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2003年03月19日(水) 展覧会の繪



 京都国立近代美術館に、「ウィーン美術史美術館名品展」を見に行ったけれど、あんまり良い繪の選択とは思へなかった。売りの作家をまず並べて(レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、バロック絵画の巨匠)あとはどういう意図で選んだのか、よー解りませぬ。
 ウィーン美術史美術館には、フェルメールの繪を見るため、過去二度・三度出かけている。
今回の展覧会には出品されてなかった。
あれが外国に出るとウィーン美術史美術館としては、売りが無くなるだろうから、そう簡単に貸し出しはしないだろう。だから何かちぐはぐな作品展という感じがする。ようするに「おもろない!」企画なのだ。
やっぱり面倒でも金がかかっても直接見に行った方が良い。
こんな不況で普通日にもかかわらず、盛況であった。日本人の知的好奇心はすごいものだ。

 この展覧会の繪で今回は面白い発見をした。不思議の国のアリスの中に登場する、*ドウドウ鳥が、15世紀頃の名も無き宮廷繪描きが、動物を庭に寄せ集めて描いた繪の中にいた事だ。
宮廷に連れてこられて、飼われていたのかどうかは知らないが、普通にいたのだ。
 ドウドウ鳥は、インド洋マウリシャス地方に生息していたが、1681年に絶滅した。外敵のいない島に生息していた為に、身を守る、逃走するという本能を持たなかった。人が入って目の前で仲間が殺されていても 全く逃げようとしなかったという。

ドウドウと言う名前の語源は、ラテン語で、「生存の値しない滑稽なまでのバカ」という意味である。

英語熟語に(as) dead as a dodo(完全に死んでいる。)というのがある。dodoというのは絶滅してしまった鳥、ドウドウ鳥のこと。









2003年03月16日(日) 国連てなんだ?



 国連決議を待とう、国連の査察を継続…、国連で戦争回避?…。

 これを見ていると、国連はまるで戦争をしないように働いている組織のような、平和団体のような錯覚がある。そうだろうか? 国連とは、第二次大戦中、日独伊(を枢軸国と言った)と戦った「連合国(The United Nations )」をいう。これからも解るように。「国連」は「連合国」という軍事同盟から生まれたものだ。世界連邦や恒久平和を目指しているというのは幻想である。

 1945年4月に国連憲章(連合国憲章)を作るために、連合国(米ソ英中)は各国に参加招請状を出した。参加条件は「1945年3月1日までに枢軸国(日独伊)に宣戦布告をした国」という条件が付けられていた。この時、枢軸国(政治的活動の中心国)の日独は戦っていた。だから、あわてて枢軸国に宣戦布告したりした国もあった。中立を国是としているスイスが対象外なのは当然だろう。

 だから国連は、枢軸国に宣戦布告した「国際連合国」というのが本来なのだが、それが解るのを嫌ってか、日本では「国連」とした。そうするとあら不思議!
平和のために世界が集まっているような錯覚に陥る。
多く日本人は思っているだろう。

 そこでさらに追い打ちの一撃。
 国連が平等でないことは、成り立ちから枢軸国に対してできた連合だからあきらかで、中心五大国(中ロ米英仏)は、拒否権を持つが、それに反して、当時の枢軸国(日伊独)に対しては国連憲章の「敵国条項」と呼ばれる第107条で縛っている。

 第107条…この憲章のいかなる規定も、第2次世界戦争 中に、この憲章の署名国の敵であった国(日本やドイツ)に 関する行動で、その行動について責任を有する政府がこの戦 争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排 除するものではない。

これからすると、日本への、北朝鮮のミサイル威嚇も許されることになる。

 また国連は平和裡に手を打つ組織ではない。ちゃんと、第42条に「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍、陸軍の行動をとること ができる。」と、武力行使を認めて、絶対戦争反対の平和組織ではない事がわかる。それに発足当初、独自軍隊を持つことも検討されていたが、米ソ冷戦中の事で、共同軍事行動など不可能であったことから見送られた。

 国連憲章は、各国の個別的自衛権(国家グループでの同盟関係…NATOや日米安保)と、集団的自衛権を認めている。 国連は、主権国家を認め、その間の調停を目的とした機関なのであって、何か世界連邦的なものの為の期間ではないのだ。

 我が国日本は、国連の、主要五カ国中二カ国、中・旧ソ(現ロシア)の多大な援助国である。自立できていない国が主要国に二国有り、経済大国で自立した国が国連の敵国である。

 この「敵国条項」を破棄しようとすれば、憲章を変えねばならない。そうすると各国が修正要求を次々出してきて、憲章自体が崩壊してしまう。だからいまだに、この107条を日本国政府が撤回せよという、要求をしているにも関わらず、国連は出来ないでいる。国連は矛盾の上に成り立っている組織で、それは当の米国が一番良く知っている。

イラク問題の後、米国は国連の主要国からフランスをはずし、日本とインドを入れようとする話も今でている。そうすると泣いて頼んで入れてもらったフランスはどうするのだろうか? 

どちらにしても今の国連は矛盾に満ちている。
 
 そんな国連を、世論は金科玉条として決議を待っている。


 









2003年03月14日(金) 換骨奪胎?



 先日、横浜東京そして友人のいる茨城に行って来た。
友人宅の夕食後の、元プロテニス選手の娘さんと、奥様のチェロとピアノ(といっても、グランドピアノ!)のアンサンブルは何とも言へず微笑ましく、仲のいい家族のある幸せを感じてしまった。娘さんが演奏する、バッハの無伴奏チェロ組曲も、こちらがリクエストした、サンサーンスもとても素敵であった。

 次の日夕刻、東京から帰り、その足で観世会館に狂言を見に行った。ちょっとしんどかったが、茂山千作の相も変わらずの「出てくるだけで可笑しい」のおかげで疲れもとんだ。瞠目すべきは、近頃の若い客の入りと、その笑いに対する、あらかじめ解っている落ちを受け止め、喝采する所作が堂にいっている事だった。

 日本文化の継承はなんだか大丈夫な気がしてきた。いつの間にか、若者が戻ってきていた。言の葉の意味は多分全部はわかっていない。昔の言葉だし、たん譚自身も聞き取れなかったり、意味不明で後から調べる言葉も多々ある。

そこで今回もらったパンフレット、現代版狂言の「クローン人間、ナマシマ(野球の監督長嶋をもじったと思われる、同町内に住む、哲学者の梅原猛作、横尾忠則 美術・装束」の解説文中の四字熟語が気になった。
「かんこつだったい」
このコンピュータでも、打ち込み変換すると、
「換骨奪胎」と堂々と出てくる。
これは間違いである。奪胎は脱胎が正しい。辞書も間違って書かれているものがある。その意味となるとほとんどが間違っている。どの辞典も「大漢和辞典」を元にしているからだ。

 この解説文はちゃんと「換骨脱胎」となっているが、使い方が間違っている。
要約すると、…室町から江戸時代にかけて沢山の物語(御伽草子)が作られ、その中に屁を扱った異色の御伽草子があり、それを「換骨脱胎」して…とある。意味は異色の御伽草子を「焼き直し」てこれを仕立て上げたといいたいらしいが、誤用である
本当は違う。
それに本来は、換骨脱胎ではなく脱胎換骨だった。
 凡人が仙人になる修行の結果、外見は変わらないけれども、中身がすぽっと仙人になってしまう状態、すなわち、凡胎から仙胎に、俗骨から仙骨になってこれを、「脱胎換骨」という。言い換えれば、昔映画に「ルシアンの青春」というナチス関連の映画があった。
ルシアンは、正義の味方のレジスタンスに入ろうとしたが、冷たくあしらわれてしまう、ところがゲシュタボ(反ナチ運動を取り締まるために組織された秘密警察)には親切にされて、ルシアンはナチとなってしまう。このルシアンがまさに逆の意味で脱胎換骨したといえる。

 杜甫の詩の錢謙益の評

 「古人脱胎換骨之妙 最宣深味」

 参考文献:キライな言葉勢揃い。高島俊男(文芸春秋社)
 









2003年03月06日(木) 無くなる事の恐怖



 先日、画材の買い置きが無くなったのでもう何十年来つき合っている画材屋に出かけて、オイル調合に必要な一つ、コーパルオイルを探した。どこにもない!
コーパルは古典技法上重要な油である。
 現代においてなぜ古典かと言えば、教育とかこういった技法というものは、人の叡智の積み重ねの結果で、その試行錯誤の結果とも言える。油彩画がどういう風に、どのくらいの期間残るかとか、ヒビ割れは絵の具の何と何が関係しているのかとかが、読みとれる。
 現代のアクリルやビニール系のまだ歴史のない、画材を使って描く勇気はない。 一応、繪は愛好家が買って、飾る。
三文画家と言えども、作品に対してどれくらいの堅牢性と耐久性があるかを知っておくことは当然で、それには、新しい未知の画材は使えない。

そういうものは、アーティストと言われる人や、芸術家にまかせておく。教育も同じで、米国で実験的に子供に新教育をやる人達が居て、家庭の父兄が、その事で子供が犠牲になる事を心配して、進歩的教師に問うた、これがアカウンタビリティ(説明責任)という言葉の元となった。
話がそれた。
 古典の油調合は、主に太陽に晒したリンシード、スタンド・コーパル・ベネチアンテレピン・他を、松から採った、揮発性油(テレピン)で薄め溶き描画する。
 趣味で描く分には、市販されている、何が入っているかよく解らないペンティングオイルと、なんで下塗りされているかわからない、キャンバスと称するものでもいいだろうが、たん譚は一応、三文画家である。「弘法筆を選ばず」というが、その弘法さんが筆を選んだら、もっと素晴らしいものが出来る期待は大である。
ましてや三文画家なら当然、ちゃんとしたものを選ば無ければならない。
 コーパルは、聞けば、環境問題と需要の減少で無くなったそうなのだ。フランスなどは環境問題の側面からもっと手に入らないだろうとのことらしい。店中探してもらい、閉店した画材屋から流れてきたという、埃をかぶった日本製のコーパルオイル(果てしなく疑惑のもの)を全部買い占めた、といってもこんなもの、一・二年分しかない。
かくてこの世から、技法が消えて行く。例えばヴァイオリンのストラディバリウスなどもそうである。
あれの表面に塗られているワニスは、一種のコーパルオイルで、松ヤニが化石化した、琥珀(こはく)を溶かし(どうやって溶かしたかわかっていない)、それを仕上げに塗ったといわれている。ベルギー、ゲントにある、聖バーフ大聖堂にかざられてある、ファンアイク兄弟の描いた「神秘の子羊」の表面にも塗られているという。

 確かに、油絵の具の、発明者とも言えるファンアイクの古い絵画が堅牢で、現在でも光り輝くような、画面を保ち、後世の印象派や、日本の黎明期の西洋画家達の作品が無惨な結果となっている事実を見てもわかろうというものだ。

伝統や情報などは一端とぎれてしまうともう、取り返しがつかない。例えば言葉でもそうで、以下はもう滅びて使われなくなった言葉だろう。

処士横議(しょしおうぎ)…官に仕えず、勝手に論議すること
落首(らくしゅ)    …風刺・批判をこめた匿名の戯歌
上喜撰(じょうきせん) …上等の茶
総後架(そうこうか)  …長屋などにある、共同便所
款語(かんご)…うちとけて話し合うこと
縉紳(しんしん)…官位の高い人、身分ある人
溥育(ふいく)…かしづき育てる事
など。

さて、コーパル、本当に困っている。



英語表記:Copal resin。主に地中海沿岸(アフリカ等)から採れる半化石樹脂。一部のものは現存の樹木からも採取される。コーパルの含まれた皮膜は非常に堅牢で湿気にも強い。半化石樹脂、化石樹脂はどれも硬質だが、コーパルは産地や樹木の古さによって硬軟の差がかなりある。

ファンアイク兄弟。
15世紀の初めフランドルの兄弟(兄フーベルト1366-1426、弟ヤン1380-1441)画家。写実的なゴチック絵画が特徴、フランドル派の祖









2003年03月04日(火) 続・武士と料理人



 昨日、インターネットでフランスF3のブルゴーニュ地方のニュースを見ていた。先日自殺した料理人、ベルナール・ロワゾーの葬式の模様が流されていた。
結局の所、先月末日発売のミシュランのガイド、発売されてみれば、コート・ド・オーの星は三つのままで二つにはなっていないことがわかった。

 今は共に名を貸すだけの、ゴー(アンリー・ゴー)・エ・ミヨー(クリスチャン・ミヨー)のレストラン批評本が、少し点数を下げただけだったようだ。
どうやら先読みしすぎて悲観し自殺したようなのだ。こめかみを打ち抜かず、食べ物を食べる口に銃口を入れての最期は、壮絶としか言いようがない。
 
 ビデオに映し出される小さな村は、葬儀に参列する人々で、一杯であった。道行く人々もインタビューに、口々に哀悼の意を述べていた。









2003年02月27日(木) 武士と料理人



 昨日、BSでフランスF2のニュースを見ていたら、フランス、ブルゴーニュのソーリューにあるホテル・レストラン「ラ・コート・ドール」のシェフ、ベルナールロワゾーが自室で猟銃自殺したと言って、レストランガイドや、点数制の是非などを報道していた。
フランス人の料理人は、過去にも名誉と威信をかけて自殺した人が出ている。このニュースを見ていて、すぐに、ヴァテルを思った。

 一・二年前に「宮廷料理人ヴァテール」という英仏合作映画の主人公のあのヴァテル(「ホイップクリーム=クレーム・ド シャンティイ」の発明者と俗に言われている)だ。映画の題名は「宮廷料理人」となっているが、実際は宮廷付でも料理人でもなくて、コンデ公の「食卓係」であった。当時ははっきりと「料理係」と「食卓係」に分かれていた。
コンデ公は ルイ14世の治世下にあって、反旗を翻し、フロンドの乱に加担した。内乱で国王を裏切ったコンデ公は、王の信頼を取り戻したいと願っていた。

 ある時、国王の臣下ローザン公爵から、大公の居城シャンティイ城に国王が3日間滞在する事になると通達がある。威信回復のチャンスが訪れたと考えた公は、莫大な借金(日本円で三兆円とも言われている)をして三日間の宴を開く。それの総合演出を受け持ったのがヴァテルだった。

 彼は最終日、魚の献立で、ブーローニュ港まで当てにしていた魚を探しにやっていたが、それがなかった。コンデ公のお家の断絶かどうかの瀬戸際で、ヴァテルの責任は非情に重かった。
結局魚は間に合わず、公夫人が「ヴァテルは待っている食料が間に合わなかったので自殺した」と言っているように、責任をとって自殺した。当時の価値観から見て、例えヴァテルが自殺しなくても、料理長か主に責任を問われて殺されていただろう。

 今の目で見ると、そんなあほなと思うかも知れないが、ルイ十四世に仕えた財務長官フーケの持つ、ヴォーヴィコント城に招待された王は、その城の美しさに嫉妬して、彼に横領の罪を着せ投獄していたりするのだ。
 
 しかしヴァテルは自殺した。そうして先日、ミシュランの星を、三つから二つに落とした(結局、ロワゾーの早とちりで星は落ちなかった。)ロワゾーも自殺した。日本の武士の所作とも見える。この責任の取り方が結局、世界の公式晩餐会の料理が、フランス料理となった事の一つの元になっているのかもしれない。
日本の料理人でそこまで出来る人がいるのか?

 余談だが因果応報か、ルイ十四世は主治医に、上下全歯を抜かれ、(全ての病気は歯から来るという持論から)そのため噛めず、食物を丸のみにし、ために消化不良となり、そのために肛門をやられ、手術をしたが、垂れ流しに近い状態になり、臭いを消すために、庭に千本のオレンジを植え、祭りにはオレンジジュースを噴水から吹き出させ、臣下はハンケチに動物性の香水をたっぷり振りかけ鼻を覆い、謁見していた。太陽王と言われたルイ十四世も実際の所はこんなものだった。

 参考文献:美食の文化史 ジャン・フランソワ・ルベル(筑摩書房)









2003年02月25日(火) 浮世離れ



今日お昼、朝日放送のニュースワイドショウを見ていたら、戦争反対の国別順で、一位がスイスで真ん中に日本、反対の最も少ないのが米国で、その次がイスラエルだと表を見せていた。米国は当事者で、戦争反対が少ないのは当然で、イスラエルもイラクとの事を考えると反対などと言えない状況にある。
 次にこの世で最も危険な人物の一位がサダムフセインで、何と次が米国大統領のブッシュだというのだ。この二人だけを挙げて、金正日の金の字も出ていない。なんという番組だろうと思っていたら、この番組の本番中に、「日本海に向けて北朝鮮がミサイル発射」のニュースが飛び込んできた。
一同一瞬凍り付いた。が、なおかつ金正日がこの危険な人物リストの中に入っていないと言うことを彼等は言いもしないし、訂正しようともしなかった。

 戦争反対を言うのなら、日本にどんなことがおこっても、戦わないつもりなのだろうか?









2003年02月24日(月) 戦争と言葉



「戦争は万物の父となり、諸法の王となる」(ヘラクレイトス)


「夜に正義の支配無いならば家を建てる物は自らを防衛せざるを得ない」
                 (ショーペンハウエル)


「双方が正当である場合の唯一の裁判たる戦争を避ける国民は性情が弛廃する」(プルードン)



  米国と日本に。

家は漏らぬ程、食事は飢えぬ程にて、足る事なり。
                 千利休


ただ僕と一緒にいる場合のみ、君は自由でいられるのだ。
        アルチュール・ランボオ(詩人)


月雪花は一度に眺められず。(日本の諺)


香餌の下には必ず死魚あり。  兵法書 『三略』


愛するという事は、我らが互いに見つめ合う事でなく、共に同じ方向を見つめる事だ。
                サン・テクジュペリ (作家、飛行士)





ヘラクレイトス(BC6世紀〜BC5世紀 ギリシャの哲学者)
宇宙の根源は「火」であり、一切は火から発して火に還るという万物流転説を唱えた。


ショーペンハウエル(1788〜1860) ドイツの哲学者。
人間の自然の性質は非理性的であるとも言った。

プルードン(1809-1865)、
 社会思想家で、アナーキズムの父と称される。










2003年02月18日(火) 戦争はいけないか?



 今、イラクに日本の市民団体と、新右翼の一水会、それと平和を売り物にして稼いでいる、沖縄の歌手の喜納昌吉が、「戦争反対」のデモに行っている。市民団体とは多くの場合、左翼の団体である。右翼と左翼が同じ穴の狢(むじな)であることは、2002年01月19日(土) 「報道の不思議」に書いた。だからここでは言わない。

 沖縄の歌手の喜納昌吉は、9.11テロの感想としてこんな事を言っている。

 「今回の同時多発テロで犠牲となり亡くなった人たち、天国にいる人たちの魂がですね、本当に今回のような報復という形を望んでいるかということです。つまり「報復」という行為は、今生きている人たちが「報復」を選んだのであって、犠牲となった人たちの魂ではないんです。テロが悪いことは、誰も知っています。世界中の人たちがです。でもそのテロが生まれてくる背景というものを生きている我々は考えなければいけない。」

 テロで犠牲になった人が、すべて天国に行けるとは初耳で、この場合、天国にというからには、宗教はキリスト教の事だろうが、死んだ人はすぐに天国にはいけないのである。だから、カタコンベや土葬で、人は生前の姿形を残し、神の「最期の審判(地獄行き天国行き)」を待つのだ。生きているときには、ちょっとでも神の心証を良くするためにも、慈善や奉仕運動に精を出す。

 日本は歴史的に見ても城壁がない社会で、よく行く南仏アビニョンにも、中国南京他にも都市を囲む城壁がある。地続きがゆえに、あらゆる敵が入り込む。それを自分達の自由と、今で言う「人権を」守るために結束して戦った。一端屈服すれば、すぐに他民族の奴隷となった。奴隷(エジプトの王朝などで言う奴隷とは異なる)とは一切の自由人権が奪い取られるという事である。
「自由や人権」は、武器を持ち戦いで勝ち取った物であり、他民族との話し合いで得た物ではないと言うことを、城壁のない日本人は忘れてはいけない。

また、「報復は死んだ人が本当に望んでいるのか」と言っているが、現世は生きている人のためにある。死んだ人の弔いのための葬式も、お墓も、仏壇も、生きている人のためのもので、死んだ人への思慕や対話の場として用意されているものだ。

 また、「地球上の人の命はすべて、大切で、平等だ。困った時はお互い様です」
などとも言っている。
平等でありたいと願い、それに向かって生きていくのならまだしも、「平等」という概念を疑いもせずに掲げて、「武器を楽器にすべて変えよう」などと言う。
平等は辞書によると「全ての物が一様で等しいこと」とある。これは共産主義の考えである。この試みがすべて失敗していることは歴史が証明している。
 
 多分、喜納昌吉が使っている楽器も、大量生産物の安物の楽器ではなく、誰もに垂涎(すいぜん)の的となっている名器を使っているだろう。平等の世界からは、名器や名車は生まれてこない。非情な競争の中から、才能の有無の中から、闘い勝ち残ったものが名器となり名車となる。
 ただし、雌雄を決する機会の「平等」はある。

 日本に住み、自国を自国で守れず、アメリカの核の傘下にいて、守られながら、北朝鮮には何にも言わず、直接関係ないイラクに行ってなんで反戦歌を歌うのだ。

 安易に、侵犯された都市テロの報復から続く、イラクへの戦争行為を、平和や博愛からだけで、独裁者の存在を無視してなぜ批判するのか。少なくとも今のアメリカはルールに沿ってやっている。もしアメリカに一言文句が言いたいのなら、安保をやめ核ミサイルを装備して、国家の主権を獲得してからいうべきだろう。



 










2003年02月11日(火) 紀元節(建国記念日)



 日の丸を玄関に掲げる。世界情勢や、日本人の拉致問題などの事から半旗を掲げて、もう何度目の祝日だろうか。
今日は紀元節である。今日二月十一日は、神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で、即位した旧暦の新年(「日本書紀」の中に書かれている。)を換算したもので、明治六年に、新暦二月十一日を紀元節ときめて以来、百余年の歴史がある。
 明治の日本の近代国家の創設者も、日本の紀元という思いをこめて二月十一日という日を選んだ。
「そんなもの、何の意味もない、嘘っぱちだ」とおっしゃる方々、それなら、実在したかどうか解らない、キリスト生誕祭のクリスマスや、それから来る西暦、お正月が一月一日と決めていることも、何の根據もありませんね。

 クリスマスなら良くて、紀元節なら嘘っぱちと眉を顰(ひそ)めて非難する人はどうかしている。そう言う人達は必ずこういう。
「記紀(古事記・日本書紀)に書かれている物なんて信用できない。」
 そう言う人達が、支那の「後漢書」や、「魏志倭人傳」なら信用して、未だに引用する事が多い。だが、「魏志倭人傳」と言えども、日本のことが記述されている所は非常に少なく、三四頁くらいしかない。

「古事記」や「日本書紀」と比べたら問題にならぬ。日本人が書いたものは信用できなくて、支那人なら信用できるというのもおかしい。歴史学者が「史実」と言っているのは、単にそれについて書いた、歴史の信憑性の濃いものを史実と言っているにすぎない。
 例えば「神皇正統記」は、北畠親房が南朝が正統であるという一つの気持を述べたもので、「日本書紀」は、大和朝廷が、国の基が固まった喜びや、この國が末永く安泰にと言う願いや祈りを、当時の歴史編纂官に命じて書かせたもので、一種の創作であることは間違いない。
 しかし、のんべんだらりとした節のない日々を、たとい、大和朝廷と皇室の為であったとしても、その時にそう決めた日が二月十一日で何の問題があるのだろう。
 もし、否定するなら、世の全部の祝祭日を意味の無い日として否定してしまわなければならないだろう。

「祝祭日といふのは、一民族が同一共同體の意識を快復するといふ意味があった。自然をもとにし、それに日本民族特有の習慣を合せ、普段の個人的な、あるいは利己的な生活から解放されて一つになる。さういふ意味で、祝祭日がきめられた。
 また、偶然に左右され、首尾一貫せず、一つの完結體を形成し得ない日常生活、貸し借りや身分、年齢、性別といふ社會的規範に縛られ、互ひに利害の樹立する日常生活、そこで磨り減らされ、疲勞した、個人がばらばらになってゐる辛さから避難し、その根抵にある共同體を確認する事によって再び日常生活に戻って行くあの活力を身につける事、そこに祝祭日を求める人間本來の慾求がある」

 昭和四十年頃に出た「日本の歴史(中央公論社)」という本の、その第一巻の月報中、丸山眞男(丸山眞男は進歩派の象徴と見なされていた人)と井上光貞の対談があり、面白いことを言っている。

 「ぼくが日本神話を大切だというのは、そのなかに日本国家の生成をさぐる上の素材が見いだされるだけでなく、古代人の世界像と価値判断のしかたが現われている点です。考古學的事実史の上からいうと、ぼくはしろうとだけれど、思想史からいうと、決定的に重要なんですね。記紀の話は事実としては作り話であっていいわけです。しかしなぜ作り話が一定の効果をもったかが問題なんですね。膝に蚊がとまって刺したなんていう自然的事實より、ウソでも作り話でも人間の心のなかに意識された事實のほうがずっと歴史的意味がありますよ。」

 「日本神話は古代の天皇制を合理化するためのイデオロギー的體系であるという目的意識的な面だけを見るのでなく、神話の素材には實際に日本の各地方地方でおこなわれていた祭儀とか、民間傳承とか、そういうものがすくなくとも出雲神話などにはあるわけですね。」

また対談相手の井上光貞も、

「歴史というものは現代の立場から過去を見通すものではあるけれども、それぞれの時代にはそれぞれの価値があって、そしてその価値を中心にしていろいろなものが動いている。そういう時代固有の価値を認識するということが、いまの歴史から見失われてしまっているのじゃないか。
 そうすると人間が歴史の上に残してくれた、いろいろな多様な現象が現在の歴史の上にどう働いているかを考えるばあい、あまりに直接的になってしまって、過去の人がそれぞれの価値體系のなかで、悪戦苦闘してきたのだという面が抜けてしまうのですね。それがないと歴史というものはひじょうにつまらないものになってしまうのではないか。それがいまの歴史教育の大きな欠点じゃないか。」と今の価値観でものを見る歴史観を否定している。

伝統を歴史を、意識して大切にしたいと紀元節の今日想った。

参考引用文献:福田恒存 全集第五巻










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