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2002年11月16日(土) 臭感金様媚(しゅうかんきんようび)



 反日雑誌である。編集委員を見ても分かるように週刊金曜日(編集委員、落合恵子・佐高 信・椎名 誠・筑紫哲也・本多勝一)問題多き雑誌である。

 この中で、友人(写真家、岡田昇)が北アルプスで去年遭難し、今だどこかに埋まっているので、可哀相だから椎名誠はせめない。だが、編集委員に、あの南京大虐殺を、本当のところは多分無かったと知っていたに違いない、当時朝日新聞の記者だった本多勝一がいる。
この人は、 講談社文庫版『アラビア遊牧民』には「本多勝一 1933年長野県生まれ。京大農林生物学科卒」と書き、梅棹忠夫・責任編集『現代の冒険1 砂漠と密林を越えて』(文藝春秋)には、「本多勝一(ほんだ・かついち)1933年(昭和8年)長野県に生れる。千葉大学薬学部を経、59年京都大学農学部を中退。」と平気で書いて何とも思わない人である。
他著書内経歴も、生まれ年の幅が2〜3年の食い違いがある。

 その他、中国の文革やベトナムについても、前言を勝手に翻し、書き換えて平気な人でもある。今はどうだか知らないが、確か誰かに訴えられて、裁判で係争中の事が二つ三つあったはずである。南京大虐殺を当の中国の宣伝材料にしてしまった張本人といっても良い。問いつめられると、中国民が言ったことをそのまま書いただけで、責任はないという、記者の風上にも置けぬ奴である、裏をとらないのなら朝鮮労働党の新聞記者と同じではないか!
佐高信、企業内の幇間記事雑誌を書いていたようで、あの辻元清美に、援助?金を出して応援していた人である。この人、企業内の重要人物に取材して、伝を持つとたちまち批判していた人でも、評価が変わる。確か評論家の江藤淳(あの長野県知事田中康夫を世に出した人)にあった後も、君子豹変した。


筑紫哲也 この人も朝日新聞出身の言いっぱなしの達人である。言いっぱなしの達人はなぜかニュースキャスター(例:久米宏)になりたがる。読んでもいない(話からわかる)新しい歴史教科書を非難し、まともに名指しで論争を挑まれると、知らぬ存ぜぬで、頭から無視して平気な人物。石原慎太郎との直接対談の折り、一度は外国に逃げ出し、対談実現の際には、その後ろめたさと劣等感が画面に出ていた。卑怯を絵に描いたような人物。そういう人達によって作られている雑誌だ。

形を変えて、相変わらず国を売っていることには変わりがない。









2002年11月09日(土) 訂正



10/30の題字 夭折→夭逝でした。









2002年11月07日(木) 巴里のレストラン



 世間が平穏でない中、今月24日から南仏に行く。行くと言っても、車でひたすら人のいない山中をうろうろして、ひがな冬の光線を求めて、走る。それだけ。
 そう言う中で唯一の楽しみは食べることになる。旅の最終日は一端巴里に出て、晩飯を食べることにした。
そこでミシュランガイドの公式頁につないでみたら、あれれ、巴里市内の三つ星(***)がなんと九店になっていた。
Ledoyen,  Lucas Carton,  Plaza Athene , Taillevent,  
Arpege ,Grand Vefour , Guy Savoy , Ambroisie ,
Pierre Gagnaire
これはちょっと多すぎやしないか?ちょっと前までは多くて5.6軒であった。

 中にはグランベフールのようにシェフが変わり、返り咲いた店もある。返り咲くのは至難の技で普通はあまりないことだ。サンテチエンヌにあった、ピエール・ガニエールは上京し、三つ星を取った。最初、タイユバンに行こうと思い、Eーメイルを書いた。便利になったもので、1年前くらいまではすべて予約は FAXでしていた。ファクスの転送速度がフランスは何だか遅く、KDDに支払う料金は馬鹿にならなかった。それも取れたらいいのだが、断りのFAXもこっち払いに設定して送信するから、大層な出費になっていた。
 
 ところが今年当たりから、ホテルもレストランもこぞってメールアドレスを住所の前に載せ始めたのだ。これは便利だ。さっそくタイユバンに送ったら、やっぱり!断られてしまった。しかし断る文がしゃれている。

 「夜は満員(普通三つ星のレストランを一ヶ月前後にとるのは無謀である)です、しかしあなたは慣れてらっしゃるようだから、観光客の集まる夜より、パリジャンが多く集うお昼が良いと存じます。お昼ならお好きな時間を仰せつけ下さい、ご用意いたします」
てな心憎いメールをよこした。結局断ったが、敵もなかなかやるものだ。幸い、アルページュが取れたが、こうあっさり一ヶ月を切った状態でメールをしてとれたとなると、今度は「何だ!はやってないのとちがうか?」と下衆の勘ぐりをしてしまう。
 フランス料理界も苦しいのだろう。まず、不況下、日本人が来なくなったろう、アメリカ人もそれどころではない。そうすると、長年代わり映えしない三つ星レストランに変化がないと、フランス人自身も来ない。
だから増やしたのだろう。フランス人は食い物に金をかける。ペンキ屋と大統領が同席する可能性は大である。日本でもようやくそれに近い状態に近づきあるように思えるけれども、やっぱり基本的な値段が違いすぎて、果てしなく難しい。
一客十万円の席には着かないだろう。
フランス人は、一回の晩餐に、金をためて望むことをいとわない。価値観が日本人と違う。日本人は勤勉な民だから、一夜の快楽のために貯蓄はしないのではないか。

 日本料理の極みと比べると、フランス料理には、そう多くのレパートリーがあるわけではない。今でも、海にはあまり興味を示さない。”海の発見”は多分100年くらいなものだろう。印象派の画家達の描いている絵の中にも、ご婦人が海辺で海に背を向け読書している作品がある。
だから、いまだに蛸などは、南仏イタリアスペインの一部は食べても、決して都会の高級料理の材料とはならない。ましてや、鯨、老海鼠(ほや)など視界にも入らないだろう。
 向こうに行ったら向こうの食文化に従うが、やっぱり最高に洗練されているのは、器・箸など、陶磁器・塗り物 平面立体と変化に富む日本の料理だろう。これに箸の上げ下ろしにからんで作法が存在する。
フォークに、以下の作法があるか?
箸をフォークに置き換えてくれ。

まよい箸(どの料理から手をつけようかと迷い、料理の上であちこち動かすこと)
うつり箸(料理をいったん取りかけて、ほかのものに替えること)
ちぐり箸(汁物などのとき、椀の中をかきまぜて中身を探ること)
かき箸(茶碗や器のふちを直接口にあて、箸でかきこむこと)

よせ箸(箸で器を引き寄せること)
なみだ箸 箸先から汁をたらすこと。
こみ箸 料理を箸で口に押し込むこと。
ねぶり箸 箸をなめること。あるいは、ロ中深く入れること。
たたき箸 箸で器をたたくこと。
にぎり箸 2本の箸をそろえて掌で握りしめること。器を取るときなどにしがち。
箸の頭を親指で押さえると攻撃の意味になる。

ほじり箸 盛りつけを無視して、底のほうにある料理をほじくり出すこと。
すかし箸 骨つきの魚を食べるとき、中骨を通して下の身をつつくこと。

これだけある、どうだまいったか!









2002年11月03日(日) 紛(まが)い者まかり通る



 うららかな三連休、国旗は半旗を掲げている。
今日は憲法公布、そして明治節(明治天皇誕生日)である。戦後GHQ(連合国総司令部)によって、半ば強制的に文化の日に変えられた。これは日本悪、戦前は全て暗黒とする暗黒史観を植え付けるために行われた。
  
 今の時期、界隈は紅葉の季節にともなって、河原町並みの人出である。哲学の道界隈も多くの人々でにぎわっている。最近なぜか、フランス語圏の人が多い。フランス語を結構散歩途中に聞く。
ある昼下がり、舞妓が哲学の道を散歩している。よそから来た人が見ると、京都だなぁと、感じてしまうのではないか。
昨日も、岡崎の美術館近くで、舞妓が二人、人力車に乗って疎水縁を巡っていた。
この光景に異国から来た人達は、思わずカメラ・ビデオをまわすだろう。異国の人達は、これが真っ赤な偽物だとはよもや思うまい。
これはどこぞの企画会社が考え出した。旅行者の物好きに、安物の着物を着せ、鬘(かつら)をつけさせ、一回なんぼで、京都の観光地を歩かせるのである。
そうとは知らない観光客はカメラを向けビデオを撮る。ジーパン洋服でそだった者が、俄に着物を着たところで、その立ち居振る舞いまで真似できるわけではない。外股で、靴のように歩くから見られたものではない。雨が降った後の水たまりを歩くと、跳ねで着物の裾はべしゃべしゃだ、着物を着慣れているご婦人はそういう跳ねがほとんどつかないのを見たことがある。
ところが目出度いことに、写す側も、同じ穴の狢(むじな)であるから、そう言う事に頓着しない。
 いつも利用しているタクシーの運転手が嘆いていた。着物から何から芸妓は、こんな時間に散歩なぞしないし、あんな着方はしない。今の時間は厳しいお稽古ごとに奔走しているはずだと。
一番困るのは、乗せた外国人がそれを見て、日本を誤解することだと。
そうだろう、お笑いタレントが、よく外国の地で必要以上にはしゃいで、恥を売りに行っているのを見るが、京都では、内で外から来ている客に、恥を売っている。

見た外人客は、がに股で闊歩し、大声で喋り、西洋歩きで歩く、白塗りの、安モンの着物を着た、バナナのお姉さん方を、日本の文化だと見て帰り、自国で吹聴することだろう。グロである。
 自国の古来からの文化を、「和風が今流行」などと平気で言う、お前は何ものだ!根っ子を無くしてふらふらと彷徨い、髪染め(茶髪)に強力な発ガン性物質が含まれていると分かって今あわてふためいてももう遅い。
 黒い髪が洋服に似合わないと言われて従い、ロックに日本語は馴染まないといわれて、「カモンベイビー」と唄い、ついに着物も服も着こなせないまま、みんなしてどこへ行くのだ。
 かくて外は国家主権の、内は固有文化喪失で日本は滅びる。









2002年10月30日(水) 夭逝(ようせい)



 「新しい歴史教科書をつくる会」の最初の四人のメンバーの一人、坂本多加雄さんが亡くなった。胃癌だそうで、山本夏彦翁と同じ病気であった。
 専門の明治前後の執筆はせず、戦後史・近世の部分を担当した。52歳だった。
靖国神社の代替施設の審議懇談会委員で、只一人、断固反対していた人でもあった。靖国神社のことは、ちゃんと日本の近現代史を学べば、その代替施設などというちんけなものは、他国の干渉の屈服以外の何ものでもないことはすぐ理解できる。
それをしてでも、中国朝鮮に気に入ってもらおうという、さもしい自虐史観を多くの日本人は無意識に持たされている。それを正論で堂々と主張していた。
ご苦労様でした。合掌。

  坂本多加雄 学習院大学教授(日本政治思想史)「市場・道徳・秩序」サントリー学芸賞、「象徴天皇制度と日本の来歴」読売論壇賞、









2002年10月27日(日) 合掌



 先ほど、山本夏彦先生が亡くなられたことを知った。お年もあって患われたとき、少し心配したが気丈な夏彦翁の事、大丈夫九十百まで生きると思っていた。事実その後、病気を笑わぬでも無しと笑い飛ばし、またコラムを書かれていた。それが突然の訃報である。大きな心の支柱が一本抜き取られたような感じがしている…。
先生、ありがとうございました。ご冥福を祈ります。









2002年10月26日(土) 宣戦布告



 昨夜、最終日という事もあって久しぶりに映画を見に行った。弥生座は「ムルデカ」以来である。
映画は、石侍露堂(せじ・ろどう)監督の 「宣戦布告」
これは現在の日本と北朝鮮の、限りなく現実に近い、シミレーション映画である。
 韓国映画の三十八度線国境の板門店を舞台にした、JSAというのがあったが、君らが勝手にもめて勝手に分断してしまったのだから、勝手に悩め!という気持ちで見ていたから、作品の出来はエンターテイメントとしてみたし、ハリウッド映画並に仕上がっていたとは思った、それだけであった。

 が、この「宣戦布告」は唐突に200X年、福井県敦賀半島に、国籍不明の潜水艦が座礁、特殊工作員11名が重火器を手に完全武装で上陸するところからはじまる。
半島の背景にはフジツボ型の原発が見える。
ここでもう全身が凍ってしまう。
一級の特殊部隊がもし、手薄なここを狙ったら、周囲何十キロもうどうしようもない。そういう暗示がとにかく最初の数分に描き出される。
  ストーリーは別に読んでもらうことにして、いままさに、ここにある危機として、今まで見た映画の中で最も切実で、日本の憲法の矛盾からくる、どうしようもないやるせなさが、現実のものとして突きつけられる、そう言う意味で、かってない映画だった。

 平和の中で最前線の経験無く、手伝いに出ていってもいつも兵站を担当し、アメリカその他の前線で戦闘する兵士達の、雲古掃除ばかりしている、現実の自衛隊、と映画の中の自衛隊が重なる。
情け無いくらいに、ばかばか倒される。内一人追いつめてみれば、女だったりする。元死刑囚で大韓航空爆破犯の金賢姫が、その著書の中で、男と一対一でやりあっても負けるとは思わなかったと書いていた事を思いだした。映画の中では豊かな胸が露出し女と分かるが、その後は、当然のように自害する。
途中から特殊部隊が出てきて善戦するも、最後に炭焼き小屋に残った二人ほどの兵士に、ばたばたと倒されていく。
 見かねて、戦闘ヘリ≪コブラ≫のバルカン砲とロケット弾を使おうとするが、それもいちいち首相の許可が入り、その度に作戦基地にいる、外務省か何かの使いが、見張っていて、いちいちチェックを入れるのだ。
これは現実の法制度の中でもこうなる。
ロケット砲が火を噴いたときにはかなりな人数がやられてしまっていた。

 シャトーマルゴーが好きで、いつでも側に置き飲んでいる、外務省の一馬鹿たれが、女スパイに翻弄され、国家機密書類を閨房での一時の後、見られて情報は北東共和国にながされ続ける。最後はそれを突き止め、逆に偽情報を流し、危機一髪で戦争回避となり映画は終わるのだが、北東共和国が、日本海に向け、軍艦を向かわせ始めると、一気に中国が動き始め、各アジア諸国が動き始め、台湾の周辺があわただしくなる。この辺はリアルで身体が震えた。
共和国が、核ミサイルスタンバイの状態になったとき、首相のいる閣議室の外務省の責任者は、「どうなっても俺はしらない」といって匙を投げる。
現実の外務省だと、本当に言いそうな台詞である。
 
 アメリカの機敏な行動、直ちにステルス戦闘機が、北に向かう、強硬姿勢を見せた途端、偽情報も効いたのか、共和国は突然踵を返して、Uターン、戦争は回避される。
 現実も、まさにこれ以外何の選択肢も無いだろう。「拉致家族にごちゃごちゃ言うようだったら、戦争するか」と言われれば、何の手立ても日本にはない。
先制攻撃は出来ないように、燃料タンクは小さく変えられていることは前に書いた。自前のパトリオット、迎撃ミサイル砲も、真上から落ちてくるテポドンには効果がない、相手と同等の核がない。これではアメリカに全面的に頼るしか道はない。
そうして、今現在も日本に普通に暮らしていて、いざとなったら北のために立ち上がる向こうの工作員が二万人はいると言われている。
その工作員達は、放送施設を押さえ、原発を押さえ、道路交通網・高圧電線などを一挙に押さえにかかる。そして、普段からの差が実践に出て、日本は滅びるかも知れない。その時私達はどうする…。
ぜひ、見て欲しい映画である。



石侍露堂(せじ・ろどう)1991年、初の日露合作映画『イコン伝説・追憶のエルミタージュ』の監督を務める。 1994年に活動の場をアメリカに移し、ジェイソン・コネリー、ジョゼフ・ファインズ、ミア・ソロヴィーノなどを用いた作品を監督する。1996年に監督した『The Successor』は、世界30カ国で配給された。 











2002年10月25日(金) 首を洗って待っていろ!



 去年の「新しい公民・歴史教科書」が採択されたのは本当に一部の養護学校だけであった。その生徒達は今回の拉致事件の知識は学校で教えてもらっていたことだろう。なぜかというと2001年6月発行の市販本の119頁にはコラムと言う形をとって、横田めぐみさんの顔写真入りで以下の文章が載せられているのだ。前にも書いたが教科書は八社あるが、内容はほぼ二種に別れる。扶桑社の「新しい歴史・公民教科書」とその他の七社。だから下記の内容は、扶桑社以外の教科書には載っていないし、載せない。「あるかないか分からない拉致事件を教科書に載せるなんておかしい」という意見がある。

 馬鹿言え。それだったら、国が関与していない事がはっきりしている慰安婦問題や、議論中の南京大虐殺がなぜ教科書に載っているのだ。
 この拉致事件はこの教科書に載せる何年も前に、警察が正式に拉致されたと認めている事件なのだ
扶桑社の教科書は全国的に見てその採用率は無きに等しいが、コラム形式で書かれている、「核兵器廃絶と言う理想を考える」や「近代以前の福祉活動に学ぶもの」「住民投票について考える」などは、実務的現実的な側面から書かれていて、子供達に考える頭を持たせるように書かれている、大人でも読むに耐える。
 読まずに批判を繰り返したり妨害した組織、「つくる会」のあるビルに放火テロをしたもの共は、この教科書内容に異を唱えたわけだから、北朝鮮問題に関しても、金正日に味方している連中と言うことが出来る。首を洗って待ってろ。
   

               ****


北朝鮮による日本人拉致問題

 一九七〇年代から八〇年代にかけて、日本の海岸や都市、また海外の都市から日本人が忽然と姿を消す事件が多発した。
 例えば一九七七(昭和五二)年、当時新潟県の中学一年生であった横田めぐみさん(13歳)は、学校のクラブ活動の帰り、海岸近くを通りかかったのを最後に消息を絶った。警察は事故もしくは誘かい事件と見て捜査したが手がかりはなかった。
  ところがその後、韓国に政治亡命した北朝鮮の元工作員(スパイ)の口から、横田めぐみさんらしき少女が、北朝鮮の工作員によって拉致され、北朝鮮で生きているとの証言が得られたとの報道がなされた。海岸近くでめぐみさんらしき少女に、北朝鮮工作員が我が国への侵入を目撃されたのが拉致の理由だったと伝えられている。
 この証言をきっかけにして、日本の警察は過去の行方不明者の調査に努めた。現在の所、七件十名もの日本人が拉致されたことが、疑わしき事件と捕らえられている。(平成9年度「警察白書」)。しかし民間の調査によれば、それを数倍上回る、日本人が拉致されたと考えられている。

 これが事実だとすれば、わが国に対する明白な主権侵犯行為であるとともに、野蛮な人権じゅうりんでもある。民間では拉致されたと考えられる人達の肉親を中心に救出を求める声が高まっているが、日本政府も北朝鮮政府や国際赤十字に、拉致されたと考えられる人達の安否を尋ねると共に早期の返還を求めている。しかし、北朝鮮当局は拉致そのものを否定し続けているため解決のめどが立っていない。
             (新しい公民教科書・119pコラムより 扶桑社) 

                 ****
      









2002年10月23日(水) 北朝鮮覚え-本当のところ-



偉大なる指導者、金日成
 金日成は本名を「金聖柱(キム・ソンジュ)」という。
中国国籍の男である。ロシアが作った。金聖柱は終戦の2ヶ月後、突如「金日成」としてデビューした。 当時ロシアから凱旋帰国し、演説をするというので、聴衆は広場に待った。ところがやってきたのは30代と思われる男で、長老達は直ちに偽者と見抜いたが、そう言う人はやがて徐々に粛清されていく。少なくとも金日成と名乗る男は三・四人はいた。
 本物の伝説的抗日英雄「金日成」は1937年、36歳で死んでいる。
本物は咸鏡道出身だが、偽者は平安南道出身。年齢も全く違う。
白頭山を抗日の拠点にし、白馬で駆け抜けたりはこの本物の方の伝説で、正日の父、金日成ではない。

 息子金正日。

 金正日は1942年ハバロフスク近辺のビヤツク村で生まれ、ロシア名を「ユーラ」という。

「金正日同志は白頭山の子です、白頭山は金正日同志の故郷であり、
彼の胆力をうんだ揺籃です。金正日同志の思想や性格を見てもそうであり、
彼は不思議なほど白頭山に似ています。
白頭山の精気と気象が彼の心身に満ち溢れているのです。」

 優秀な宣伝部は、革命の聖地、白頭山で生まれたという「おとぎ話」を作った。ついでに金正日が生まれた家も造った。

 すべて創作、嘘。

                 ***

 北朝鮮は、身分制度が徹底していて、3代前にさかのぼってチェックされ階級が決められる(3階層51分類)。日本からの帰国者は、無条件で「敵対階層」行き。ご丁寧にも、「差別扱いするように」との御教示もある。

もし親が金日成親子や党に対して不満を言ったら、子供はそれを組織に報告し。そして親は処罰される。

 これがこわくて拉致者達は、はっきりものが言えない。日本人が、子に対するものとまた違った思いがあるのである。日本人は親と子の絆が、子と神さん仏さんより強い。所がキリスト教他一神教の宗教は、序列が神-子、神-親となる。北朝鮮もこの関係にあり、金親子-子、金親子-親 となる。完全な宗教なのである。だから懺悔や告白は、神の前に置いては、親も子も等しき存在となる、従って神に逆らえば、親であっても密告される。









2002年10月21日(月) ひでーよ!でん。



田 英夫(でん・ひでお)という)人がいる。
『特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと』
と言う著書の紹介文に、「 学徒出陣、大勢の友人が人生を断つという苦悩を抱えながら戦場で死に向かった。その無念さを二度と若者に味あわせてはならない、二度と戦場に立たせ血を流すことを許してはならない!その危機が日増しに近づいているいま、おくればせながら「戦争の語り部」となり日本が「戦争をしない国」になった意味を若い世代に伝える」
とある。
 「二度と戦場に立たせ血を流すことを許してはならない」そうで、「戦争をしない国」に日本はいつなったのだろう。
 答は簡単で、戦後マッカーサーが、占領国憲法を作り、させない国に(報復を恐れて)仕立て上げただけの話である。二度と戦場に立たせないとはどういうことか? 戦争は病気のごとく現代世界に蔓延している。無くならない! その時は、自分達の家族ひいては国を守るために血を流すことは現代も行われている。
そういう現実は一切直視せずに、許してはならないという。この人が特攻隊の生き残りというのだからあきれる。
 普通なら「自分と同年齢の若者達が国のために戦って、死んでいった、どうか皆さん今日この国があるのは、そういう人達の犠牲の上になっているのであって、その事を無駄にしないよう…」くらい言ってくれ。

 この人は親北朝鮮・中国で、拉致など存在しないと言い張っていた人である。こんな事を言っている。

 「まず第一に重要なのは日本が過去に一九一〇年から終戦までの三十六年間、朝鮮半島を植民地支配し、創氏改名など皇民化教育の名のもとに朝鮮民族に多大な迷惑をかけ民族の歴史を汚したことへの謝罪と反省を明らかにすることである」

 朝鮮併合には順序が存在する。簡単にはしょって、おきまりの朝鮮植民地支配などというな。
まず、1905年(明治38 年)7月の桂=タフト協定、8月の日英同盟改定でそれぞれ米国、英国は日本の韓国保護国化を承認、9月のポーツマス条約で韓国に対する日本の 指導・監督権をロシアに認めさせ、同年11月、第2次日韓協約(日韓保護条約)を結んで翌年2月には伊藤博文を統監とする韓国統監府がソウルに設置、1910年に韓国を併合となるのだ。
「創氏改名など皇民化教育」とあるが、創氏改名はどちらの名を名乗ってもよかった。当時の兵隊に朴さんや金さんもいた、強制されてはいない。逆に朝鮮人はすすんで自分からなりたがった。
とにかく良くも悪しくも日本人になったのだ。元朝鮮人だけではなく、日本人も同じように教育は行われた。

また
 「この日本の過去の誤りの中でも忘れてならないのは、日本による朝鮮の人々の強制連行という暴挙である。…(略)
 昭和十七年の内閣決定で、約六十万人ともいわれる大勢の朝鮮人が日本に強制連行され、炭鉱などで強制労働を強いられ大量の死者を出した。
終戦の直前に地下の大本営を造ろうとした長野県松代の地下壕の掘削工事にも数千人の朝鮮人が動員され多くの死者を出した。
この事実は韓国の高校の歴史教科書には記されているが、日本の歴史教科書にはその記載は無い」

 こういう風に書かれると、何にも知らない人は非道い事すると思うだろうが、よく考えてくれ、昭和十七年朝鮮は日本であった。同じ日本でなんで強制連行を必要とするのか?同じように日本人も炭坑で働いた。
 最後に韓国の教科書は信じるが、日本の教科書には記されてない、すなわち隠しているというニュアンスで書かれている。ご存じのように日本の教科書は8種類ある。近現代史は、ほとんどが日本の事を悪く書いてある。自虐史観と言われる所以である。
その中には良心的な教科書もある。だが、この人の言う韓国の教科書は、北朝鮮・中国と同じ 国定の教科書一種だけである。普通なら、多面的に書かれているものを読み見て判断することの方が、より真実に近づけると考えないか?
どうやらそこに思いが、この人は至らないようなのだ。

 今回の拉致事件も、「向こうに親しい人達がいて、頭から否定していたのでそんなことはありえないと思っていた」とおっしゃる。馬鹿である。騙されたとは考えないお人好しなのだ。
 蒋介石婦人、宋美麗(そうびれい)はアメリカに亡命後、各地を回って日本の悪口あること無いこと言って回った。今もアメリカの各大学に中国共産党政府と結びつき、日本の戦時の悪口(情け無いくらいの作り話)を講演し発表して回っている学生がいる。
(当の中国共産党の元祖?毛沢東は当時、よくぞ蒋介石を台湾に追っ払ってくれたと日本軍に感謝しているのだ。)
 ほとんどが自国の正当化のための、宣伝工作のための言動である。
(戦後これにだまされたのが、朝日新聞の本多勝一記者などをはじめとした進歩的知識人達である。
彼等に共通するのは、日本が悪く言われると、頭から信じてしまうお人好しなのだ)

 この度の拉致事件のことも、拉致者は別に置いておいて、とにかく国交正常化せよという立場なのだ。やくざ国家と正常化して何がしたい。
 
 最後にこの人、今年の文化勲章をもらうらしい(訂正:すでに01年にもらっていたようだ)。
 よくもらえるなぁ。


     田 英夫
        1923(大正12年)生まれ。
        東京大学経済学部卒 共同通信社記者を
        経て立候補、トップ当選で社会党、以後社民党
        外交・防衛部長を勤め2001年引退

 










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