。
ブラジルも一人退場したとは思えないぐらいの動きで結局勝ってしまった。
イングランド及ばず。
まあ一人退場した時にはリードを奪っているから、
守る側としてはそれなりに楽だったかもしれないが。
同点またはリードされた側が一人減った状態で逆転したり勝ち越すのは非常に難しい。
日本で見直したらベッカムもやはり調子は今一つだったようだ。
しかしこれで準決勝へのコマの一つは埋まった。ブラジル。
後の3つは何になるのだろうか。
そのうちの1つはこれからのこの尉山の試合で決まる。
神戸で行われていたこの準々決勝のスタジアムは満員だった。
例え組み合わせが尉山と同じくドイツ×アメリカでも満員なのは変わらなかっただろう。
果たして僕らの試合は埋まるのだろうか。
それは行ってみるまで分からないが。
日本での準々決勝一試合目が終わったのは5時半ぐらい。
徐々にスタジアムに人々が動き始める。
いつまでもバスターミナルにいてもしょうがないので、僕らもそろそろスタジアムに向かうことにする。
晩ご飯はスタジアムで適当に食べたらいいだろう。
と楽観視していたのが実は大きな過ちであったことに後で気付いたのだが、このときはまだそこまで頭は回らず。コンビニとかあるかと思ったのにスタジアム周辺には何もなかったのだ。しかも場内の飲食物売り場は種類少ないしその上高い。できればうどん系とか温かいものが食べたかったんだけど。
まあこのときの僕らはそんなことは思ってもいない。
スタジアム行きのシャトルバスに乗り込んだ。
高鳴る鼓動と期待。
いよいよこの全世界を席巻するイベントを生で観戦できる、そして参加できるのだ。
そしてシャトルバスは会場へと向かう。
(02/07/08)

一日の掲載可能文字数をオーバーしたので、続きは別の日付で改めて掲載します。



2002年06月23日(日) Be The Reds!


と言うことで無事に帰国して参りました。
何だか咽喉が痛いのは、
韓国の応援をしすぎた、と言う訳では無く、
おそらくはハードすぎたスケジュールからだったのだろうと思われます。
しかし韓国の快進撃はいったいどこまで続くんでしょうかね?

スペイン戦勝利の後もう釜山はえらいことになってて、
もう夜中までお祭り騒ぎ。
幹線道路まで人で溢れかえっておりました。
日本じゃあんなの考えられないなあ。
絶対に警察がやってきて逮捕者が出てますわ。
まあ、こんな風景も滅多に見られるものでもないし、
なかなか貴重だったんですけど。
亮佑は「今度負けたときが怖い」と言っておりました。
ううむ確かに。
頑張れ亮佑。
日本でキミを応援しておりますよ。

まあ、そんなところで、
今回の旅もまた楽しく終わりました。
今度はいつ行くことが出来るのかどうかは分からないのだけれども、
頑張って日本語も韓国語も勉強しようと思ったのでした。
滞在日記はまたしばらく後に書きまする。



2002年06月22日(土) GoBackToKOREA(02/06/20 W杯観戦の章その1)


2002/06/20金曜日 京都-釜山


釜山で日本語の教師をやっている亮佑の所に遊びに行ったのは今年の3月のことだった。
今度は6月ぐらいにまた必ず行くからと言って僕は韓国を後にした。
ワールドカップを見に行くつもりで。
チケットは余っているとは聞いていたものの、
まさか本当に買えるとは思ってもいなくって、
チケットが家に届いたときは感動だった。
2002年6月21日金曜日。準々決勝・尉山。
今に来る来ると思っていたのだけれども、
今回もまた、すぐにその日はやって来た。
さすがに今回は前日までにかなり準備を整えておいたのだけれども。
まあ釜山は今年二回目、韓国に至っては今回で6回目だから、
それほど緊張してないんだけど。
欲を言えばもっと韓国語を勉強してから行くべきだったかなあと思う。


今回の旅の目的は、ワールドカップ準々決勝観戦がメインの目的。
高校の時の同級生、カシウチさんと一緒に観戦予定である。
一緒にとは言うものの彼は東京からやってくるので、釜山で合流予定である。
頼りになるのは亮佑の携帯のみと言うなかなか心細い状態。
これがつながらなかったら尉山のスタジアムでしか会えないのだ。



さて前回は大韓航空で行った釜山だが、今回はアシアナ航空で行くことになった。
アシアナ航空は日本では結構マイナーだけれども韓国で2番目の航空会社で、
主要都市には国際線も飛んでいる。
惜しむらくは日本からの接続が今一つな点で、
接続さえ良ければもうすこし遠くに行くにも使えるのだが・・・
機材は大韓よりもちょっと古くて小さいのだが、
3000円安かったのでこっちを選択した。
正味フライト時間1時間の距離だから、マイルも貯めようが無い。
初めて乗る航空会社って緊張するんだけど、アシアナは地上職員の制服が可愛らしい。
これは期待大!(何がやねん)


いつもの如くやたらと前置きが長くなってしまった。
この調子では韓国に辿り着く迄にかなりの文字数がかかりそうだ。
まあ例によって行きはお金をケチって関空までは快速で行く。
タクシーを使いたいのだがまあ2000円の差は結構大きい。
梅田までは阪急電車で向かう。
昨日から読んでいた三浦綾子の「塩狩峠」を最後まで読んで感動している間に梅田には着いた。
最近本当に寝不足だったから、どうもやたらと眠くって、関空快速の中ではまたもや熟睡。
着いたら12時。
集合時間は少しだけ過ぎていたが、まあこれぐらいは許してもらえるだろう。

ちょっと遅れたとは言え、
チェックインだけ済ませてしまったら後はもうやること無し。
特に一人で行くときはBORDINGまでが非常に待ち時間が長いのだ。
大体本屋とかに行って暇をつぶすことが多い。
なんせ関空は全てが飛行場料金なのだ。高い。
テナント料とかも高いのは分かるけどひどい。
それでも背に腹はかえられずマックに行って昼ご飯を食べてしまった。
関空発は13:50だからちょっとお腹が空いたのだ。
機内食もほとんど期待できないし・・・
関空特別料金?でハンバーガーセットが520円だった。高い。
テリヤキセットに至っては680円である。誰がこんな高いマックを食べるかい! 
と思いつつも食べてしまった。とりあえずは一番安いハンバーガーセット。貧しい。
本屋では塩野七生の「ローマ人の物語」の文庫版を購入。
読むヒマ、無いかもしれないが。
(2002/06/24)


そうしているうちにいい時間になった。
長いようで短いのが待ち時間。
待合室に入って少し経ったらもう搭乗。早い。
メールを打ってるようなヒマも無い。
今回の飛行機はA321。大韓航空もエアバスだった。
エアバス好きなのかなあ? 韓国。
飛行機は左右二つのブロックしかないような小さな飛行機だった。
こんなに小さい飛行機はアイスランド航空以来・・・と思ったが実はバンコク・エアウェイズ以来。
大韓航空に比べたら飛行機は明らかに一回り小さかった。
まあいい、どうせ正味1時間しかないフライトなのだから。

さすがにワールドカップ開催中のフライトだけのことはある、飛行機は満席だった。
隣の席の人々もサッカー観戦らしい。明日の尉山も明後日の光州も行くそうだ。
尉山は釜山から一時間で行けるからいいけど光州は4時間半、さすがにきつすぎる。
カシウチさんは行こうか迷ったらしいが、僕はまあいいや。
どっちにせよ、ベスト8に韓国が勝ち上がってしまった時点でチケはもう売り切れだろう。
うーん、しかしにわかサッカーファンだなあ>僕
と密かに鞄の中にしまいこんだ中村俊輔Tシャツを想う。
せっかくだからこのお祭り騒ぎの雰囲気を楽しみたいのだ。

アシアナの機内食は結構美味しかった。
ライバル?の大韓と比べても、こっちの方がはるかにボリュームもあって、
蕎麦なんかも付いている分アシアナの勝ち!
出掛けにマックなんて食べる必要も無かったかもしれない。
だだなんか客室乗務員は無愛想で、頼まなければビールももらえなかった。
頼み込んでもらったのはいいが冷えていないビール・・・そんなん飲めるかっちゅーねん。
僅か一時間のフライトに期待する方がいけないのかもしれないが。

釜山へのフライト時間は本当に短い。
新聞読んで機内食食べてビール飲んで機内雑誌を読んだらもうそれで終わり。
寝るヒマももう無く釜山に飛行機は到着した。


さすがに3月に来たばかりの釜山ということもあり、手続きはスムーズに進む。
入国審査も、両替も、別に問題ない。
サクサクサクと進んでいく。
あ〜亮佑に電話しないとしないと〜、って感じになってなって電話。
・・・なんだか機嫌が悪そうな亮佑だった。
大丈夫かなあとちょいと不安になる。
その後インフォメーションで明日の尉山の行き方とかを聞いておく。
ついでに「まるごと釜山」なるフリーの情報誌をもらう。
面白いんだわコレ。しかも置いてあったのは最後の一部だった。
ラッキー〜!! と当然の如くもらって帰った。

で、リムジンバスに乗り込むか・・・と思ったが、
しまった!機内に預けた大きな荷物を持ってくるのを忘れてた!
荷物をピックアップするのを忘れるなんて間抜けなことをするのは初めてだ。
あまりにも気が抜けていたというか、焦っていたのかもしれない。
慌てて荷物預かりのタグを警備員に見せて、荷物を取りに戻った。
残っていたのは僕の荷物だけ・・・良かった〜。
しかしそれにしても荷物が一つだけ残っている光景は恥ずかしいものがあった。
係の人も困っていたに違いない。


気持ちを取り直してリムジンバスに乗り込む。
これまた3月の時とは違ってほとんど満席だった。
しかもほとんどは日本人。
あのときはほとんど日本人になかったからなあ。
たぶんほとんどがサッカー観戦に違いないのだろう。

今回もまたぼんやりしているうちにバスは進む。
見慣れた景色が視界に飛び込んでくる。
最初は違和感のあったハングル文字だが、それもだんだんと眼に馴染んでくる。
3月の初めにここにやってきたことを僕は思い出して実感。
ああ、僕はまたこの街に帰ってきたんだなあってことを。
生まれ故郷は日本にあるはずなのに、何故か此処は懐かしい匂いがする。

バスはそしてロッテホテル前に到着!
何人か降りる乗客。
そして当然泊まるようなふりをしつつ僕はロッテホテル内に入る。
・・・・こんな高級ホテル最近泊まった覚えがない。
ロビーの電話から亮佑に電話して、迎えに来てもらうことに。
ホテルに隣接するロッテデパート前にはインフォメーションがあるのでそこで待っていて欲しいとのこと。
そこで僕は亮佑を待つ。
(2002/06/25)


ひょっとしたら尉山のスタジアム行き直行のバスが出ていないのかなあと思い、
インフォメーションで情報を確認したが、結局の所空港のインフォメーションで聞いたことと変わらず。
日本語が結構通じると言われている韓国だが、空港でもここでもコミュニケーションは英語だった。
韓国における日本語の需要と言うものはやはり以前よりも減りつつあるのかもしれない。
(と言っても以前として日本語の需要が多いのは事実だが)
結局釜山総合バスターミナルが地下鉄の終点である老甫洞にあるので、
まずはそこまで行ってそしてバスに乗り換えて尉山に向かうと言うことだ。
地下鉄の終点だから、30分ぐらいはかかるらしい。遠いなあ。
とかとか思いながら説明を受けているうちに亮佑と・・・ジョンさんがやってきた。

亮佑には5月に会ったばかりだけどジョンさんとは3ヶ月ぶりの再会!
ふたりともあまり変わってない・・・ことはなくって、
なんか髪の色がずいぶん変わっているような気がするなあ、ふたりとも〜。
亮佑は眼鏡も韓国製に変わっている。色までついております。
もうすっかり韓国に同化している感じ。羨ましい。
まあ亮佑はともかくとしてジョンさんとの再会は僕もとても嬉しかったものの、
なんだか緊張してしまってなかなか会話は進まない、と言っても最初のうちだけだったんだけど。

しかしまあ、会ってすぐにジョンさんが言ったことは、
「まさか本当に来るとは思わなかった」だもんなあ。
こっちも「ジョンさんちょっと太った〜?」とか言ってるし。
まあこんなことが言えるぐらい仲良しってことなんだけどね。
あの時僕は言った。
「必ずまた僕は戻ってくる」
もう、信じてなかったのかよ〜。
僕はこうして戻ってきた、そう、情熱は約束を守る。
今度はいつ、戻ってこれるかわからないけど、でもまた来たいとは思っている。
でもとりあえず今は、今回の滞在を楽しまなくっちゃね。
それはそうとしてジョンさん、「太った〜?」なんて僕が言ってしまったのは、
ジョンさんのガタイがあまりにも良かったからなんだよ〜。
胸板とか分厚いんだよね〜。亮佑とか僕に比べてさ〜。
しかし筋肉がTシャツからあふれてるみたいだよ。
ちょっとTシャツ小さすぎるんじゃない〜?
なんて事を思ったのだった。
でも久しぶりに会えて本当にうれしかったなあ。
ジョンさんと亮佑もあれからもっともっと仲良くなったみたい。
いいなあ、って思った。


そしてPAGODA学院に向かう。
言わずと知れた、亮佑が日本語を教えている場所である。
ジョンさんはこの学院でアルバイトをしているのだ。それで亮佑と知り合ったという訳。
久しぶりにPAGODAの門?(実際はそんなものはない)をくぐる。
PAGODAの中はほとんど変わっていなかった。まあそりゃあそうだ。
亮佑先生、しかしそんなメッシュの入った金髪で授業やっていいんですかい?
しかも服装思いっきりラフだし。
ツッコんでみたら今はワールドカップ開催期間中だからいいとのこと。
何でもありだなあ韓国。日本なんて職場で見るなとか無茶言われてるのにさ〜。

PAGODAの4階のソファで僕らは座っていろいろ話した。
3月に初めて話した時は、まだまだ外は寒かったなあと思いながら。
あの時一緒に撮った写真と同じようなポーズを取りながら写真を撮った。
すごく不思議な感じがした。
季節が流れてもそこに存在するものは変わらない。
釜山の街も所々変わったような気もするけど、
だけど変わらないものは同じだ。
僕とジョンさんや、亮佑との海を越えた友情も変わらずにいたらいいのにね。


そうやって僕らは久しぶりの再会を懐かしんでいたんだけど、
ジョンさんが学校に行かなければならない時間になったので、
一度お別れ。その間は結局どうすることになったかと言えば、
授業にまた参加することになったのですよ、やっぱりね。
ジョンさんと別れた後僕らは、PAGODAの講師室に行った。
お久しぶりに日本語科の主任、韓京(ハンギョン)先生にご挨拶。
「私のクラスが今からあるのですけれども是非出て下さい」
分かりました韓京先生。
先生のおっしゃることなら不肖私、授業に参加させていただきまする。
で、出てきたんだわ。なぜか亮佑先生も一緒。
彼のメッシュの入った金髪具合たるや、絶対に一見先生には見えなかったであろう。
これもワールドカップ期間中だからいいのかなあ。
(2002/06/26)

韓京先生のクラスは初級会話のクラスって事らしい。
最初は、日本人に対して質問して下さい、とか言うところから始まる。
皆さんいろいろなことを聞いてくるねえ。
「恋人はいますか」とかとか、結構プライベートまでツッコまれたりして。
「いません」とか答えるのは辛かったりする。ううむ。
しかしまあ、使っているテキストの日本語はやたらと難しかった。
茶道とか精神鍛練とか出てくるような文章を暗記しているのだ。
ちょっとコレ日本人でも難しいような文章なんですけど〜、とか思いながら一緒に聞いていた。
韓京先生の授業は、ツボを押さえた非常に楽しい授業だった。
笑いをとるところでは生徒の笑いをとり、
予習をしないところではこわ〜い顔を見せたり、
でも結果として非常に内容の充実した授業だった。さすが韓京先生!
亮佑先生も是非頑張って欲しい。
隣で授業を受けていたのは釜山大学に在学中の学生。
いかにも純情そうでかつ賢そうな少年だったなあ。
僕にもあんな時代があったのだよ(嘘)とか思ったりして。
そうそう、今回はちゃんと授業の後にみんなで記念撮影は欠かさずにやりましたよ。
みんないい笑顔で写っております。


次は亮介先生の授業。
なんだけど、ちょっとだけ韓京先生の授業に来て下さいと言うことなので、
ちょっとだけ出てきた。
このクラス、実は3月に、発音練習を僕がしたクラスだったのだ。
懐かしいなあ。
あの時は教室一杯だった生徒も今は半数以下になってしまった。
でも覚えてる。ノート見せてもらった生徒の顔もよく覚えてる。
生徒の皆さんなんて僕のこと覚えているだろうな〜。
いきなりやって来た日本人ってインパクトあっただろうもんなあ。
またみなさんにお会いできて本当に嬉しかったです。
ってちょっとだけご挨拶して教室を後にした。

そうして亮佑先生の授業に移動。
毎月毎月授業体系は違うみたいで、以前の授業のメンバーとはまた違っていた。
普通の語学学校と同じように変わるんだなあ。
先生との相性もあるし、自分の時間帯の都合もあるし、
本当にいろいろだ。
クラスを移って行く生徒も勿論たくさんいる。

「一期一会」って言葉を最近本当に感じることが多い。
多くの人たちと僕は出会い、そして別れていく。
それっきりになってしまう人もいれば、
そのまま友情が続いていく人だっている。
ジョンさんみたいに、会ってすぐに友達になれるような人だっている。
色んな出会いを本当に大切にしたいと、旅に出るたびに僕はいつも思うんだ。

明後日にスペインとの準々決勝を控えたせいか、
韓国でもワールドカップは盛り上がっているらしい。
赤いTシャツを着て韓国を応援する、「レッドデビル」のことがこの授業で話題になった。
みんな絶対に勝つ気でいるのが本当にびっくりする。
これが日本だったら、ほとんど誰もスペイン相手に勝てるなんて思わないだろう。
久しぶりに日本語会話の授業に参加したけど楽しかった。
ちょっと疲れていたのだけれども楽しかった。
今回はだけれどもあまり授業の内容を正確に覚えてない。
前回あれほど克明に覚えていたのが本当に不思議に思える。


PAGODAのパソコンでまた日記をかかせてもらってから、晩ご飯を食べに行くことになった。
本当はジョンさんの友達をお酒を飲もうとか言う話になっていたんだけど、テストがあるとか言うことで、今日は延期になったのだ。
で、亮佑と、後はリュウくんと言う亮佑のクラスの生徒さんと一緒にご飯を食べに行くことになった。リュウくんは、実は3月の亮佑の誕生日にケーキを買ってきてくれた青年だ。
すごい優しい青年で、一緒にご飯を食べて楽しかった。
明日の3時間目の授業でもまた会えるみたい。
晩ご飯はスンドゥブチゲ。豆腐のチゲ。
スンドゥブチゲも結構好きなんだけど、なんか今回は味がしっかりついていなかったような・・・ ただしここの店はおかずが食べ放題で、それをいいことにたくさん食べたなあ。
パジョンとかプルコギとか美味しかった。しかしメインのチゲはやっぱり今一つだったみたい。
時々日本にもあるよね、こういうお店。


まあそれはそうとしてそろそろ到着予定のカシウチさんから電話が全然かかってこない。
実は晩ご飯を食べたお店は地下にあって、電波が入るかどうかが心配だったのだ。
でも韓国の携帯は平気で地下まで届くらしくって、アンテナもちゃんと立っていた。
しかし連絡は来ない。うーむおかしい。
とりあえずはロッテホテルまで様子を見に行くことにする。
10時過ぎにはリムジンバスも到着しているはずだから、もし連絡が取れなくても待機していてくれるはずだ。いっこうにかかってこない電話にやきもきしながら、ロッテホテルに急いだ。
これだから連絡手段が電話のみというのは本当につらいんだよなあ。
僕も3月の時は本当に緊張した。

・ ・・ロッテホテルに入ってしばらく周りを見渡していたら、
ひょっこりカシウチ氏登場。よかったよかった。
しかし電話はどうなっていたんだか。と聞いてみたら、
「つながらなかった」との事。
やっぱり地下が悪かったのかどうかはわかんないけど、出会えなかったときのことを考えるとヒヤッとした。ま、会えたから良かったんだけどね。


ジョンさんが戻ってくるみたいだったから、
近くのマクドナルドでジョンさんを待った。
しかし時間はすでに11時近く。
ジョンさんに来てもらってももうあんまり時間がないなあと思ってしまう僕。
テレビではBoAが映っていた。
韓国のBoAは、日本とは違ってかなりダンサブルだ。
やっぱり日本と韓国では戦略あ違うのだろう。
と待っているうちにジョンさんが来てくれたんだけど、
もう時間は遅い。そろそろ帰らないと、ね、先生、明日もまた6時半から授業があるんでしょう? で当然僕も参加するんでしょう?
「当たり前ですよ」と亮佑先生。
ごめ〜んジョンさん。ということで今日はそろそろお別れなのだ。
「え〜?! そりゃ無いですよ〜」とはジョンさん。
いやいや、まあまあ、また明日、そして土曜日に一緒に韓国を応援しつつ一緒に過ごそうではないか。と、不満顔のジョンさんには本当に申し訳ないながらも家路に着いた。
ごめんねジョンさん、せっかく来てもらったのに。
明日の授業が6時半なんかじゃなけれりゃ今日は一緒に遊んだんだけどなあ。
すげえ残念。いや本当なのよジョンさん、信じてよ〜。
と言うことで久しぶりに亮佑のアパートに行って男三人、雑魚寝したのでありました。

一日目終わり(2002/06/27)



2002年06月21日(金) 情熱は約束を守る


プサンに来て、ロッテ百貨店の前で亮佑と待ち合わせた。
一緒に迎えに来てくれたJUNGさんが、
「まさか本当に来るとは思わなかった」
なんて言うもんだから、
それに対して僕が言った(思っただけかもしれないけど)がタイトルの言葉。
情熱は約束を守る。
そして僕はここに帰ってきた。
ああ、PAGODAの授業にまた参加させてもらって考える。
僕はこのままで良いのかと。
授業は楽しかった。
またもや6時半から参加する。
ほとんど寝てないのにそれでも楽しかった。
昼からはウルサンに移動して試合の観戦だ。

僕は・・・僕は・・・

今度はいつ来られるのかも分からない。
前回来た時に、6月に来るっていうのはほぼ決定事項だった。
今度は、今度はいつ来れるだろう。
たまにはここに来て、初心に返る必要を感じた。
忘れかけた事を取り戻すために。

と言うことで昼からはワールドカップです。
さすがに明日の更新は難しそうな感じです。
滞在記は必ず書きますので、またご期待ください。






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