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2006年05月11日(木)
市民粗加(市民そーか?)
最近、ちょっと気にかかる事がある。日本の伝統文化をそのまま背負ってらっしゃるような方が、ネット上のとある新聞にエセーを書いていて、その内容については、何も言う事はないのだが、よかれと思い自前奉仕掲載しているネット新聞が、実は相当偏った考への組織が運営しているようなのだ。 ただし、表面上は分からないように装っていて、敵も中々やるもので実体は旧態然とした、左翼組織なのである。 「私は、左翼と考え方が同じ」と言う人はここで読むのやめてくれ。何もいわない。しかし、日本の伝統や文化(例えば、皇室・国語 宗教 等)を大切にしたいと思っている人達が、ここの記者としてものを書く場合、当然何らかのフィルターがかかってしまう事が考えられる。いまさらながらだが、ここの組織がどういう人達と、運動を共にし、活動しているか一例を以下挙げておく。 2001年11月、 アフガンに平和を!いますぐ停戦を求める11・27集会 参加者一同 として、デモを提起。 主 催は、11.27 集会実行委員会 連絡先:フォーラム平和・人権・環境テロにも報復戦争にも反対!! 市民緊急行動 日本消費者連盟 呼びかけ人がなんと言うのか、確信的左翼、心情的左翼の巣窟なのである。以下、一般的にわりと知られた、名前・組織を赤で強調してみる 天笠啓祐(評論家)/天野礼子(アウトドアライター・公共事業チェックを求めるNGOの会代表)/荒井献(東泉女学園大学学長)/李仁夏(在日大韓基督教会名誉牧師)/五百蔵洋一(弁護士)/五十嵐敬喜(法政大学教授・弁護士)/池澤夏樹(作家) /石坂浩一(立教大学講師)/井出孫六(作家)/岩松繁俊(原水禁議長)/宇井純(沖縄大学教授)/永六輔(作家) /江橋崇(法政大学教授・平和フォーラム代表)/荏原明則(神戸学院大学教授)/尾池和夫(京都大学副学長)/大森恵(長島・河口堰を考える会代表)/岡野加穂留(明治大学元学長)/岡本愛彦(映像作家・ジャーナリスト)/落合恵子(作家) /海渡雄一(弁護士)/粕谷志郎(岐阜大学地域科学部教授)/加藤良雄(長島・河口堰連絡協議会事務局長)/鎌田慧(フリーライター) /河合弘之(弁護士)/河内家菊水丸(新聞詠み河内音頭家元) /川村一之(非核自治体全国草の根ネットワーク世話人)/熊沢誠(甲南大学教授)/見城美枝子(青森大学教授)/近藤正臣(俳優)/澤地久枝(作家)/辛淑玉(人材育成コンサルタント)/須田春海(市民立法機構共同代表・環境NGO)/隅谷三喜男(東大名誉教授/主体思想研究会代表、) /高嶋伸欣(琉球大教授 従軍慰安婦肯定派) /高田直俊(大阪市立大学工学部教授)/高野孟(インサイダー編集長) /高原孝生(明治学院大学教授)/高良鉄美(琉球大学教授)/田窪雅文(市民エネルギー研究所)/富山洋子(日本消費者連盟代表)/中原準(環境レスキュー大阪)/鳴海正泰(関東学院大教授)/西尾漠(原子力資料情報室共同代表)/灰谷健次郎(作家) /服部学(立教大学名誉教授)/平井孝治(立命館大学経営学部教授)/広河隆一(フォトジャーナリスト) /福本敬夫(大阪大学教授)/藤原信(宇都宮大学名誉教授)/本多勝一(作家・週刊金曜日編集委員) /松井英介(岐阜大学教員)/松永勝彦(北海道大学教授)/水島朝穂(早稲田大教授)/毛利子来(小児科医)/森村誠一(作家) /安田節子(食政策センター ビジョン21主宰)/山内克典(岐阜大学教授)/山口二郎(北海道大学教授)/山崎公士(新潟大教授)/山住正己(東京都立大学名誉教授)/U.G. サトー(デザイナー)/吉田嘉清(平和事務所)/渡辺雄三(ジャーナリスト) ■賛同団体:日本消費者連盟/許すな!憲法改悪・市民連絡会 /婦人民主クラブ/日本婦人会議(日本会議とは別物 ) /原子力資料情報室/DPI日本会議(障害者インターナショナル日本会議・保守系日本会議とは別組織 ) /東京・生活者ネットワーク/日本国際ボランティアセンター/チェルノブイリ子ども基金/在日韓国民主人権協議会/在日韓国民主統一連合 /日本青年団協議会/反差別国際運動/日本山妙法寺/たんぽぽ舎/日本の戦争責任資料センター/アジア太平洋資料センター/「STOP!改憲」市民ネットワーク /総本山三井寺・圓城寺/日本チェルノブイリ連帯基金/エコロジカルウェッブ/ソーラーネット/ノーニュークス・アジア・フォーラム関東/多治見を放射能から守ろう!市民の会/脱原発福島ネットワーク/原発・核燃とめようかい/東大和・生活者ネットワーク/平和事務所/ストップ・ザ・もんじゅ/双葉地方原発反対同盟/ プライバシー・アクション/広島県朝鮮人被爆者協議会 /非核自治体全国草の根ネットワーク/反原子力茨城共同行動/中部よつ葉会/ノーニュークス・アジアフォ-ラム・ジャパン/調布・子どもと教育を考える市民会議/全石油昭和シェル労働組合/市民がつくる政策調査会/市民運動全国センター/反核FAXポスター展実行委員会/全統一労働組合/労働組合東京ユニオン /アジアと水俣を結ぶ会/原発を考える品川の女たち/フォーラム平和・人権・環境 そして、協賛は、あの誠に何でここまで日本の事を嫌うのか不思議な、反日世界選手権があれば、先頭いくであろう、筑紫哲也 がついこの前まで編集長を務め、編集員には何と本多勝一 がいる「週刊金曜日(現在編集長は佐高信 )」 。この人物は、ありもしない南京大虐殺を書き、百人切りを新聞に書きながら、出所を言えと訴えられると、裁判にも出てこない卑怯者である。ジャーナリストの恥さらし である。 こういう人物たちが協賛し、それに乗っかっているのが、「ネットの市民が作る」とやらの新聞の隠れた素性なのである、騙されては行けない。追記、不勉強でほとんど知らんとおっしゃる方、名前を強調して、右ボタン(マックはCtrl+クリック)で簡単に各人々の素性洗へます。 →2002年の今日のたん譚 →2005年の今日のたん譚
2006年05月06日(土)
印度・アンド・インディア −其の一
2002年、印度と日本は国交回復した。 印度のガンジーはすでに知られているが、もう一人印度独立の父で、武闘派と言われているチャンドラ・ボーズがいる。武闘派と言うと何だか聞こえが悪いが、お題目を唱えていれば「平和」「独立」が勝ち取れると信じている人達とはちがい、武器には、武器を持って立ち上がり、自分達の主権を確立すると言うのが武闘派である。 ではずっと英国の植民地であった印度になぜチャンドラ・ボーズのような人が出現したか。* 日本人を見たからである。東洋の小国が、当時の大国ロシア相手に日本海海戦でほぼ全滅させたのをきっかけに、その後、大東亜戦争緒戦時、マレー・シンガポールでは、要塞に立て込もった英印軍十数万も、その三分一の日本軍にあっさり突破された。 インドネシアでも、五万人の英・蘭・豪の連合軍が立てこもった、バンドン要塞をわずか七百数十名の日本軍が降参させた。この降参した兵の中に、映画にもなった「戦場のメリークリスマス」を書いた、バン・デル・ポストがいた。 みっともない動物(ニコライ二世)、「黄色くて臭い足曲がり猿(オランダ人「ピンネルの日記」)」、「東洋の黄色いちび猿」に、何百年我々を支配して来たご主人様の英国人やフランス人が、降伏して手を上げ逃げ惑う姿を、印度を初めとするアジアの人々は目のあたりにし、そのことに衝撃を受ける。チャンドラボーズもその一人であった。 ベトナムでは、「東遊」という運動が興る。東遊というのは、「なんで、日本人がそれをなし得たか、答えは日本にある、東京にはすでに中国人・朝鮮人・インド人学生があふれている、我々(ベトナム人)も日本に行き、学べ」 と言う運動であった。 朝日新聞などがことあるごとに、アジアの国々に迷惑をかけたと言うような事はないのである。戦った相手は、アジアにいた、英国であり、オランダであり、フランスアメリカであった。 これは印度からの感謝状である。 われわれインド国民軍将兵は、インドを解放 するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した曰本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表わします。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。 1998年1月20日 於ニューデリー インド国民軍大尉 S.S.ヤダバ(インド国民軍全国在郷軍人会代表) 日本語訳:加瀬英明 コピー提供 印度親善訪問団主催 ガンジー財団、チャンネル桜
参考文献: * 情報鎖国・日本 高山正之 廣済堂
2006年04月28日(金)
案内板のローマ字表記について -本当の終戦、主権回復の日-
今月、固まって一度に来た雑事も済みようやく落ち着いた。 インドに行っている間に二三、先の「とんぼ返り」中のローマ字表記について、ご意見を頂きました。有り難うございます。共通した指摘は、kinrin syakoでも良いのではないか。現に、日本では「訓令式」で認められていると。 日本では、ローマ字をめぐって、* 西 周(にし・あまね)をきっかけに、日本式ローマ字を作った、日本物理学の父、* 田 中舘 愛 橘(たなかだて・あいきつ)など がいる。 確かに、日本語を音声的に見ると、訓令式とやらが正しいのかもしれないが、よく考えてみてくれ。この案内板のローマ字部分は、一体誰のための案内なのだろう。日本人のためなら、仮名を振れば事足りる。当然この場合、外国人のためのものだろう。そうすると、彼等のために便宜をはかっている訳だから、ここは、ヘボン式が正しくはないか。 それと、一度英語の字引をひいてもらって、 S y の後に母音のa が続く文字を探して見たら良い。 多分発見出来ないだろう。一方、 S h a k oとした場合、そのまんま、フランス語で「軍帽」の意味があり、英語も、S h a で 始 まる 単 語は 沢 山ある。 なじみがある。 ちょっと違うかもしれないが、読めたら良いというのであれば、「こんにちは」を「こんにちわ」と書いて、違和感の無い人は別として、 やっぱり「S y a k o 」は、 なにやら 気色悪いのである。* 西周(にし・あまね) 父・時義は森鴎外の父の弟、最後の将軍、徳川慶喜のフランス語教授、外国語の適訳、以下、「科学」「芸術」「帰納」「演繹」「肯定」「否定」「技術」「概 念」「観念」「哲学」「主観」「客観」などを造語した。ローマ字国字論者、* 田 中 舘 愛 橘 (たなかだて・あいきつ) 地球物理学,航空物理学を始め,日本の物理学の草分け。ローマ字運動の父と呼ばれる.メートル法の普及にもつとめた。 補足 1972年にシェヴェニンゲンで開催された第14回総会で、 訓令式のほうが日本語の音声構造をより論理的に表わしており、 ヘボン式は、 英語にもとづいた日本語の発音を表わすものであることを認めた。 し か し、ヘボン式はもっとも歴史が古く、日本国外で広く採用されている方式であり、参考図書も大部分がヘボン式で書かれている。さらに、国内でもヘボン式が定着しており、日本ドキュメンテーション協会は訓令式を推薦するわけにはいかないと思っている。…云々。参考公文書 国際規格公文書ドキュメンテーション―日本語(仮名書き)のローマ字表記 →2002年の今日のたん譚
2006年04月13日(木)
時差は三時間 一ルピーは三円
インドの首都デリーの高級ホテルタジパレスホテルから。写真の時間はあわせてませんので、間違いです。これを書いたのは午後四時半から五時の間です。 今、下のプールで、80歳を超えてなを、意気軒昂のスーパーおばあちゃんが、今宵の懇親パーティの始まるまでの自由時間を使ってプールサイドで白人種の有閑層の昼寝する中悠々と泳いでいる。日本人である。世界中を旅している。昨夜空港で行方不明になるも、本人はヘッチャラ。 その景色を見ながら、読書三昧、白隠禅師の健康法と逸話、高山正之の新聞の犯罪、インド関連の本。今日の昼飯はよそのホテルで食ったが、国内産のビール大瓶一本、300ルピーは高すぎるで。 ブルートゥースを使って無線LANでこの原稿を書いて載せてみた。現在進行形でありますなマステ。 十年近く前に、スイスのツェルマットから、フロッピーディスクカメラを使って、インターネットを通じて、画像を送ったとき、ホテルの一泊分の料金より高くて米を食わずにあわくった事が懐かしく思い出されている場合か! 今宵はネクタイ着用なので、少し気が重い、* 補足 ホテル内ならどこからでもインターネットは、一時間260ルピー、24時間だと600ルピー。 転送のためのアプリケーションや、各局のテレビニュースの動画もダウンロードは速い。 インドのハイデラバード、バンガロールはこちらのシリコンバレーである。→2004年の今日のたん譚
昨日、明日から銀座で開かれる四人展(i をクリック)のための小品数点を搬入しなければいけないのを、送ればいい日だと勘違いしていて、朝それに気がついた。急遽荷造りをして、旅行用の二輪車?に縛り付け、新幹線に飛び乗ったのが午後二時前、銀座の画廊に手渡ししてとんぼ返りで京都にもどって、八時には、室戸から送られて来た鰹をおろしていた。 東京滞在数十分、まぁ、便利な世の中になったものだ。会期中の半分近くは、日印友好親善訪問旅行(超党派地方議員文化人他200名)の一員として印度に滞在するので、その準備に頭があって失敗してしまった。 この季節になると、展覧会案内がちらほら来るようになる。ほとんど出向く事はない。学生の個展案内ならまず行かない。 学んでいる最中に個展で何を発表したいのか。学んだ成果なら、卒業制作展がある。学生は、個展をしてはならないというのが、昔通っていた学校の方針で、もっともだと納得し以後その考えは変わっていない。仕送りしてもらいながら、勉強途中で、何の個展かという訳である。 それにしても、その案内状や、町の案内板の表記が最近変なのだ。例えば、展覧会案内図の四条河原町角にある、高島屋のローマ字表記が、Takaimaya、「たかいまや」ってあんた!誤植にも程というものがあるぞ。 通り名にも、四条通と交差している寺町通りが、YERAMACHI-STになっている。これは、YとTが似ているのでまだわかる。この展覧会案内は、某女子大卒の、昔のお嬢様達のものである。この昔のお嬢様たちの案内図には、他にDU 25 AU28 なんてフランス語も混ぜて書かれている。フランス語で書く前に、ローマ字勉強しましょう。 町にもあるぞ。 平安神宮Heian Shrin?? 錦林車庫Kinrin Syako?? 英語出来なくていいから、せめてローマ字の振り仮名くらいはちゃんとしたい。あぁ、恥ずかしぃ…。→2005年の今日のたん譚
2006年04月04日(火)
親より子が先立つ不孝−下−
−続き− 親猫と子猫(両方とも雌)は育て方を変えた。親猫は、生後一ヶ月位でもらわれて来たので、生まれた時からではないが、一日一食、人間様と同じものを与えた。生のきゃべつはシャクシャクと美味しそうに食べた。数年後、子猫が生まれたのを境に、親も共々、キャットフードを日に二度、主に与えた。そのせいか、子猫は人の食べ物には興味をあまり示さなかった。 親猫に比べて、子猫は行動範囲も極端に狭く、半径5m位だと家族とよく笑った。極端な怖じ気で弱虫な猫だった。猫でも、親とずっと二匹で暮らしていると自立出来ないようで、死ぬ直前まで、出ない親猫の乳を時々吸った。叱ってもやめる事はなかった。子猫はまた、とても変わった面を持っていた。人、猫に限らず献身的に介護するのである。一度など,家人が熱を出してうんうん言って寝込んでいた時、枕元に寄り添いじっと見て、なんと熱のあるおでこをぺろっと舐めた。家人は感激した。親猫にも同じように、子猫にするように献身的に毛繕いなどを手伝った。 子猫は、たん譚が、ドイツに出かけた次の日に生まれたせいか、刷り込みが出来ずに、家人ほどには馴れてくれなかった。多産で一度に5匹生んだ事もあった。この時、引き取り手を探したが、二匹しか引き取り手がいず、残りの三匹は、責任を持って、自分で一番楽なようにして処分した。捨て猫にするのも、人様に頼んで処分するのも、嫌だったから自分でやった。無責任な輩は、動物病院の玄関に捨てて行く人も居ると、獣医さんから聞いた事がある。処分するのは獣医さんである。その獣医さんに自分で処分した事を言った。 以後懲りて、避妊手術をしてもらった。山奥で住んでたなら、10匹でも20匹でも飼えただろうが仕方なかった。 猫と言えば 漱石の書いた「我が輩は猫である」が有名だが、漱石の弟子 (ひゃっけん)の書いた「ノラや」に愛着を持った。(映画『まぁだだよ』黒澤明(1993)にも、少しその顛末が描かれている。) 昔、それを読んで大笑いするも、その中に何とも言えない悲哀があり、 先生、ノラがいなくなって、張り紙を出したりあちこち奔走するのだが、何かに付けておいおい泣く。ノラいなくなって何日目、などと日記につけて、また泣く、果てしなく泣く。ずーっと泣く。とことん泣く。その様子が目に浮かぶようで、腹を抱えて笑った。 後に、カーテル・クルツという猫が登場するが、こちらのほうが一緒に暮らした年月が長く、ノラとは実質一年半くらいしか一緒にいなかったにもかかわらず、ノラへの思い入れは強かった。 これを読んでいたおかげで、人とペットの関係を客観的にみることが出来た。世に言うペットロス症候群にはならなくて済んだ。 他日、親猫の方を、健康診断のために昔手術をしてもらった獣医さんの所に連れてった。このお医者さんは、すぐに血を採取したり、読み上げたりはしない。長生きになったとは言え、ネコの寿命はそれ相応である事、高齢だから、いつその時が来てもおかしくないので、覚悟はしておく事などをいった。親猫には異常はなかった。 運び込まれて来たカラスがもう十五年生きている事や、事故にあって倒れていた犬を引き取って、いまも元気で、ここにいる、いろいろな動物が増えて、いまでは家の一部屋を解放して飼っているという獣医さんだった。途中、奥さんも出て来て話に加わった。動物が本当に好きで獣医をやっている事が伝わってくる。 話していて、気の休まる先生がやっばり名医なんだろう。 家族のもとで生まれ、「ノラ」のように行方不明になるのでもなく、最後の最後まで親猫と一緒に居て、誰にも迷惑かけず静かに寿命を終え、心を和ませてくれた子猫に有り難うと言ってやりたい。はや49日過ぎてしまった。
2006年03月23日(木)
日本の女に絶対出来ない事
昨日の午後、電話が鳴り家人が出た。「今、犬の散歩の途中、場所は河原町五条の鴨川敷、大変なものを見てしまった」と。 午後四時過ぎ、まぁるい女の白いお尻が二つ、草むらで並んでしゃがんでいる。どうも大か小か用を足しているようなのだ。草むらと言えど、どこからも丸見えなのにも関わらず平然としているという。 電話の彼女は絶対中国人だと断言した。 何かで、在日一世が昔の日本の女は言葉遣いや、立ち居振る舞いがよかった、今は全然駄目と腐しても、白日の下、町なかを流れる鴨川の河原で連れション?する、日本人の女はいまだ出現していないと信じたい。いや絶対無いと断言したい。 五条の橋の袂には、木屋町に面して公衆便所がある、それに、どうしても仕方なくそうなってしまったと仮定してもなを、二人で連れ添って尻を出すなんて、日本の女は絶対にできないし考える事もできないのではないか。 これを聞いていて、畜生と同じと軽蔑の感情よりも、可笑しさの方が先に来て、しばらくその光景を想像して笑い転げてしまった。 中国に旅行して日本人が一番困るのがトイレである。中国ではトイレにプライバシーなどという概念は存在しない。トイレでしゃがむと隣丸見え、前は次の順番を待つ人が立っている。遮るドアなど無い。二度と行きたくないという人も多い。支那人、ケツを捲る?→2002年の今日のたん譚
先週、雨の中、今苦境に立たされているN議員(行動を共にする会主催)の講演会に行って来た。まだ、初公判が3月9日に終わったばかりで、有罪も無罪も決定されていないのに、国会では自民・民主とも「出て行け」という結論が出た。 「出て行け」に反対したのは、平沼赳夫さんと坂田利夫じゃなかった、鈴木宗男だった。平沼さんの態度は尊敬に値する。武士である。このN議員の真価を分かっている数少ない人だろう。世には手のひら返す輩が五万といる。一番唖然としたのは、N議員が収監された後すぐに、産經新聞の文化コラムに「前からうさんくさい人物だと思っていた」と書いた作家だか横文字経営者だかがいる。こういうのが、一番うさん臭い。 産經新聞もその不正額を最初、8億とかなんとか大仰に書いて、知らぬ間に2・3千万と修正していた。さらに減っているようである。ちょっと計算してみたら、不正に渡ったとしたら、その額は年に,サラリーマンの平均年収くらいで、今回のゲストの漫画家、坂本未明も、どうせならもっと馬鹿でかい何百億とかで挙げられて欲しかったと言って会場を笑わせた。 その事は置いておいて、予々、日本の特殊部隊は存在するのか,存在するのならどのくらいの実力を備えているのか、皆目見当がつかないでいた。テレビを見ない分、最近の映画は、批評家になれるくらい見ている。よくある特殊部隊の捕虜奪還物語などを見るにつけ、一体日本はどのくらいの実力があるのか知りたかった。 先日も、元航空自衛隊の* 佐藤守元中将 (06/05/03訂正: 大将は幕僚長、中将が海将・陸将だから陸将補は少将 )が、自衛隊を使った、北朝鮮からの拉致被害者を奪還する、疑似作戦の講演があったばかりであった。 N議員はきっぱり言った。「少なくとも五カ国語を操る精鋭特殊部隊がいて、詳しくは言えないが日夜訓練に明け暮れている」、そうである。聞いていてとても心強く感じた。 日本の本当のトップガンは、映画、アメリカのトップガン、フランスの主力戦闘機ミラージュのナイト・オブ・ザ・スカイよりも上を行っていると思う。 N議員のような、しっかりとした歴史観と愛国心(patriotism)を持った政治家は2・3の人を除きほとんど我が国には存在しない。これからも応援して行く。* 防衛大航空工学科卒(第7期)。航空自衛隊に入隊。戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間)。外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、南西航空混成団司令(沖縄)。平成9年退官。軍事評論家。岡崎研究所特別研究員.チャンネル桜コメンテータ。平河総研・専務理事 自衛隊の階級はごまかしでできていて分かりにくい。この前、アメリカの軍人がインタビューを受けていたが、字幕にははっきりと「大将」と書かれていて簡潔明瞭。佐藤さんの場合は、陸将補だから、* 中将 (06/05/03訂正 :大将は幕僚長、中将が海将・陸将だから陸将補は少将 )になるのか、大将の次。どちらにしても偉い。あえて* 中将 (少将 が正しい)と書いた。* ☆訂正の参考書・そのとき自衛隊は戦えるか 井上和彦 扶桑社 →今日の話題との関連たん譚 →2002年の今日のたん譚
三月九日の産經新聞朝刊の何面目かの右半分全面広告は、「最高裁判所」のコマーシャルコピー「ゆっくりつき合っていこうとおもいます・あなたが参加する裁判員制度、平成二十一年五月までには始まります」 だった。 去年の秋頃、近所の爺様に訴えられた。懸案は庭の木の事(枝が爺様の離れの庭にかかっている)でたわいもない事だったが、なぜ、簡単にすぐ訴えるのか不思議に思った。この爺様(80歳くらい?)、近所中の人を相手に、訴えたり、ストーカーまがいの事をする常習犯で、近所の老婦人はノイローゼのようになって、家に相談に来た事もあったが、対岸の火事くらいにしか思っていなかった。それが、突然裁判所から呼び出しが来た。今も、調停中である。 齢(よわい)80を越える歳になると、普通なら孫もいて、好々爺(こうこうや)然として、にこやかに趣味に生きるという印象があるが、この爺様に限ってなぜなんだろうと疑問が湧いたので調べたら、すぐに分かった。若い頃、どうも法科で学んだようだった。それで法律知識を武器に、すぐにあちこち訴える行為に走るのだと合点した。 新聞のテレビ欄を見ると、何年か前から行列のできる法律相談など、そう言う類いの番組が載っている。民放は見ないので知らないがゴールデンタイムにあるくらいだから人気なのだろう。これらを参考にして、これからこの爺様もどきがどんどん増える。 アメリカが毎年日本に命令に近い文書『年次改革要望書』 を出して来ているのを知っているだろうか。国会議員ならほとんどが知っているというが、なぜか新聞などではあまり読んだ事が無い。ほぼ、日本国政府は言われるまんまに要望どおりにしている。属国と言われる所以である。 その中でアメリカは、日本の司法制度の改革をして、「遅い裁判を早くしろ」、遅いのは「裁判官や弁護士の人数が少なすぎる」からで、増やせ。「弁護士業務の自由化をしろ」、「陪審員制(日本では裁判員)にしろ」と言っている。日本は言われるまま、2004年4月、アメリカ型の法律家を数多く育てるため、法科大学院 を作った。今年から新司法試験が開始され、2010年頃には今の3倍に近い年間3000人の法曹が誕生することになるとホームページにある。 法律には、ヨーロッパ型とイギリス(アメリカ)型があって、簡単に言うとヨーロッパ型は、ローマ帝国時代の法大全とナポレオン法典の流れなどをくんで、法学者など専門家が体系付けて編纂した、これを「制定法(シヴィル・ロー)」 と呼んでいる。 他方、イギリス(アメリカ)型は、過去の裁判の判決例の集積を法とし、「判例法」とか「コモン・ロー」 と呼ばれている。当然アメリカはこの、「判例法」をとっているから、裁判にあたって、過去の判例を調べるのに膨大な人員がいる。アメリカの弁護士が異常に多いのはこの辺の事情によるものだ。一つの事務所に何百人も抱えていたりする。 日本は,六法全書を紐解く型の「制定法(シヴィル・ロー)」だったが、上の法科大学院 は、「判例法」とか「コモン・ロー」と呼ばれるアメリカ型で、これが毎年何千人と排出されるようになる。過去の判例を調べるだけなら、六法全書を紐解く型 の専門家はいらなくなる。 個人は、マグドナルドのコーヒーをこぼして火傷したのは、マクドナルドが悪いと気軽に訴え得るようになる。企業相手に何十億もの金を踏んだくる事ができる可能性が出て来た。個人が株をする大半は欲からである。同じ楽して儲けるならこっちがいいぞ。 アメリカは最終的に、日本を訴訟型社会にして有り余る弁護士どもを日本に向けて来る。偏に自国の利益のために。やがて、子供が親を、親が子供を訴える、兄弟が兄弟を訴える、ご近所がご近所を訴える。目出たく日本の美徳「お互い様」は消えてなくなり、がさつなアメリカ型拝金主義の国と成り果てる。 2010年からそれは始まる。 参考文献: 拒否出来ない日本 関岡英之 文芸春秋→2002年の今日のたん譚
2006年02月27日(月)
今月から過去の同じ日へリンク
あんまり更新していないのに、しょっちゅう目を通していただいている読み手に。 過去の同日の日記へのリンクを置きました。たん譚更新されていない時、これでも読んでお茶を濁して下さい。その日の過去のたん譚が必ずあるとは限りません。リンクが書かれてない日は過去にもありません。→ 2003年の今日のたん譚