CORKSCREW Diaries(米国編) |
そろそろ旅行の準備をしなければいけないわけなのでありますが、 じぇんじぇん進まないわけであります。 って言うかこの週末でかなり進めておかないと本当にヤバい訳だったりするんだけど。 まあ今日も眠かったりするからやっぱり出来なかったりする訳であります。 そんでもって明後日はRUSHBALL2003で久しぶりにバンプが見れたりする。 とりとめねえ。 まあ、最近ラスカルの絵皿欲しさにせっせと弁当を食べて、 目出度く本日いただきました。 ラヴリー♪ そして今も17点あったりします。 あと8点集めて今度は赤毛のアンを目差します。 YahooBBのコンテンツでトラップ一家がないのはおかしいと思う。 ああっ、本当にとりとめがない。 |
そういやあ火星なんて見ていない。 根性ないから今日はもう帰る。 徹夜しようと思ってたんだけどな。 なんだか久しぶりに鬱モードだ。 こうやって日々を過ごしていると、 ものすご〜く自分というものを摩耗させているのがよく分かる。 なんて言うかただただすり減らしているだけなのだ。 分かるコレ? たぶん世界でもほとんどの人がそうなのかも知れないが。 なんて言うか、いっそのことくびにでもしてもらったほうがせいせいする。 肩たたきにあって少しでも多くの(と言っても雀の涙なのかも知れないが退職金をゲットした上、 大義名分も出来たことだし大手を振って何処ぞの国にでも留学してやろうと思う。いいやマジで。 ぐらい消耗している。 カラダって言うよりもココロがね。 それでもまあ僕は人よりもだいぶん好き勝手にやっているんだろうから、 あまり文句を言えた立場じゃないんだろうけど。 でもどうにもこうにもこうにも毎日駄目人間養成講座みたいな感じで、 貶められていくとなんだかどうしようもなくなるのだ。 少なくとも以前はそんなことは無かったな。 と思う。 毎日が相変わらず訳の分からない現在よりもはるかにね。 |
休み前進行で首が回らない。 休めば休んだだけ仕事はたまる。 今日もどうしたらいいのかよく分からないことを言われた。 いや、それをそうやってどうするのかって、全然分からないんですけど。 されどもどうせ教えて貰えんのだろうから、 何時間かけても自分の頭で理解するしかあるまい。 それってすごく時間の無駄な気がするのだけど。 ゼロからやれって言われたって無理だ。 韓国語の授業もそんな訳で残り3回。 今日はそんな感じですごく疲れてて、行きたくなくって、 よっぽどのことサボろうかと思ったのだけど、 でも行ってよかった。 先生の授業を受けているとすごくなごむ。 リラックスできる。 別に韓国語に限らず英語でもそうなんだけど。 10月から半年間の固定授業が始まるらしくって、 「是非参加して下さい」って言われた。 正直めちゃくちゃ嬉しかった。 でも本当に行けるのだろうか。 授業後に仕事に戻るよう段取りつけてでもやるべきなんだろうか。 「時間というものは自分で作るものよ」 先生はそう言った。そうだその通り。 素晴らしいことを言う。 今まで僕はそう思ってきて前を向いて走ってきたはずなのに、 なぜだろう今はそう思えない。 でも受けたい。 韓国語の授業を本当に受けたい。 是が非でも受けたい。 先生の授業を受けたい。 だったらやればいいのだろうけれども、 今の本業の状態は正直悪すぎる。 仕事量の多寡より、 何をしたらいいのかが分からないことが。 |
魚は頭から腐る、と言われるが、 ローマ帝国も、「頭」から先に腐って行くのだった。 と言うのが今回の「ローマ人の物語」の最後の文章だった。 この巻までのローマは辛うじてローマ帝国らしさを保っている。 皇帝に関してもコモドゥスを除いては、それなりに有能な人材がなっている。 この巻の最後で淡々と語られることにあるのがローマ皇帝の世襲制。 僕は実際のローマの物語は教科書に載っている程度のことしか知らない。 が、何処の国の歴史を見ても明らかであるのは、 世襲制は必ず何処かで暗君暴君は登場するということだ。 この巻までのローマの皇帝は、実力で就いたり血縁者だったりもするが、 カリグラとネロを除いては暗君と呼べる皇帝はいない。 そして帝国の基盤はそれほど揺らいではいなかった。 思えばこれほどの有能な統治者が、 きっちりとメンテナンスを施して、 国家の統治機構を保ってきた例など他にはそう無いのではないだろうか。 だから次巻以降は読むのは非常に辛い。 ローマが腐って行ってしまうことを。 ハンニバルやカエサルの時代のことを思えばなおさらに。 |
祖母の死去からもう一ヶ月が過ぎた。 この一ヶ月、忙しかったり考えることが多かったり、 祖母のことについて考えることは正直少なかった。 日常が煩雑すぎるのだ。 普段僕等の周囲を流れていく時間の早さが早すぎるのだ。 流されまいと何処かにしがみついているだけで必死なのだ。 そうやってただただ時間だけが流れていく。 49日の法要の日程が決まったのだけれども、 予想よりも遅くなり僕は旅に出ているので行けず、 お参りに行って来た。 行けるときに行っておかなければなるまい。 そこではただ、たた祖母がいないということだけが異なっていた。 いつもいつも僕が祖母の家に行くと、 「まずは仏さんに挨拶しなさい」と言ってくれた祖母は、もういない。 |