TALES OF ROSES

2011年03月23日(水) 間に合ったMくん

同い年のイトコのMくんは 母方の本家の跡取りです。

本家は宮古の老舗の酒屋さんで、母が9人兄弟だったので
お盆や正月に集まるイトコ、ハトコの数ははんぱではなく
小さい頃は本当に良く遊びました。

大きくなってからは、私の家も本家も運は傾き、倒産、引っ越しなど
相次ぎ、すっかり疎遠になってしまいました。

津波警報のなか、彼は車をとばして彼の母を迎えに行きました。
国道45線は海岸沿いを南北につなぐ道路、南下すれば
山田町、釜石、大船渡、陸前高田、
今回の被災地を全部結ぶ道路です。

「まだ波がひいてる、まだ間に合う!」と長男と
絶叫しながら全速力で45号線をかけぬけ、海沿いの低地に住む母親を
迎えに行ったそうです。

彼は間に合いました。彼の母親も無事でした。

「今から思えば、たぶん津波が俺たちのうしろを追いかけて
 きてたんだと思う。」
彼はガハハと笑いました。

鍬ヶ崎の彼の家は流され、2階だけが無事に残っていたそうです。

「濡れてないマットレスだけ持ってきたけど、めぼしいものは
 みんな盗られて、なにもないんだよ、
 ふと見たら、かもいにあっちゃん(私のこと)の書いてくれたサイン色紙が
 飾ってあったから記念に持ってきた!!」と彼はガハハと大笑い。


盛岡に着いてから
そんな色紙書いた記憶ははるか彼方
何十年も前の絵だったのでは・・・

がれきの中で、わたしの色紙を手にとってくれた彼の姿を
思い浮かべたら、道を歩きながら
涙がポロポロこぼれて仕方なかったです。














2011年03月20日(日) あんたたちには見てほしい

宮古市にバスで行ってきました。

親戚、同級生、知人の家を回ってきました。

ニュースの津波画像で皆さんご存じでしょうが
宮古の津波は真っ黒い津波でした。
閉伊川河口のヘドロを巻き込んで町になだれ込んだのです。
真っ黒なドロあとの粉塵もひどく、マスクが欲しいという
イトコの言葉がよくわかりました。

大通りには大きな船が、街灯をなぎ倒して転がっていました。

親戚のおじさんが、亡くなってました。
でも、母や義父母、イトコたち、みんな元気で明るく
それぞれの「危機一髪」の話に大笑いして、本当に笑い話になってよかったと
思いました。



帰りのバス停で、
中学生ぐらいの女の子2人を見送るおばあちゃんが
『今は、ごたごたしてて町を見せたくないと思ったけど
 せっかく来たいって言ってくれた
 あんたたちには 見てほしいと思ったの。
 (わたしたちが復興する姿が )いつかあんたたちの力になるかな、と思ってね。
  あんたたちには見て欲しいと思ったの」

と、わたしの後ろで話をするおばあちゃんの言葉がきこえ
胸に響きました。


遠い遠い未来を見据えて、自分たちの決意をこんなふうに
言葉にできるなんて。

なんて人としてすごい方だろう、と思いました。



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