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2002年05月07日(火) 純国産OSに切り替える決心



 コンピュータを使っていて 前から不愉快に思っていた事がある。メールソフトもインターネット閲覧ソフトも、デフォルト(初期設定)が英語。向こう製だから仕方ないと我慢していた。良く今までにあった事、ひとしきり文章を書いて(めくら打ち出来るほど達人ではないので)、ひょっと画面を見ると、アルファベットがずらずらと並んでいる。舌打ちしながらそれを消し、日本語に切り替える。
まったくいつもの事ながら、いらいらさせられる。日本語と横文字の混在する、不愉快きわまりない環境。

 人名の…崎の「崎」が二種でない。「大」の所が「立」と書く名だってあるのにでない。基本的にOSが外国製だからだ。
森鴎外の「鴎」がでない。区は略字で「メ」の所は本当は「品」である。
言い出したらきりがない。中国料理の献立の名前なんか5つの内4つまででない。

 そこでついに純国産のBTRON osに入れ替えることにした。持っているウィン機はPC/AT互換機(DOS/Vパソコン)なのでパーティション(区画)を切ってやれば、楽に入れられるし、主に使っているマックには、バーチャルPC(仮想DOS/V)上で、動く。純国産のOSなので基本が日本語これは本当にありがたい。これで歴史的かな遣いなど例えば森鴎外の「假名遣意見」なども無理なく引用できる。正漢字が多いので、これはもうBTRONの独壇場だろう。

 一つだけこの優れた0Sの欠点!OSのネーミングが悪い!大江健三郎の小説のように、中身はいざ知らず、その題名は人目を引く。そのように考えて欲しかった。このBTRON(Business The Real-time Operating system Nucleus)は日本名、
   「超漢字」!!
これじゃ、漢字辞典みたいで人は振り向かない。OSだとは思えないネーミングです。
だけれど着実に需要は出来てきている。まず中国の漢字ぜーんぶカバーできる。ヘブライ語、他、果てはアイコンに果てしなく近いトンパ文字なんかも大丈夫。

 これの最も凄いところは、一昔前のPC/AT互換機(DOS/Vパソコン)でも大丈夫で、起動が20秒ぐらいだと言うこと、ホームページ制作に専用のソフトなど別に必要としない事などがあげられる。ではなぜもっと急速に拡がらないか?
それは戦略のせいだ。ソニーのビデオベーターが、色彩・大きさとも劣る
ビデオVHSに負けたのと似ている。コマーシャル次第だと言うこと。









2002年05月03日(金) 憲法記念日によせて。



もう、知る人は知っていると思うのだが、日本国憲法はアメリカの手によって一週間ほどで作成された。だからオリジナルは英文である。 上諭、前文、第一章 天皇、第二章戦争の放棄、以下と続きます。ここでは、上論・前文・天皇の章の原文を引用しておきます。白州次郎が訳しましたが、訳せる人は、自分なりに訳してみてください。

THE CONSTISUTION OF JAPAN

I rejoice that the foundation for the construction of a new Japan has
been laid according to the will of Japanese people, and hereby sanction andpromulgate the amendments of the Imperial Japanese Constitution effected following the consultation with the Privy Council and the decision of the Imperial Diet made in accordance with Article 73 of the said Constitution.


Signed : HIROHITO, Seal of the Emperor
This third day of the eleventh month of the twenty-first year of Showa
(November 3, 1946)
Countersigned :
Prime Minister and concurrently
Minister for Foreign Affairs YOSHIDA Shigeru
Minister of State Baron SHIDEHARA Kijuro
Minister of Justice KIMURA Tokutaro
Minister for Home Affairs OMURA Seiichi
Minister of Education TANAKA Kotaro
Minister of Agriculture and Forestry WADA Hiroo
Minister of State SAITO Takao
Minister of Communications HITOTSUMATSU Sadayoshi
Minister of Commerce and Industry HOSHIJIMA Niro
Minister of Welfare KAWAI Yoshinari
Minister of State UEHARA Etsujiro
Minister of Transportation HIRATSUKA Tsunejiro
Minister of Finance ISHIBASHI Tanzan
Minister of State KANAMORI Tokujiro
Minister of State ZEN Keinosuke



 日 本 国 憲 法

昭和二二年一一月三日
施行 昭和二二・五・三
 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深く よろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国 憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

御 名 御 璽
昭和二十一年十一月三日
内閣総理大臣兼
外 務 大 臣     吉 田   茂
国 務 大 臣  男爵 幣 原 喜重郎
司 法 大 臣     木 村 篤太郎
内 務 大 臣     大 村 清 一
文 部 大 臣     田 中 耕太郎
農 林 大 臣     和 田 博 雄
国 務 大 臣     斎 藤 隆 夫
逓 信 大 臣     一 松 定 吉
商 工 大 臣     星 島 二 郎
厚 生 大 臣     河 合 良 成
国 務 大 臣     植 原 悦二郎
運 輸 大 臣     平 塚 常次郎
大 蔵 大 臣     石 橋 湛 山
国 務 大 臣     金 森 徳次郎
国 務 大 臣     膳  桂之助


THE CONSTITUTION OF JAPAN

We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.

We, the Japanese people, desire peace for all time and deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in the peace, free from fear and want.

We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.

We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもた らす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人 類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに 反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地 上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生 存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


CHAPTER I. THE EMPEROR

Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unityof the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.

Article 2. The Imperial Throne shall be dynastic and succeeded to in
accordance with the Imperial House Law passed by the Diet.

Article 3. The advice and approval of the Cabinet shall be required for all acts of the Emperor in matters of state, and the Cabinet shall be responsible therefor.

Article 4. The Emperor shall perform only such acts in matters of state as are provided for in the Constitution and he shall not have powers relatedto government.
The Emperor may delegate the performance of his acts in matters of state as may be provided by law.

Article 5. When, in accordance with the Imperial House Law, a Regency is established, the Regent shall perform his acts in matters of state in the Emperor's name. In this case, paragraph one of the preceding article will be applicable.

Article 6. The Emperor shall appoint the Prime Minister as designated by Diet.The Emperor shall appoint the Chief Judge of the Supreme Court as designated by the Cabinet.


Article 7. The Emperor, with the advice and approval of the Cabinet,
shall perform the following acts in matters of state on behalf of the people: Promulgation of amendments of the constitution, laws, cabinet orders and
treaties.
Convocation of the Diet.
Dissolution of the House of Representatives.
Proclamation of general election of members of the Diet.
Attestation of the appointment and dismissal of Ministers of
State and other officials as provided for by law, and of full
powers and credentials ofAmbassadors and Ministers.
Attestation of general and special amnesty, commutation of
punishments, reprieve, and restoration of rights.
Awarding of honors.
Attestation of instruments of ratification and other diplomatic
documents as provided for by law.
Receiving foreign ambassadors and ministers.
Performance of ceremonial functions.


Article 8. No property can be given to, or received by, the Imperial
House, nor can any gifts be made therefrom, without the authorization of the Diet.


第一章 天皇

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。


第四条 1天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能 を有しない。
2天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその 国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 1天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。


  以上

 日本国の象徴とか、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とか、へんな所けっこうあります。象徴なんて造語です。日本語にはなかった。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」なんて、本当に変ですね。文章としてもおかしい。白州次郎自身も、英語は驚くくらい出来たが、日本語はあまりよくなかったと言っている。









2002年04月28日(日) 今日は本当の終戦記念日-覚え-



* ポツダム宣言を受諾した昭和二十年八月十五日に敗戦を迎えた。なぜ、敗戦で終戦ではないのかというと、昭和二十七年の今日まで日本は戦争状態にあったからだ。

*サンフランシスコ講話条約(第一条a)
「日本国と各連合国との間の戦争状態は(中略)この条約が日本国と当該連合 国との間に効力を生ずる日(四月二十八日)に終了する」

戦後7年間の間に米国がGHQ(占領軍司令部)を通じて日本に行った(占領政策)事。

*占領軍は国際法を無視した戦争裁判を設けて指導者を極刑にし、陸海空軍を廃絶

*議会に教育勅語の無効を強制的に決議させ、さらに教育基本法の原案にあった“伝統の尊重”を削らせた。

*日本古来から国民道徳の象徴的存在であった古神道を軍国主義とこじつけて神道を一宗教と断定し神道指令を強制し憲法にまで組み込んだ
 
*国民の中心である天皇の権限をことごとく剥奪し、日本精神、肇国(チョウコク・国を開きはじめること)の歴史の徹底的な破壊を行った。
今なお続いている現行憲法は、米国が作ったものであり、ほとんど改正不可能に近い仕組みを組み込んで強制的に認めさせた。

*占領軍民政局の21人(憲法の専門家は1人もいない)の米国人が、英文でたった一週間でアメリカ、ソ連憲法を適当につぎはぎして作成。

*占領軍による憲法の押し付けは、当時国際法で厳重に禁じられていた。
「これを受け入れなければ天皇の身体の保障をすることはできない!」と日本政府に交換条件。

*英文日本国憲法の翻訳に当たった事に関し白洲次郎日記抜粋。

「『今ニ見テイロ』ト言ッタ気持チ抑ヘ切レスヒソカニ涙ス」
 
*後のマッカーサー氏語録
当時の首相、吉田茂に。
「日本は未だにあの憲法か。あの憲法では15年以内に日本は内部より亡ぶとはアメリカ人の見方である。アメリカに遠慮せず早く改憲したらよろしかろう。」

*占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画)」を徹底して行う。
 。
*ラジオで『太平洋戦史』(GHQ制作)を劇化したものを、昭和20年12月9日から、21年2月10日までの、10週間にわたって週1回放送。また『真相はこうだ』の番組も設けて、「日本軍部が、日本軍国主義が悪かった悪かった」と41週流し続けた。
 
*占領下にあったマスコミ
教育も、占領軍が喜ぶように「悪かったのは日本、悪かったのは軍部」と大合唱して、日本国民一億総懺悔をし、徹底して日本が悪かったと報道強制。

*教育基本法
前文と十一の条文からなる。占領下の昭和二十一年から二 十二年にかけて、GHQ(連合国軍総司令 部)の干渉
歴史と伝統文化を尊重し、家族愛や郷土愛、愛国心をはぐくむという視点を削除。
教育基本法の制定過程では、GHQの 干渉により、日本側原案から「伝統を尊 重」「宗教的情操の涵養」などの字句が削除されたことが、のちに公開された占領文書で明らかになっている。
日本の伝 統的な宗教行事や風俗、習慣を通じた心の教育まで封じ込めようとしたGHQ側の意図がうかがえる。

*昭和二十年十二月十五日にGHQから出されたいわゆる「神道指令」
占領軍は日本の軍隊の精強さは“かんながらの道” にあったとして神道の息の根を止めた。日本人の精神的支柱を引きぬき、占領政策に対して羊の従順さを求めてのこと。

 以後の六年八カ月間も、戦争状態は続いていた。日本は完全な主権を認められていなかった(第一条b)。

こ の間に生産された製品には「メード・イン・オキュパイド・ジャパン」と刻印されていた。日本国憲法もこの間に制定・公布された。日本製品はメード・イン・ジャパンとなったが、憲法は手つかずのまま

今日はそういう意味で本当の日本国が主権を回復した、終戦記念・独立記念日なのだ。


▲ 目を少し痛めているので、淡譚よんでくださっている方々、以前より書き込みがへりますが、書いていきます。









2002年04月12日(金) 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)



 千葉県船橋市の船橋市西図書館(木村洋一館長)が、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆に加わった扶桑杜の教科書採択をめぐる論議が高まっていた昨年八月ごろ、教科書の執筆者で評論家の西部邁らの著書を大量に廃棄処分にしていたことが十一日、分かった。
(今朝の産経新聞)
それによると、西部氏の著書を四十四冊所蔵していたが、昨夏、四十三冊を廃棄し、現在は「六十年安保センチメンタルジャー二1」の一冊だけ。上智大名誉教授、渡部昇一の著書も五十八冊あったが、「そろそろ憲法を変えてみようか」「国益の立場から」など半数近い二十五冊を廃棄した。

 これは現代の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)である。焚書坑儒とは、「書を焚(や)き儒を坑(あなうめ)にす」とも読んで、思想・言論・学者などに対する激しい弾圧の事で、やってはならないことである。上の西部氏の著書は一冊を残して他は廃棄とされた、残した一冊とは氏が全学連の左翼運動家の頃の事を書いたもので、これでどういう人達がこう言うことをしたのか明かである。
 官公庁などに深く潜入、就職した左翼な人達の仕業である。NHKにもいる。学校の教育現場にも沢山いる。彼等に共通する事、歴史認識にしても何にしても、頭が固定されている。勉強しない。だから、異論が出てくると、疑いつつも読んで見ることをせずに、排除してしまう。
 今回のこの焚書は典型的な行動だろう。目に障るものは、消してしまえである。古くは焚書坑儒の語源になった秦の始皇帝、ヒットラー、スターリンなどがやった。

映画では、トリフォーの「華氏451」J・ジャック・アノーの「薔薇の名前」が思い出される。
華氏451度(232.7℃)と言えば、紙が燃え出す温度で、これは本を焼くという意味の暗喩になっている。それで、焚書反対グループのとった手段、日本の古代の武内宿禰(たけのうち・すくね[スクネは名前ではなく、…家といった意味])よろしく、焼かれる本をすべて暗記し後世に伝えようとする。そんな映画だったと記憶する。

 記号論学者のだれだったか原作の「薔薇の名前」も、挿し絵画家やラテン語の訳者が次々殺されていく、その行き着く先は一冊の本、それは確か「笑(嗤い)い」のあるもので、それを宗教者は焚書にしようとしたという、内容であったように思う。
 昔の時代ならしようがない。だが、現代の、それも書物を保管する役目のある図書館にまで、神のごときの左翼思想人士が都合の悪い作家の本を、一冊残して全部処分してしまうなどという行為を、どう考えたらいいのだろう。  
 焚書扱いされた当の西部さんは「そう言うこともありなん、棄てるに至った理由をはっきりさせてくれ」と寛大だけれど、日本が至るところでゆがんでしまっている証拠がこんなところにまで現れている。(敬称略)










2002年04月10日(水) 高校狂禍書



 高校教科書の検定結果が発表された。驚くべし!。中学校では改善された内容が高校教科書ではまだそのまんま。中学歴史教科書からは姿を消した「従軍慰安婦」の記述がある。「性奴隷」「彼女たちを辱め」「多数の女性が強制的に連行された」(第一学習社・政治・経済)、「むりやり従軍慰安婦とされた女性もぼう大な数にのぼる」(実教出版・世界史A)など。強制連行説なんて、左翼(反日日本人)などの言い分そのままの内容である。

 中学教科書で消えたのは、まちがっていたからではなくて、年少で教えるのが早過ぎるという、変な解釈の下で削除されたのかと、今になって気がついた。
で、高校生になってそれを、例えば「性奴隷」なんていう造語を先生はどう教えるのだ。「性奴隷」は兵隊から金を取ったりしないぞ。医者から「健康に悪いから、中一日休暇を取りなさい」と言われても、取らないで「奴隷」を続けたりなんかしないぞ。故郷に帰って稼いだ金でりっぱな家を建てて錦をかざったり、「あなたは兵隊を慰めてくれた」なんて、軍から表彰状をもらったりしていたりする「性奴隷」は立派な奴になってしまうではないか!
どう教えるのだ。
 広辞苑の馬鹿は、古代ギリシャローマ時代の「奴隷」と南北アメリカ植民地時代のそれを一緒くたにして書いているが、教科書の「奴隷」はあえて言うなら、先の方の「奴隷」で、古代ギリシャローマ時代の奴隷は、医者や学者もいたりした。自分で進んでなれたのだ。

◆ 南京事件

犠牲者数として、中国政府の主張をも上回る四十万人??
つい最近立命館大学の教授が、南京事件の一級資料と言われていた、当時の南京大学のアメリカ人教授の書いたものが、実は中国の宣伝工作のために書かれたという新資料を発見、これで南京事件は限りなく白に近くなってきているのに、なんで当の日本の教科書にこういう逆行するような記述がのってしまうのか?それも四十万人(年を置き増える。李白の白髪三千丈の類である)なんて。クリスマスから翌年の2月までの期間に事件は起こったとされている。当時南京市は荷車の類もなかった。
日本軍が来るというので、みんな逃げ出した。
無事大虐殺が行われ、さて、遺体処理をしなければならない。一遺体に二人いる。これを当時の兵隊数で割って、計算して見ろ! 何年かかると思ってるんだ。当時南京陥落時には世界中の記者がいた、にもかかわらず、だーれも見ていないんだ。大量の死体処理現場を(兵隊の処理現場はあるが、何十万なんてものではない)。ちょっとは数学的側面からものを考えろ!検定委員!
 戦後各所に、加藤紘一・河野洋平などのチャイナスクール出が入りこんだ結果なのだろう。

◆ 日本の伝統的な男女観、家族観を否定

 我が儘による離婚の結果の片親を肯定したり(離婚という概念は日本になかったことを知っているか?これは西洋思想、日本は三行半(みくだりはん)という言葉で、余程でないと今のような離婚はなかった。大抵の人々は一生添い遂げた)
「男らしさ」「女らしさ」は社会的・文化的につくられたもの(ジェンダー)だとして否定的?

◆「侵略」
「戦時中、中国・朝鮮・東南アジアなど日本が侵略した地域」(第一学習社・現代社会) 「韓国併合や侵略戦争を正当化しようとする閣僚などの発言も続いている」(実教出版・日本史A)

「侵略の定義」を書いておく。
当時国際的に確立されていず、1929年パリ不戦条約では「侵略」か「自衛」かは自己解釈権にゆだねられていた。今の目で、当時の事件などを裁くことを遡及法(そきゅうほう)といって、裁判では禁じられている。韓国などは今でも、先の大統領を後の大統領が新しい法律で裁き、死刑宣告している。これなどがそうである。厳しいことを言えば、当時のヒットラーの行為も当時はそれでどういうこともなかった。後にそれではあんまりだという後世の勝手な解釈で、「人道に対する罪」ができたのである。
 わかりやすく言うと、後にタバコが覚醒剤の一種と認定されたとしたら、以前に吸っていた人はすべて犯罪者として裁かれるということだ。これで行くと、原爆投下も「人道に対する罪」になる。



 









2002年04月08日(月) ジンジャーその後



ジンジャーから「セグウェイ」と名称を改めたハイテク二輪スクーターは、原理は日本のものだったそうだ。
電氣通信大学の山藤和男名誉教授が1986年に平行二輪、コンピューター姿勢制御、平行二輪車型ロボットを作り国内特許も取っている。これは目的のための一過程だったと言うことや、スポンサーが付かなかったことなどで、日本では商品化されなかったらしい。
アメリカでさっそくこれを参考にして出来たのが、ジンジャーだった。発明者はこれを走らせるため、車道では遅すぎ、歩道では速過ぎて、今のところ自転車専用道路出しか走ることが出来ないため、法改正に向けてまず官公庁に働きかけているそうだ。
あれだけ、前宣伝でわくわくさせられて蓋を開けたら、日本の考えたものだった。ちょっと嬉しいような、そうでもないような…。

それにつけ、思い出されるのが、コンピュータos 。ウィンドーズにしてもMacOSにしてもリナックスにしても、未完成で必ず誤動作がある。所がここに日本人の発明した誤動作限りなく0に近いOSがある。「トロン」という。肝心の日本人が殆ど知らなくて、これも、アメリカの圧力で世界標準になりそこねて、今どうしているかというと、家電に組み込まれているのだ。ITRONは、携帯電話(ほぼ全社)や車のエンジン(トヨタの全車)、ビデオ(ソニーの全機種)などに使われている。
家電などに、そうしょっちゅうエラーが出たら実用品として使えない。だからこの優秀なOSが採用されている。おまけに、漢字や古代文字など全てサポート出来る。

 いつものことだけど、水泳のドルフィンキック、スキージャンプ、柔道、などとにかく日本人が突出してくると、簡単に規則が変わってしまう。で、日本人が異を唱えないのを嘆く人があるが、その前に、原文が英語で、一週間ほどで、米国のニューディラー(社会主義者)がでっちあげた日本国憲法に何にも言わないのだから、その情け無い体質から変えなければどうしようもない。やられっぱなしである。









2002年04月06日(土) 雪舟bon?



 何でこんなに人気があるんだ!行く前に風聞でちゃんと見られないとか、混雑がひどくてどうしようもないとかは覚悟していた。
 今を遡る、15年くらい前、パリの旧ギメ美術館で偶然雪舟の作品を見てから是非、一堂に会した雪舟を見てみたいと思っていた。ダリ、カラヴァジオ、などにも同様の共振・霊感を感じたことがある。ダリはスイスチューリヒの美術館で大回顧展を見ることが出来た。カラヴァジオも京都でまとまった展覧会を見ることが出来た。
そこで雪舟。昨日金曜日は欧州並みに博物館は夜八時まで開いている。夜八時までなら、客も夕飯時には帰るだろうと踏んで、5時半頃博物館の前に行ってみた。所が、京阪電車の方向から来る人の流れが引きも切らない。ここでなんだか嫌な予感がした。正面入場口からみると、テントが張ってあり、そこに人が並んでいる。聞けば、館の中に入るまで30分待ちだそうであった。陽はすでになく曇天、花冷えで肌寒い。
そこでもう暫く、近くのホテルの喫茶店で待つ事にし、ぎりぎりの6時半に入ろうと言うことにした…。
 さぁ、もう客足は遠のいたろうと、さっそうと乗り込んだら、今度は一時間待ち…。もうあとが無い。明日もあさって最終にも来られない。
伴侶と顔をつき合わせて相談。それでもなを見るべき哉否哉。そこまでして見たいか?という大問題。少し悩んで結論が出た。今回はあきらめよう。そう決まれば速い。さっさと入場口から敗退、そして、うらめしげに見た大看板「雪舟、没後500年展」の所に、小さく「次回展覧会は50年後」と書いてあった…。
その頃、約100才!黙って顔を見合わせた。そんな雪舟なぁ!
悪平等はやめないか?
混雑しそうな人気展覧会は4つに分ける。
1.禁ガキの日。
2. 大体60歳以上の人、体に不具合のある人の日。
3. VIP待遇、金に糸目はつけんでぇの日
要するに、この展覧会をゆっくり楽しみたい人のために、4・5倍の料金でもよしとする人達の日。
4. その他が、精神的高貴実際的倹約家、簡単に言えば貧乏人の日。
 学芸員は商売人ではないからこの辺の機微がわからんのだろう。

混雑の原因
自然交通渋滞というのがある。車の運転に慣れない人が、車の流れの中で、緊張のあまり頻繁にブレーキを踏む。それが敏感に後ろまで伝わり、交通渋滞を起こしてしまうと言う現象。これと同じ事が美術館で起こる。普段縁のない見物者が美術館博物館に出かける。するとそう言う客は、最初から頻繁に立ち止まる。かくて第一室がとても混み、館外長蛇の列となる。









2002年04月03日(水) 日本国滅亡



 そうやって、正義を通し次から次へと暴露し、清廉潔白を求めて、議員を追放しそれで最後に清廉潔白氏が残ったとしよう。その氏に何が出来るだろう。何にも出来ない、50人集まっても何にも出来ない。
物事には表と裏がある、今やっている事は、裏を無くそうという動きだ。裏を無くせばどうなるか?表もなくなるのである。そして国滅ぶ。
 鼠小僧次郎吉は盗人だった。ついこの間放映されたマレーの虎ハリマオ(日本人)も盗賊だった。共に貧乏な人のために分け前を与えた。貧乏人も共犯である。ただ手を汚さなかっただけにすぎない。ハリマオは最後には日本のためマレーシアのためにと諜報・兵站活動に働いた。

 悪事(法律違反)働いて有り余る金が入ったとする。何かの選択を迫られたとき、あくまで「私」の腹を肥やすのに汲々とするか、「人」の「国」のために使うか。私腹が貢献を越えなければよしとしないか?

 汚れた金はいらんと言う人がいる。神戸の震災の時、任侠の人達が炊き出しをした。彼等の事だから清浄な金ではない。だからと言って断るのか?ありがたく助けてもらえばいい。
法律はあくまで守らねばならないという、無垢の市民を気取る前に、1981年食管法が改正されるまで、お米は米穀通帳を持って買いに行かなければならなかった事を知っているか。ところが誰もそれを持って買いには行かなかった。
どうしてだろう?
「みんなそうしてるやん」。
辻元清美・鈴木宗男他と私達は同じ穴の狢なんである。













2002年03月31日(日) 桜とお花見



 小さい頃、春が来ると、よく家族親戚で家から田んぼの畦を抜けて、山懐の開けた所にある陸軍墓地に、歩いて遊山に行った。陸軍墓地が聴き取れなくて、「りくうんぽっち」と、いい歳になるまで意味も考えずにそう覚えていた。
墓地といっても、墓や卒塔婆があるわけではなく、鉄扉で閉じられた奥、長い階段が上に続くその最上部に、日本の、故郷の、ために戦って亡くなられた人々への慰霊塔があるのみで、それも普段扉は堅く閉じられて入れなかった。その下ちょっとした広場に、幾本か桜が植わった中の、ひときわ大きな樹の下を選びお花見をする。
 今思うと、春慶塗りのような、三段引き出しがついたお弁当箱を下げて行った。取っ手は、昔のタンスの引き手のようなものが付いていた、昔の公家の菓子箱のようなものだ。
中には、赤飯の盛相飯、ゆで卵、竹の子、金時人参、昆布巻き、林檎のうさぎなどが入っていた。それを大きな桜の樹の下で茣蓙を敷き、食べる。

 四國の田舎のことで、普段日には人は殆どいない。だからどんちゃん騒ぎはなく、静かなお花見。風が時折強く吹くと、シャンペンの泡のように、花びらが舞い散る。陽は桜の木にほの暖かいぬくもりを伝えて、それが青葉が萌え出る前の木の周りに、桜餅のような香りを漂わせていた。
 これからもみんなそろった花見が、毎年ずーっと続くと思っていた、幼い頃の夢のような思い出。

 お花見が一番最初に出来る、沖縄の寒緋桜(カンヒザクラ)は、普通の桜と違って、花の色が濃く、下向きに咲くので、その下の花見はさぞ、華やかだろう。一番最後の花見は北海道のチシマザクラで、涼冷な、桜の下でのお花見もまたおつなものだろう。

 子供の頃、緑色の花びらを持つ花を作り出したらノーベル賞??と言うことを博物館に勤めていた父の同僚から聞いて、それはこの世に今存在していないんだと子供心に思ったことがある。が、最近その緑色した桜があることを、知った。御衣黄(ギョイコウ)という桜の花は、淡い緑色をしていて、その木は、多摩森林科学園にあるらしい。東京にはよく行くけれど縁が無くてまだ見ていない。









2002年03月29日(金) 産経抄と天声人語



 展覧会の会期中たまった新聞を読む。本日の産経抄から、
有本恵子さんの北朝鮮拉致をはじめ、他にも関与した、新しい証言が続々元スナック店主・八尾恵証人から出ている。
昭和63年、すでに産経は「彼女が、北朝鮮工作員と接触」という報道をしている。その記事を八尾さんは「虚偽の記事内容で名誉を傷つけられた」と訴訟をおこし、横浜地裁は、産経に百十万円の支払いを命じ、平成七年十月、控訴中に和解が成立、八尾さんは請求放棄、産経は「おわび」を掲載した。

「和解に応じたのは、新聞記者の倫理としてニュース源を秘匿せねばならなかったからである」と産経は言っている。ニュース源が守られなければ、誰も情報提供してくれないだろう。そのことで、へたをすれば世間的に新聞社の信用が無くなっていたかもしれない。だが、産経は情報源を守るために和解した。鈴木宗男のムネオハウスも他社に先駆け去年の6月だったかに記事にしている。が、かなしいかな圧倒的に部数が少ない。

一方本日の朝日新聞天声人語
原爆を広島に落とした「エノラ・ゲイ」の副機長だったR・ルイス氏の手記が27日ニューヨークのクリスティーズで競売にかけられ、35万ドルで落札された。それに関してのコラム。

◆ 45年8月6日未明の出撃から時間を追ってつづる。原爆投下直後のことは「私たちは一体何人を殺したのか? 正直いって、語る言葉が見つからない。神よ私たちは何ということをしてしまったのか」。
という記述に関してコラムは、
「手記から見る限り、快哉の叫びではなかった。ルイス氏は、その後も悩み続けたらしい。しかし皆が彼のようではなかった。「眠れない夜などなかった」と語る当時の機長P・ティベッツ氏は「やるべきことをやった」と主張し続ける」

と書いている。これは何が言いたいのだろう?一見、両方の意見があって、バランスをとっているつもりなのか?
このコラムからは何にも伝わってこない。副操縦士が心傷んだのは、戦時国際法にも反する行為、すなわち一般の市民の住居する中心地へ原爆を落とすという行為に心が痛んだのだろう。まちがって伝えられている真珠湾攻撃だって、一般の居住区にあやまって被弾した所はあるけれど、軍事施設しか攻撃していない。
このコラムではっきり無辜の市民(戦闘行為をしていない)を殺したと言えば、すっきりわかるのに、朝日は前提が「日本が悪いことをした」と日頃主張し、刷り込まれているので、なんだかあやふやなコラムになってしまうのだ。
産経と好対照である。










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