目次過去未来


2002年08月06日(火) 原爆の日に寄せて



 毎年やって来るこの日。この日の三日後、長崎にも種類の違う原爆が落とされる。一つはウラニウム片とウラニウム片をぶつけて爆発させるタイプ、他の一つはプルトニウムを球状に閉じ込めて、外から火薬で内に向けて原子を衝突させるタイプ。これをそれぞれ広島・長崎に落とした。米国の言い分は各軍需産業の工場はドイツのように分別されていなく、日本の一般の家でも部品は作られている、だから東京の絨毯爆撃と同じく民間人が多く住む都会に落としてもかまわないと言う理屈だった。
 
 最初は京都に落とす予定であったが、さすがに京都の歴史的な背景は無視できず、陸軍長官のヘンリースティムソンは京都投下には反対した。広島に落とされる一ヶ月前にニューメキシコ州アランゴードで実験をし、そして今日広島に落とされた。
 
 ところで、有史以来の戦時での最大の民間人虐殺はどれ位あったのだろうか?戦争による最大の虐殺は、米軍による原爆を含む日本本土空襲で、被害者数は約百万人である。
では平時において、もっともひどい虐殺とは何だったか。最大は共産中国による旧地主階級らの粛清。二千万人以上が殺されたといわれている。次はソ連・スターリンによる粛清。こちらも一千万から二千万人。
そしてナチス・ドイツによる ホロコースト。ユダヤ人を中心に六百万から八百万人。最後がポル・ ポト。百万から二百万人。ポルポトは短期に自国民の二、三割を殺した。この内三つは共産主義思想の下に行われた。ナチスドイツさえやらなかった自国民を大量虐殺するという事をやった。
ナチスのやった行為は、ユダヤ人迫害という民族差別で、それでも詳細に調べていくと、今や定説となって潜在意識下でみんな了解している「毒ガスによる虐殺」は否定(なかった)派の方の論が勝っている。今でもドイツではそれを言うのはタブーで、それを言っている学者はドイツに住めないで、スイス国境近くで住み、執筆している。

 それはともかく、これだけ虐殺しておいて、いまだに共産主義者は何の責任も問われないのはおかしいのではないかという、問題提起の本が一九九七年にフランスで出版された『共産主義黒書』(Le livre noir ducommunisme,Editions Robert Laffont,Paris,1997)である。

序章 共産主義の犯罪 ステファン・クルトワ

第一部 自国民に敵対する国家 

第二部 世界革命、内戦、テロル

第三部 共産主義の犠牲者としての他のヨーロッパ

第四部 アジアの共産主義体制 「再教育」と大量殺害の間

第五部 第三世界

終章 なぜ? ステファン・クルトワ
 
 からなっている。これほどまで人類史上その思想信条と正義という御旗でもって人間を虐殺し続けてきたのに、今も現在、日本には共産党と名乗る団体があり、日本の国旗は血塗られているらしく反対なのに、共産党の党名には無頓着なのか馬鹿なのか、党内で揉めたことを寡聞にして聞かない。

 アメリカは自前の正義を勝利させるためにコードネームを「オリンピック」と名付け、悪者日本に原爆投下した。一方共産主義者も人民のためと正義のためにと、敵国ではなく、自国民を大量に虐殺した。

人間は厄介な生き物でこれはこれからも変わることはないだろう。
時代は変わっても人は変わらない。


参考文献:「共産主義黒書」(Le livre noir ducommunisme,Editions Robert       Laffont,Paris,1997)
     「ガス室」の真実 西岡昌紀
     「アウシュビッツの争点」 木村愛二
     「偽イスラエル政治神話」ロジェ・ガロディ
      他









2002年07月31日(水) ランボーの自殺



 ちょっと前、気になるニュースがあった。日本の特殊部隊のランボー達が自殺しているのだ。アメリカの特殊部隊の、グリーンベレー(ランボーはここ)や、シール(チャーリーシーン主演の映画で有名)、デルタフォースとはちょっと違うけれど、屈強の男たちがあっさり自殺してしまっている。

 今回立て続けに三人も自殺している。過去自衛隊だけで1997年からこっち、実に200人以上が自殺している。今回の事件も、陸自唯一の離島防衛専門の特殊部隊であったようだ。九州・沖縄は尖閣諸島や対馬など「国境の島」を数多く抱えるため、西部方面隊の直轄部隊として師団の枠を超え広範囲に出動する任務がある。
 事件が起こって九州・沖縄を統括する陸自西部方面総監部(熊本市)の調査報告があり、その記事を見て、暗い気持ちになった。その内容は、「調査の結果、訓練が厳し過ぎたとかいじめなど組織運営上の問題はなかった。明確な原因は分からない」と。大の大人社会で、いじめという言葉を使うこと自体どうかしている。それに、命を投げ出すような特殊任務につく男たちに、きつすぎる訓練は当然だろう、命がかかっている。

 ランボーのような古くはベトナム帰り、最近では俗に「アフガン症候群」と言われる症状を呈し、家族を撃ち殺して自殺するというような、平和な自国と修羅場の戦地との間で、精神的バランスが崩れ、おかしくなってそうなると言うならまだわかる。だが、我が特殊部隊隊員は、男女間の事とか、単身赴任の事とかで自殺したらしいのである。これは、巷のサラリーマンと同じ次元なのだ。

 小野田さんが戦後何十年経って戦争が終わっていても任務遂行のために、とにかく生き抜いて帰還した事が過去にあった。普通は任務遂行のためにあらゆる手段を講じて生きぬくものだ。そう鍛えられるものだろう。
それが、あっさり自殺してしまう。おそらく、日本の近現代史にあまりに無知な所から、国の誇りとか、国を守る意味など考えもせず、安定した収入が得られると言ったサラリーマン意識で入隊して来るのだろう。その証拠に託児所を設けている所があるという。子を預けてまで自衛隊に勤務するとは、見上げた根性と思いたいが、我が子を預けて非常時に出動して、帰ってこられなかった場合誰が面倒見るのだ。男女雇用機会均等法を軍隊に適用するな!

全く市井の会社と同じように見ているとしか思えない。そういう意識で入っていれば当然、なんでこんなに辛いんだろうとか、耐えられないとか思ってしまうに違いないのだ。だから簡単に自殺する。

大東亜戦争末期、国のために死んで行った、若い特攻隊の人達を思い出してくれ。彼等は一つしかない命を国のために使った。遺書を読むと涙が出てくる。本当のところは死にたくなかったかも知れない。が、白人社会にはない特攻という自己犠牲で、今日日本が世界に一目置かれているのはそういうことも含んでいる。自分の事で、一つしかない命を自殺と言う方法で捨てる前に、今生きている私達のために、自ら進んで命を絶った人の事を思い浮かべてほしい。自分たちは選ばれた特殊部隊の一員だという誇りを持って欲しいものだ。

 (小野田寛郎元少尉。フィリピン・ルバング島の元日本兵・小野田さんは、度重なる捜索隊の呼びかけにも応じず、戦時の命令に従って戦後三十年間“作戦”を遂行し続けていた。)









2002年07月28日(日) 奇妙な空白



 地球外知的生命体,平たくいえば宇宙人を探す組織、SETI@homeというのがある。世界中の家庭にあるコンピュータの空き時間を有効利用して、宇宙から飛んでくる電波を解析して宇宙人をさがしあてようとするものだ。砂漠の一握の砂の砂粒を分析するような物で、ほとんど気が遠くなるような作業だ。

 100回目の感謝状をSETI@homeからいただいてから、暫くして、なぜか本部につなぐことは出来るのだけれども、データをコンピュータにダウンロード中に止まってしまう日が続いた。何度も何度もつなぎっぱなしにして、試みても出来ない。こちらのソフトが原因かと思い、初期設定から何からすべてやりなおしてもだめだった。後、SETI@homeのホームページを見て初めて、つながりにくくなっていて、原因不明という記事がある事を知った。おかしくなって一ヶ月近く経っていた。
にわかに協力者が増えたとも思えないのに、不思議である。そうして毎日様子を見ていたら突然昨日いつの間にかコンピュータはデータを取り込み動いていた。世界中からアクセスしてくるのだから、二重三重に対策は講じているはずなのに、一時とまってしまった。まるで何かに妨害を受けているかのように…。
とまれ、下衆の勘繰りをすることで、このまったく絶望的な作業の手伝いに、「ひょっとしたら」の希望も湧こうというものだ。

感謝状









2002年07月18日(木) 七月17日付け淡譚削除 訂正



 先日、7月17日付の淡譚で、石原慎太郎に非難されている(北朝鮮に拉致されている子を持つ親に対して、淀号乗っ取り犯と北朝鮮がやったことを区別せよというようなことなど、諭すような電話をかけたとされる)中山議員は、中山正暉で、以下のリストにある、金正日祝賀会の中山太郎(兄)とは関係ありません(どちらにしても、同じ穴の狢ですが…)。
淡譚のまったくの名前覚え違いによるものでした。ゴメンナサイ。(敬称略)

 名前が覚えにくい頭を持っていて、以前も作家の堀田善衛と、画家の飯田善國をながいこと同一人物と思っていて、各文章を読んでいて、どうも何だか変だと思い、改めて調べてみたら全然別人だったということがありました。
というようなわけで、前回の文章はそれで組み立てられているので削除しました。

 がしかし、この人々(特に政治家)は覚えておくべきだろう。
古くは、ラングーン爆弾事件や大韓航空機爆破事件、拉致事件、ミサイル実験、など1997年当時すでに周知の事となっていたにもかかわらず、宴で飲み食いした人達です。

●金正日総書記推戴の祝賀宴に参加した主な日本の各界人士リスト(敬称略)
  1997年10月23日に東京で行われた祝賀宴の出席者(役職は当時)

・野中広務(自民党幹事長代理) ・土井たか子(社民党党首)
・鳩山由紀夫(民主党幹事長) ・中山太郎(自民党外交調査会会長)
・伊藤茂(社民党幹事長)・堂本暁子(新党さきがけ議員団座長)
・石井一(新進党幹事長代理)・久保亘(民主改革連合最高顧問)
・矢田部理(新社会党委員長)・林義郎(元蔵相)
谷洋一、久野統一郎、馳浩、上原康助、大脇雅子、田英夫、清水澄子、中西績介、
海江田万里、大畠章宏、肥田美代子、金田誠一、山元勉、梶原敬義、
伊東忠治、山崎力、鈴木正孝、坂上富男、武田邦太郎、細川律夫、常田享詳
↑諸氏をはじめとする国会議員
鈴木二郎(日朝国交正常化促進国民フォーラム代表委員)、森田三男(創価大学教授)、
三潴信邦(筑波大学名誉教授)、前田哲男(東京国際大学教授)、田辺誠(AFM代表)
津和慶子(日本婦人会議議長)、尾上健一(チュチェ思想国際研究所事務局長)
若林?(朝鮮統一支持日本委員会事務局長)、多々良純(日朝文化交流協会副理事長)、
竪山利文(元連合会長)、花輪不二男(チュチェ思想研究会全国連絡協議会事務局長)
中小路清雄(日朝学術教育交流協会会長)、近藤龍夫(朝日イブニングニュース社長)
滋野武(NHK報道局長)、石川一彦(日本テレビ報道局長)、三辺吉彦(TBS報道局長)
早川洋(テレビ朝日報道局長)、渡辺一彦(テレビ東京報道局長)

                      1997/10/28 朝鮮新報                       









2002年07月13日(土) 1979年のボルドーワイン



1979年のボルドーの赤、CHATEAU FORT-DE-VAUBAN, Cussac-Fort-Medoc, AOC Haut-Medocを開けた。この赤ワインはENCYCLOPEDIE DES CRUS BOURGEOIS DU BORDELAISによれば、飲みごろは瓶詰め8年前後だそうで、この辞典の発売が1988年で、其の時点ですでに飲みごろとある。それから実に、14年経っている。瓶詰されてからは23年だ。 

豚のとろ火煮込みに栗添えと合うと書いてある。シナ料理なら東坡肉(とんぽうろう)というところか。
 コルクの寿命はだいたい15年くらいだから、高級ワインは最低でも4.5〜5cmの長さを必要とする。長期熟成が前提だからだ。コルクの長さで高級かどうかの一つの目安になる。一週間程、酒庫に立てて澱をキュ(瓶の底のせり上がった部分)の回りに沈めてから抜く準備をした。

 抜いてみると案の定、コルクの下半分がやせ細り劣化していた。移し替えて味見、味はもうとっくに峠を過ぎていた。香りは、アプリコット、ベリー系から洋梨アーモンドと変わり・・・・、なんてあほな、にわかソムリエのような事は言わない。ただ、木の香りがした。改めて辞書を当たってみたら、森の香りがすると記されてあった。
これぞ、辞書。納得するところがあった。それから、6時間程置いて味はともかく香りの変化を楽しんだ。このワインが出来た年はどんなことがあったろう。

 政治は、
 中国と国交を樹立、カンボジア人民共和国樹立宣言、カンボジア代表はポル・ポトになる。後、政権崩壊までに、映画俳優は最後の一人を残して全部殺され、知識人・芸術家も殺された。ポルポトは、知識人・芸術家は邪魔と言う結論をパリ留学中に思いついた。
EC外相理事会でデンマークが「日本人はウサギ小屋に住む仕事ばか」とのEC対日秘密文書を批判した。
国連総会は新加盟国として東カリブ海の「セントルシア」を承認。
イランを一党独裁国家にとホメイニ師表明。
韓国の釜山で、学生の反政府デモ、市民も巻き込んで暴動。
朴大統領は非常戒厳令を発令 
朴大統領、ソウルの夕食会席上で、金載圭中央情報部部長に射投される。学習院大学教授の篠沢秀夫フランス文学教授はその著書で、「このまま行くと大統領は暗殺される」と予言して不幸にも当たってしまった。
金大中氏の自宅軟禁を解除。 円相場は1ドル=250円割れ下落
消費税採用断念 

スポーツ関係では、
東京・立川女子高生登山隊がヒマラヤのゴーキョ・ピーク(5360m)の登頂に成功、女子高生では初。
登山ガイド長谷川恒男さんがグランドジョラス北壁の単独登頂に成功。
世界で2人目の冬季北壁三冠王。後に遭難死する前に、上高地の横尾で、テントが隣あわせになったことがある。山岳ガイドをしていたようだ。
伊の登山家ラインホルト・メスナー、前年のエベしストに続き、K2も酸素なしで登頂。

アリ引退で空位の世界ヘビー級王座決定戦、テート(米)が王座獲得  
具志堅用高、アベラ(比)をKOで破り、世界J・フライ級10回目の防衛 
スイスの国際オリンピック委本部は郵便投票の結果、大差で中国の五輪後帰を承認したと発表。

我が国の歴史
奈良市東部の茶畑で「古事記」の選者、太安萬侶の墓誌銅板と骨を発見。
京都で平安初期の貴族邸跡を発見            

コンピュータでは、
マイクロソフトがMS−DOSを発売。 
遡る アップルコンピュータ『Apple』は1976年に発売。  
インベーダーゲームが大流行する。


世界最長の上越新幹鍵・大清水トンネル(22.2k)が貫通。
国立大の初の共通一次試験が全国一斉に始まる。 
NHKテレビが南極から初の生中継。
四畳半裁判で野坂昭如被告らの控訴を棄却、有罪判決 。
愛のコリーダ裁判で東京地裁、大島渚監督ら2被告に無罪判決

国語審議会が常用漢字表の1926字案を決定、中間答申。無茶したものだ。
これでいまだにコンピュータの漢字表示も満足に出来ない。

阿蘇中岳が爆発、噴石に直撃され観光客3人が死亡。
 景色もうつろう。
長野の白根山に高校時代修学旅行で行った。何十年か後に、懐かしさで北軽井沢から、車で訪ねて驚いた。修学旅行の十年後くらいに、爆発で吹き飛び、思い出の群青の火口湖も山容もまったく面影がなかった。  

ノーベル平和賞は「カルカッタ貧民街の聖女」修道女テレサ尼、

カンヌ国際映画祭では、作家フランソワーズ・サガンが審査委員長
 パルム・ドール ブリキの太鼓【西ドイツ】
地獄の黙示録【アメリカ】 これに出てくる主人公は、本国アメリカの言うことを聞かなくなった、 マッカーサー(日本統治をした)、を象徴的に描いた映画である。後、マッカーサーは日本を強制退去された。日本国憲法をでっち上げた人。

審査員特別賞
シベリア【ソ連】 監督賞 テレンス・マリク『天国の日々』【イタリア】
若い映画賞 あばずれ【フランス】

国際批評家賞 地獄の黙示録【アメリカ】
       ブラック・ジャック【イギリス】

 1979年ワインが生まれた年、主にこのような出来事があった。古いワインを開けるとき、人類が究極のΩ(オメガ)点に向かって、生きていく足跡を振り返るのもいい酒の肴となる。









2002年07月06日(土) 韓国という近くてますます遠い国。



 最近、 「親日派のための弁明」(ソウル・文芸春秋社)と題する評論集の訳本が日本で出版されることになり、日本に来るはずであった著者は、ソウル大出身の若手評論家、金完變氏(キム・ワンソプ 三十八)。ところが、なんと韓国政府が拒否、出国禁止となってしまった。

 で、金氏は一体何を書いたのだろうか?まだ翻訳本は手に入れていないが、以前要約は読んだ。要するに、韓国併合時代の日本を全面的に肯定、慰安婦の事なども兼ねてから日本の良識派が主張してきた事を支持するもので、 「日本統治時代は我々にとって祝福だった」「日本は(西欧帝国主義と異なり)植民地を単純に搾取の対象としてではなく、投資や開発、教育(拡がらなかったハングルを学校で教え普及につとめた)を平行し文字通り共存共栄の政策を行った」「韓国の反日感情は意図的な歴史歪曲によるものであり、歴史を歪曲しているのは日本ではなく韓国である」と。

 さらに韓国の国民感情を最も刺激する竹島(韓国名・独島)をめぐる領土問題についても「無主の無人島として日本が一九〇五年に島根県に編入したもので日韓併合は関係ない」と日本の主張を支持している。
その上、「戦後分割されたのは日本で、台湾・韓国・北方四島をアメリカの手によって分割された」と言う。これは「日本の学者評論家の視点にも無かった」ということを、現代コリア研究所のどなたかが書かれていた。確かに併合は50年近く続き、日本で”あった”、のである。
それに韓国は独立を自らの手で勝ち取って独立したのではない。日本の敗戦で突然放り出された、そこを狙って、共産化しようと中国が介入し、朝鮮戦争が起こり南北分断となり、旧ソビエトは革命の英雄に仕立て上げた若き金日成を送り込み、休戦体制のまま現在に至っている。

 韓国の刑法に「外患罪」というのがある。「外患罪」は「外国と通じ、わが国に敵対する罪」で最高は死刑、出版物などによる「外患扇動」だと懲役二年以上となっている。
韓国は民主主義の国であるはずだ(実際にスパイ活動を行っての事なら、この罪で裁かれるのも仕方がない)。ならば、言論の自由は遵守されなければならない、著者は評論家で言論人なのである。それを今裁こうとしている。そうして、驚くべき事に焚書坑儒(ふんしょ・こうじゅ)を国がやっている。結局、韓国内で発売された著者の本は、ポルノと同じ扱いで事実上販売されなくされてしまった。

 一方日本では、橋本龍太郎元首相とより親しい関係にあった女が、中国の女スパイだった事が暴露されたが、国家の一大事とも思わないのか、いまだに現役の議員である。ドイツやイギリス・アメリカでは即責任を取らされて非常に重い刑を受けるようだ。

 日本なら反日日本人教授・作家・評論家・他一杯いる。韓国式だとみな死刑か懲役である。
そうならないのは、「言論の自由を標榜している国」だからである。

が、韓国は国(マスコミ)を挙げて、先に結論(日本は悪、韓国は善の二元論)があり、それにあわない者は厳しく罰せられる。言っただけで書いただけで懲役になるのである。

 韓国と日本は国として仲良くなれないだろう。ちょっとサッカー共催したからと言って、それ以上はないだろう。歴史的に事大主義(その時どきに応じて強きにつく)の国であって、今又、中国に目が向かっている。
    









2002年06月28日(金) 山野草



 喧(かまびす)しきサッカーも、電源を切り、新聞を読まなければ存在しない。一人静かな梅雨の午後である。制作の合間、雨に濡れた庭のテーブルに置かれてある、単植(たんしょく)鉢植えの山野草に目をやると、いつの間にか三時草(爆蘭)が花をつけている。小さな紫色の花弁でつつましい。
西洋人の好む、派手でけばけばしく大層な、ガーデニングとやらとは世界が違う。午後三時過ぎにひっそりとその花弁を開く。別名三時の貴公子とも言うらしい。
 写真にすると小さすぎ、かといってズームで撮ってみても野暮になる。

やはり目に置け山野草

外に今咲きかけているのは、うつぼ草、花茄子、不如帰(ほととぎす)草。
どれも、日本の山野草である。目立たないけれども、一草一花凜とした控え
めな存在感がある。雨に濡れるとその緑は冴えかえる。

 6月は、あじさい(別名:手毬花)、を手始めに、甘茶、鹿子百合、姫百合、笹百合、、矢車草、野あざみ、露草、螢袋、山法師、白雲木、白山木(はくさんぼく)、しま芦、熊谷草、岡虎尾(おかとらのお)、月見草、敦盛草、宵待草、下野(しもつけ)、金糸梅、破れ傘、風露草、未央柳(びようやなぎ)、くちなし、黒花蝋梅(くろばなろうばい)、石榴(ざくろ)、花菖蒲、浜梨、半夏生、等々が順番交互重複して咲く。

 * 山野草
日本に自生する草や草花、小灌木などを、それぞれ単独であるいは複数を意匠を凝らした鉢へと寄せ植えして、しかも何年もそのまま栽培を続けて、美しさだけではなく渋さ、時代感をも表現しようという、植物への思い入れの強い日本伝統の植物栽培法。









2002年06月22日(土) 純日本製OSを使う。



下のように、日本製のBtronOS(超漢字4)で、書けてしまう。各国語のどれかに切り替えながら書いていく。各国の言葉は勿論、点字もエスペラント、字に関するあらゆる表記が出来る。
ただ残念なことに、普通のブラウザ(ネットスケープやエクスプローラー、i-cab他)には表示能力がない。だからこれは映像)。そこにあるものをちょちょっと利用して済ますよりも、せっかく日本の足下にこんないいOSがあるのだから、もっと使ってみたらどうだろうか?


他に、点字、変体仮名、梵字、字喃(チュノム。ベトナム発祥漢字)、六十四卦(易の世界で用いられる文字)、源氏香(香道の世界の独特な文字)甲骨文字、中国伝統漢字などが標準装備されている。
世界中の人が一つのコンピュータを共有出来る、こんな素晴らしいOS他に無いゾ。

 なんでも、そこにある一見便利そうでハイカラなものに目がいってしまうのは仕方がない。だが、少し前のプラザ合意(プラザ合意とは、1985年9月にニューヨークのプラザホテルで開催されたG5(先進5カ国蔵相中央銀行総裁会議)における「ドル高是正のための協調介入」に関する合意のことを言う。後、円相場は「1ドル=260円台」から「1ドル=120円台」に急騰した。
 
要するに、当時の「円安ドル高」を「円高ドル安」に誘導しようというのがプラザ合意。プラザ合意によって、ドルの切り下げによりアメリカは、自国の借金の負担を軽減することに成功し、日本は大幅な円高を選択し、製造業における競争力を放棄することをみずから選択した)にまんまとやられてしまった日本経済と同じようにならないためにも、日本製の優れたOSをもっと使いたいものだ。特に、中高年の人達は使いやすいだろう。

 マレーシアのマハティール首相は、73年に訪れた日本で、「街にあふれる高品質の製品も、秒単位の正確さの新幹線も、質の高い教育がもたらしたものである。」と悟り、1981年、首相に就任すると、「ルック・イースト」政策を打ち出した。 私達の足下に素晴らしいものがあるのだ。近すぎて気づかないだけなのだ。


You must go into the country to hear what news at Kyoto
      (京都のニュースを聞きに田舎へ行く)













2002年06月18日(火) 今日の敵、トルコを知る



 トルコは日本とよく似た習慣がある。家庭では大和座りと同じ、正座をする。靴を脱いで部屋に上がる。床に座り、ちゃぶ台で食事する。亭主関白である(日本はほとんど亡びたが)。トイレはその言う和式(フランスではトルコ式という)と同じ。

 江戸末期頃、世界では、欧米諸国以外で、まだ憲法政治を実現した民族はなかった。1870年代後半にトルコが立憲政治を始めたが、わずか一年足らずで憲法停止・議会解散に追い込まれた。キリスト教白人国家以外では立憲政治は不可能というのが世界常識だった。その常識を破って成功したのが日本の明治維新であった。
 オスマン・トルコ帝国は明治23年同じような立場にあったこともあり、エルトゥールル号を仕たてて、総勢約700名を使節団として日本に派遣した。目的も達成し帰国となったが、台風の季節と重なり、船が巻き込まれ大惨事となる。日本は官民挙げて救護、捜索、船の引き上げなど献身的に行い、義捐金の募集も広く行われ、遭難地近く、和歌山県大島の樫野崎に慰霊碑も建てられ、生き残った人々は軍艦「金剛」「比叡」により丁寧に送還された。だから、イスタンブールの海軍博物館には、今もエルトゥールル号の遺品や日本で作られた追悼歌の楽譜などが展示されている。

 現代のトルコは、国歌が町中で演奏されると、例え信号の途中であろうと、車はそのまま止まり敬意を表する。同国内で日の丸を巡って賛成反対などどもめている国とは対照的である。
外国はどこに行きたいかと聞かれると、トルコ人は半数以上が日本と答える国柄である。親日の国でもある。東郷平八郎に敬意を表して、通りにその名前をつけている。肝心の日本の教科書には数行しか出てこないが(扶桑社の教科書は除く)。
敵を知り、頭に入れて観戦するのもまた楽しからずや。









2002年06月15日(土) チュニジアにあった別の国



 サッカーのチュニジア・日本戦を見ていて、思った。

かって.カルタゴ(814B.C.〜)という歴史に名を残すほどの国があった。

場所は今のチュニジアの首都、チュニスの北東にあった。
今のチュニジアとは直接関係はない。カルタゴはローマ帝国に完全に滅ぼされたからだ。
フェニキア(「フェニキア」とは、元来は暗赤色あるいは紫がかった褐色を意味する語であるギリシャ語の「phoenix」に由来)の民は滅ぼされてしまった。
カルタゴは、栄耀栄華を極め、武勇(傭兵制を創設)に優れ、海洋通商国家として栄え、文化爛熟、今でも、円形の伝説的な港、商港と軍港の跡は遺跡で残っている。
 シチリアをめぐって、ローマとカルタゴは戦争を始める(ハンニバル率いる第二次ポエニ戦争)、そうして大敗する。そこからが問題なのだ。

 その時、ローマ帝国がカルタゴに突きつけた、降伏文章は次の七項目から成っている。

一、完全武装解除=商船を除いて全船隊をローマに引き渡す。

二、本国以外の全ての領土を放棄する。

三、カルタゴの安全はローマが保障する。

四、但しカルタゴに駐留するローマ軍の給与・食料等の費用はカルタゴが支出する。

五、脱走兵・捕虜等をローマに引き渡す。

六、賠償金、一万タレントをローマに支弁すること。

七、14歳以上の男子百人を人貫としてローマに送ること。

  以上、カルタゴを日本に、ローマをアメリカに置き換えてみよ。

 これは、敗戦国日本がアメリカに突きつけられた、降伏条件(日米安保を含む)と全くよく似ている。六番目、日本の場合賠償金は、当時の金で七十五億円、七番目は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争の罪悪感を日本人の心に植え付けるための情報宣伝計画)」を徹底するため、二年半にわたって極東軍事裁判を開廷し、そして日本の指導者二十五人を断罪(うち七名を処刑)して、さらに戦争協力者と称して実に二十一万人を公職から追放した、事に置き変えるといい。

 で、後、カルタゴはローマ帝国に完全依存、かって英雄ハンニバルを生んだカルタゴ民族は、もともと聡明で勤勉な民族で武勇にもすぐれていたが、しかし、軍備と交戦権を失った彼らは、もっぱら貿易と金儲けに走った。当時カルタゴは、地中海のみならず、アフリカの海岸まで手を延ばし、世界最大の貿易国にまで成長した。文化面では、食道楽のようなものが流行り、観劇・ファッションなども、巷あふれた。

 そうして、いつのに間にか独立国家としての気概も、自尊自立の民族精神も失い、金儲けにうつつを抜かし、金で済むならそれで済ましてしまおうという風潮を生みだす。祖国防衛の意志さえ失ってしまった。経済繁栄に酔い痴れて、驕慢になったカルタゴに対して、ローマは三たび戦争を仕掛けた。

シーレーンをおさえ、港湾を封鎖した(第三次ポェニ戦争(前一四八:一四六))。この戦争によってカルタゴは職滅(せんめつ)させられる。カルタゴ民族はこの地上から消滅して、再び蘇生することはなかった。永久に滅んでしまった。そうして、そのあと、今のチュニジア国が建国される。つながりはなにもない。

 いまの日本の風潮が、あまりにも二千年前のカルタゴの姿に似ていると思わないか? 


参考文献:田中正明「歴史思想講座第一集」
   :森本哲郎 『ある通商国家の滅亡』 PHP研究所

   










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