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2001年11月02日(金) 広辞苑とダウンベスト



上の共通点はなんでしょう? ヒント! 郵便物です。
この、淡譚β版で以前書いた事の続編です。広辞苑は九州の人からオークションで落札し、郵送してもらったのだが、ついに今日に至るまで届いていない。郵便局に問い合わせても、まるで(言葉は丁寧だけど)他人の所で起こった事のように喋り、調べてみますが、分からない方のことが多いという。まず返ってこないというような口振りでついに、外国に比べたら、まだましという風な事を言った。

一応、送り手にも電話連絡して、調べるふりをしていたが、本腰なんか多分上げていない。斯々然々(かく々しかじか)でオークションで落札した品物で、ぜひとも必要なものなんですと言ったら、気持ちはわかりますなんて、気の利いた事をいう。二三日後、ついに着きませんか? という電話があり、詫びがあってお仕舞いとなった。以後、自己防衛で、こちらも落札した物、こちらが売った物を、局員にかすめ取られないように工夫して送るよう(送ってもらうよう)にしている。

 そうして、今日、家人の知り合いがまた被害にあった。同じように、オークションに売りに出した、「ダウンヴェスト」がどこかの人に落札された。 上の事件を知っていたその知人は、落札した人が、定形外郵便で送ってくれというのを、危険だからと宅急便を薦めた。しかし、落札した人にとって見れば、競って落札して、もうこれ以上余計な金は使いたくない。
送り賃はけちりたくなるのが人情だろう。そうして知人の忠告を押し切って、定形外郵便にした。

そして、それは届かなかった。

 郵便局は、定型外だと保証が聞かない?から、もっと金のかかる方法をすすめる(郵パックとか)。変な話だ。まるで一昔前、宅急便の会社が出来る前の言い分とそっくりだ。曰く、「ガラス類は割れます」こう断言していた時代が本当にあった。これは局内に、粗相する粗忽者がいると断言してはばからないに等しい。民間の会社だったら即潰れている。
 
それが、クロネコ他、民間参入したら大慌てで、以後郵パックで対抗した。   ところが、今度は定形外郵便で送るものは、「届かないかも知れない」とはっきり言うようになった。自身に泥棒がいますと平気でいうのだ。
 この集団は、京都でも票をあやつって身内を当選させ、発覚して議員辞職となった。議員を送り込んで泥棒を飼い続けようとしたいらしい。
 もし、自分が悪党郵便局員で、インターネットオークションもよく知っていて、その主な郵送方法が定形外郵便だと知っていたら、集配・区分け・配達の時、最近やけに増えた定形外郵便に目がいくだろう。そしてそれはいかようにも出来る。
 
落札してついに届かなかった広辞苑3版は、4版以後(は一杯オークションに出ている。)のものと違い、新村出親子がちゃんと編纂しているのだ。紙の本三版は古本屋に行けばあるだろうが、電子ブック版3版は本当に貴重なのだ。それに加え、4版以後は、政治的なものが多く入っている、従軍慰安婦とか南京大虐殺だとか、三光政策だとかが入っている。これらはいづれも今まだ論議になっていて、事実かどうかもはっきりしない。

これがイギリスの辞書であれば100年は内容変更しない。淘汰され残ってきたものを初めて掲載する。政治的なものはそれ専門の辞書に書けばよい。これが四版以後を嫌う理由である。

こんなに短期間に、またあらたな被害者が出てしまった。郵政事業は解散して、クロネコ他に弟子にしてもらえ!!凸(`、´メ)









2001年10月27日(土) 焼肉屋と地球温暖化



 世間は狂牛病が日本でついに出たといって、いっせいに騒ぎはじめた。日常では肉類はほとんど口にしないが、ごくたまに、焼き肉を食べるか、西洋料理屋に行ったときに羊肉を食べるか位で、基本的に家では玄米に日本の昔からの総菜、それも季節のものしか食べない。

大阪の焼き肉のメッカ、鶴橋などは駅前近くで半分以下の売り上げになっているという。なんだ、日本人も結構敏感に反応するのだと思って、逆に行って見たくなった。
 「牛角」という、最近関東から勢力を広げてきている、チェーン店に行って見ることにした。味はいい方だと思うが、ガブガブ、ビールを飲みながらの食事は良しとしないので、幾種かの赤白ワインがあるここに、時々来ている。
 牛の検査結果の判定が、二転三転している中で行くんだから、さぞや閑散としてるだろうと思って行ったら、あら、大変!エレベーターを降りた前で、カップルが4組ぐらい手持ちぶさたで待っている。一瞬何かのまちがいではないかと思って、ガラス扉越しに店内をのぞき込んでいたら、従業員が出てきて、満員ですという。大繁盛!?
今までも時折、満員で少し待った事はあったけれど、この時期に、この熱気溢れた雰囲気は一体なんなのだ。予約待ちにして置いて、一旦階下におりて、謎が解けた。肉屋もさるもの、なんとビール一杯98円なんだ!

そうすると何かぃ、とにかく安けりゃ狂牛病の疑いある牛食ってもいいって分けか? なんか浅ましいなぁ! そこまでしてそんなに牛食いたいか。

あんまり知られていない事だけど、牛からタンパク質をわざわざ摂るのだったら、牛の餌になる大豆などから摂る方が遙かに効率がよいのだ。
それに、冗談みたいだが、放牧された牛が出すゲップは地球温暖化?にかなり影響をあたえると何かの番組で言っていた。
馬科は10種満たないほどに衰退していて、一方、牛科は、ヤギ、羊、など繁栄している。これは、偏(ひとえ)に反芻(はんすう)という食べ方をしているためで、車でいうと、ターボエンジンと同様に、消化の効率が非常に良いのだ。
馬は草の全たんぱく質の1/4しか取り込めないけれど、牛は草のたんぱく質の吸収力が反芻によって非常に大きくなる。
が、この反芻がくせもので、この時牛は、頻繁にゲップする。ゲップにはメタンガスが混じっている。メタンの温室効果は二酸化炭素よりはるかに大きく、ウシのゲップは世界中のメタンガス発生量の1/5を占めているらしい。
 
 98円なんかでビール売ったら、それがためだけに集まる、安けりゃ何でもいい種類の人間共が、いっぱい飲んでいっぱいゲップする。これも、温暖化になるのとちがうか?ここは、京都議定書の京都やど!ちょっとは遠慮してゲップせぃ!
ようやく、席について98円ビールを注文したら、あれは限定で売り切れましたという。 これを目当てに来た奴はさぞがっくりしたろう。この時勢にこんな商法。あっぱれ!あっぱれ! 久しぶりに思い切り毒?を食べた。
死なばもろとも。(-.-;)y-゚゚゚









2001年10月25日(木) 奇跡



 夜更けに、最近ちょっと飽き始めたインターネットの画面を見ながら、ふと面白い事を思いついた。小学校の頃を手始めに、親しかった友人や先生の名前を入れたらどうなるだろうか、まず手始めに小学校の頃の友人、それも何らかで目立っていた友人、そう言う人達を思いだし、検索にかけてみた。
不思議なもので、そういう才気煥発で目立っていた友人というのは、何十年経っても苗字だけではなく、下の名前までちゃんと覚えているものだ。面白くなって、次から次へと思いつくままに入れていった。

まぁ、驚くべし!

 その友人の一人は建築事務所をやっていた。故郷で、建築事務所のホームページを作っていた。また一人の中学時代の友人は、東京の自分の住む町で、オンブズマンのネットワークなどのホームページを作っていて、民間のコンピュータ会社のプログラマーを仕事にしていた。最近のプロフィールのページに写真が載せてあり、一目見たときに、何十年も前の記憶にもかかわらず、笑った顔の口元や目はそのままで、すぐ本人とわかった。
 
 高校時代の恩師は、故郷の県立高校校長協会の会長をしていて、やはり最近の写真があり、あの若々しく、当時フェアレディZだったか、ホンダS8だったかのオープンカーに乗って、さっそうと学校に来ていた先生とは思えないくらいおじい顔になって、威厳を漂わせていた。

 小学校時代の友人のページには掲示板があったので、現在、そこで何十年ぶりかの再会を喜びあって、近況などを書き始めたばかりだ。その掲示板にはもう一人、小学校時代の友人が書き込んでいて、二人は小学校時代から今も仲のよい友達のようなのだ。
昔なら40年前に巣立っていった友とは、同窓会幹事か誰かが、精力的に音信を辿らなければ、まず会えないだろう。

世間でも、興信所か私立探偵、事件がらみなら警察のお世話にならないかぎり、まず不可能だろう。それを個人が思い出すまま名前を打ち込むだけで、あっさり出来てしまった。おまけにここ一年くらいの間に撮ったと思われる顔写真入りで出てくるのだ。
これはもう、昔で言うと奇跡である。
ネット同窓会なんてもの、もう先に行っている人達はやっているかもしれない。とりあえず、更新がおぼつかなくても、ホームページを開いて置けば、必要な時、誰かが探し出してくれるかもしれない。
新しい遊びをまた見つけてしまった。









2001年10月23日(火) チャップリンの黄金狂時代の秘密



 最近、BSで、チャップリン特集をやっていた。チャップリンは学生時代、京都アメリカンセンターで全部みた。その時は「黄金狂時代」も抱腹絶倒の連続で、もう腹の皮と頬の皮がおかしくなるくらいに笑ったのを覚えている。そうした印象だけだった。
だけれど今回BSで改めて「黄金狂時代」を見ていて、愉快で間抜けな主人公を素直に笑えなかった。というのも、シュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時問』(みすず書房)という本の中に、書かれていたことを思いだしたからだ。
どういうことかと言うと、アメリカ建国から半世紀ほど経った頃、ヨハン・オウギュスト・ズータという、破産して無一文になったドイツ人が新大陸で、一旗揚げようとアメリカにやって来る。
数年ニューヨークで働いて金をためて、まだ手つかずの西部へと向かってカリフォルニアに移りすむ。そこでも地道に働き、ついに大農園を経営するまでになる。土地を開墾し井戸を掘り、家畜を育て、ヨーロッパに残してきた妻子を呼び寄せ、幸せな生活を送り始めた矢先に、彼の使用人が敷地内の中を流れる運河から砂金を見つけた。

この事実は堅く口止めされたが、あっというまに噂は広がってしまった。
手始めは農園で働いていた使用人が、仕事をほっぱらかして砂金取りに熱中した、つづいて噂を聞きつけたならず者達が全国から殺到し、勝手に敷地内に入り、農園の牛を殺して食い、穀物庫を壊し、勝手に自分達の家を建てた。
農地は踏み荒らされ、農機具などは盗まれてしまった。このヨハン・オウギュスト・ズータの個人の土地を、沢山のならず者が不法に占拠侵入して、次第に町が作られて行った。その町の名はサンフランシスコと呼ばれた。

 チャップリンの「黄金狂時代」はまさにこの、ヨハン・オウギュスト・ズータの個人の土地で繰り広げられた事だと思えば単純に笑えない。サンフランシスコは、個人の土地に大勢の欲に目がくらんだ人達が作った町だった。

 アメリカ人はオーストラリアを笑えない。オーストラリアは昔、犯罪者の島流しの地で、今でも、住民はその制度以後、ここに移住したと言うことを常としているくらい、オーストラリア人であることを、後ろめたいと思っている。

 ところで、それから、哀れなヨハンはどうしたか?勿論、もう法治国家だったから、裁判に訴えた。自分の土地を不法占拠している二万人!!に近い人々の退去、カリフォルニア州政府に対する賠償請求、これはどこまでも正論で、裁判ではすべて勝った。ところが、ここからが信じられない。この不法占拠しているならず者が暴動を起こし、なんと裁判所を襲い、裁判官をリンチにかけようとした。おまけに、彼の全財産を略奪しようと企て、全てを奪い去った。
それが原因で子達はピストル自殺をし、ヨハン・ズーターもついに狂ってしまったと言われている。

 自分にとっての自由は、相手にとっての不自由だと言うことをアメリカはいまだに理解できないでいる。









2001年10月22日(月) やっぱり変だよ!北条時宗



 NHKの北条時宗が、低視聴率だそうだ。共立女子大学教授の木村治美 (きむら・はるみ)さんは、『北条時宗』において、蒙古襲来を前にして時宗が恐れおののき、「この首をフビライ殿に差し上げてもよい。それでこの国が救われるのなら」という台詞をとらえて、「鎌倉武士がそんな軟弱な発想をするだろうか」と疑問を投げかけ、独協大学教授の中村粲(なかむら・あきら)さんは、「対馬.壼岐の島民に対する元・高麗兵の残虐行為は史上余りにも有名だ。
男は皆殺し。女は虜として手の平に穴を穿つて索を通し、素裸で舷側に結びつけ、好む時、ほしいまま好む儘に船上にて凌辱強姦を恣にしつつ博多へ侵逮したのだ。この残暴は史料にも記され、博多の元寇史料館所蔵、矢田一輔画「対馬の暴虐」の生々しく画くところでもある。この言語に絶する猟奇的蛮行もNHKドラマでは「むごき戦ひでございました」の一言で片付ける」と書いている。

このことを知った上で、木村教授の指摘している台詞を北条時宗ははけるのだろうか?

 最初、この時代をテレビドラマにするのはめずらしく思えて、(それにちょっとファンの女優?N・Hも出演すると聞いて)最初から見ようと決心し、期待してそうして、二回目だったかでやめてしまった。理由は大根の集まりと悟ったから、といっても、評論家や、上の教授達の言う、筋の通った言い分ではなくて、あまりな演技にびっくりして嫌気がさして以後、二度と見ていない。

 どう言うことかというと、時頼の正室で時宗の母、涼子役の浅野温子(あさの あつこ)のひどい演技のせいである。台詞回しとかそういう事ではなくて、場面は、涼子が、何かの報にあわてた様子で、L字の廊下をこちらに急ぎ足でくるシーンで、愛想つきた。歩き方が西洋歩きそのもので、つま先をあげ、かかとから着地しながら急ぎ足の演技をする(ハイヒールであれば、靴音高く、カッカッと高らかに響くところだ)、どたばたとこちらに向かってくる。

 幾重もの着物を着ているのに、足の踵部分までがはっきり見える、この場合はどんなに急いでも、すり足でしょうが!! 心は急いでいる、が、足指の前の部分に体重を移し、すり足で急ぐのが、見ているこちらにも緊迫感を与えるのに、このトレンディドラマで名を売った女優はそんなことお構いなしで演技した。

演技指導の人も何も言わないのだろうか?気がつかないのかもしれない。いくら着物がちゃんと着られても、立ち居振る舞いがおかしかったら、もう着物を着た現代劇だ。「じゃぁないですか」言葉、半疑問言葉、症候群もおりまぜて使ったらいっそ完璧なのに。

という理由から一切見なくなってしばらく、上の両教授の指摘に、「やーっぱり!」と思わず膝を打ったのだった。

それと、主人公を演じる和泉元彌の本職、狂言は面白くない。台詞が口中に含みすぎて聞いていて違和感がある。それに、狂言は本来、関西弁でっせ!
 この人は、その端正な容姿から俳優さんにむいていると思う。前に、なんかの番組で、小栗上野介(日本最初の株式会社「兵庫商社」の設立、諸色会所「商工会議所の前身」の設立、中央銀行の設立計画 、ガス灯設置と建議、鉄道建設(江戸〜横浜間)の建議などの功労者)を演じたとき思った。

 和泉流は家元(父親)を若くして失ったので、和泉元彌は、もう誰からも和泉流狂言を教わる事が出来なくなってしまった。今はもうない白鷺流などと同じように消えていく運命にあるのだろうか。









2001年10月18日(木) ブルーノート



 ニューヨークにテロがある数日前に、ブルーノート(ニューヨークのジャズの老舗)で、日本人ジャズシンガー小林桂のライブがあった。夜更け見るとはなくBSを見ていたら、そのライブを流していた。でぇ嫌いな筑紫哲也のニュース番組のテーマ音楽に、ハウ・ハイ・ザ・ムーンが使われている。が、「ヘン!」てなもんで、歯牙にもかけなかった。久米宏のニュース番組と同じく、坊主にくけりゃ、今朝までじぁなかった、袈裟まで憎い?の習いで、テーマ音楽になったところでどうでもよかった。だから、前から小林桂が、スゥイングジャーナル紙で、男性ボーカル第一位になったとかの噂は聞いていたけれど、あんまり興味はなかった。
そこに、まったく偶然に先の番組を見た。
「とてもよろしい(少し貧弱な容姿はさておき)!」観客も少人数だが聞き入っていた。
小林の声は、メルトーメの初期の声が気に入っている者としては、まだ適度に荒れていず、(史上最年少でブルーノートに出演したらしいから、無理もないが)もの足りない。が、通して歌っている小林桂には、何か知らないけれどムードがある。

 日本人の男のジャズ(シャンソンも)歌手にはいいのがいないのだ。女の歌手は結構いる、ようするに「大人」があんまり見あたらないのだ。
スキーの萩原選手にどこか似ていて、思わず笑ってしまうけれど、まだ二十代というのが良い。これが40代くらいになって円熟味を増すと、どうなるのだろう? 「ミスティ」は確か二十年前くらいに同じ題で、ヘレンメリルが出していて、当時、毎日のように、制作の時にかけて聞いてた。
 
小林のジャズは、爺ちゃんの代から三代目だそうで、爺ちゃん、デューク・エリントンを愛して、ジャズを演奏していたらしい。
それと、小林桂をさらによくしているのは、日本人バックバンドだ。ピアノの石井彰が良い。流れるように軽快なアドリブ演奏、とてもセンスがいい。
安カ川大樹のウッドベースなんかもう、正統?ジャズの王道だ。ちょっとダンディなトランペッター松島啓之の押さえた演奏、ドラムのバックに徹した小島勉みんな質がいい。ううむ…!ついに、ジャズCD、10年ぶりに買う…か!









2001年10月16日(火) テロリスト、米国攻撃の種本



「レッドオクトーバーを追え」やゲームのレインボーシックスで有名な、トムクランシーという作家がいる。多作で国家をいじって作品にしたりするのが得意で、この人の作品の一つに、「日米開戦」というのがあって、その内容がまさに今回の米国攻撃と同じ方法、本では日本人が、旅客機を乗っ取ってアメリカの重要施設に突っ込み日米開戦が勃発するというストーリーだ。

多分、テロリスト首謀者はトムクランシーの愛読者だ。この他にも「ノドン強奪」だとか、「ソ連再建」だとか物騒がせな著書が沢山ある。テロリストの格好の勉教本だ。そういえば、真珠湾攻撃を日本がする何年か前にすでに、米国で真珠湾を攻撃するストーリーの本が出ていたらしい。
これを日本人が読んでいたとしたら……。

かといって作家に圧力をかけてもどうしようもないし困ったもんだ。

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2001年10月15日(月) 法然院の音楽会



 寺が西向きに傾き、ここに住む寺の貫主より偉い、むささび・もりあおがえる達のため?に、普請し直すということで、慈善音楽会が開かれた。
演目はテレマン・バッハ・パガニーニ他、出演者10数名にもおよんだ。

先の盛夏の昼下がり、本尊の前で読経会をした同じ場所で行われた。本尊の前にはなぜか文机、別名二月堂が縦に五枚立てかけ並べられて、塀のように後ろの仏さんを遮っている。二月堂は黒漆に朱の漆で縁取りされていて、我が家でも、家の者だけの時は一つ、人が四人くらいの時は二つつなげて真四角の食卓に、それ以上だと三枚つなげて使うとまことに便利で、もう随分ながいこと愛用している。
風呂敷と一緒でこれは図抜けた便利ものなんである。風呂敷は一升瓶二つ簡単に包めてさげられる。そこで、同じものを入れる鞄を用意してごらん!どうだ、そう簡単には一升瓶二本入る鞄なんぞないだろう?
入ったとして用済みの後、その鞄は依然としてでかい鞄をやめないが、風呂敷はポケットにはいってしまう。二月堂の机もこれとおなじなのだ。

ところで、仏さんを遮る文机五枚は何だろう……。
バッハの無伴奏チェロ組曲は、やっぱり、カザルスのがいいなぁと思いながら、この禅問答?(法然は浄土宗)が解けた!二月堂が五枚で十月堂!そうか、今月は十月だった!(ほんまかいな)

 フルート奏者は三人いたが、ブラジル風バッハを演奏した、フルートの中川佳子がすごかった。あのフルートはすごい!ちょっとびっくりのテクニックだった。
コオロギが鳴く秋の夜半、音楽会は最終曲に突入、ここでがらりとなぜかボサノバタイムに変わり、全員が出てきて、ご本尊の前で大ばちあたり大会となった。なんかすごい景色だった。百数十人の聴衆は絶句していたようにも感じられた。
が、これが日本人の柔軟性かも知れない。これがなかったら、その昔、神道・仏教相容れず、宗教戦争とあいなったかも知れない。けれど、本地垂迹説(仏神同根)なんかを発明して日本人はうまくやってきた。イスラム原理主義の前でこれやったら、まず、偶像破壊で仏像は爆破、分けのわからん音楽を流す奴は、広場で射殺。よかった、日本に生まれて。
それにしても、寺にはバロックがあう。ここに眠る谷崎潤一郎の墓碑銘は「寂」とあるけれど、さぞかし今夜は草葉の陰でうかれていたにちがいない。オッペケぺ節で有名な川上音二郎もここに眠っているが、案外ボサノバとオッペケペッポペッポッポはあうかもしれない、

音二郎の傑作風刺を一つ、「権利幸福嫌いな人に、自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい、 オッペケペッポペッポッポ〜♪」









2001年10月11日(木) 百年の孤独



孤独・孤独と言うけれど、どれほど実際に孤独感を味わった人がいるだろうか?二日前の朝、最近伴侶を亡くした友人が突然電話をかけてきて、京都にきているという。午後会うことにした。イノダで落ち合い、近くの懐石料理屋で昼飯を共にしながら話した。場所を変え、馴染みのビストロで、延々、閉店まで話し続けた。
友はひたすら寂しくて寂しくて、そして孤独なのだ。面白おかしく喋っても、目が時々遠い所を見ている。子供はもう大きくて大学に行っているが、そんな子供達のことは何ら今の心持ちとは関係なく、早くあの世から迎えに来てくれるとよいとも言った。話を聞くことで、少しでも慰めになってくれたらそれでいいし、それしかできない。共に笑い共に泣くことしか他人にはできない。

昔、十七八の頃、孤独とはどんなものか、度胸を試しに、ツェルト(簡易テント)と食料を持ち、四国の奥深い山にたった一人で入った事がある。その後何回も単独行は経験したけれど、最初の山行きで、恐ろしく世間と超絶した自分を意識した時の恐怖は一生忘れられない。

 霧雨煙る土曜日の午後、田舎に向かうバスからして客はたった一人きり、夕刻終点について林道をとぼとぼ歩く、真っ暗でヘッドランプの明かりを頼りにひたすら山道をのぼった、いい加減登ったあたりで、雑木林の中に、適当な広さの所を見つけ、足で踏みつけて空間を作り、ツェルトを出し潜り込んだ。シュラフ(寝袋)に腰半分入り、簡単な食事をとるまでは何ともなかった。が、それから、おおよそ耐え難い孤独感が襲ってきた。
なにしろ生まれて初めて、少なくとも周囲3kmには多分人は誰もいない。この孤独感は経験してみないと絶対わからない。

最近は、エベレストや南・北極冒険がたいそうに言われているけれど、あれはもう孤独感はないだろう。いつも衛星で自分と家族または協力者達と電話でつながっている。だからもう一人ではない。ちゃんと社会とつながっている。

 それで、その夜は、もう風の音、山に住む動物の鳴き声などがとても不気味で、とにかく夜が明けたら帰ろうと弱気な事ばかり考えていた。初冬のせいもあり、その寂寥感は耐え難いものだった。簡単に言うとしたら、真っ暗闇にポツンと自分がいて上も下も右も左もだーれもいない宙ぶらりんを思ってくれればいい。そんな感じが近い。とにかく恐怖でどうしようもなかった。それは幽霊がでる恐怖とは違うものだ。

社会から完全に関係が切れて宙ぶらりんの状態の事をアノミーというらしいのだけれど、それに近いものだろう。
これだと、都会、山の中、関係ない。長年連れ添った仲の良い伴侶をなくした友はこの状態に多分近く、関係を求めて京都にやってきたのだろう。それでようやく自分を確認しているのだと思う。
ただ救いは、山中であれほど恐怖を味わって一晩過ごした森に、朝日が一条射し込むのを見た瞬間、不思議な何とも言えない勇気と希望が湧いてきて、昨晩の弱気があっというまにどこかに吹き飛んだ事を覚えている。
光は希望と勇気を与えるというのが、宗教みたいだけれど本当に実感した事だった。









2001年10月07日(日) 人の世



 このところ、知人が立続けに亡くなって、誰かが何かに書いていた「もうそういう年になった」事を実感として感じている。
昨年、一昨年は友人の親達の訃報がけっこうあり、年賀辞退の知らせが来たりしていた。所が、今年つい何ヶ月かの間に立続けに4人の知人が逝ってしまった。うち二人は親子で、亡くなった父親の後を追うように亡くなった。人は死ぬ時は実にあっさり死ぬ。ここ十年で、友人知人を亡くした数を数えてみると、自殺が3人、事故が2人、病気その他で実に7人。計12人がこの世からいなくなっている。これは世間的にみてどのくらいの数字なんだろうか。数を改めて意識すると戦慄した。
それでも生者は生きていかなければならない。今日は一日無常感が体を包んでいた。
庭の金木犀が強烈ににおっていた。










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