TALES OF ROSES

2010年02月03日(水) 壮大な叙事詩、ということ


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「ペレ」1987年
カンヌでパルムドール受賞
アカデミー外国語映画賞受賞
監督ビレ・アウグスト



よく映画のうたい文句に書かれます。
「一大叙事詩」「壮大な叙事詩」

まさに それにふさわしいDVD「ペレ」を観ました。

スウェーデンから船で移民してきた父親と息子ペレ。
「オランダに行けば パンにバターを塗って食べられる。
 もう子どもは働かなくて良いんだ」笑顔で言って聞かせる父。
しかし過酷な現実。親子は果敢に耐えます。

映像は絵画そのもの、ブリューゲルの絵が動いているようです。

金持ちも貧乏人にも等しく不幸が訪れ、幸せになれる人間はほとんどいない。
厳しい大自然と同じように、雪も雨も人間達に降り注ぐ。

監督の目には 自然も人間も同位置なのです。
それこそが「神」の目線なのだと思います。
そんな神をまっすぐ見つめ返すような少年ペレの瞳が美しく悲しい。

さて ここで思うのは、
人間の叙事詩に「壮大」も「壮大でない」も ないということ、
先日の「おとうと」の吉永小百合演じる『吟子』の生き方も
りっぱな生き方であり、普遍的であり、壮大そのものなのでは・・。

歴史に名を残したから壮大なのか、
大自然の中で苦労したから壮大なのか・・・
いいえ 
歴史に名を残さなくたって、ヒトの一生は
壮大なのではないか・・・
私の父も 母も、兄妹も、親戚、友人、知人だけでなく
ブログをやっている皆様方一人ずつ、だれもが
それはみんなみんな自然と同じく 自然と等しく
壮大なのです。

と思ったのでした。




2010年02月02日(火) 映画の中の「アレ」

一昨日 観た「おとうと」について追記です。



かなり細かい部分までリアルな日常が描かれています。
そのリアルさは、例えは悪いのですが
偽札が本物に近づけば近づくほど
人に認識されなくなる、という事実を思わせます。

つまり、親しい親戚の家に入り込んで、そこの事情を観ているような
そんなごく普通の日常です。
壮大なドラマでもないし、大事件でもない。
だから「凡庸」と評されてしまったり、ハリウッドのドンパチ映画が
映画だと思ってる人には「これが映画?」と思われるのかもしれません。
「アバター」のうたい文句は「そこにいる」
「おとうと」にも当てはまります。
緻密な日常のリアリティが 3Dのような臨場感です。

吉永小百合さん演じるおねえちゃんの本当の優しさ、
言い古されてしまったけど、それって
実際、日常に転がっているけど だーれも気が付かない
まさに「アレ」です。
だけど人間だけが持ってる「アレ」ですよ。


「アバター」でいう「エイワ」は目に見えるけど
「おとうと」の「アレ」は 目に見えない。

山田監督が目に見えないものを 映画に閉じこめて
私達に見せてくれてます。
背中で演技する吉永さん すごいです。
その背中だけで
たくさんのものを教えていただいた気がします。

母と並んで同じスクリーンを観て、二人で泣いてるのっておかしいね。
行って良かった、観て良かったと思います。

山田監督
こんな映画をありがとうございました。

これをドイツの映画祭がちゃん〜んとわかってくれたことが
とても嬉しいですね。


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