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2003年07月24日(木) |
おそろしい人々(1) |
先日、NHKの夕方のニュース特集で、社会経験して、小学校の先生になり、大人気の先生をとりあげていた。授業風景が映り、結構な事だと見ていたら、最後に先生の著書が映った。共著者になんと、あの宮台真司の名前があった。 知らない人のために宮台真司の事を少し書いておく。宮台真司は、 1977 年東京大学入学、最終的に87 年大学院の博士過程を満期退学している。 かいつまんで言うとこの人は、援助交際大いに結構、専業の主婦は百害あって一利無し、酒鬼薔薇聖斗の猟奇殺人は「学校」「家族」「社会」を悪として糾弾して、本人の病気かも知れない脳の状態などはなんの問題ともしない。
アメリカなどで犯罪を犯した少年を調べていくと、多く脳に障害があることが多いそうである。援助交際擁護の言い分は「性の自己決定権」が子供にあって、「したい」と言えばすればいいのだそうだ。 この発想から、今小学校の「性教育」は行われていて、「家に帰ってお父さんお母さんに言っちゃだめよ」と子供に言った後で、巨大なおちんちんの模型に、コンドームを被せる事を女児にやらせたり、性器同士の結合をやらせたりしている。 これはもう犯罪である。
子供にどうして宮台真司の言うような自己決定権を与えてはいけないかというと、普通の大人なら簡単にわかる事だが、半人前だからである。だから子供というのだ。昔なら元服(今の成人)を持って、世の責任と義務を持つということで、大人の仲間入りをした。 訳の分からない「子供の人権」をみとめよというのがある。それならいうが、子供は自己決定で人を殺し、その後は子供としての人権で擁護されるなんて、どう考えてもおかしいだろう。
ヒットラーのユダヤ人虐殺の思想的背景となった、ハンス・ケルゼンというドイツの法哲学者が、「道徳」にも自己決定権がある、選択の自由があるという事を唱え(価値相対主義)、これで、当時のドイツの一般人が道徳的麻痺を起こし、国民こぞってあの凶行に走っていくきっかけとなった。 この考え方と同じ思考法が宮台真司である。
最近も 『反ナショナリズム』 (教育史料出版会) 刊行記念と称して、姜尚中×宮台真司トークショーを 「 青山ブックセンター本店 カルチャーサロン青山」 でやったようだ、どっちつかずの浮いた存在の姜尚中と、二人で、反ナショナリズムなんていう演題で、サロンでトークだそうだ。姜尚中は韓国人でも日本人でもないから、まだ筋は通っている。そうしないと自分のよりどころがなくなる。姜尚中は韓国に帰っても、韓国人からは日本人と見られ、日本人からは、本人が在日と言ってるのだから、日本人ではないと思われている。本人はそれでいいのだろう。
話を元に戻すと、今学校で大人気の社会を経験した先生、だからどうした。子供に迎合し、目先で気の利くことを言って、その深いところは、宮台真司と同じだとすると、これは教育者の敵である。宮台は*寺脇研との対談で、学校は収容所であるといってはばからない。 寺脇研は、今のゆとり教育を実践させている張本人である。100のものを50にしたら、楽になり、みんながそれを覚える事が出来ると思うのは、秀才のおごりで、人間は本来それに応じて変化するもので、楽になればなるほど、その程度になっていく。 こういう人達の影響を受けて、今日の学校の教育がある。
*寺脇研 平成5年から8年の間、広島県の教育長を務め、高校進学希望者は入試で0点でも全員入学できるという「高校全入」政策を押し進めた。その間、広島県の学力は急降下し、国公立大学入試センターで平成2年には全国都道府県中21位だったのが、8年には45位と全国最下位レベルとなった。犯罪を犯す少年の比率は、千人当たり23.9人と全国一位(平成9年)である。こういう失敗をした人が、その責任も追求されずに中央官僚として「ゆとり教育」をさらに押し進めているのだ。
参考文献:教育を救う保守の哲学 渡部昇一・中川八洋 共著
フランスから帰ってたまった郵便物を整理していたら、志を同じうする、知人の深田匠さんから著書謹呈の郵便物。開けてみると「暁か黄昏か(あかつきかたそがれか)」展転社 が入っていた。 推薦人がすごい。かって、ありもしない南京大虐殺の南京入場の時に陸軍大将だった松井岩根(まつい・いわね)の秘書官を勤めた田中正明、韓国と日本の研究で著名な名越二荒之助(なごし・ふたらのすけ)、日本中から戦争当時の証言を集めて記録し続けている昭和史研究所の中村粲(あきら)(敬称略)、の推薦を受けている。 深田さんは先に書いた陸軍大将松井岩根の秘書官だった田中正明の愛弟子である。普段は普通の職業を営む会社の経営者である。ざっと目を通した。日本を憂いているだけではなく、はっきりとした歴史観をもって、書かれた本である。 アメリカの民主党と共和党の日本観などは、あまり一般の日本人は知らないだろう。淡譚自身は、民主党は素人集団、共和党は政治的プロと見ている。 この本は日本が何がどうなのか、まったくわからない人が読むと、目から鱗が落ちるだろう。
この本の表紙になっているパラオの詩碑について、あとがきより抜粋。
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英霊の島に建つマニフェスト-表紙の写真は、パラオ共和国ペリリュー島に建つペリリュー神社に建立されたニミッツ元帥の詩碑です。二ミッツ元帥はアメリカ太平洋艦隊司令長官として日本軍と正面から戦った人物ですが、日本軍の勇敢さと愛国心に敬意を表して「あれほど精強な軍隊は二度と地球上に現れないであろう」と語っており、勇者は勇者を知るということか、ペリリュー戦の日本軍を讃える詩を書き残しています。
平成六年に名越二荒之助高千穂高大元教授らが中心となってペリリュー島にこの詩碑を建立されました。この詩碑には次のように記されています。
『諸国から訪れる旅人たちよこの島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦いそして玉砕したかを伝えられよ。-アメリカ太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ-』
かつて日本の委任統治領であったパラオは、日米両軍の激戦地となり、ペリリュー島の海岸は日本兵の血で染まり、一万余の日本軍人が玉砕してこの地に眠っています。昭和十九年十一月二十四日未明、激しき七十一日間の戦闘の果てに最後に残った日本兵たちは「サクラ、サクラ、テンノウヘイカバンザイ」の打電の後、敵陣へ玉砕突撃を行って散華しました。この夜の敵軍の照明弾は数千発にも及び、ペリリュー島の上空は一晩中まるで真昼のように輝き、さながら桜の花のごとく散った日本兵たちを見送る、荘厳なる葬送のようであったと伝えられています。
この戦いはニミッツをして日本兵の勇敢さに深く感動せしめ、二ミッツ率いるアメリカ太平洋艦隊は敬意をこめてこの島を「天皇の島」と呼びました。また一九八一年に自治権を得たパラオは、強く勇敢であった日本への尊敬と憧れから・その国旗を青地(太平洋の海の色)に黄色の丸(満月)をあしらった月章旗、すなわち「月の丸」に制定しています 。
いつの世も、勇者は敵からも味方からも尊敬されるのです。英霊の眠る島にひっそりと建つこの鬼哭(きこく)の詩碑は、それを私たちに教えてくれているのです。しかしその人類の真理を戦後日本人は、自虐史観によって忘却し、卑屈で臆病なる歪んだ戦後体制を続けてきました。日本人が失ってしまった勇者の心、そして愛国心と英霊への感謝の心、それらを取り戻したときにこそ、日本の真の夜明けはおとずれるのです。 ペリリュー島に近接するアンガウル島では、昭和十九年十月十九日に同島で玉砕した日本軍人を讃え、今でもこの日を日本軍人たちの魂がかえってくる「よみがえりの日」と名付けて、毎年祭祀を行っています。
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「暁か黄昏か-日本激動の時代が始まる-」深田匠著 展転社
2003年07月13日(日) |
アビニョンでの夕べ(食べ)? |
フランスの墓参りを無事終えて、最終日、演劇祭の立て看板張り紙であふれかえっている、アビニョンのレストランMで夕飯にした。 裏庭に出されたテーブルで、少し離れた隣には作曲家の服部克久夫婦がいた。他のテーブル四卓も日本人夫婦、カップルで、イギリス人の小グループを除くと、ほとんど日本のレストランのようであった。少し嬉しかった事は、日本人の男達は夏にも関わらず、ちゃんとジャケットを着て、テーブルに着いていたことだった。 ただ、淡譚は白い麻のジャケットで、これは夜には掟破りなのだけれど、知らんぷりしてそれで通した。 前々夜祭なのか、会場からの拍手が遠く聞こえてくる(結局、この後、アビニョンの演劇祭はストで中止になったようだった)。 隣のテーブルの作曲家は、ついこの間、作曲家の小林亜星と*盗作問題で争っていた。これは、簡単な事で、後で似た曲を作ったものが負けである。どんなに知らなかったといっても、偶然と言っても、先に作った人の勝ちだろう。 この前のノーベル賞の受賞者達の国際会議で、小柴さんが、シェークスピアの文章フレーズが、無作為に打ったタイプから出る確率と、科学の法則を発見する確率のことを論じていたが、科学の法則は早かれ遅かれ、誰かが必ず発見する、それに対し、シェークスピアの創作は非常に困難…、というような事を言っていた。音楽もそうだろう。 しかし人間は不思議なもので、同じ事を同じ時期に考えつくことがよくあって、ボーアの原子模型(水を表すのに、球形のOが球形のHと手をつないだような模型)だったかは、夢で見て思いついた。アメリカでその一日後だったかに同じ発想をした学者がいたが、ボーアの原子模型として名が残っている 早いもん勝ち。 この同じ事を同時に思いついたり、シンクロすることについては、ライアル・ワトソンが生命潮流という概念をもって、人類の意識下に、答が用意されている巨大なデータベースがあり、天才と言われる人達の意識がそこに飛んでいき、新たな発見を拾い上げてくるという説を立てている。アインシュタインは、数学以外のIQは低かった。相対論は、湖の畔で午後微睡(まどろん)んでいる時、水の泡のように向こうからやってきたと言っている。巨大なデータベースを開けたのかも知れない。 夏燕が飛び交う夕空を見ながら、今回は、ちゃんとユーロで計算し、ソムリエにも騙されず、現地産の程々のワインを頼み、心地よい時間を過ごした。前前日から、強い北風(ミストラル)が吹き、木が終始ざわざわしていたがこの日は穏やかであった。 翌日フランスを発ち日本に帰国した。
* 小林亜星は昭和42年にCMソングとして『どこまでも行こう』を作曲。服部克久が平成5年に発表したフジテレビ系「あっぱれさんま大先生」のエンディングテーマとなった『記念樹』のメロディーが「酷似している」として、小林亜星は、「両曲の同一部分の比率は約72%に達している」などとして著作権侵害で東京地裁に提訴した。
美人柳が、可憐で小さな山吹色の花を咲かせた。一週間前に最初の花が咲いたけれど、スコール見たいな雨にたたき落とされてしまっていた。 今朝見ると、四・五輪咲いていた。昨年冬からすべての鉢を留守中に枯らしてしまったと勝手に思っていたが、枯枝だけ残った鉢の山野草(和花)にそれでもなを水をやり続けていたら、この春、全鉢が蘇った。 三時草、美人柳、紫式部、うつぼ草、山ごぼう、ホトトギス草。 山ごぼうは、秋につける実が余程美味いらしく、去年は山鳥が来て、すべてついばんで行った。 めじろは、庭の杜若(かきつばた)の蜜を吸いに来る。ならばと、庭のテーブルに蜜柑の半切りを置いて、呼び寄せたところをビデオに収めて、編集し、音楽をのせ、デジタル映像処理をして作品にした。 映像を個人がコンピュータである程度、どのようにも出来ることなど、つい最近まで考えられなかった。電子メールも届くと、「王様ぁ〜♪、手紙きましたぁ〜♪( ちょっと訛っている声は自作)」と唄ってくれる。
来週始めからフランスに墓参り。しばしお休み。
北朝鮮の元工作員が、ミサイルの部品などほぼ全部が日本製だと言っていた。そのすぐ後に、ミサイルのジェット噴出口の部品を朝鮮総連の幹部と通じて、北朝鮮に輸出していた会社の社長が逮捕された。さぞ、 *ペイラントの自由を言いたかったろう。 自分の国を守るために、各国武器を作ったり売ったりしている。武器と言っても前にも書いたように、ワインも武器(2003年01月29日(水) 武器としてのワイン になる。各部品、コンピュータ、知識(爆弾作りの方法)なども。 日本も勿論武器を買っている。なぜか?自国を守るためにである。売ってくれる国がある。有り難い。
ある人が言った。「拳銃は良くない。人を殺すためにだけあるから」と。 しかしまたこうも言える。「弱者が凶人から我が身を守るためにもある」 両刃の剣なのである。悪でも善でも、今ある最良のものを使って我が内なる正義を通そうとする。 それに勝ったものが「正義」となる。 馬鹿と包丁は使いようというように、板前、猟師が何人集まっても、やくざ(暴徒)にはならない。武器を売る国を「死の商人」のような言い方をする人がいるが、ノーベル賞のノーベルだって、元をただせば、ダイナマイト発明で世界で大もうけした。が、これは武器にもなるし、山野を切り開いて町を作ったり、トンネルを掘ったりも出来るものだ。
人は勿論、ものの存在も常に二面的な要素を持つ。「私は何もしていないのに」と言う人がいるが、行き倒れで、死んでいる人は何もしていないし、これからも何もしないだろう。が、そこに自分の遺骸が存在し、すっ転がっているだけで、見た目や腐臭で「関係の無い」人に実質迷惑をかける。ましてや生きている人は言わずもがなである。 どうやっても「関係」から切れることは、死んだ後でも出来ない。
腐敗と発酵、核爆弾と原子力エネルギー、日本刀と包丁、すべて人の扱い次第。 一つはっきりしていること。自分達の身は自分達で守るという事、悪の枢軸国と言われようが、親方アメリカ様といわれようが同じである。一人日本は、アメリカが守ってやると言ったと、先日報道で知った。恥ずかしい。
*ペイラントの自由 …ペイラントはオランダ商人で同胞がスペインに対して独立戦争を戦っているのに「商売は自由」と主張して、敵国スペインに大量の武器弾薬を売って大儲けした。
「国まさに滅びんとす」の著者で、京都大学総合人間学部教授・中西輝政教授の講演会があります。
明治時代にベストセラーとなった*スマイルズの「自助論」の続編に品性論というのがある。 「国としての品格は、その国民が自分は偉大なる民族に属するのだという感情によって支えられ、そこから力を得るものである。先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖の栄光を永続させるべきだ、という風土がその国に出来上がったときに、国家としての品格が高まる」というような事を言っている。
中西さんは大英帝国衰亡史という著書の中でこれに「精神の貴族」という訳語を当てられていた。 ドイツの観念的人畜有害に近い哲学者達と違い、このスマイルズはいい。これを基本にして国を世界を語る学者は安心出来る。ルソーやハイデガーなどはこれと対局にある。
日本にも新渡戸稲造(にとべいなぞう)がアメリカ人の奥さんに日本人の事を、説いて聞かせる事がきっかけとなった「武士道」がある。
*サミュエル・スマイルズ 英国人 著書「自助論(Self Help, with Illu- strations of Character and Conduct)(邦題『西国立志編』は日本の近代化の礎となり、多くの小学校で修身の教科書として用いられた。)
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演題 「歴史観と日本再生の行方」 日 時 平成15年6月15日(日) 午後1時30分開場 午後2時開演 場 所 京都商工会議所 講堂 (京都市中京区烏丸通夷川上がる)(地下鉄丸太町駅下車すぐ) 入場料 1000円(学生無料) 主 催 中西輝政先生の謦咳に接する会 共 催 京都新樹会 日本会議京都 京都府神社庁 日本歴史修正協議会 新しい歴史教科書をつくる会京都府支部 後 援 産経新聞社京都総局 お問い合せ先 高柳090-3056-2626 newhistory@ubugi-ya.co.jp
2003年06月10日(火) |
まんけいほうとほととぎす |
眠る前一時間は本を読む。ここの所、朝四時頃にしきりとホトトギスが鳴く。「天辺(てっぺん)かけたか」と鳴くと鳥類図譜にはあるが、そう言う風にはどうしても聞こえない。。 イメージの貧困なのか、あえてその声を書くなら「キョッキョ・キョケキョ」ウグイスの鳴き声、ホーホケキョのホケキョの部分が、ホトトギスのキョケキョの部分とほぼ同じ調子。
目に青葉、山ホトトギス初鰹
大臣が万景峰号の発音で下がもつれて四苦八苦。テレビの報道アナウンサーもかんでいた。 あのね、どういう料簡かしらんがなんで日本語の漢字読みにない発音で言うの? そこまで言うのだったら、米国のAMERICAの Rは巻き舌にしてLと区別して読まなければいけない、フランスFRANCEのRものどチンコふるわせてもらおう。どうだ言えねぇだろう。マンギョンボンなんて言わなくていいのだ。我が国には我が国の読み方があって、それぞれ、アメリカ、もしくは米国、フランス、まんけいほう号で良いではないか。この時点でもうすでに対北に対して負けている。相手はにっぽん、もしくは にほんといってくれてるか?昔からイルボンと訛っているではないか。 自民党の麻生という人が朝鮮併合時代の創氏改名は、強制ではないという当たり前のことを、どこかでぶって非難され、すぐに謝った。 すぐに謝るくらいなら、言うな! どうしてちゃんと歴史的な事実を、説かないか。顔に似合わずやわな人である。多分どこかで聞き覚えた事を言ったのだろう。歴史観のない人が言うと、すぐばれる。
秦の始皇帝は、東の国にあるという不老不死の仙薬を求め、薺の国の人、方士、徐福を蓬莱の国(日本)に探しにやる。 方士とは、呪術を操る人や仙人のことで、西洋の魔女や魔男にあたる。 「史記」秦始皇本紀(BC二百十二年・二百十九年)、「漢書」伍被伝、「呉書」孫権伝に見る限り、始皇帝が全国から方士を集め、その中にいたのが徐福で、徐福は、国内で仙薬をついに見つけられず、窮して蓬莱の国にあるとでまかせ?を言って、日本に来たのだろう。不老不死の薬なんて、いくらこれがそうだと言っても、年を経るごとに容貌は変わっていく。すぐ嘘がばれる。だから徐福は日本に何千人もの人を従えて、逃げてきたのだろう。本当に見つけたところで、証明には長い時間がかかるし、もし効き目がないとなったら、すぐに殺される。なんで今更 秦に帰られようか。 かくて日本津々浦々に、徐福伝説が残った。
近年、この徐福さんの探し求めていた不老不死の薬ではないが、生き物が発見された。 世界中の温熱帯海域に当たり前にいるべにくらげ(直径1cmくらい)がそうで、その中でもイタリアのサレルノ半島沿岸産のものだけが、遺伝子プログラム解明による「不老不死」の研究材料として確認されていた。が、日本でも鹿児島水族館の近くの海で捕獲したべにくらげにも確認された。普通死んだら、動かなくなり、海底に沈み溶ける。ところが、シャーレ上で実験したところ、溶けずに底に沈んで根状に変化し、約二週間で、若い成体になる以前の「ポリープ」と同様の形態を整え、半年後も群体を形成して成長を続けているという。
死の概念は本来、一倍体細胞(バクテリア・藻類、酵母、アメーバー等の原生生物)にはない。これは無限に増え続け増殖する。 それに比して二倍体細胞(植物や動物)は、ある回数分裂して殖えると死んでしまう。「生者必滅」は二倍体細胞の生物に限られる。 ではなんで二倍体細胞は死んでしまうのか? 動物は酸素を摂取する。 酸素は細胞内のミトコンドリアでエネルギー源となる。そのとき電子が余り、活性酸素となり、この活性酸素がDNAを傷つけ、これを修復するのがSOD酵素で、傷が深すぎると治しきれずに残る。そうするとその傷ついたDNAが切断される。再生されるが、それ以上に細胞が死ぬ状態を老化という。全体におよぶと、これが(細胞)死である。
一説に徐福の求めたものは昆布とか鮑(あわび)とか言われていて、海のものには間違いなかったわけで、支那料理に海月(くらげ)は昔からある。ただいくら食っても二倍体が一倍体に先祖帰りは(人が生まれる時に細胞レベルで通ってはくるが)、出来ない。
古くはスィフトの「ガリバー旅行記」で、ガリバーが日本に来る前に立ち寄った国の不老不死の人間、手塚治虫の漫画、火の鳥中に出てくるロビタや、最近では映画のA.I.(/ARTIFICIAL INTELLIGENCE スピルバーグ)の中に永遠(不死)の概念が出てくる。人が求めて止まないものかも知れないが、やはりぞっとする。死は歴史をつくる。永遠の生が誕生したら、今度は人が自らを傷つけ、死を選ぶに違いない。永遠の生からは美も宗教も生まれない。 生者必滅会者定離、これでよいのである。
先日、久しぶりに年下の友人達と集まる事があった。彼等はいつも日本の事を憂いている。ただ憂いているだけではなくて、ちゃんと行動も伴っている。教科書を新しく作り直すという会の幹事をしている。 その一人から、ビデオを何十本か進呈するという話があり、とてもそんな数のビデオは見る時間もないので、メールで映画名を一覧にしてもらった。 その中に、「スターリングラード」があった。これは、下の淡譚(5月05日)に書いた日独が同盟関係にあった時の、ソ連側の独ソ攻防戦中の話で、実在の人物で英雄に祭り上げられた、天才狙撃兵バシリの物語りである。これを含め、数本もらったのだけれど、ここでまた情け無い病気が出た? 読んだり見たりした本や映画のタイトルをほぼ完全に忘れてしまうことだ。
今回も、戦記もの以外のもらった三本全部すでに見ていたものだった。多分題名がぼんやり頭の隅に残っているのに誘引されて、無意識に選んだにちがいない。もらって解説を読み、再生して数分で愕然としてしまうのである。 「スターリングラード」に戻る。 スターリングラードはボルガ川沿いにある都市で、ヒトラーは当時のスターリンの名を冠した都市を落とすことに威信をかけていた。独裁者と全体主義者の戦いで、映画と言えども、事実に基づいた展開は、本を読む以上にその時の兵隊の様やスターリンが主導する、共産主義の怖さが至るところに出てくる。 最前線で、一人置きに銃を渡し偶数番目の兵隊は弾丸だけを握らされ、前の兵隊が倒れたらその銃を取り、突撃する。そんな突撃だから、ドイツの強力な重火器にかなうわけがない。ほぼ突撃兵の全部がやられそうになり、不利と見た兵隊は退却しようとする。 そうしたら、ソ連兵はソ連兵に向かって機銃掃射して、只でさえ貴重な兵を殺してしまうのである。敵前逃亡は、どこの国も軍規に反し軍法会議に後かけられるが、自国兵を片端から殺してしまうのは、過去支那の南京攻防戦で、日本軍から逃げる支那兵同士でそれがあった、それを見て、日本人兵士が驚いている記録が残っている。 主人公バシリは、ドイツ軍の、狙撃兵の雄(メーニッヒ)と渡り合い、最期には勝つが、世話になっていた家の小さい息子や、友人が犠牲になる。ソ連の立場から描かれたものだけれど、この映画の優れた点は、いかに戦争が悲惨なものかという陳腐な事を言っているのではなくて、戦下に生きる人達、身近に死を見つめて生きる人達の「生」の輝きは、ある意味、平和下で、我欲の塊と化した人々より輝いているということがわかる仕掛けになっている事だ。 総入れ歯のある老狙撃兵は、まだドイツ・ソ連が同盟国だった頃、ドイツに軍事留学を命じられ留学中に、ドイツの侵攻で状況が変わる。帰ってくるとスパイ扱いされ拷問を受け、前歯を全部折ってしまったと語る。そして「騙されるんじゃない、幸せを築く社会主義の紛れもない現実さ」と言いながらも飄々としている。バシリの友人で兵隊を高揚させるための新聞を書いている友人は、ドイツ文学に興味があり、ゲーテが好きなようだった。この友人も、ドイツ狙撃兵がどこにいるかバシリにわからせるために、犠牲になる。世話になっている家の、父のない子供は、敵兵と懇意になり情報を取ってくる。それはやがて発覚し、殺される。 こういう事は、どこの国の戦争下に置いても起こりうることである。ただ、共産主義やファシズムの下の戦争、すなわち道徳(人間性)を欠いた戦いというのは、人にとってまったく不毛なものだと言える。 米国が一人の傷ついた兵士を助ける事に全力を尽くす事が、映画(プライベート・ライアンやブラックホークダウン他)などでいろいろ作るられるのも、戦っているのは日々地味に暮らし、事あって志願した人々、徴兵された人々が、基本となって国が成り立っているという事を示す(忘れない)ためでもある。イラクでの救出劇の映画化も同じである。
自国の兵に自国の軍が武器を向けるような体制は、遠からず崩壊するだろう。では他(国人)ならいいのかということになるが、それが健全な精神だろう、ゆえに健全というのはいやなものだと、山本夏彦はいっている
相撲が好きで毎日見ている。夢は枡席で、枡席の客についてくる、お楽しみ袋の中に入っている焼き鳥と、持参の銘酒でいっぱいやりながら、観戦することである。金さえ払えばできるぢぁないかと言いなさんな。 見る側にも格がいるのである。相撲は単なる格闘技ではない。背後に日本の歴史を背負っている。こちらも、自分に、それ相応にふさわしい容貌と迫力が出たと見たら直ちに実行する。若造に見えてしまう自分が枡席なぞ百年早い(と思っている)。 なにせ最近の高画質のテレビは、観客の顔の表情、立ち居振る舞いの全部が見えてしまうのである。 中にほれぼれする貫禄のある中年紳士初老紳士、あでやかな着物姿の夫人がいる、外国人がいる。 時には天皇が御観戦される。世界中探したってこういう興業はない。
昨日もBSで太い方バージョン(なぜかBS1とBS2では、同じカメラだと思われるのに、片チャンネルは太めに、もう一方はほっそり写るのだ。だから綺麗なお姉さんがニュースを読み上げるときには、ほっそりバージョンで見てあげている)で、横綱朝青龍(あさしょうりゅう)と同郷の旭鷲山(きょくしゅうざん)との取り組みを見て非常に不愉快になった。 朝青龍がはたき込まれて旭鷲山が勝った、その直後の横綱の態度である。旭鷲山側の土俵にうつ伏せに倒れて起きあがり、自分の陣に帰るときに、旭鷲山と肩が触れた。 そしたら振り返って、怒りをあらわにし、町のちんぴらのように、眼を飛ばし睨み付け、さがりで旭鷲山をはたいた。まるで喧嘩である。ボクシングの試合には時々ある。相撲には絶えてなかった。 本当に不愉快であった。かって貴の花が満身創痍で、武蔵丸に勝ったとき、唯一「よし!」というすごい形相をしたのが印象に残るくらい、横綱が表情を露わにするのはめずらしく、又はしてはならないとされている。この場合は自分に対しての気合いであると、見ていて、武蔵丸に対して行ったものではないと誰の目にも明かであった。 が、この度、負けた相手に目で威嚇するなぞ、もうそれだけで横綱失格である。本来、横綱は名誉職で、相撲取りの最高位は「大関」でお仕舞い。そこが終着点であった。それでもなを、心・技・体に優れた人を「横綱」としたのだ。外国の格闘技にみる、ただ強ければチャンピオンという訳にはいかなかった。 昨日の取り組み前にも、これまた同郷の力士を押し出した後、勝ちが明らかなのに、土俵下で突き飛ばすと言う行為に出て、後であやまったりしている。 旭鷲山もかって、勝敗が決して土俵際で負け力士が力を抜いているのに、土俵下に突き飛ばしている行為を何度も見た。その旭鷲山が今は「人前でああいう行為はやっちゃいけないね」といっている。 この人は往年の力はすでにないが、相撲がわかっている立派な力士である。朝青龍の師匠が「人間的にまだまだ…」とテレビで言っているのを聞いて、始め謙遜で言っているのかと思っていたら、本当のことを言っていたのだと今になってわかった。 今までの横綱の中で、最も相応しくない横綱である。力士は、相撲学校に通い、基礎を勉強する。なぜ相撲学校で教えないのだろう。
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