![]() 目次|過去|未来
あれ?薪は? この像が二宮金治郎ではないとしたら、この兄ちゃんは誰であるか?なんで丁髷を結って着物着て本を読んでいるのか。結論から言えば、これは二宮金治郎像の変造?である。後からの価値観で、薪をとっぱらってしまった。図書館だから、本だけ読んでればよろしいと言うことなのか。 ![]() 幸田露伴の「二宮尊徳翁」の本中に初めて薪を背負って歩く挿絵が出て以後、これが尊徳(金治郎)像の基本となり全国に広がっていた像が、ある年代以上の脳裏にある二宮金治郎像だ。が、やがて徐々に撤去され始める。 理由は戦後、GHQが過去の日本人の価値観を否定せさるためという俗説もあったがそれはあたらない。占領下に流通していた一円紙幣は二宮尊徳の肖像画であった。 本当の理由は、笑えることに、「像のように実際に薪を背負って歩いていたか確認できない」??事と、また、児童が像を見て真似すると危険という交通安全上から?、1970年以降学校から消えていく。 そんなら何か、*アングル描く、「アフロディーテ(ギリシア神話の女神、切り落とされたちんちんにまとわりついた泡から生まれたと言われている)の誕生」絵中の、アフロディーテ、寄り添う天使は、本当にいたかどうか確認できないという理由で加筆したり適当に部分を修正する事を許すのか? ![]() こういう時だけ妙にリアリズムを持ち出す輩は抽象概念とか象徴と言う意味が理解できない、あほである。 像を見て真似するから危険といっても、現実にあの大きなランドセル背負って、漫画読んでいる子供はいる。 何で、像を見ると「真似をする」という発想になるのか。「アフロディーテの誕生」を見て、男児は発情はするかも知れないが,まねして裸になろうとする女児はいないだろう。 京都府立図書館はあの駄像すぐ撤去したほうがいい。 二宮尊徳は、報徳記で、「誠」をもって働く事を勤労と呼び、単なる労働ではないと言い、さらに実践を伴わない単なる、「本読み」になってはいけないと言っているではないか。と友に言ったら、 「あれ、三宮きんたろーちゃうか」、 誰や?それ。 *ドミニク.アングル1780年生まれ …フランスの画家。 ロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を引き継ぎ、古典主義的な絵画の牙城を守った。 →2002年の今日のたん譚 あははは…!
これらの人々は、沿道遠く公園に追いやられたにもかかわらず、なぜか中国人の殆どは最前列に赤旗を持って集まっていた。民放の報道番組を見ると異様な数の赤旗が振られていることに気づくだろう。リレー開始直前、チベット人殉難者のために善光寺で法要が行われた事を日本の報道局は報道するのだろうか。 世界中に居て、一声かければ、五万と集まってくる国とその国民性に注意すべし。
↑↓チャンネル桜、桜プロジェクトより 二、 こんなものに、文化庁から金が出て、お墨付きを与えられ、世界に紹介される事を杞憂する。アメリカの兵士の国立墓地は 李監督へ。建国60年足らずのわずかな間に立て続けに起こる、御国の「天安門事件」や、チベット屠殺をテーマにしたらどうだ。出来ねえだろう。 そんなもん制作したら帰ることが出来なくなってしまう。 で何者か?工作員である。ね,罹患督。 追記: この監督、少し前にあった、百人切り訴訟裁判後の集まりでの事。弁護士会館での集会は定員一杯で、急遽議員会館での会合に、なぜか忍び込み(一般の人は入れない)、勝手にビデオを回していたところを水間政憲(ジャーナリスト)氏がとっつかまえ、名刺を出させ、その場で、ビデオ削除を言ったがやろうとせず、詳しい人の手で消去した。怪しい奴の証拠は一杯掴まれている。 これはもうはっきりした工作員である。 この時期から推測するに「南京」に関しての工作宣伝のための活動をしていたのだろう。 朝日の太鼓持ち田原総一朗ともども両者を逆に訴えればいい。 呆れたことに、朝日新聞片面一杯に映画「靖国」のコマーシャルしていた。 片面と言えば、数千万の金がかかる。さて、出所はどこでしょう。
二。天台宗 別格本山 書写山 圓教寺の大樹玄承 執事長と、金子峻祐執事 →2002年の今日のたん譚 雪舟bon?
![]() 一昔前は、片道六時間はかかったが、今は、橋が出来てわずか三時間で四国大阪移動が可能になった。雨模様で少々気が滅入ったがどちらも外せない。 岳人クラブの主催で徳島市公民館七階で行われた両君のお別れ会で、遭難時の状況分析が詳細に行われた。槍平という場所を知っている人ほど、その場所に雪崩など起こるはずのないと思ってしまう位置なのであるにもかかわらず、起こってしまったその事に関しての分析で、その雪崩がどこから来たか釈然としないという事で未だ調査途中ということであった。 壇上に大きく掲げられた両君の遺影と遺品、ピッケル、ダウンのジヤケット他、五十一年生まれの西井氏については何も知らないので、ここでは書かない。 市川君とは先輩後輩の関係ではあったが、とても親しくしていた。 青春期に親しくした友は何十年音沙汰無しでも心の底でどこか気にかけているところがある。 一見、全然趣を異にする会のように見えるが、主人公に共通することがある。青春時代を「山」で過ごした経験を持っていることである。西村さんも大学時代一時(足の怪我で退部)山岳部にいた。冬の北アルプスで吹雪きの中、ビヴァークを経験をしている。山の話をすると本当に懐かしくその時を思い出すようだ。 お別れの会は高速バスの時間の都合で「献花」までいられず、会場を後にした。これとは別に、ここ、たん譚に、市川啓二君追悼を書こうとおもっている。 信じられないくらい、分刻みの乗り換えがうまくいき、大阪堺リーガロイヤルホテルに二十分くらい遅れでたどり着けた。 応援に駆けつけた、衆議院議員、平沼赳夫さんの言葉は聞けなかったが、間に合った。大盛況で、会場の外まで人があふれていた。 ![]() ←写真は前の方で少人数に見えるが、広い大ホールに数百人が集っていた。 政治家として人望が厚いというのは、個人として支持しているたん譚のようなのもいるが、その後援会の多さでも分かる。いろいろな人達がいろいろな集まりを作り、支持して独自の会を作っている。今回それを知って改めて、こんな政治家は他に例がないのではないかと思った。著書でも、日本を論じるのに、日本とは何か、日本人とは、から興す。政治家の本で、この根っこから論じた本があったら教えて欲しい。政治家はその時その時の点を論じ、解決しようとする人は数多みかける。が、カントリーとしての日本、ネイションとしての日本を意識しての発言は見かけない。 映画やVシネマなどで人気を取っている、「難波金融伝 ミナミの帝王」に出ている、地場のやくざの親分役の元チャンバラトリオの人(名前忘れた)、登場人物そのまんまの衣装と雰囲気で来ていたので、思わず親分が来ていると錯覚してしまった。 ![]() TVで、お笑いタレントに受験勉強の家庭教師を務めて、話題になり、浪曲師に華麗なる転職をしてまた話題になった「けいこ先生」も居て、司会をしていた。 拉致被害者のご家族、有本さんご夫婦、東条英機御令孫、東条由布子さん、実に多方面にわたって来られていた。 この二つの会には、それぞれ象徴的な歌が思い浮かぶ。 西村さんの集いには、 「海ゆかば」 大伴家持 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ (長閑(のど)には死なじ) 市川君始めとする岳人達は必ず多少の感傷を持って歌った 「いつかある日」 ロジェ.ジェプラ いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ 母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には 伝えてくれ 愛しい妻に 俺がかえらなくても 生きてゆけ 息子たちに 俺の踏み跡が 故郷の岩山に 残っていると 友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケルたてて 友に贈る 俺のハンマー ピトンの歌声を きかせてくれ この詩が、実感として胸を打つ事は今までなかった。今は山行く人の共通の遺書だと思うようになった。 学生時代、念仏のように唱へ覚えた、エベレスト K2 カンチェンジュンガローツェ マカルー ダウラギリ …。 その中のダウラギリに隊長として遠征し、その深い雪に、地場のシェルパに、行ったら100%死ぬと言われて、忠告にはやる心を抑え、撤退し生還、日本に帰国し、同年の正月登山に、冬山初心者を連れて、あと一時間で新年を迎える十一時頃、就寝中雪崩にテントを潰され不帰の人となった。 ![]() 徳島岳人クラブ提供→ 慰めは市川君が誘った人は生還したことである。難しいダウラで逝かず生還したのに、テントの張り位置からもその用心深さが伺われる、北アルプス槍平においてまさにそこに雪崩が来た。 冬山で絶対安全はないが、長年の山屋の感は働く。その感を持ってしてもその場所は安全に思えた。 世の常として、不条理は働く。そして仲間と逝ってしまった。さらに遭難後すぐ後、世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)を初登頂したサー・エドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Hillary)も後を追うように他界した。きっと天上界で会っている。残念なことに西村さんのご子息も、市川啓二君遭難後の今年一月病気のため他界した。 悲しみと希望この二つの相反する感情はきってもきれない間柄である。だから、この二つの会の主人公は「山」という関係を置いても、無関係ではない。
![]() ![]() 長野県を聖火が走る。テロはだめだ。卑怯すぎて性に合わない。 そこで聖火リレー沿道に共に出かけ、近くに来たら、みんなそろって一斉に聖火を口で吹き消そう。消えなくても良い。とにかく吹き消す行為をするのだ。それは騒ぐより効果があるだろう。必ず、ニュース報道の背景として写り、流れる。Youtubeにも。 ※チベットは西蔵と呼ばれている。どこからみて西の蔵? 東南アジアは何処にある?日本から方位を正確に見て、東南にアジアはない。往時の力を持った国から見て東南にあった。西蔵も同じこと。わが国では戦前戦中、チベットは土伯特と書き、東南アジアは南洋と呼んだ。少なくとも日本の目で見ていた。 ★本日、沖縄集団自決訴訟に判決が出た。 判決→元守備隊長らの請求棄却。「沖縄ノート」記述の訴訟で大阪地裁。「集団自決に軍深く関与」と指摘。← すでに明白な当事者の証言を踏みにじるものは何か。常識的に見てほんとうにおかしい。詳細はまだ知らないが、「関与」と言っても「良い」関与もある。
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