| CORKSCREW Diaries(米国編) |
うちの病院は公共の病院と言うこともあってかなりの数の患者がやって来る。 一日2000人以上の患者数である。 まあ大病院って言うのは、それだけ組織が大きい分小回りが利かないことが多い。 正直患者数に対してスタッフ数が足りていないと言うのが現状で、 それに対して患者は山ほどやって来るのでサービスがどうしても追いつかないというのが現状だ。 事務処理的過ぎるという批判があるのは重々承知だが、 事務処理に徹しないかぎり患者に診察を受けて貰えないと言うのも、 悲しいかな、現状である。 当然のごとく、 出来ることと出来ないこともあり、 それに対して文句を言いに来る患者も時々いる。 そりゃあ無理である。 もともとやってないものを出来るはずはない。 「他の所はやっている」 いやあそんな論理を振り回されても我々は困る。 公共の施設である以上、全ての患者に対して平等なサービスを行わなければならない。 それを履行することは我々の勤めである。 1人の要望に対してそれに応えることは当然出来ない。 それは無理である。 そんなにわがままを聞いて欲しければ、 専用病院にでも作って世話してもらえばいいのだ、 ってのは極論だけど。 けれどもかなりの患者がさまざまな不都合に堪えているのだし、 スタッフもスタッフで医師や患者がスムーズに診察を受けられるように尽力しているのだ。 それをあーだこーだ言われてもね。 まあ、自分のわがままが通らない場合喚き叫ぶ患者もいたりするが、 そう言うのに対しては非常に冷たい対応になるのは、 どうしようもないかもね。 うちら、確かにサービス業だけど、 だけど提供される側もする側も、 やっぱりルールと節度と礼儀にのっとってやんないといけない。 「お客様」だけど、「お客様は神様」ではないね。 あ、読者様は神様ですけど(笑) |
スタヴァンゲルはノルウェーで第四番目の都市である。 北海油田の採掘基地として発展した街である。 我々は関空からまずはフランクフルトへ、 そしてオスロに向かい、最後にスタヴァンゲルに到着する。 と言うことで頭の中はもうすっかり北欧でいっぱいな僕です。 世間様はお盆休みと言うことらしいですが、 我々には全く関係ありません。 いやいいんです。 10日後にはノルウェーに向かうんですから。 あ〜やっぱり車で回ったほうがいいのかなあ、 人と同じ事はしたくないなあ、 それにしても情報、少なすぎる。 果たして予定通りに行けるのかどうか、こればかりはすごく心配。 行ってしまえば何とかなるって事は知ってるんだけどね。 しかしホントに計画を立ててる時が一番楽しいんです。 |
昨日の国立近代美術館に続いて、今日は京都国立博物館にやって来ました。 坂本龍馬の展示を見るためです。 なんかもうすっかりひきこもりじゃなくなってるね僕。 TEAM HIKIKOMORI代表から退く日も近いかも知れません。 しかし二日続けてなかなかハイソな(これもすっかり死語な気がします)ことやってますね。 司馬遼太郎の「龍馬が行く」を読んだことがある人ならご存知かと思われますが、 龍馬は数多くの手紙を書いて送っており、そのうちのかなりの数が現存するのです。勿論歴史的に第一級の資料であることは言うまでもありません。ほとんどが重要文化財に指定されてるみたいです。 しかしホントに筆まめな人ですね。 現代社会に生まれててもメル友には苦労しなかったでしょう、なんてことはないかなあ それにしても龍馬の書く手紙って言うのは、すごく生き生きとした文体で書かれてるから、読んでいてすごく面白い。さすがに昔の人の書く文章だからそれなりに難しかったりはするのだけれども。 図入りの手紙もあったりして、これもまた面白い。この人さぞかし面白い人だったんだろうな。 暗殺された時に部屋にかかっていた血染めの掛け軸とかの展示もしてありました。 血染めと言う割には、ちょっとだけ血が飛び散っていたぐらいだけど、まあそれでも生々しかったです。 龍馬って言う人は、自分自身剣の達人だったって言うこともあったのか、 それほど自分の身を守ることを考えていなかったような感じがしますね。 もうちょっと気を付けていたらいいのに。 維新の志士たるもの、生き残ることもとても重要だと思うんだけどなあ。 結局藩とかのしがらみにあまり関わること無く、 自由な思想を持って維新に臨んだのは龍馬ぐらいですしね。 彼の役目は明治維新を成し遂げて終わった、なんて言う人もいるけど、 やっぱり彼が生きていたら維新の形も変わっていたと思います。 まあ、いろんな人がそう思っているんだろうけど。 薩摩藩邸とかに滞在してたら暗殺されようも無かったのにね。 まあ、天才って言うのは遠くの物を見渡すことが出来る代わりに、 自分自身は見えていないと言うことが結構あったりしますね。 結局明治維新の時には大物はほとんど死んでしまってるものなあ。 藩閥政治とかそういうことも無かったんだろうな、龍馬みたいな人物がもう何人かいれば、 それとも彼は自由民権運動の代表者にもなっていたかもしれません。 そういう可能性を考えると、惜しい。の一言に尽きます。 享年32歳。 僕もだんだん近づいてきました。 32歳で僕は一体何が出来るというのでしょうか? ってなことを思うとぞっとします。 |
ヴィジュアル系ってすでに死語だよなあ、 なんて思っていたのだけど、発見してしまった。 京都会館でPierrotが公演するみたいで、 なんか周辺には黒ずくめの服着た不思議ちゃんがいっぱいだった。 しかしなあ、結構美人でスタイルも多い娘多いのに、 なんて勿体無い。今どき黒髪も多かった。 きっとボーカルが、 「俺は黒髪の方が好きなんだ」 なんて言ってたんでみんな黒髪にしてるに違いない(ホントかね?) なんと言うことを、 タダ券を貰ったのをいいことに行った国立近代美術館に行った帰り、 友人と悪趣味にも観察していたのでした。 しかしいくら美人でスタイル良くっても、 彼女に出来るかって言われたら、無理だよなあ。 Tシャツにジーンズが基本のライブにばかり行っている僕は思ったのでした。 関係ないが今年の京都女子大学の学祭はヘルマンとGOING UNDER GROUNDのジョイントらしい。 うお、ポップジャム以来のジョイントじゃん(他でもあったのかもしれないけど) 行きたし。 Hermann H. & The Pacemakersは京大西部講堂でもやるみたいやね、 こっちの方はクラムボンとのジョイントだって。 |
International Relations と言うのは以前にも書いたが僕が卒業した学部の名前だ。 これと言って勉強はしなかったけど、でも色んな意味で国際的視野は広がったと思う。 それは今なお、勉強という面では無いが、色んな面で僕の中で活かされている。 亮佑さまの書き込みに対するレス 毎度格別のご引き立てを賜り、有り難うございます。 空港名コードとか航空会社コードはねえ、 確かに観光学科とかに通ってる学生にとっては重要なのかもね。 まあ僕みたいな航空マニアみたいな人にとってもそんなにどうでもよくないのよ。個人的趣味の範囲とは言え。 ただ、やっぱり一般人に取ってはかなり必要性の薄い知識のような気はするかなあと思われます。 過去10年間のダービー馬を知っててもあんまり役に立たないように。 しかし観光学科と言うのは日本にはあまりありませんね。 韓国には観光公社と言うものも存在したりするのに。 国によっては観光庁とかあったりするところもあるんでしょ。 観光とかに関してはほとんど自治体任せだもんね。 日本という国がいかに観光を重視していないかが分かりますね。 で、リュウくんのお友達が来たときのエピソードなんだけど、 いやあ、書こうと思ってたんだけど、 なんとな〜くそのままになっててん。 ってかコレを書くときみへの罵声のオンパレードになってしまうのだよ(笑) 亮佑の教え子達が日本にやって来ると言う電話を亮佑からもらった。 土曜日に京都に遊びにやって来るので案内して欲しいとのこと。 ワールドカップで渡韓してから一ヶ月ぶり。お久しぶり。 ちょっとだけ話したことがあったぐらいだけど分かるかなあ、とかとか思う。 そうそう、我が家は山の中腹にあるから携帯の電波が非常に入りにくいのだ。 連絡手段が公衆電話のみの彼らから電話があったときに電波が悪くて切れたら困るし亮佑、 アンタ俺ん家の自宅の電話番号をちゃんと教えておいてな。 と亮佑にその時伝えておいた。 数日後・・・果たして電話がかかってきた・・・携帯に。 で、話している途中で見事に電話が切れる。繋がらない想い・・・。 じゃないよ、あれ、亮佑アンタちゃんと自宅の電話教えたの? と怒りのあまり韓国に電話を入れる。 「いやあ、うっかり忘れていました。」 「うっかり」じゃあねえだろ「うっかり」じゃあ、このスカポンタン亮佑! と韓国の亮佑に今更怒っても全く仕方がないのだが、 怒りをぶちまけずにはいられなかった。 こういうところが片手落ちだからいつまでたってもアンタは・・・もう凸(`_ユ) まあその後電話がもう一回かかってきて、 そんでもって結局会えることになった。 ただ、当初は土曜日に会うはずだったのが、金曜日に京都に来ることになったらしい。 金曜日は仕事なんだけどなあ・・・ 仕事が終わった後に食事でもと言うことになった。 果たして五時過ぎにかかって来た電話。 銀閣寺にいるとのこと。お、ちけえじゃん。 「じゃあ百万遍まで来て下さい。大学の学生食堂でご飯でも食べましょう」 ってんで近くのセブンイレブンで待ちあわせ。 バイク走らせて迎えに行ったら、いたいた。お久しぶりです。アンニョンハセヨ。 亮佑君の教え子のふみえちゃん(これは亮佑がつけたニックネームね、韓国の人ですよ)たちだ。女の子3人と男の人1人。なかなかすごい人数構成だなあ。 初対面では無いんだけど、それほど話したことがある訳でもなかったから緊張。 まだご飯食べるにはちょっと早すぎるね、けれどもしかし時刻は5時半を回っていたからお寺とかにはもう入れないしなあと言うことで、京大の構内を通って吉田神社に行く事にした。吉田神社って言っても何にも無いんだけど、京大構内はそれなりに面白いでしょう? 写真なんかを取ってしまったりして(ちょっと恥ずかしかった)僕らは進んだ。 思ったより話、進んだなあ、まああんまり覚えていないんだけれどもね。 僕は再び韓国語を更にブラッシュアップする必要をかなり感じた。 って言うか、外国人と交流することは非常に楽しい。 楽しいって思うことは非常に重要なことで、 楽しかったらもっと頑張ってやる気になるもんね。 語学ってのはそっから始めるべきだと思う。 吉田神社のベンチに腰掛けて、 どういう旅をするのかだの、 日本はとにかく暑い! とかとかそんな話をしてから、晩ご飯を食べに移動。 お金もそんなにかからない京大の学食に行くのだ。 ここで僕の職場の女の子も合流。 韓国から友達が来るって言ったら、来たい!ってことなので、是非是非ってお誘いしたのだ。 テレビ「とっさのハングル」で勉強したって言う韓国語をいきなり使いだす彼女はすごい! 語学はやっぱり体当たりだよなあ、って思った。 日本で安くてある程度美味く食費をあげるというのは大変至難の業なんだけど、 まあ学食って言うのは結構うまいこと出来る場所だ。 その気になったら和食だっていくらだって食べられるんだから。しかも安く。 味はまあそれ程期待しちゃいけないが、そんでもまずいものが出てくることは少ない。 みんな折角だから和食食べていけば良かったのに、 なぜか3人が選択したのは、オムライスだった。 オムライスって韓国にはあまり無いの? って聞いたらそうでもないらしい。 だったら尚更勿体無いような気もするなあ。 1人は冷麺。韓国式とはちょっと違った日本式の冷麺だ。 日本の冷麺も美味しいよって言って薦めたのだ。 かくしてご飯食べながら、またいろいろお話を。 オムライスはどうも量が多かったみたいで、女の子達はちょっと残してた。 韓国の人はやっぱり毎日キムチ食べてるからか、キムチが欲しくなったみたいで、キムチを頼んでた。 味違わないのかな? なんてちょっと心配になったりするが、まあ大丈夫みたいだ。 みなさんそれなりに食事をしっかり楽しんでたみたいで、良かった良かった。 案内とか出来なかったのは残念だったけど、 みんなが楽しんでくれたみたいなのが本当に良かった。何て思った。 電話が繋がらなかったらどうしようかと心配したものの、 上手いこと会えて本当に良かった。(ホントに亮佑のスカポンタン!) 釜山に是非遊びに来て下さい、なんてまた言われて、本当にまた行きたいと思った。 行きたいなあ。休みが欲しい。欲しい。 そして僕らふたりでバス停までお見送りして、そして別れた。 ほんのちょっとだけど国際交流。 楽しかった。 こういう機会を設けてくれてありがとう亮佑。 でもこのスカポンタン!(笑) |