CORKSCREW Diaries(米国編)
MAIL HOME BBS

←BACK INDEX NEXT→

2002年11月25日(月) 「こちら」の世界の人と「あちら」の世界の人(後編)


*****この文章は、一応11/23の日記の続きです。********************
*****前半とはあまり関係がありませんが、まずは前半から読んだ方が、***
*****理解が出来るかも知れません。と言うことで、よろしくお願いします。***





「恋する乙女」は言った。
「あなたは好きにしたらいいと思う。
 確かにそうしたら今はすっきりするかも知れない。
 だけど、後で絶対にイヤな思いをするよ」


そうだと思う。
確かにそうだと思う。
久しぶりにあった「恋する乙女」はやっぱり相変わらずだった。
二年ぶりの再会とは思えないぐらいだった。
久しぶりに会えるのはだからさすがに嬉しくって、
少々無理をしたなあと思ったけど会えて本当に良かった。
神戸まで送ることにさえならなければねえ〜。
ま、それほど時間が経つのを忘れるぐらい楽しかったということなのだけれど。



「愛することは許すことよ」とまた「恋する乙女」は言う。
アンタが言うと実感こもっているのかどうなのか分からないなあ。
けれどもそうなのかも知れない。確かにそうなのかも知れない。
そうなのだろうと思う。ああそうだ。
僕にとって愛することとは何だろう。
・・・「愛することは受け入れること」。
そうだ。



「恋する乙女」と僕が未だにここまで仲良く出来ているのは、感覚が似ているからだ。
彼女と僕はたぶん同じ世界に生きているのだ。
仕事とか以外のものに多くの内面的事情を抱えている。
仕事以外に考えることが多すぎるのだ。
今、僕らぐらいの年齢の人たちは僕らが苦悩するように物事をあれこれ考えていない。
目の前に或るタスクを果たしていくだけだ。
社会人としての役割はそれで果たしている。
それはそれで大変素晴らしいことだ。

僕らはと言えば・・・いつもなんか不安みたいなものに押しつぶされそうになっている。
お互いに年齢の割に若く見られがちなのも、
たぶん、他の人が悩んだりしないようなことで悩んでいるからだろう。
それは僕らの年代の人が考えるようなことではないのだろう。
相変わらず僕らはセンチメンタルな世界で生き続けているのだ、この歳にして。
無理して大人になる必要性は全く無いのだけれども。




世界はふたつに分かれている。
「こちら側の世界」と「あちら側の世界」に。
主観的に言ってしまえば僕のいる世界は「こちら側の世界」だ。
あくまで主観的な話である。
そして「こちら側の世界」は狂っている。
「あちら側の世界」は正常な世界だ。
もちろん、何が正常で何が狂っているかなんてそれすら主観的な話であり、
「こちら側の世界」からすれば「あちら側の世界」の方が狂っているのかも知れない。

話がややこしくなってしまったけれども、
そんなことはどうでもいいのだ。
僕や「恋する乙女」は「こちら側の世界」の人間だ。
だから、「分かる」。
「分かる」ことはとても重要なことであって、
「あちら側の世界」の人は、たぶん僕を「分からない」
けれどもさっきは「分かる」ことは重要なことだと書いたけれども、
友達になったり仕事をしたりするのに「分かる」「分からない」はそれ程関係ない。
いざとなったら自分と言うものを出さずに生きていくことは可能なのだ。
ただそれはとても空虚なものであるのだけれども。


「あちら側の世界」の人間はたぶん永久に「分からない」。
それでもいいのだし、そしてそれは仕方がないことなのだ。
「分からない」だろう人に僕はこのページを公開することは無いし、
そう言う人は一度見たらもうその後は見ることはない。
それでいいと思う。
「こちら側の世界」はそう言う世界なのだ。
世の中の人の大部分は、僕がするようにあれこれ物事を考えていないことは分かる。
昔は考えていたのかも知れない、しかし今はそれ程考えていない。
僕の方が正しいとか、そんなことを言うつもりは一切無い。
なぜならば、僕の年齢で僕のような人物がこの世の中に溢れていたら、
世の中は遅々として何事も進まないだろうから。

「こちら側の世界」の人間は齢を重ねるごとに減少していく。
それはある種の感性を失わせたり麻痺させていくことにほかならない。
そうやって人は社会に適応していくのだ。
社会に適応できない者や、またはそれに違和感を感じるような人間
・・・つまりは僕のような人間が、「こちら側の世界」に取り残されていく。
どちらがいいのかは分からない。
少なくとも僕は表面上は社会に適応している。
けれども以前も書いたけれども、今の感性というものを喪いたくない。
今の自分を喪いたくはない。
喪うことは死ぬことだ。そう、死と同じ。






本当はこんなことが書きたかったんじゃない。
って思うのだけれど、頭の中で考えていることを上手く言葉にすることが出来ません。
これが精一杯かも知れないし、校正の余地はまだまだあるとも言えるし。
このテーマはすごく僕にとって大事なものだから、
時を置いたら書いてみたいと思います。
途中からかなり訳が分からなくなってしまっていますが、
ここまで読んでくれて感謝致します。





2002年11月24日(日) スピカ


後編を書かなくっちゃって思うのだけれども、
ちょっと大事にしたいものなので、閑話休題としてこの日記を書く。
「スピカ」は椎名林檎の唄うスピカ。
スピッツの唄う原曲がいいからか、それとも僕が林檎の唄声が好きなだけなのか、
それはよく分からないのだけれども、
「一期一会」に収録されているこの曲を聴くと泣けそうになる。
原曲を知らないから比較のしようはないのだけどね。

色んなことがあって、聴かず嫌いを貫き通してきたスピッツなのだけれど、
そろそろ真面目に聴いてもいいんじゃない、そんな頃なのかも知れない。



やたらマジメな夜 なぜだか泣きそうになる
幸せは途切れながらも 続くのです


こんなことを書いたら嗤われそうだね。












2002年11月23日(土) 「こちら」の世界の人と「あちら」の世界の人(前編)


と言うことでここ最近行っていなかったスキーに久しぶりに行く事になった。
アウトドアであれこれやるよりも、
部屋で本を読んだり音楽を聴いたりしていることの方が好きだし、
バイクと言い水泳と言い旅行と言い、
自分1人でやれることの方を好む僕なのだが、
誘ってくれる人がいると言うのは本当に有り難いものがあって、参加することにした。
他人任せにしてしまった。申し訳ない。
今の僕の状況では、本当に自分がやりたい事以外は、
どうやっても自分から事を起こすことは出来なくなってしまっている。
だからと言って人任せなのも申し訳ないのだけれども。

朝五時に起床して向かったのは岐阜。
他人任せな僕は岐阜の何処かもよく分かっていない。
11月にスキー?? なんて言うのもよく人に言われたけど、
雪はあるらしい、ぐらいにしか分かっていない。
ウェアーは借り物だし、気合いも入っていない。

スキーに関する描写をしても余り仕方がないのだけれども、
今シーズン初滑りと言うことで、人は多かった。
雪質は今一つで、結構ジャリジャリした滑りにくいところもあったね。
今回もまた僕はショートスキーを選択。
対して技術がなくても簡単に滑られるショートスキーは便利だ。
ボードに挑戦してもいいんだけどさ。
基本的にバランス感覚は悪くないみたいで、
体重移動とか結構やってるとその感覚が楽しい。




普通では話はこんな感じで進んでいくところなのだが、
ところがそうは行かなかった。
と言うのは、滑っている最中に電話がかかってきたからなのだ。
それは「恋する乙女」からだった。
電話で話はしていても昨年1月のTHE YELLOW MONKYライブ以来会っていなかった彼女と、
スキー後でとても疲れているにも関わらず会うことになったことから、
話は急展開をみせる。
と言っても、「そういう」展開になった訳では決して無いのだが。

(「恋する乙女」に関するエピソードは「迷える子山羊と恋する乙女を参照して欲しい。テキスト祭の文章のベースとなったもの。ここで書かれていることは僕が書いたものではとても重要な位置を占めている。ラブレターじゃないのか?とか言われそうだが、決してそんなもので無いことは当事者の我々が一番よく知っている。)


僕と彼女と、僕の友人と彼女の友人と4人で飲んでいるうちに、
時間が経つのを忘れてかなり時間が経ってしまい、
結局神戸まで送っていく事になってしまって、
なんだかんだで帰ってきたら次の日の朝の午前5時だった。
車の運転をしたのは僕ではないんだけれども、
そこまでさせてしまった友人に大変申し訳ないと思う。


と言うことで、タイトルと関連することは後編に

つづく・・・



2002年11月22日(金) I'm gonna sking!


なんとなく昨日は語りすぎたので、
反動かどうかは分からないけど今日は静かに書こう。
久しぶりにKセンパイとシバタさんと三人でお食事。
焼肉食べ放題。
アイスクリームは今一つだったけど、
ゆずシャーベットはなかなか美味しくって。
二つも食べてしまったのだよ。
ううう、太るな。
体脂肪率12%を誇るとか言ってられ無くなるなコレ。
でもいいんです。
明日はスキーに行くのですから。
ほとんど何もせずに企画に乗っかるだけですみません。
男三人だから気楽だし。
え?虚しいって? 
いんやスキーって言うのは滑るのがとにかく楽しいからさ〜、
女子と一緒に行くとなかなか大変よ〜。
滑って滑って滑りまくってカロリー消費してやる!!!!
(受験生の皆さまごめんなさい)


最近どんどんTEAM HIKIKOMORIから離れてしまっているような気がします。
うーん、良いことなんだろうなあ、たぶん。


明日CD持ってきてね♪
なんて言われたのでホンマに俺に選ばせてええのか?
と思いながら選んだのはグリーンデイとゴイステとくるりバンプです。
バンプとくるりはセレクト@俺なCDだったりします。
本当にいいのかなあ。




2002年11月21日(木) 心のドアを開けておく いつも会えるようにしておく


ココロは想像以上に落ち着いている。
いつの間にか、僕は感情というものを持てない人間になってしまっているのかも知れない。
本当にそうなのかはよく分からない。
親切だねとかいい人だねとか言ってくれる人はいるけど、
たぶんそれは本当の僕じゃない。
いや、それも僕なのだと思う。
本当にそうなのか、分からない。
よく分からない。
無理して大人になる必要なんてないのよ。
そう人は言うけれど、そんなこと言っていられない年齢になってきているのは確かだ。
けれども社会的責任を果たすことと大人になるということはまた別問題で、
今の感性を喪ったら僕はおしまいだと思う。
たぶん僕は僕の同年代の人が失っているものをまだ大分残していているのだろう。
だから同年代の人々より泣いたり笑ったり感動したりすることが多いんだろう。
それが出来なくなってしまったらたぶん僕という人間の終わりだ。
何度も何度も書いているけどそう思う。
もういい加減にもっと落ち着いたら?
その意見は確かにごもっともだと思う。
けれどももう少しだけこう言うことを書ける人間でいたい。
色んなものを喪いたくはない。


「海辺のカフカ」には携帯やMDプレーヤーと言った今までには無いアイテムが出てくる。
それを読むと時代というものを感じる。
本当に変わらないのは主人公で、
彼らは15歳でも20代でも30代でも同性愛者であっても計算士であっても、
結局のところ考えていることは同じだ。
その人の考えている考えていることにシンパシィを感じるから僕は読み続けるのだ。
状況がどうであっても彼らの考えている事は根本的には一緒だ。
そしてそれは僕も一緒だ。
以前も書いたけれども彼の小説を読むもの全てが共感しているとは思い難い。
比喩が好きとかそんなんじゃなくって、
海に頭から漬っているような感じなのだ。
そこに書かれている内容を事細かに覚えているんじゃなくって、
世界全体にどっぷり浸かりながら読むのだ。
みんなこんな風にして読んでいるの?
たぶん違うと思う。
僕のためにある本として「国境の南・太陽の西」を挙げたけど、
同じことを思う人がこの世の中にそんなにいるとは思えない。
僕はハートバザールがとても好きだけど、
ハートバザールの音楽に共感する人はそう沢山はいなかった。
僕は好きだけれども普遍性は無い。
僕はそう思っている。
たぶん春樹の文章にもそれは言えると思う。
だから基本的に僕は人に村上春樹は薦めない。
バンプや川原泉は薦めても。
合う合わないって言うのはかなりあると思うから。

なんかとりとめもなくなってきたからこの辺にしたいと思う。
日記と言うのは好きなことを好きなだけ書けるから確かに便利だけど、
たまには推敲してまとめた方がいいじゃないかって時々思う。


♪GOING UNDER GROUND




My追加



Design by shie*DeliEro
thanks for HTML→HP WAZA !
thanks for photo→M3