CORKSCREW Diaries(米国編) |
水泳始めてからもうじき二年近くが経つ。 年がら年中泳ぐことに慣れてしまったら、 なんか夏に泳ぐとか言うからどうのこうのって言う感じもしない。 1年中一定温度に保たれた室内で泳ぐ。 この構図はいつまでたっても変わらない。 泳ぎに来る人たちは同じような水着をきちんと着て、 そしてきちんと泳いでいく。 全てがオートマティックに流れていく。 僕は海で見るようなきらびやかな水着よりも、 シンプルなトレーニング用の水着の方がずっと好きだ。 プールに泳ぎに来る人たちは大抵その年齢の割にはスタイルも良く、 そして静かに、熱心に泳いでいる。 そう言った人たちを眺めるのも結構僕は好きだったりする。 水の中では全ての人は平等だ。 どこまでも平等なのだ。 |
釜山で日本語教師やってる亮佑が、現地の雑誌の取材を受けました。 URLはここです。 皆様見に行ってやっておくんなさいまし。 宣伝終了 「まるごと釜山」と言うのは僕が釜山に行くたびに貰ってくる小雑誌で、 中身の濃さを考えるとこれ一冊あったらガイドブックはいらない、 って言うぐらいの代物であります。 今度行く人は是非もらってこよう〜。 さてそして今日から始まった韓国語の授業、 非常に楽しくてすぐに時間が経ってしまいました。 まあ最初の授業はイントロダクションみたいなものだし、 これからかなあ。 テレビのハングル語講座で毎年半年間ぐらいは頑張ってやるんだけど、 その後が全く続かない僕ですが、 今回はちょっとがんばってやろうと思ったりします。 「トライアルで慣れたら是非レギュラークラスでも」 なんて声をかけられたりしますが、 しかしやっぱり金と暇がなかなか無いですねえ。 なんとか金と暇をかけずに語学を学ぶ方法を探すべきでしょうな。 |
とドコモに言いたい。 アンチドコモは今に始まったことじゃないけど、 250字しか送れないのは本気でいただけない。 今どき250字ではどうにもならんこと多いでしょう。 特に最近パソから送ること多いしね。 レベルアップテストは無事に通りました。 色んなセンセが、「大丈夫でしょう」 なんて言ってくれたからまあ確かにそれほど意識してなかったけど、 まあいざ試験になると緊張するものです。 とは言え実際のオーラルテストはなんか呆気ないほど簡単に終わってしまいました。 そんなモンだったのか。。。 ちなみに一番難しかった問題は、 「お好み焼きは何で出来ているのか?」 でした。 小麦粉?キャベツ? どう言うんだ? そんな単語知らないぞ! って言うかレベルアップテストにはそんな単語が要求されるのか?!? 実はイカとか肉とかチーズとか言えばよかっただけらしい。。。 なんかこれだけやたらと(自分で思い込んでただけかも)レベルが高かったです。 と言うことで次回からレベルアップ。 アッパークラスまで来ましたねえ。 明日から韓国語の授業の開始です。 後半年も無いけど、 今年はTOEICを800点に乗せて日本語教師の資格を何とかして、 そして韓国語ももう少し出来るようにして、 そして円満退社・・・と言う訳には行かないだろうなあ。。。 |
5時過ぎに急にうちのLanguage Instituteから電話かかってきた。 「今日誰も予約入ってないんですけど来ませんか?」 ってことはプライベートレッスン確定ね。 センセは誰? 「ブルック!」 Wao! Fantastic! お気に入りのブルック先生じゃん。 なら行こう〜。ってな感じで英語へ。 ブルック先生は旅行好きな人で、 今度エジプトに行くとか言ってた。 オーストラリア出身年齢不詳。 たぶん若いと思うけど〜 レッスンそっちのけで旅行の話ばかりしてた気がする。 楽しかった。 明日はレベルアップテストの日です。 大体のセンセからは「オッケ〜」って言われてるし、 まあ後はリラックスして受けることかな〜。 本当にLanguage Instituteで英語で会話するってことは楽しくって〜、 なんか本当になんか救われることが多いなあ〜と思います。 って言うことで、明日のテストは頑張らねば。。。 |
土曜日、朝からTOEFL ITPを受験。 勉強時間はほとんどゼロに近いにも関わらず、なんか割と出来た。 いや、勿論そんな期待するほどの点数は出ないとは思うけど。。。 TOEFLって訳分からないほど難しいのかと思っていたけど、 まあ頑張ればなんとかなりそうだった。 TOEICに比べたら結構余裕持って出来るし。 僕が一番嫌いなはずだった長い会話を聞いて、 問題数問を答えるって問題が結構分かったときには感涙モノだった。 けっこう頑張ってきたんだなあって。 そしてその足で滋賀県栗東町に向かった。 祖母が急遽入院したためだ。 癌におかされている祖母は、 もう長くは無いと言われながらもここ数年、 その生命を保ってきた。 つい先日も電話で話したばかりだった。 母も伯母も愛知県から駆けつけた。 けれども祖母は昏睡状態だった。 話しても話しても何も答えなかった。 僕らは座ってただただ見守るしかなかった。 そして日曜日、 母や伯母は土曜のうちに愛知県に帰り、 そして僕は祖母の家に泊まらせてもらい、 もう一度今日も見舞った。 午前中は僕一人で病室まで行った。 今日も状態はあまり変わっていなかった。 でも話しかけると、なんとなく分かっているみたいだった。 どうすることも出来なくって、 答えることが出来ないことをいいことに、 祖母に一方的に話しかけた。 親にも妹にも従姉妹にも聞かせられないことまでたくさん話した。 「みんなには内緒だよ」って言ったのだけれども、 それを祖母がわかっていてくれたのかどうかはわからない。 それでもいい。 話すだけ話して、そして祖母の手を握りながらぼんやりと考え事をした。 たぶん僕は泣くときは一人でしか泣けないのかも知れない。 小さい頃からインプリンティングされた「おにいちゃん」教育の賜物だろうか。 (小さい頃にはよく泣いたっけ・・・) 人前で泣けることをとても羨ましいと思う。 そしてこれからも僕は人前で泣くことはもう無いと思う。 分からないけど。 成長した結果だからか、それとも冷たい人間になったからかは、 今の僕にはよく分からない。 |